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Art.4 ■ 言い知れぬ存在
「――どうやらここにはなさそうですね」
僅かに口角を上げたアリスの言葉に、支配人はピエロのメイクの向こう側で小さく笑みを浮かべた。
長年人を見て培ってきた観察眼には、明らかにアリスが何かを掴んだと物語る小さな自信が溢れているのだ。
(……成る程。さすがは時兎様、ということでしょうね)
その答えた内容と、垣間見えたアリスの自信から支配人は咄嗟に事情を理解する。
そんな支配人の僅かな笑みに、アリスはすっとポーカーフェイスを再び造り上げた。
(どうやら、しっかりと伝わってくれたようですね)
アリスは確信する。
彼女のポーカーフェイスを見破った。
そう支配人は考えているかもしれないが、その実は全くの真逆であった。
むしろアリスは、それを気付かせる為に『わざわざ表情を造って見せた』のだ。
近くにいる警備員達は、自分達の監理が行き届いていなかったせいか、顔を青くしているが、その中でも一際落ち着かない様子を見せるのは数名だ。
他の担当者も含め、アリスと支配人のやり取りは確実に耳に入っているだろう。
そんな中でアリスは、見つからなかったとわざわざ公言してみせたのである。
それはまるで、罠に餌を吊り下げるような甘い言葉であった。
アリスは自分の告げた言葉が、一体どういう形で反応を見せるのか。
それを見逃すまいと気付かれないように一瞥した。
「一度状況を整理するべきですね。会場に戻ります」
アリスの言葉に支配人は頷き、アリスの後を追従する形でその部屋を後にした。
「……それで、犯人はいったい?」
支配人の問いに、アリスは込み上がる笑みを噛み殺すように口角をあげた。
「その人物について、幾つか聞かせてもらいたいのです。それと――――」
アリスの餌を仕掛けたトラップは、着々と準備されていくのであった。
◆ ◆ ◆
「――犯人の目星がついたですよ」
会場に戻ってきたエヴァと合流し、人の波から外れた場所でアリスは告げた。
一瞬ではあるがエヴァが目を瞠り、そしてすぐに笑みを浮かべた。
「収穫はあったみたいね。こちらもよ」
「答え合わせといきましょうか。その人物の名は……――」
――エルトア・スカーレット。
二人は同時にその名を口にした。
こんな闇オークションで本名を堂々と口にする者は極少数だ。
当然、このエルトアもまた本名は全く違ったものを持っている女性だろう。
真っ赤な長い髪に、黒のドレス。
出る所は出て引っ込む所は引っ込んでいるという理想的なプロポーションを持った女性。
若々しくも見えるが、妖艶さを纏う年齢は二十代から三十代前後の女性だった。
彼女の表の顔は知らないが、この闇オークションの会場ではたまに見かける客の一人であり、時兎の作品を競り落とした過去もあってか、アリスもエルトアの名を聞けば顔はすぐに思い浮かぶ。
会場でも男に口説かれている姿を見た事もあるが、そんな安い誘いには乗らない女性。
そういった意味では、孤高の華とでも言うべきか、そんな印象の女性であった。
「……正直驚いたわね。どうして分かったのか、聞いても良いかしら?」
「簡単な事です。
まず、今回出品された〈神の涙〉は元々があまり大きくない物です。かと言って、こんな騒動になる以上、それをポケットに忍ばせるなんて愚行は誰もが避けます。
保管場所もセキュリティに問題があったとは言い難く、正直に言えば下手に外部からの入手は出来ないと踏んだのです」
「なら犯人は内部の人間に行き当たるはずじゃないかしら?」
「……愚問なのですよ。
手引きをした存在がいる。それが恐らく、警備に当たっていた複数名だと考えるのが自然なのです。
だとしても、会場の外に持ち出すには相応のリスクが伴います。
だから犯人は、〈神の涙〉を隠せる商品ばかりを積極的に競り落とした人物に絞られるですよ」
まるで試すような素振りを見せながら質問してきたエヴァへ、アリスは理路整然と、それでいて淡々と答えてみせる。
(……やっぱり、この子は当たり、かしらね)
エヴァはその姿を見て笑みを深めた。
洞察力と言い、言葉の運びと言い、何をとってみても時兎という存在は常軌を逸した存在であると物語っている。
――それはつまり、自分に近い存在である、と。
エヴァは確信する。
「そちらはどうしてエルトアに行き着いたのです? 何かぼろでも出したのですか?」
そんな考えを巡らせているエヴァへ、今度はアリスが問いかけた。
