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鳥籠茶房へようこそ
気がつくと、セレシュ・ウィーラーは見知らぬ山の中にいた。
「どこや、ここ……」
森だろうか。のどかな陽射しに照らされた木々の葉が、地面に濃い影を描いている。
勤めている鍼灸マッサージ店の休業日である今日は、街をのんびりと散歩していたはずなのに。
――まあ、ここも一種の異世界ってことやな。珍しい生き物もおるかもしれへんし、そこそこ楽しめそうや。
自身も異世界から東京に来ている身だし、異界への移動自体にはさほど驚かない。むしろ、神具や魔具の研究に行き詰まって頭を痛めていたところだから、気分転換にはちょうどいい。大して悩みもせず、セレシュは雑草の伸びた道を進んだ。
あてもなく歩いていると、不意にどこからか甘い匂いが漂ってきた。
「いらっしゃいませ!」
目の前には、翡翠色の着物を纏った可憐な少女と、茅葺き屋根の茶屋があった。
――へぇ。ちと古ぼけとるけど、なかなか風情のある店やないか。
セレシュは、仕事疲れの残る青い瞳を、眼鏡越しにわずかに瞠る。脳を働かせたことで食欲も湧き、甘いものが欲しいと考えていた。
すすめられるまま、紅い野点傘の下の縁台に座る。少女はセレシュとよく似た黄金色の長い髪をなびかせ、少々お待ちください、と笑顔で言い残して店内へ入っていった。
彼女と入れ違いで、青い髪の青年が現れた。少女と同じ翡翠色の着物姿だ。彼も店員なのだろう。いらっしゃいませ、と彼も物腰やわらかに一礼した。
「ようこそ、鳥籠茶房へ。店長代理のアトリと申します。先程ご案内いたしましたのは、店員のカナリアです。どうぞお見知りおきを」
「初めまして、セレシュ・ウィーラーや。よろしゅうな」
セレシュも会釈して朗らかに挨拶を返す。店員たちの見た目が自分の歳とそう変わらない気がして、友好的にため口になった。もっとも、セレシュの場合は外見が幼いこともあり、東京では十五歳前後にしか見られないのだけれど。
「当店にいらっしゃるお客様には、『条件』があるのですよ。あなたも、何かお悩み事がおありなのでしょう?」
「えっ、なんでわかるんや?」
「お客様のお悩みを解消するのも、当店の売りのひとつなのです。よろしければ、ご相談ください」
「はあ……そらおおきに」
予想通り、一般的な茶店ではなかった。曖昧にうなずくセレシュにも、アトリはにこにことしている。
「お茶菓子はいかがなさいますか?」
「うーん、おすすめは?」
「では、当店一押しの『鳥籠饅頭』はいかがでしょうか」
「おまんじゅう、か。ほんなら、それもらうわ」
「かしこまりました。――カナ、鳥籠饅頭ひとつ頼むね」
「はーい!」
アトリの指示を受け、カナリアが店内へ駆けていく。
セレシュは周囲の景色を眺めた。蒼い空、風にそよぐ木々の葉、鳥や獣の鳴き声、土や花の香り――豊かな自然に満ちている。研究で室内にこもりきりだったせいで、尚更解放感も味わえた。ひとつ深呼吸をすれば、澄んだ空気が体内を潤していくようで。
「ええなぁ、癒されるわ」
森林浴をしてもいいかもしれないと考え始める。しみじみとひとりごちれば、お隣失礼致します、とアトリが隣に座った。
「ウィーラー様。先程も申しましたが、当店ではお客様のお悩みの解消に努めております。よろしければ、お話しください」
「悩み、なぁ……」
言いづらい。悩みの内容が内容なだけに。けれど、誰かに愚痴を吐き出してスッとしたい欲求もたまっていく一方だ。
ためらっているうちに、カナリアが饅頭を運んできた。
「鳥籠饅頭おひとつ、お待たせしました!」
「ありがと、カナ。さあ、ウィーラー様、どうぞ」
「おおきに」
「ごゆっくりどうぞー」
店内に戻る彼女から受け取った漆塗りの小皿には、てのひら大の焼き饅頭がちょこんと鎮座していた。焼き目の模様が確かに鳥籠風だ。小鳥が羽ばたく様子も、その中心に描かれている。一口頬張ると、こしあんの程よい甘さが口腔に広がった。思わず目を瞠る。
「おいしい……! これ、めっちゃおいしいな!」
「ありがとうございます。お口に合って幸いです」
最初の一口を充分に味わってから、セレシュは本題を切り出した。甘いものを食べながらであればリラックスできるはずだ、と信じて。
「うちは、ちと変わったもんの研究しとるんやけどな。ある素材にほかの素材の性質をくっつけて、もっと優れた素材を作りたいんやけど、研究があんま捗ってへんのや。たとえばな、硬くて脆い素材にやわらかくてねばねばの素材の性質をくっつけて、硬くてねばねばの素材を作ろうとしても、現状じゃちと硬いのとちとねばねばなのを足して二で割ったようになるか、硬くてねばねばやけど熱に弱いとほかの欠点が大きくなりよるかで上手くいってへん」
「食べ物でたとえますと、かた焼き煎餅と納豆を完全に融合させたような素材をお作りになる、ということでしょうか」
「せやせや」
簡単に都合よく行くわけがないのも、もちろん承知の上だ。技術的な課題なんて、大抵そんなもので。それでも、何度実験を繰り返しても一向に成果が得られないのは、少し悔しい。
「うちかてわかっとるんや、そうホイホイ成功するもんでもないってことは。素材集め自体、毎度時間もお金もかかることやしな」
