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<東京怪談ノベル(シングル)>


心死せる男


 自分も含めての話だが、この街に真っ当な人間など1人もいない。
 中でも、この男は極めつけだろう。
 何故なら、金持ちであるからだ。
 この街で裕福な暮らしをしている。それはつまり、非合法の仕事をして成功を収めてきたという事だ。
「ほう。何故、私が金持ちであると?」
「お金持ちじゃないと無理でしょう。車椅子に乗った人が、この街で生きていくなんて」
 弥生は答えた。
 車椅子に乗った初老の男が、微笑んだ。
「確かに私は、この街で財を築く事に成功しました……貴女の、御両親のおかげでね」
 弱々しい微笑。
 病んでいる、と弥生は直感した。車椅子に乗っているのは、恐らくは怪我ではなく病気のせいだ。
 歩けないほどに身体を病んだ、その男を、弥生はじっと見据えた。
「……貴方が、あの手紙を?」
「まさか本当に連絡を下さるとは思いませんでしたよ。いや、それよりも貴女がまさか、この街にいらっしゃるとは……驚きでした」
 深夜の、公園である。ここを待ち合わせ場所に指定されたのだ。
「御両親のお導きによるもの、と私は勝手に解釈させていただきますよ」
「故人のお導き、みたいな言い方するのね」
 弥生は車椅子の男を、見据える、と言うより睨みつけていた。
「私の両親も、要するに故人……と。そういう解釈でいいのかしら?」
「貴女の御両親を殺したのは、私です」
 弥生の眼光を、男は微笑で受け止めた。
「見ての通り、それほど長く生きられる身体ではありませんからね。貴女に殺されるのも、良い死に方ではないかと」
「まずは話を聞かせてもらいましょうか」
 冷静に、と弥生は己に言い聞かせた。
 この男は何か企んで、心理的な攻撃を弥生に仕掛けようとしているのかも知れない。
「私の父さんと母さんが一体、貴方に殺されるほどの何をやらかしたのか……何なら、その辺で一杯やりながらでも構わないわよ? 素面じゃ話し辛い事かも知れないし」
「酔っ払ってお話し出来る事でも、ありませんのでね」
 男は車椅子の上で軽く夜空を仰ぎ、目を閉じた。
 目を開けているのも億劫、といった感じである。
 いかなる病であるのかは不明だが、それほど長く生きられる身体ではない、というのは大げさな話ではないのだろう。弥生は、そう思った。
「御両親と私は……一言でいうと、仲間でした」
 目を閉じたまま、男は語り始めた。
「仕事の仲間ですよ。主に、物や人を運ぶ仕事でしたね」
「あんまり他人に見られたくない物とか、わけあって警察に頼れない人とかを?」
「まさにそうです。御両親も私も、貴女のような特別な能力を持っていたわけでもなく……お父上と私は、言ってみれば単なるチンピラやゴロツキの類でね。そんな2人を半ば顎で使っていたのが、貴女の母上です。度胸がある上に機転の利く女性でねえ、私ら2人とも姉御のように慕っていたものですよ」
 男が、目を開いた。弱々しい眼光が、弥生に向けられる。
「本当に……よく似ておられる」
「なるほど。運び屋さんをやってたわけね、私の母さんは」
 何となく話が見えてきた、と弥生は思った。
「男の従業員が2人いて、その片方と……できちゃった?」
「もう片方の従業員が、どのような感情を抱いたのかは……おわかりでしょうか」
 男が微笑んだ。
 いや、それは本当に微笑みなのか。
「祝福しなければ、と私は思いましたよ。私の最も信頼する相棒と、私の最も尊敬する女性が、めでたく結ばれたのですからね……祝福しなければならない。そうでしょう?」
「でも祝福出来なかったと」
「裏切られた。私の心にまず浮かんだのは、それでした」
 様々な感情が、男の顔を暗く歪ませている。
 それが、月光の下では笑顔に見える。
「何しろ私の知らぬうちに、いつの間にか……姉御のお腹の中に、貴女がいたのですから」
