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不意の依頼と真珠に御注意。
ある日。
シリューナ・リュクテイアはちょっとした事を頼まれた。
このシリューナは別世界から異空間転移してこの世界に来た紫色の翼を持つ竜族である。そして、この世界での生業は魔法薬屋。…とは言っても今回の依頼はその魔法薬屋としての彼女に持ち込まれたものではなく、どちらかと言うとシリューナ個人の魔法の知識を買われての依頼になる。
シリューナは竜族は竜族であるが、普段は完全に人型を取っている。ひょっとすると周囲には竜族である事を知らない者も多いかもしれない。…ただ、魔法に長けた魔法薬屋。美術品や装飾品――特に『素材』は厳選するが彫像、オブジェの類に目が無い――と言う辺りしか、承知されていない場合もあるかもしれない。
まぁ、通常ならばそのくらいの理解で何も問題は無い。
そして、今回そのシリューナに頼み事をした魔法使いの女の子も、そのくらいしかシリューナのプロフィールは承知していないだろう知り合い、になる。
…と言っても、趣味の方がばっちり合うならシリューナの方でも女の子の方でも、相手の正体が何だとか大して気にする事でもないのだが。同好の士。突き詰めれば結局それが一番重要な事になる。
それ以外は結局、瑣末事。
で、今回の本題であるその「依頼」とは。
何やら、魔法の書物を誤用した事で、勝手に構築されてしまった空間をどうにかして欲しい、との事で――。
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依頼の現場は魔法使いの女の子の自室。
魔法の書物の内容は貝か何かに関係するものだったらしく、床や天井が貝殻の内側に似た形になっている光景が部屋の大きさも無視してひたすら続いている――そんな謎の空間になってしまっている。これを元に戻せと言う事ね、とシリューナは軽く息を吐いた。そして、じゃ、手分けして遣りましょうか、とぼやくように呟くと、はい、お姉さま! と元気に受ける声が続く――依頼を受けたシリューナと連れ立って一緒にここまで来ていたのは、シリューナと同族にして妹のような存在、そして魔法の弟子でもあるファルス・ティレイラ。
シリューナは、やっぱりティレを連れて来てよかったわ。としみじみ。…空間内部を調べるにも、人手があった方が良い。依頼をして来た時の様子からして――そして今現在の様子からしても、依頼人当人は人手に数えられそうにないし。
ともあれ、取り敢えずは元に戻す端緒を見付ける為に空間内を探索する。依頼人曰く、この空間が出来ると同時に元々あった筈の魔法の書物自体が無くなっちゃったとか何とか言う話で、空間の中の何処かにその書物があるのでは、との推察も出来ていた。けれど、不用意に入るのが怖いとびくびくしている始末。それで、シリューナにお鉢が回って来たらしい。
魔法使いと名乗っていても、女の子よりシリューナの方が魔法使いとしても格が上だったりする。女の子の方はあくまで修行中。どちらかと言うとこの女の子、ティレイラの方に立場は近いのかもしれない。だからこそシリューナが頼られて、今に至る事になる。
シリューナはティレイラと手分けして空間を探索。書物らしきものがあればひとまずそれを確保する。…紙の切れ端。文字の書かれた断片――シリューナは空間内部を探索する中、そんなものを幾つか見付けて拾う。それぞれ流し読みした結果、真珠母貝の力を模した封印魔法の本らしいとざっくりは理解した。
となると、取り敢えず断片を集めないと始まらない。シリューナは既に確保した断片と同じものを探し集めて、空間の外で待っている女の子に渡す。それで全部かどうかを確かめる為――足りない部分があるのなら、わかるのはこの空間を作ってしまった――元の本を持っていた当人だろうから。
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他方、ティレイラも空間内部を探索している。書物の断片があればそれを確保――と言う話になってはいるが、さっき見付けて集めた分をお姉さま――シリューナに渡したっきり、新たに断片らしきものは見付からない。
そうなると、さっきのあれで全部だったのかな、と思えて来る。
…なら、後はお姉さまの手にかかればちょちょいのちょいで解決する筈。女の子からの依頼の目処は付いた事になる。
そう思うと、ティレイラとしてはちょっとばかり気も緩む。…そもそもこの空間自体がなかなか面白い。元に戻す前に色々確り見ておこう、と興味津々で空間内をあちこち見て回ってみる。
と。
空間の中程まで来た時点で、不意に、天井まで伸びる唐突な柱を見付けた。
周辺が貝殻っぽいから、貝柱だろうか。二枚貝の。…そんな風にも思わせる、謎の支柱らしきもの。
………………何だろうこれ?
