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<東京怪談ノベル(シングル)>


狂乱のフランケンシュタイン


 同僚が1人、この操縦室で負傷した。今は入院中である。
「さて俺は……入院程度で、済めばいいけど」
 特撮番組の主人公のようなフルフェイス・ヘルメットの中で、フェイトは苦笑した。
 全身を覆うのは、ピッタリとごまかしなく体型を際立たせる黒い特殊スーツ。
 引き締まってはいるが、いささか力強さに欠ける身体つきが、露わである。随分と鍛えているつもりなのだが、どうも今一つ筋肉が付かない。
「もっと鍛えないとな。こんなものに乗って戦うとなれば、体力も必要になってくるだろうし」
 左右の操縦桿を握りながら、フェイトは呟いた。
 ナグルファル。神々に挑む戦船の名を冠した戦闘機が現在、戦場を見下ろす空域に到着したところである。
 その操縦席から、フェイトは敵の姿を見据えた。
 ナグルファルのカメラセンサーと、フェイトの視覚が、今は完全に同調している。破壊されたニューヨーク市内の映像が、脳内に直接、再生されているのだ。
 その映像の中心に佇むのは、巨人の腐乱死体。
 ドリル、チェーンソー、電線鞭といった様々な凶器を、露出した臓物の如く生やして蠢かせる、巨大な金属製の骸骨。
 そんな怪物に向かって、大量のミサイルが降り注ぐ。
 米軍の戦闘機部隊が、すでにそこにいて戦闘を開始していた。
 巨大な腐乱死体の胴体から、臓物が溢れ出した。あるいは寄生虫が暴れ出した。そう見えた。
 帯電するミミズ、全身に刃を生やしたムカデ、猛回転する巻貝……電線鞭にチェーンソー、ドリルであった。
 機械骸骨の、脊柱の周囲や肋骨の内側で折り畳まれていたそれらが、一斉に伸びてうねって宙を泳ぎ、ミサイルの雨を薙ぎ払う。
 無数の爆発が、花火の如く空中に咲いた。
 その爆炎を蹴散らすように、電光が迸った。
 電線鞭が、放電現象を起こしていた。激しい電撃の光が、戦闘機部隊を襲う。
 逆向きの落雷、とも言うべき攻撃を受けて、ことごとく爆発してゆく米軍機。
 パイロットが助かったとは、もちろん思えない。
 それをフェイトは、とりあえず考えない事にした。
「俺もすぐ仲間入りするかも知れないし……な」
 左右の操縦桿を握ったまま、フェイトは念じた。
 操縦桿は、補助的なものに過ぎない。
 このナグルファルを手足のように動かすには、機体中枢部に眠る禍々しいものに、念の力でアクセスする必要がある。
 そのアクセスが受け入れられた、とフェイトは感じた。
 とてつもなく凶暴なものが、脳の中に流れ込んで来たからだ。
 禍々しいものが今、覚醒した。
「ぐっ……!」
 呻きながらもフェイトは、ナグルファルが急降下して行くのを感じた。
 続いて、着地の衝撃。
 揺らぐ操縦席でフェイトは、2本の足で大地を踏む感触を知覚した。
 大型戦闘機であったナグルファルが、着地と同時に巨人へと変形を遂げたのだ。
 そして今、怪物と対峙している。
 人体を食い破った寄生虫を思わせる凶器類を、荒々しく蠢かせる、おぞましい機械の怪物。
 敵だ、とフェイトは感じた。
 敵と戦う。それだけが、頭の中を満たした。
「敵は……滅ぼす……うっぐ!」
 全身の血管がちぎれてしまいそうな衝撃が、フェイトを襲う。
 巨人の腐乱死体が、電撃を発していた。臓物のような鞭から稲妻が迸り、ナグルファルを直撃している。
 神々に挑む戦船の名を冠した巨人。その全身あちこちで小規模な爆発が起こり、血飛沫のような爆炎が散った。
「こっ……こんな、もので……」
 ヘルメットの内側で、フェイトは歯を食いしばった。まるで牙を剥くように。
「こんな……もんで、俺を……止められると、思ってんのかぁ……ぁあああああああああッッ!」
 人型の機動兵器が、全身に爆炎を咲かせながら突進して行く。
 電撃を蹴散らす突進。地を揺るがす踏み込み。
 それと共に、右拳が放たれる。50メートル近い巨体が、数百トンもの重量を宿して繰り出す、フック気味の右パンチ。
 その一撃が、巨人の腐乱死体の胸部にめり込んだ。
 金属製の肋骨が、何本も折れ砕けた。
 そこから、寄生虫のような蠢く凶器類が溢れ出す。
 電線鞭が、ドリルが、チェーンソーが、間近から襲いかかって来る。
 それらをフェイトは、
「俺が……IO2のクソったれどもに何回ブチ殺されたか、知ってんのかよ! ええおい!?」
 まとめて掴んで、引きちぎった。
 巨大兵器を操縦している、と言うよりフェイト自身が巨大化して戦闘を行っている。そんな感覚である。
 力強い機械の五指が、電線鞭を引きちぎり、チェーンソーを握り潰し、ドリルを掴み砕く。
 まるで臓物を引きずり出しているかのような感覚を、操縦桿もろとも握り締めながら、フェイトは叫んでいた。
「撃ち殺された! 蜂の巣にされた! ズッタズタに切り刻まれてハラワタぶちまけられた! それに比べりゃテメーの攻撃なんざぁ、ピコピコハンマーでぶん殴られるよか効かねーんだよォオオオオオオ!」
(違う……これは、俺じゃない!)
 心の中でも、フェイトは叫んでいた。
 この機体のメインシステムを成す、禍々しいものが今、操縦者を支配しつつある。
 ヴィクターチップ。
 錬金生命体たちの、戦闘経験の集合体。
 戦い続け、殺し殺され続けているうちに、凶暴な自我を有するに至ったそれが今、巨大な身体を得て猛り狂っているのだ。
(やめろ! ……いや、これで敵を倒せるんなら……)
 フェイトがそんな事を思っている間にも、勝敗は決しつつあった。
 もはや半ば残骸と化した、巨人の腐乱死体が、ナグルファルの両腕によって、重量挙げの形に高々と持ち上げられている。
 当然このまま、どこかへ投げ捨てる事になる。大勢の人々が逃げ惑う、ニューヨーク市内のどこかへ。
(お……おい、待てよ……)
 フェイトは心の中で言った。が、口から出たのは違う言葉だ。
「特に許せねえのは、俺らをさんざん撃ち殺してくれた黒服の若造! 俺らをブツ切り細切れナマス切りにしてくれやがった鳥女! それに何だかワケわかんねー力で俺らの魂抜いてくれやがったバケモノ小娘! どこだ、どこにいやがる! こっちかぁあー!」
 フェイトは見た。
 市内の一角で、IO2の部隊が救助活動を行っている。瓦礫を持ち上げ、その下から負傷者を引っ張り出している。
 先頭に立って瓦礫を持ち上げているのは、教官だった。
 そちらへ向かって、この機械の巨人は、半ば残骸と化した敵を投げ捨てようとしているのだ。
(やめろ……やめろ! やめろおおおおおお!)
 声にならぬ叫びをフェイトが発した、その時。
 波の音が聞こえた。
 暗黒の大海原が、周囲に広がっている。
 黒々とした凪の海面を、フェイトは宙に浮かんで見下ろしていた。1人の、幼い少年と一緒にだ。
「あんたは……」
「久しぶりだね。僕は……どこかへ行きたかったけど、どこへも行けずにいるよ」
 かつてオリジナルと呼ばれた少年。今は、とある少女の中で眠っているはずであったが。
「あの子がね、君を助けてくれって……僕を、一時的に解放してくれたんだ」
 少年が言った。
「だけど僕が助けたいのは、君じゃなくて……むしろ、あいつらなんだ」
「……だろうな」
 戦闘と殺戮のためにのみ生み出され、殺され、それでもヴィクターチップという形で存在を強制され続ける錬金生命体たち。
「今のあいつらに、僕の声は届かない。何しろ、魂の連結を切られてしまったからね」
 少年が、手を差し伸べてくる。
「だけど……君の念を届ける、通り道くらいは作れるかも知れない」
「……頼む」
 その手を、フェイトは握った。そして叫んだ。
「お前らの怒り、憎しみ、俺が全部受け止めてやる……だから止まれええええ!」