「それは、びっくりしたでしょうね」
「心が死んでしまうほどに、ね」
 男は、月を見つめた。
「事実それから私は、己の心を殺したまま2人と接し続けたのです。運び屋仲間を集めての、ささやかな結婚式でも、私は他の誰よりも明るく振る舞って見せました。姉御と相棒の結婚を、心から祝福出来る自分であろうとしていたのですよ。本当の自分を、殺し続けながら」
「……だけど、殺しきれなかった?」
「今回の仕事を、最後にしたい。ある時、相棒がそう言いました。ここは楽しい街だけど、子供たちを育てるには少し危険過ぎる。この最後の仕事が終わったら、俺たちは街を出ようと思うんだ、と。ちょうど、貴女の弟さんが生まれた時期でした」
 それなら自分は、そろそろ物心ついていた頃ではないか、と弥生は思った。
 だが、何も思い出せない。幼過ぎたからか、あるいは記憶を閉ざさなければならないほどの何かが起こったのか。
 ともかく2人目の出産を機に両親は、危険な運び屋を廃業するつもりだったのだろう。
 だが、それまで一緒に仕事をしてきた1人の男の気持ちを、父も母も少しは慮ったのだろうか。
「その時、私の……殺す事の出来なかった本当の自分が、出て来てしまったのですよ。相棒から、愛しい姉御を奪い取ってしまいたい自分。子供が2人も生まれているのに、そんな事が出来るわけがないと、わかっていながら未練を捨てられない自分。相棒との友情も捨てきれずにいる自分。様々な自分が一緒くたに渦巻いて……渦巻くばかりで結局、私は何も出来はしませんでしたがね。ただ、とある組織と密かに連絡を取り合っただけです」
「密告……みたいな事を?」
「最後の仕事。それは、その組織が喉から手が出るほど欲しがっていた品物を、安全な場所まで運ぶ事でした。もちろん組織に知られぬよう、密かにね」
「だけど、組織に知らせた人がいる」
 言いつつ弥生は、落ち着け、と己を叱りつけた。
 自分は今、殺意に近いものを抱いている。わかっていながら、それを止める事が出来ない。
「こんな街ですからね、子供を預けられるような場所などありません。幼い貴女がたを連れて、姉御と相棒は運び屋としての最後の仕事に出発しました……組織の男たちはね、私が教えた通りの場所で、待ち伏せをしてくれていましたよ」
 まだだ、と弥生は己に言い聞かせた。
 まだ、この男を殺してはならない。もう1つだけ、喋らせなければならない事がある。
「結果、姉御も相棒も殺されて品物は無事、組織の手に渡りました。私は裏切りの才能を買われて組織に拾われ、順調に出世を重ねて今に至ると、そういうわけです……ただ1つだけ、誤算がありました。それは貴女たち姉弟が生き残ってしまった事です」
「……それよ」
 様々なものを押し殺し、弥生は呻いた。
「私と弟は、どうして助かったのかしらね。それだけ教えてくれれば、もう貴方に用はないわ」
「殺していただける、のですね」
 男は、苦しげに微笑んだ。
 車椅子での外出など許されないほど、もしかしたら病状が悪化しているのかも知れない。
 そんな状態で男は、人名を2つ、口にした。
 聞き間違いではない。養父母として弥生と弟を育ててくれた、2人の名前である。
「偶然だとは思いますがね。彼らが、あの場所に居合わせたのですよ。殺される寸前、姉御は貴女と弟さんを、通りすがりのその2人に託したのです」
「厄介事を押し付けられたわけね、その2人。ある意味、被害者だわ」
「加害者が、ここにいるのですよ」
 男は言った。
「復讐は何も生まない、などというのは綺麗事です。さあ……私を、殺しなさい。大丈夫、この街で殺人罪云々などという騒ぎにはなりませんよ。さあ早く。復讐の相手を、病気などに奪われてしまう前に」
「死に際に、懺悔の真似事をしてみたかった……と。そういうわけね」
 辛うじて弥生は、殺戮の呪文ではない言葉を口にする事が出来た。
「私に、自殺の手助けをしろと。要するに、そういう事なのよね?」