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After missions
不安と緊張感から解放されたのか、フェイトはクレイグの腕の中で意識を手放していた。
グラ、と体勢が崩れかけるのを慌ててクレイグが抱き直す。
「……特に外傷は、無いよな……、っ」
フェイトの状態を見れる限りで確かめているクレイグが、次の変化に眉根を寄せた。
切りつけるような鋭い気配。クレイグはフェイトを抱えている分その気配の反応に僅かに遅れてから銃を握る。
視線を上げればその先にはあの老エージェンの姿があった。彼はクレイグたちに向けて銃を構えている。
「――レッド、あんた……ッ」
顔色一つ変えずに、そのエージェントはそのまま引き金を引く。
――捕られた、と思った。
だがその弾丸はクレイグの真横を通り過ぎ、背後で鈍い音と共に姿を消す。
直後、どさり、と何かが崩れ落ちた音がした。
クレイグが肩越しにそれを見やれば、フェイトが撃ち漏らしたらしい強化された人であったモノが一体、足元に沈んでいる。
「慢心は悲劇を招くぞ、ナイトウォーカー」
「…………」
老エージェントはそう言いながら視線をフェイトに移動した。そして掲げたままの銃をゆらりと彼の前に向ける。
「本気か、レッド」
クレイグは彼を睨みながら己の銃を向けた。
チリッと鋭い視線が火花を散らせたかのような感覚になる。
暫くの睨み合いが続いた。
「…………」
老エージェントの口の端が歪む。
それが合図となり、彼は緊張の空気を解き、銃を下ろす。
彼は状況を確かめるためにその歩みを進み出た。クレイグたちをすり抜け数歩進み、辺りを見やる。
無数の檻と倒れた人影。
後は動くかどうかもわからない古い機械が積み上げられた状態の中、最後に見たのはクレイグが壊した監視カメラだった。
それを見上げて数秒。
老エージェントは何かを悟ったような表情を作り上げ、小さくため息を漏らす。
「レッド……?」
「……作戦終了。撤退だ、ナイトウォーカー」
「はぁ?」
「中枢区にいるはずの【虚無】も姿を消していた。今回はあちらが一枚上手だったよ。我々は手のひらで踊らされていただけだったのだ」
銃を懐に仕舞いこんでスーツの襟を正す老人に対して、クレイグは納得のいかなような表情をしていた。
多くの怪我人と窮地の中、これ以上の任務遂行は確かに危険であり無理でもある。
だが、それでもクレイグは素直に頷くことが出来なかった。
「輸送班が迎えに来てくれている。最初のポイントに戻って帰還しろ」
「おい、レッド……」
「――何も言うな。それから私からの任務はこれからも実行してもらうぞ」
老エージェンは低い声でそう言いながらクレイグの肩に手を置いた。
そして一度周囲を気にした後、「ついでに、お前にフェイトのストッパーの役目も追加しておく」と告げてから彼はクレイグの肩から手を離す。その際、彼の指先に小さな機械があり、クレイグがそれを見て眉根を寄せた。
「じーさん、アンタ……」
白髪のベテランはそれ以上は何も告げなかった。そして口の端のみで笑った後、自分の耳に指を当ててクレイグに合図をする。
「おい、俺達の話聞いてたのかよ! 汚ねぇぞじーさん!」
先にその場を離れた老人の背に向かって、クレイグはそんな事を言った。
つまりは、老人はクレイグの肩に盗聴器を取り付けていて、フェイトとの先ほどまでの会話を全て聞いていたということなのだ。
当然、クレイグは憤慨する。
だが老エージェンはそれを片手を上げてヒラヒラと手を振るのみで対応して、長い廊下へと消えていった。
「……ったく。結局、あのじーさんに良いように振り回されただけじゃねぇか」
はぁぁ、と長い溜息を吐いてから、クレイグは眠ったままでいるフェイトを自分の背に乗せた。