 巨人の腐乱死体を市内に投げ捨てる、その寸前でナグルファルは動きを止めてしまった。
「何だ……何が起こった?」
 とあるビルの屋上で、黒装束の男たちが狼狽している。
 彼らの視界内で、機械の巨人は、くるりと身体の向きを変えた。ニューヨーク湾の方向へと。
 そして、高々と持ち上げていたものを放り捨てる。
 大量の水が、飛沫となって跳ね上がり、豪雨となって降った。
 半ば残骸と化した機動兵器が、ニューヨーク湾に沈んでゆく。
 その光景を、黒装束の男たちは呆然と眺めるしかなかった。
「まさか……錬金生命体が、己の意思で破壊活動を止めるなど」
「そんな事は有り得ん! 単なる不具合だ! IO2のへぼ技術者どもが調整したのだからな、そういう事もあろうよ」
「ならば……自爆させるしか、ないか?」
 男の1人が、黒装束の中から携帯端末を取り出した。
 ニューヨーク湾に沈んだ機体は、港湾一帯ならば吹き飛ばせる程度の爆弾を内蔵している。
「当然、我らも生きてはおらぬ……一足先に、霊的進化への道を」
「すとっぷ」
 端末を手にした男が突然、崩れ落ちてぶちまけられた。切り刻まれていた。
「ゆぶろぅんいどうる、すかぁいはぁーい……っとくらぁ」
 下手くそな歌に合わせて、風が吹いた。死をもたらす、斬撃の風。
 黒装束の男たちが、片っ端から砕け散ってゆく。粉砕にも等しい微塵切りであった。
「おらおら鳥葬だ鳥葬! っつっても、てめえらの腐れ肉なんざぁハゲタカでも食わねえか」
 男の最後の1人を切り刻みながら、彼女は笑った。
「フェイトの奴、まあまあ上手くやりやがったな。あたしが手ぇ貸してやるまでもねえか……今んとこは、な」