ふと思い、ティレイラは何となく柱に手を伸ばす――伸ばすだけでなく、すい、と柱に指を滑らせた。途端、ティレ! とお姉さまの呼び止める声。何か、慌てたような大きな声で――そんな声で呼び止められたティレイラが、へ? と要領を得ず不思議に思ってる間にも、がんっ、と何かが妙に重く噛み合わさるような不吉な音がし――同時に周辺が真っ暗に。
え、え? とティレイラは俄かにパニック。
何が起きたのかわからないながらも、多分自分が何かをしたのだと想像は付く。
「ここここれ、わ、私のせいですかぁ〜!?」
「…未知のものに不用意に触ったりするからそうなるのよ」
柱。
ティレイラが触れた「それ」が今いきなりこうなった――恐らくは真珠母貝を模したこの空間の蓋が閉まって閉じ込められた原因。はっきりしないながらもそうだろう、とシリューナは推察し、仕方無いながらも次善の策を考える――と。
考え始めたそこで、シリューナさんティレイラさん聞こえますかぁ〜、と何処からか女の子の声がした。壁の外。空間内に閉じ込められてしまっている二人を呼ぶ声。…空間を隔てていても声は届くのね、と即座に理解し、シリューナは手近な位置に魔法の光を灯した。聞こえるわ、と受け答え――壁の向こうから、良かったぁ、と心底安堵するような女の子の声が続く。
で、あのですね、と女の子は何やら勢い込んで話を続ける。曰く、シリューナに集めて貰った書物の断片を全部熟読してみたところ解決策がわかったらしく、柱を倒せば外から開けられるらしいです! との事。
それを聞いたシリューナは、なら、と柱に向かって攻撃魔法を発動――するが、柱は少し削れただけ。それも、削れたその時点で柱へのその攻撃に反応したのか、何やら真珠色にきらきらと輝く霧のような膜のような「何か」が何処からともなく発生し、周囲を満たすようにしてゆらゆらと漂い始める――途端、明かりにしていた魔法の光がふっと消えた。シリューナはもう一度灯そうとする。
が。
灯せない。
魔法が発動出来た手応えが無い。…周囲を満たす真珠色の「何か」。どうやらそれが自身に纏わりつき、魔力が奪われている――魔法が思うように操れない。
と、そんなシリューナの様子を先回りして察したか、じゃあ力任せで行きましょう! とティレイラがここぞとばかりに気合いを入れて本性の姿に戻って見せる。即ち、艶やかな紫の翼と尻尾を持つ竜の姿。気合いがてら一度咆哮してから、勢い付けて体当たり――そして鋭い牙を具えた強力な顎で柱に齧り付いてから勢いよく頭を振るってみたり、前肢の鋭い爪を叩き付けるようにして力任せに柱を削り取ろうとしたり。…自分の力で出来そうな事を何度も何度もやってみる。竜姿の重量と後肢のバネと地を蹴る勢いを利用し、着地しては力任せで柱を倒そうと――と言うよりいっそ圧し折ろう、破壊してやろうととにかく頑張る。
が、そうやって何度も動き回っている内に。
ふと、身体が妙に重くなっている事にティレイラは気が付いた。…それは竜姿は元々、人型を取っている時よりパワーがある分、重量もある。あるが、そういう問題じゃなくて、何か、もっと違う――と。
思っていたところで、自分の前肢の先がティレイラの視界に入る。紫色をしている筈のそこ――なのに、何故か淡い真珠色に輝いている。…よくよく見ればその前肢だけでは無くて後肢も、翼も、尻尾まで。
まるで、周囲を漂っている膜のようなものがそのまま凝ったような色になっていて。
えええええ〜!? とティレイラはまた慌て出す。…シリューナも気付く。見計らったようなタイミングで、壁の外からの女の子の注意喚起の声も届く。
曰く、魔力の膜に包まれ過ぎると真珠の塊になって封印されてしまうらしい――とか何とか。