手にしたままだった銃は既に懐の中で、彼は器用にフェイトを背負う体勢となりその場を後にする。
――フェイトのストッパーの役目も追加しておく。
脳内で先ほどの老人の言葉を思い出した。
身勝手な老人ではあるが、自分は彼に少なからずは信頼されているのかと思うと、心がくすぐったいとも感じる。
「……まぁ、言われなくても、だけどな」
背中に感じる大切な存在。
ゆっくりと首を動かすとフェイトの息遣いが聞こえてくる。
自分が唯一守れる存在。守りたいと思い続けている存在。
だからこそ、譲れない。
誰にも、『レッド』にすらも。
「……、はは……さすがにちょいと、色々堪えるねぇ……」
フェイトを背負い直しながらのクレイグの言葉は、若干気の抜けた響きになった。
よく見れば彼の黒のスーツは所々破れている。その先には切り傷や赤みなどもあり、満身創痍のままであった。
それでも彼は、背に置いているフェイトの事は降ろさないし、離さない。
「ん、あれ……」
「お、気がついたかユウタ?」
「……、えっ、ちょっとクレイ! ストップ!」
フェイトがゆっくりと瞳を開いた。意識が浮上してきたのだ。
そして彼は自分がどういう状況にあるかを瞬時に理解して、クレイグの両肩に手を置く。するとクレイグはわざと「痛……っ」と言ってフェイトの顔色を変えさせた。
「いいからこのまま黙って運ばれてろ」
「だって、クレイのほうが怪我してるじゃないか!」
「だーから、騒ぐなって。そこから手離して腕回してくれ」
クレイグはフェイトには従わなかった。彼を背負ったままで歩みを続けていて、痛そうな反応を示している割には平気そうである。ただ、肩を負傷しているのか手を置かれて力を入れられる事だけは、少しだけ抵抗があるようであった。
フェイトは困り顔のまま、自分の手のひらを広げてクレイグの肩をそっと撫でてから彼の言われたとおりに腕を前へと回す。
「あの、えっと……重いだろ?」
「別に?」
腕を前に降ろしたことによって、顔の距離が近くなった。
それに最初に気づいたのはフェイトであったが、肩を痛めているクレイグの負担になってしまうと思い動くことが出来なかった。僅かに頬だけが静かに染まっていく。
「……クレイの背中、大きいね」
「そうかぁ? まぁ全体的にお前よりはなぁ」
フェイトはクレイグの体に触れて、初めて知ったことがあった。
彼の歩幅が大きいこと。足の長いクレイグだからこそなのだが、自分が横に並んで歩いている時にはそれを感じなかった。
つまりはクレイグは、フェイトの歩幅に合わせて歩いてくれていたのだ。
そして、大きくて広い背中。
これも、こうして背負われなければ気づけなかっただろう。
「……戻ったら、俺に傷見せてくれよ?」
「あー、忘れなかったらな」
再び声をかければ、クレイグはいつもどおりであった。
ゆら、ゆら、と揺られながら進む道。
潜入した時とはまるで違う気持ちにさせてくれる彼に感謝しつつ、フェイトは合流ポイントまで背負われたままでいるのであった。
「――入りたまえ」
「失礼します」
IO2本部内の上層部。いかにもと言わんばかりの上司の声を受けた後、白髪の老エージェントはその扉を開いた。
部屋の中には書類を片手に難しそうな表情をしている眼鏡姿の男と、マホガニー製の机の向こうに座する男の姿があった。
一歩を踏み出すと厚みのある絨毯が革靴の足音をかき消し、ゆっくりと沈む感覚を覚える。
「ご苦労だった。粗方の報告は既に受けている。要点だけを聞こうか」
「はい。今回の施設には特殊筋肉増強剤及びそれを記すデータは残されておりませんでした。それと、潜入時に我らの動きを向こうがカメラを通して見ていたことが分かっております」
眼鏡の男がピクリと眉間を震わせた。
それを横目でチラリと確認しつつ、老エージェントは報告を続ける。
「監視対象にあります『フェイト』ですが……【虚無】にその存在を知られた可能性も有ります」