お世辞にも、ただ証言をもらうだけで犯人に結びつくとは到底思えないのだ。
「いいえ。実を言うと、私は誰にも話しかけてなんていないのよ」
事も無げに言ってみせるエヴァに、アリスは思わず目を瞠った。
「どういう、ことです?」
「この状況なら、わざわざ聞いて回るよりも、錯乱させた方が人はぼろが出るのよ」
「錯乱……?」
「えぇ。私は何もせず、ただ来客者を見ているだけで良かった。その静けさと不気味さが、この中に犯人がいるなら何よりも重圧になる。
私が動かない間、しきりに落ち着きを失ったように動いた人間。それに、逆に私に気遣って声をかけてくる人間がいた。
そうした者達の中に、一人だけ落ち着き払った人物がいた。それがエルトア・スカーレットよ」
――豪胆、とでも言うべきだろうか。
アリスはエヴァのその堂々とした物言いと行動から、エヴァの印象を上方修正した。
自分が競り落とした、決して安くはない買い物。
市場に出回っていないそれだけの品を落とし、盗まれておきながら、焦りもせずに必要な情報だけを探ったらしい。
少々思惑とは異なったが、それでも真実に一足飛びに辿り着いてみせたエヴァのそれに、アリスも内心では舌を巻く思いであった。
「それで、どうするつもり?」
「心配は無用なのです。ショーの始まりなのです」
不敵に嗤うアリスが告げると同時に、壇上に支配人が姿を現したのであった。
◇
――犯人は捕まった。
そう堂々とした様子で告げた支配人の姿を、エルトアは内心でせせら嗤いながら見つめていた。
「――ご迷惑をおかけしました事を心よりお詫び申し上げます。ひいては、今回の落札商品の代金について、半額を当会場にて負担させて頂きます」
そんな挨拶の裏では、苦虫を噛み潰した気分であろう。
エルトアはその姿を見ながら、静かに自分の引き渡される順番を待っていた。
警備員の男達に甘い言葉を囁き、手玉に取ってみせた。
それもこれも、全ては今日――〈神の涙〉が流れるというその日の為だけに。
エルトアは理解している。
男というのは単純な生き物であり、自分の美貌がいかに男を惑わすかに有用であるかを。
誘い、それでも乗せず、落とさずに操る。
人心を操るという事に関して、彼女は絶対の自信を持っていた。
「では、エルトア・スカーレット様。どうぞ引き渡し場所へ」
「えぇ、分かったわ」
揉み手で擦り寄ってきた支配人に、涼しい顔をしてエルトアは答えてみせた。
そうしてエルトアは、堂々とした立ち振舞で引渡所へと姿を見せた。
その場所には、二人の少女の姿があった。
「……あら、アナタは……」
エルトアは先に、時兎と名乗る一人の少女を見つめた。
自分も芸術として賞賛し、評価を送るに値する石像を造ったと名乗る少女。
かつて一度だけ会話をした事があるが、その見た目と物腰の柔らかさは全く異なっている、不思議な少女であったという印象だけが残っている。
「お久しぶりです」
「お久しぶりね、時兎さん。今回はこんな騒動になってしまって、出品者も大変でしょう? 今日はアナタの作品もあったというのに……」
自分がやった事だとおくびにも出さずにエルトアは告げる。
その姿に時兎は一切の表情の変化も見せず、温和な空気を纏ったまま告げた。
「えぇ。ですが、犯人はもう捕まったのです。逃げる事も出来ずに、物言わぬ姿となるでしょう」
見た目だけならば少女。
そんな少女から紡がれた物騒な言葉にエルトアは瞠目した。
――見た目はこれでも、闇の世界に身を投じた少女。
そんな現実を改めて再認識しながらも、エルトアは内心では時兎をせせら嗤う。
――憐れね。大人ぶっていても、所詮は子供。
エルトアは自分が一切の嫌疑もかけられていないと確信している。
だからこそ、時兎の言葉はあまりにも稚拙に響いた。
それが支配人の狂言であることまで、彼女は理解していないのだろう、と。
しかし、そこまで考えてふと、エルトアは違和感を覚えた。
「ところで、どうしてそちらの方がここに?」
ようやく、エルトアはもう一人の少女に興味を向けた。
それは慢心だった。
油断が、慢心が、成功への確信という勘違いが。
その少女がいるという事から辿れる真相への道を閉ざしていた。
「彼女は落札者なのです。だから、〈神の涙〉を引き渡す必要があるのです。
そう、ここで」
はて、一体どんな贋物を手渡すつもりだろうか。
エルトアはそんな事を考えながら、落札者の金髪の少女を見つめた。
――次の瞬間、何もない虚空に手を翳した金髪の少女が、真っ黒な大鎌を手に取り、真横に薙ぎ払った。
