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闇に唄う黒き戦姫―先陣
天地を揺るがす大鳴動を響かせ、離陸する指揮ヘリを険しい表情で見送る自衛隊員たち。
普段は滅多にヘリポートに来ることのない司令たちまでが顔を連ねている。
機上からそれを見下ろす琴美は事態がそれほど切迫していることを思い知らされ、背筋が伸びる思いだった。
「水嶋隊員、先発隊からの情報です。お目を通しておいてください」
「分かりましたわ。目的地まではあとどれほどですの?」
「エンジン全開で急行しています。あと5分ほどで目的地上空に到達します」
送信されたばかりのデータが表示されたタブレット端末を差し出しながら、問いかけに応じる隊員から伝わるのは、とてつもない緊張に琴美は苦笑を禁じ得なかった。
本作戦の実行を任された隊員の半数が実勢経験の浅い新人隊員で占められているのだから、無理もない。
作戦名、ブレイクプリズン。
日本領海である太平洋上に浮かぶ半径20キロの小さな絶海の孤島。
その特性上から天然の要塞だったが、今、十名の人質を取って立てこもるテロリスト集団の武装拠点と化していた。
データに目を通しながら、琴美は事態のはじめを思い返していた。
事件の発端は超大型台風並みの異常気圧配置によって嵐と化していた都内の企業ビルに銃器で武装したテロリストたちが突入。
交通乱れなどから帰宅困難を予想し、大半の社員たちを帰宅させ、残務処理をしていた十名の社員たちを拘束。
3台の装甲車に人質を押し込め、都内の検問を突破。そして埠頭に準備してあった船で脱出。
海上保安庁の追尾船を振り切って、彼らがたどり着いた先が件の孤島だった。
第一報が自衛隊に届いたのは、発生から半日が過ぎ、日付が変更された早朝。
ようやく嵐が過ぎ去り、晴れ渡った青空が広がったその朝、自衛隊に激震が走った。
「バカなっ!情報が入ってくるのが遅すぎるっ!!」
「人質十名……島内に作られた要塞の地下室に監禁。最悪の状況になってますね」
「苦情を立てても始まりません。何より我々の情報収集も悪かったことが判明しましたからね」
「この状況では警察の手には、もはや負えまい。我々で救出することは政府からの命だ」
「かといって、公に自衛隊が動くわけに参りません。ここは特務統合機動課に部隊派遣を命じます」
遅すぎる情報と命令に幕僚長以下、幹部たちの怒りは頂点に達していた。
拉致された一般人が政府の御膝元、都内から連れ去られたという重大事案。
しかもテロリストたちのアジトである孤島に逃げ込まれてから、などとは話にならない。
苛立ちから断ってしまいたい気持ちもあったが、罪もない一般人を見殺しになどできるわけもない。さらに情報収集の悪さも致命的だった。
吐き気口のない苛立ちを押し殺し、幹部たちは苦いものを飲み込むように、特務統合機動課へ人質救出命令を決した。
「襲撃から逃走。さらに立てこもり……ここまでになりますと、怒りを通り越して笑いたくなりますね」
「そういうな、水嶋。上層部も怒り心頭だ。今はメンツも何もない状況。救うべきは人質十名……悪いが、行ってくれるか?水嶋」
緊急招集と呼び出された琴美は苦りきった表情を浮かべた上司に柔らかな微笑を浮かべると、居住まいを正して敬礼する。
すでに正式な戦闘服を身に纏っていた姿で入室した時点で、琴美は決意を決めていた。
「了解しました。水嶋琴美、本命令に着任いたします」
「お前の任務は人質救出の補佐。あくまで救出の障害となるテロリストたちの排除及び殲滅だ。人質の安全確保など、他のことは部隊の者にまかせろ」
今回は大規模な作戦になる、という上司の言葉が木霊する。
直後、幕僚長命令で特務統合機動課に下されたテロリスト殲滅及び人質救出作戦。
数機のステルスヘリによる潜入、調査後、人質を救出。のちに戦闘ヘリによる爆撃、というシンプルな3段階の作戦だ。
時間はかけず、スピード勝負の電撃戦。敵は迎撃できないまま、壊滅が理想のシナリオというところか、と琴美は思う。
それはそうだろう。
本作戦は特務統合機動課全隊員が投入されたのだ。
上層部の怒りは相当なもので、かける意気込みも並外れている。
爆音を轟かせるヘリポートにたどり着くまでに、頭上を飛び立っていくヘリの数も物々しい。
「水嶋隊員、こちらへ!搭乗後、すぐに発進します」
重低音を響かせて、プロペラを回転し始めたステルスヘリから迷彩服で身を固めた予備隊員に大声で呼びかけられ、琴美は小さく微笑を浮かべると、ヘリに乗り込む。
琴美が乗り込んだと同時に、そのヘリは周囲のヘリと一線をかし、静かに空へと舞いあがる。
「さすがステルス機能のヘリですわね。爆撃用のものと違って、随分と静かなんですわね」
「最新鋭の機体ですよ、水嶋隊員。ステルス性はもちろん機動力にも長けています。目標地点まで15分ほどで到着する予定です。そこで先遣隊からの情報を待つので、一旦待機です」
「あら、すぐに突入ではないの?人質を救出が最優先ではなくて」
「奴らが潜んでいると思われる建物がいくつかあり、どこに監禁されているのかを調べる必要があるんですよ」
到着次第、即突入かと思っていただけに琴美はいきなり肩透かしを食らったように思えたが、タブレット端末を差し出してきた隊員からの説明に納得がいった。
侵入した先遣隊の報告によると、人質が監禁されていると思われる要塞らしき建物が少なくとも10棟はあり、現在調査中とタブレットのディスプレイに表示されていた。
「水嶋隊員が到着するまでには特定は完了しているとの話です。我々も特務隊員ですからね」
説明をしてくれた隊員は我がことのように胸を張って見せると、琴美は内心の苦笑を噛み殺し、信頼していますわ、と短く答えた。
新人らしいその隊員は頬を紅潮させ、ハイと敬礼を返すと、操縦席へと姿を消す。
到着まで15分。その間に琴美は武器の確認や身支度に専念する。
膝まである強化素材の編上げロングブーツに手首を包むグローブ。プリーツのミニスカートの下には、美脚と臀部を覆うスパッツが覗き見える。
半袖丈に仕立てられた着物の上着は帯で締められ、襟の間からは黒いインナーが垣間見えた。
鍛えられた優美な太ももには数本のクナイがガーターベルトにつけられて、準備に余念がないのがうかがえた。
―潜入後、いかにテロリストを集めるかがカギですわね。人質のいるエリアから十分に引き離さないと。
「水嶋隊員、まもなく目標地点に到着します」
不意にかかったパイロットからの声に、琴美は思考の海から引き戻される。
固定ベルトで身体をヘリに繋ぎ止めながら、新人の隊員が大きくドアをスライドさせ、開け放つ。
手渡されたパラシュートを背負い、琴美は猛烈な風が吹き踊るドアの外を覗き込む。
眼下に広がるのは、鬱蒼とした樹海と要塞らしき建物―潜入すべき目標地点だ。
「ご武運を祈っています!」
「ありがとうございます」
苦しい体制で敬礼する隊員に微笑むと、琴美はためらうことなく外へと身を投じた。
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