「いずれは、と思っていたことだ。仕方あるまい。……だが、それなりの対処はしているのだろう?」
「彼の同僚にストッパーの役目を与えました。しばらくはそれで様子を見たいと思っております」
老エージェントの言葉はしっかりとしていた。
迎えた側になる上司の男はその目をしっかりと見つめたままで、「うむ」と返事をする。
「しっかり休ませることだ。――君も、今日のところはゆっくりしたまえ」
「有難うございます。そうさせて頂きます」
上司の言葉の後すぐにそう応えた老エージェントは、しっかりと会釈をしてから踵を返した。
眼鏡の男が先回りをしてドアノブを捻り、扉を開く。
三十半ばほどかと見受けられるその男は、上司の秘書のような立ち位置なのだろう。老エージェントから見ればまだまだの『若者』である。
「――レッドよ」
老エージェントが部屋から出て、扉が閉められようとする中で、上司からの声があった。
肩越しにちらりと振り向くと、「二十二時、いつものバーで」と続きの言葉が飛んでくる。
それに対して彼は笑みのみでの返事をした。
そしてその扉は、静かに閉じられるのだった。
ひと通りの報告を済ませて、フェイトはクレイグの姿を探していた。
途中、医務室に立ち寄って彼の怪我の具合を伺う。
「え、病院行ってないんですか?」
「ここの治療で事足りるって押し切られちゃってね。打撲も立派な怪我のうちなんだけどなぁ」
医務室にいた医師が困ったようにしてそう言った。そしてクレイグは医師が紹介状を書いているうちに医務室を抜けだして、帰ってしまったという。
「後は腕の裂傷と打ち身なんだけど、無理させないようにね。はいこれ、換えの包帯と湿布。君、ナイトウォーカーのバディなんだろ? だったらちゃんと面倒みてあげてね」
「え、あ……はい……」
医師がそう言いながら茶色い紙袋をフェイトに押し付けてきた。
バディと言われて専属のそれではないと訂正しようかとも思ったが、同僚であることには間違いないので、それ以上の言葉は選ばずに終わる。
そしてフェイトは片腕に紙袋を抱えつつ携帯を取り出した。掛ける相手はもちろんクレイグだ。
片手のみの操作で彼のナンバーを呼び出して、そのままボタンを押す。
「…………」
呼び出し音が思いのほか長く続いた。
クレイグがフェイトからの電話に出ないということは基本無かったので、少しだけ心配にもなる。
そしてかけ直そうかと思った矢先に、電話の向こうでガシャン、と言う物音とともに通話の表示に切り替わった。
『……ハロー?』
電話の向こうのクレイグの声は、よそ行きのそれであった。相手がフェイトだと確認する間も無かったようだ。
「クレイ、俺だけど。なんかすごい音したけど大丈夫?」
『ああ、ユウタか。悪ぃな、シャワー行ってたんだよ。なんかあったか?』
「…………」
いつもは何かと自分との距離を開けないクレイグなだけに、今の彼の行動にフェイトは眉根を寄せざるを得なかった。
単に早く帰ってゆっくりとしたかっただけなのだろうが、何も言わずにそうされたことにも疑問を抱かずにはいられない。
少しだけ、腹が立った。
「――クレイ、今からそっち行くから。医務室から薬とか包帯とかも預かってるしね」
『はぁ? だってお前、もう遅いぜ? 明日も早いだろ』
「俺は明日から休暇になったからいいんだよ。っていうか、ちゃんと顔見て話したいから逃げずに部屋にいろよ!」
『ちょっ、ユウ――』
フェイトはクレイグの言葉を無視する形で携帯の通話を終えた。
――何故か苛々してしまった。納得がいかなかったのか、それとも別の理由があるのか。
自分の中では答えは出せなかったが、それはクレイグに会ってからでもいいと心の中で呟いて、彼は床を蹴るのであった。
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