言われた時点で、ティレイラの恐慌は頂点に達する。お姉さまが魔法使えなくて、私が封印されちゃって、依頼人の女の子はどうしようも無くってお姉さまに依頼した訳だから――私が何とかしなきゃ! とそれまで以上に必死になってティレイラは柱への体当たりを続行。ずしん、みしり、と重そうな音が続く。柱が軋む音もする――もう少し。もう少し――祈るように思うティレイラのその目の前で、漸く柱は重苦しい音を立てて倒壊した。
柱は倒れた。その事実に安堵すると同時に、早く出して! とティレイラは懇願――するが、竜姿での声なので壁の外の女の子にまで通じたかはわからない。
ただ、そう懇願の声を上げたそのままの姿で、ティレイラは動きを止めてしまった。
………………後に残るのは、竜姿のティレイラが元になった、真珠の塊。
シリューナの方はと言うと、思わずそちらに先に目が行っている。…実のところ、先程ティレイラが慌て出した辺りから――シリューナにして見るとむしろ女の子からの「依頼」の方がどうでもよくなっていた。それより先に気になったのが、柔らかな光が混ぜ込まれた乳白色――真珠色に輝くティレイラ当人の姿。その姿にこそ目が奪われた。
そして、奮闘する真珠色をした竜姿のティレイラをじっくりと眺め、動きを止めるまでただ黙って見ていてしまった、と言う事情がある。
後の事だとか、今は依頼の最中だとか、そんな事はどうでもよくて。
動きを止めてしまった今、ただ、目の前の竜姿の真珠の塊に指を伸ばして、触れてしまっている。
見た目も質感も、堪らない。
「…ああ、とっても素敵よ、ティレ」
予期せぬ眼福に高揚し、ほう、と溜息を吐くシリューナ。まるっきり忘我の境地。…そちらの声は先程のティレイラの懇願とは違い、壁の外の女の子にも意味ごときちんと届く。
…取り敢えず、今の状況とか、依頼人の存在とか――多分、今のシリューナの頭からは消えている。
と、なると。
滅多にない姿が拝めるかも、と壁の外に居る女の子の方でも期待する。…そう、この女の子はシリューナの知人である――「この女の子もシリューナと趣味の方向が同じ」である。即ち、まだ真珠色の魔力の膜が漂っているだろうこの中に、シリューナの方も何とかしてこのまま放っておけたなら…?
「えと、大丈夫ですかシリューナさんティレイラさん、あれ? 何で開かないんだろ? えーと…」
そう声を掛けてみる。
…本当はすぐにでも開く。
が、このままこうやって声を掛け続けて何とか時間稼ぎをして、開かない事にしたい。
まだまだ、シリューナが鑑賞している気配がする。
返答も返って来ない。
…よし。
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少しして。
鑑賞してるっぽい気配が消えたかなー、と思えた頃合いに、外の女の子は真珠母貝を模したその空間を恐る恐る開けてみる。
と。
そこには期待した通りに真珠の塊が立っていた。
が、中に居たのはシリューナとティレイラだった筈なのに、そこで真珠の塊になっていたのはシリューナと竜、である。…女の子はその事自体に驚いた。つまりティレイラが竜姿になっている――懇願するように鳴いているところでぴたりと止まった姿が、あまりに予想外で。
人型の――元の面影を探す方が難しいようなその顔。おっかなびっくりながらその顔に触れ、女の子はその顔をじー。…よくよく見れば、ティレイラの面影が無い事も無い。何より、落ち着いて見直せば――醸している雰囲気が人型の時そのまま、である気がした。
…そのままじーっと見続け暫し、ちょっとびっくりしたけど、結構、可愛いかもと思えて来る。うん、と満足げに頷き、女の子は「元々期待していた滅多に無いだろう珍しい姿」の方――真珠の塊になっているシリューナの方にもえいっとばかりに抱き付き、すりすり。
こちらもこちらで、想像以上。…危ない橋を渡ってみた甲斐があった、と会心の笑みも自然と浮かぶ。後が怖いっちゃ怖いけど、それでも今、この瞬間だけで。
今日はもう、最高の気分。
【了】
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