「――な……ッ!」
その瞬間、並べられていたエルトアの競り落とした商品が、まるで抵抗も見せる事なく両断された。
あまりにも唐突な、一瞬の出来事だった。
止まっていた思考を働かせようとエルトアが口を開きかけたところで、金髪の少女が砕けた破片の中から、〈神の涙〉を手に取った。
「……騙し通せると、思っていたのかしらね?」
大鎌を手に、金髪の少女は静かに口を開いた。
――殺される。
身体を走った寒々しい殺気に、エルトアは初めて現実を理解した。
慌てて視線を向けた先には、自分が籠絡した男達の姿があった。
「助けて!」
エルトアの言葉に唖然としていた警備員の男の数名が、金髪の少女と時兎に襲いかかる。
その行く末を見ようともせずに、エルトアは慌てた様子で入り口へと駆け出そうとして―――――
――異変に気付いた。
自らの脚が、動かない。
パキパキと、人間の身体からは聞こえるはずのない音が足元から上ってくる。
「あ……ぁ……、な、何が……――!」
「――以前見かけた時から、エルトアさんは良い作品になると思っていたのです」
ひやり、と身体を這う冷たい言葉に、エルトアが視線を向けた。
そこには、悠然とした様子で歩いてくる時兎の姿があった。
「え……ぁ……」
金色の瞳が光を放ち、その光景にエルトアは理解させられた。
伝承では聞いた事のある、魔眼と呼ばれる存在。
自分の身体が足元から腰にかけて、石化していく。
動揺して何も分からないままならば、いっそ気楽なものであっただろうとエルトアは理解する。
ジワジワと侵食する石化が、エルトアの顔を恐怖に引き攣らせた。
「……良い顔ですね。わたくしのコレクションに出来ないのが、凄く惜しい程に」
恍惚とした表情で告げる時兎に、エルトアは悟った。
――まるで生きた人間をそのまま石像にしたかのような、それぐらいに精巧な造り。
かつて自分が、時兎の商品を見て、そう賞賛した事がある。
――あぁ、あれは間違いでも、比喩的な表現でもなかったのだ、と。
エルトアは自分が、かつて賞賛したそれの仲間入りを果たす事になるのだと理解し、恐怖し、戦慄した。
最期に彼女が見たのは、時兎の金色の瞳と。
まるで愛しむかのように見せていた、その柔らかな笑みであった。
◆ ◆ ◆
辺りを血の匂いが支配していた。
先程、エヴァに向かって拳を振り上げた警備員達は、大鎌に首を飛ばされ、悲鳴すらなくその場に横たわっていた。
凄惨な現場でありながら、それでもエヴァはその中で身震いすら感じていた。
(……敵じゃなくて良かった、と。そう思うべきかしらね)
ただ見ただけで人を殺し、心をすり潰すような笑みを讃えたアリスの姿に、エヴァは柄にもなく恐怖していた。
そんな自分を奮い立たせるように、エヴァは一つ深く嘆息すると、再び手に持っていた大鎌を虚空へと消してアリスへと歩み寄る。
「……それ、どうするつもり?」
「さしずめ、『愚かな美女』という名をつけてあげようかと思います。支配人さん、あとはこれを送ってさしあげて下さい」
そんなアリスの声に、今までその場にはいなかったはずの支配人が揉み手をしながら姿を現し、「かしこまりました」と笑みを浮かべてみせる。
アリスはこれを贈る。
エルトアという女を利用したと思われる、とある組織へ。
先程、支配人にはエルトアの背後関係を予め聞いていたのだ。
「……良い出来栄えですが、残念ですね」
その行く末を聞いていたエヴァは、誰にも聞かれることもない程に小さく、それでいて冷たいアリスの呟きを聞いて苦笑する。
――こうして、『虚無の境界』とアリスの、不思議な邂逅は果たされたのであった。
to be continued...
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ご依頼有難うございます、白神です。
まず、今回お届けが遅れてしまったこと、お詫び申し上げます。
申し訳ありません。
お詫びとして、描写などを細かく文字数が多くなっていますが、
お楽しみ頂ければ幸いです。
今回はアリスさんとエヴァの邂逅から、
互いの印象づける事件の解決、といった所で終幕です。
次回もご依頼頂けるようであれば、
その続きとして新事件、或いはこのまま続編として続ける事も可能です。
それでは、今後また機会がありましたら、よろしくお願い申し上げます。
白神 怜司
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