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<東京怪談ノベル(シングル)>


血玉石と嗤う牙



 学校帰りに立ち寄ったアンティークショップ・レン。
 曰くつきの物が並ぶこのお店は小さな宇宙のようだ。
「よく来たね。あんたに見せたい物があるんだよ」
 店主である蓮が持ってきたのは年代物のネックレスだった。黄金色のチェーンに、薔薇色の石が三つ並んでいる。
「綺麗だろう?」
 蓮は、そうっと、微笑んだ。
「はい……」
 みなもは小さく頷いたが、一歩、後ずさった。
 奇妙な恐ろしさを感じたからだった。
 その紅い石には光がなさすぎる。
「気付いたようだね。よく見ておいで」
 蓮は小さなライトを取り出すと、ネックレスに光を当てた。
 煌びやかに輝く黄金色のチェーン。
 しかし紅い石は輝かない。それどころか、ますます紅を濃く濁らせ、くすんでいくようだった。
「光を飲み込んで生きる。血玉石という闇の石さ」
「血液みたいな色ですね……」
「吸血鬼の血で出来た、眷属を増やすための呪具さ。身に着けた対象者を浸食し、吸血鬼の眷属へ変える。……これは試作品らしいがね」
「………………」
「恐ろしいかい?」
 少し、とみなもは答えた。
(でも……)
(でも…………キレイ)
 言葉に出さなくても、蓮には伝わっているようで。
 彼女は微笑みを崩さずに言った。
「奥で着けてみるかい?」
 ――蓮は全て見通していたのだろう。
 ネックレス装着の副作用である貧血への対処として造血剤を用意していたのだから。
 彼女はみなもの好奇心の強さをよく理解している。
 みなもの感受性の高さを買っている。


 大きな全身鏡の前に立ち、みなもはそっと首筋に指を這わせた。
 夏服に変わったばかりの制服を脱いで、白い肌を薄暗い蓮の部屋に晒していた。
 鏡には思春期の少女が映っていた。ほっそりとした手足に、高めの背丈、幼さを残した大きめの瞳。潤んだ目が青く澄んで見えた。
 みなもは目を伏せて、頬を赤らめた。自分ではない、誰か別の少女を覗き見した気持ちになったからだった。
 自分が、自分でなくなるような感覚。心持ち。
 時々、みなもはそうなる。
 それは人魚と人間の狭間で揺れ動く自分からの逃避からだろうか。
 それとも、みなもは変わっていく自分と対峙している最中なのかもしれない。
 能力も、見た目も、気持ちも。十三歳の少女は、いくらでも変わる。花はまだ開いていない。
 ……ネックレスを、着けた。

「……………………っ」
 胸を押さえ、みなもはしなしなと崩れた。
 ドクン! ドクン! ドクン! ドクン! ドクン! ドクン!
 心臓が大きく跳ねていた。
 血が身体中を巡って声を荒らげていた。
 血の叫びに、みなもは聞き耳を立てていた。うずくまり、肩で息をしていた。息を吸っても、吸っても、足りない気がした。
(心を強く持たなきゃだめ)
(そうでなきゃ、心を持っていかれる)
 みなもの肩は大きく震えた。吸血鬼への畏怖という感情。その渦に、身を浸しているような気がした。恐ろしかった。
 鏡には、奇妙な少女が映っていた。
 青い髪の毛の先から、徐々に、紅くなっている。ゆっくりと進行する病のように、紅く紅く、一人の少女の身体を冒していく。
 髪も瞳も唇も紅く染まった。
 肌は青白かった。青く透き通るような、病的な白さをしていた。皮膚の外側から青い血管がスウッと通っているのが見えた。
 みなもは、立ち上がったが、少しよろめいた。血が急激に失われていく中で、一瞬眩暈を起こしたのだろうと思った。
「…………ぅぁ」
 みなもは声を漏らした。血の叫びは胸の奥で響いていた。唇から零れたのは、歓喜に沸いた本能だった。
 ――眷属としての。
 柔らかな青白い肌を覆うように、衣装が出てきた。
 ザアザアと音がした。
 六月に降る雨のような音。
 血の音たちがみなものドレスを形作る。
 否、みなもが、作らせている。
 くるぶしまで伸びた黒いドレス。皮膚のように薄く、指を這わせると艶やかに蠢いた。命を持ち、忠誠を誓うように、主であるみなもの肌を守っていた。
 みなもは頬に手を当てた。口の中がくすぐったいからだった。
 唇から、牙が出てきた。奇妙なほど白いその牙は、両端に二本揃うと、意味有り気にニィィと嗤った。
 みなもは、自分の身体に慣れてきていた。
 宙に浮いたように、この身体は軽いのだった。
 ふわりと、鏡の前で回ってみせた。今度はよろめかなかった。
 ドレスの裾が花のように広がった。ふんだんに使われたレースがワルツを踊った。
 足先も漆黒の靴で覆われていた。高いヒールがみなもの高潔さを物語っていた。
 細い指を蝶々のように舞わせた。爪も夜色に染まっていた。

 みなもは、微笑んでいた。


 薔薇の花束をみなもに渡して、蓮が訊く。
「まだこの石が恐ろしいかい?」
 みなもは黙っていた。
 花束の中の一つの薔薇を齧る。花びらを一枚味わう。
 ふっくらとした柔らかな唇で。紅い唇で。
 少女は微笑んでいた。
 牙が嗤っていた。
「…………キレイです」
 大きく開いた胸元に、薔薇色の石が三つ、揺れている。



終。