いきなり完全成功とまではいかなくても、せめて一歩前進できれば御の字なのに。
悶々としつつ饅頭を食べていると、ふとアトリの視線が前方の森に投げられ、セレシュも目でそれを追う。高く伸びた木の枝には、見たこともない不思議な色や形をした果実が、いくつもぶら下がっていた。
「この山は、それ自体がひとつの世界のようなものなのです。たまに様々な異界への入口が開きまして、妖怪や魔物などが迷い込むこともあります。もちろん、人間も」
「ほんなら、うちも迷い込んだひとりってことか」
「ええ。ウィーラー様と似たお悩みをお持ちの方も、たまにいらっしゃいます」
「へぇ、そうなんか」
ほかの種族の研究者も、この店を訪れて自分のように愚痴をこぼすことがあるのかと想像すると、少し安心する。飲み込んだ饅頭の甘みが、身体中にじんわりと広がっていくような感覚が湧いてきた。
「当店も、季節やお客様のご要望に応じて様々なお品を日々考案しておりますが、一風変わった材料も多いものですから、従業員も試作には毎回苦労しております」
「あぁ、料理にもそういうことはようあるもんなぁ」
「ええ。ですが、失敗は成功の母、というどこかの国のことわざもありますし。ウィーラー様は、研究を始められて長いのですか?」
「せやな。ずーっと続けてきて自信もそれなりに付きはしたんやけど、まだまだや」
「でしたら、長年培われた知識や応用力を活かされて、日常生活におけるご自分の身の回りからもヒントを探されてみてはいかがでしょうか。料理も一例ですが、掃除や洗濯などの家事を何気なくこなしていく中にも、意外な発見があるものです」
「なるほどなぁ……」
そうかもしれない。研究に没頭するあまり、自分の暮らしを多少疎かにしてしまう面も確かにある。今日ここへ来たのも無意識の行動ではあったものの、ささやかな生活感を取り戻すためだったのだろうか。鍼灸マッサージの仕事の中にも、研究に使えそうな何かが隠されていそうな気がしてきた。
山の澄んだ空気を、肺に取り入れる。深呼吸すると、なんだかすっきりした。
セレシュは笑ってアトリに礼を言う。
「おおきに。いろいろ話しとったら、すっとしたわ」
「こちらこそ、お力になれたようで幸いです」
彼の優しさに癒されつつ、セレシュは饅頭の最後の一口を噛みしめた。
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お会計はこちらです、と会計所へ案内される。セレシュが財布を取り出そうとすると、スッと差し出されたアトリの手に制された。
「お代はいただきません。ウィーラー様のお悩みを拝聴しましたので」
「ええんか?」
「ええ。当店は、お客様のお悩みを随時大募集中ですので。また何かお困りでしたら」
木製の棚をごそごそと探ったアトリは、小さな紐綴じの手帳を取り出し、セレシュに手渡す。
「来店されたお客様にお渡しする粗品です。それをお持ちでしたら、いつでも当店にまっすぐお越しになれます」
「ふぅん……。おまんじゅうもおいしかったし、気ぃ向いたらまた来たいわ」
「ええ、是非」
手帳を開くと、最初に五十個ほどの升目が描かれた頁があった。アトリがその升目のひとつに、朱肉を付けた判子を押す。楕円の中に『鳥籠』と字の入った判子だ。
「ご来店一回につき、ひとつ押印いたします。何点か貯めますと景品等ございますので、よろしければご利用ください」
アトリから手帳を受け取った瞬間、茶房の景色が霧に包まれていく。
あ、とセレシュが声をかけようとしたときには、見慣れた舗道に佇んでいた。
――帰ってきたみたいやな。
ずっと抱えていた靄じみた気持ちは、もうすっかり晴れていた。
――さて、と。夜までは気分転換にのーんびりしよか。
軽い足取りで、セレシュは休日の街を歩んでいった。
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「かた焼き煎餅に甘納豆でも混ぜ込んだら、おいしいかな」
「あ、いいかも。うちって、おせんべいはまだ出してないもんね」
会計所の来店者名簿に、セレシュ・ウィーラーの名を筆で記しながらアトリは呟く。食器の片付けをするカナリアが笑った。
「硬くてねばねばの素材を作るのは、確かに難しそうだ。両方を併せ持つっていうのは、なかなかね」
「でも、挑戦を続けるのはいいことじゃない。あの子、また来るかな」
「来るよ。悩みがなくても、きっとね」
――物作りの楽しさも苦しさもちゃんとわかってるからこそ、話してたときの目がきらきらしてたんだな、彼女は。
静かに名簿を閉じ、アトリは密かに笑んだ。
彼女と再会できる日を待ち望みながら。
了
■登場人物■
8538/セレシュ・ウィーラー/女性/21歳/鍼灸マッサージ師
NPC/アトリ/男性/23歳/鳥籠茶房店長代理
NPC/カナリア/女性/20歳/鳥籠茶房店員
■鳥籠通信■
ご来店、誠にありがとうございました。
アトリからお渡ししたアイテムは、次回以降のシナリオ参加の際に必要となります。
なくさずに大切にお持ちくださいませ。
ウィーラー様のまたのお越しをお待ちしております。
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