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<東京怪談ノベル(シングル)>


暑い時には


 見渡す限りの、氷の平原。
 まるで切り付けてくるかのように吹きすさぶ寒風。
 生命の気配を全く感じさせない極寒の領域を、2人は歩いていた。
「お姉様……またしても私を、騙して下さいましたのね……」
 付喪神の少女が、歩きながら恨み言を漏らす。
「避暑地でバカンスなどと……かき氷食べ放題などと……」
「食べ放題やないか。まあ氷かくんはセルフサービスやけどな」
 広大な氷原をちらりと見渡しながら、セレシュ・ウィーラーは応えた。
「避暑地っちゅうのも嘘やないでえ。暑うないやろ、少なくとも」
「お姉様、こういう所は避暑地ではなく寒冷地と申しますのよ」
 数日前に訪れた火山帯から、地理的にはそれほど離れていない、永久氷河の上である。
 こういう寒い場所では、やはり髪の艶が落ちてしまう、とセレシュは感じている。
 自慢の金髪も、冷気に晒されて元気がない。皆、冬眠状態である。
 そんな髪を守るためにセレシュは、毛皮の帽子を被っていた。身体には、毛皮のコートをまとっている。
 魔法の毛皮をロシア帽とロングコートの形に仕立て上げた一揃いの品で、防寒の魔力を有している。これを着用していれば、たとえ普通の人間でも、こういう場所で凍傷を負う事もなく動き回る事が出来るのだ。
 だがセレシュの場合は、それでも足りない。コートの下にも色々と着込んでいる。厚着をしていないと、強制的な冬眠に陥ってしまいそうなのである。
「まあ確かに、この寒さ……うちにはキッツイけど、自分は平気やろ」
 付喪神の少女が着ているのは、清楚な白のワンピースである。
 すらりと露出した肩も細腕も、この凶暴な寒気の中、清かな肌の色艶を全く失っていない。まるで本当に、避暑地に佇む令嬢のようである。
 たおやかな両脚が、しずしずと歩を進めるのに合わせて、しかし氷原には、ヒールの高いサンダルの足跡がザクザクと刻み込まれてゆく。
 元々、石像であった少女である。今は、生来の石の属性を魔力で強めてあるのだ。
 石は、例えば鉄と比べて確かに硬度は劣る。鋼鉄の剣で、石を叩き斬る事は出来る。
 だが石は、鉄と比べて、熱にも冷気にも強い。
 寒い場所で作業をするならば、石の属性は不可欠なのである。
「要するに……私にまた、何か肉体労働をさせようと。そういう事ですの?」
「ば、バカンスやバカンス。あんたが蒸し暑い言うから、連れて来たったんやで。まあ確かに真夏日やったからな」
 セレシュは、足を止めた。
 目の前で、氷原が真っ二つに割れている。
 巨大なクレバスが、2人の行く手を阻んでいた。
 一瞬の思案の後セレシュは、付喪神の少女の背後に回り込んだ。そして抱き締めた。
「な、何をなさいますの?」
「運んだる。大人しくしいや」
 セレシュの背中から黄金色の翼が広がり、羽ばたく。
 元石像の少女を、よたよたと抱き運んで飛行しながら、セレシュは悲鳴を上げた。
「あ〜もう、冷たいわ、それに重いわ……自分、うちに隠れて1人焼き肉ビールとかやっとらんやろな」
「失敬な。重いのは、石属性が強化されているからですわ」
 そのおかげで、見た目は柔らかくふっくらとした胸が、今はまるで2つの岩塊である。
 それがセレシュの細腕に上手い具合に引っかかって、運ぶのにちょうど良くはあった。
 クレバスを渡りきったところでセレシュは、少女の重い細身を氷原に下ろした。翼を畳み、自身も着地した。
 だが、巻き付けた両腕が、少女の身体から外れない。凍って、貼り付いてしまっている。
「あらあら……どうなさるおつもりですの? お姉様。女同士で温め合うなんて私、御免こうむりますわよ」
「そないな事せんでも、剥がせばええだけや」
 外れなくなった両腕を、セレシュは無理矢理に外した。と言うより引き剥がした。
 コートの袖が、それに皮膚が破け剥がれ、元石像の少女の胴体に付着して残った。
「ち、ちょっと! お姉様!?」
「慌てたらあかんて。うちがこのくらい平気なの、知っとるやろ」
 血まみれになりかけたセレシュの両腕で、皮膚が再生してゆく。魔法の毛皮コートの袖も、そのついでのように再生していた。
「……確かに、蛇は脱皮するものですわね」
 そんな事を言いながら少女が、ワンピースに付着して凍り付いたものを払い落としている。
「……ほんま、普通のワンピースなんやなあ」
 避暑地の令嬢のような少女の服装を、セレシュはまじまじと観察した。
「石なのに、布なんやな……さすが元から石属性、うらやましいわ」
「何を言っておられますの?」
「いや、石属性を外付け出来るアイテム作ってみたんやけどな。なかなか上手くいかんのや。あんたの身体、1度じっくり調べてみたいんやけど」
「その歳で、お医者さんごっこでもありませんわ……ああでも、ナース服とか着て下さるなら考えますわよ?」
「何や、うちが着る方かいな」
「まあ私が着ても良いのですけれど。お姉様は、ナースと言うより女医さんの役ですかしら。そういう写真集とかPVとか作ってみてはいかが? お医者さんごっこされたい小金持ちオタクに売れると思いますわ。それ系の男子、私のクラスにも大量におりますから、売りさばいて御覧に入れますわよ」
「……学校行くようになっても変わらんなあ、自分」
 そんな益体無しな会話をしながら歩いているうちに、目的地に到着していた。
「お姉様……ここは?」
「見たらわかるやろ。永久氷河の、永久氷壁や」
 そびえ立つ氷の断崖を見上げながら、セレシュは鶴嘴を取り出し、付喪神の少女に押し付けた。
「さ、かき氷のお時間やで。ここでしか採れへん氷やでえ」
「……結局、働かされるというオチですのね」
 ぼやきながらも少女は、氷壁に向かって鶴嘴を振るい始めた。
 ストーンゴーレム並みの怪力で、氷壁が粉砕されてゆく。
 氷の破片が、凄まじい勢いで飛び散り、うず高く積もってゆく。
「これだけの氷、どうなさいますの? まさか本当にシロップをかけて食べろなどと」
「ここの氷は、氷属性そのものみたいな代物やさかいな。使い捨ての氷系攻撃魔法アイテムが作れるんよ。ダイヤモンドダストもオーロラサンダーアタックもお手軽に撃ち放題や。売れるでえ」
「お姉様、それ2つとも魔法ではありませんわ」
 少女の指摘を無視しつつセレシュは、すでに失われた言語を唱えた。
 眼鏡の奥で、青い瞳が微かな輝きを発する。
 その眼光が、あちこちに出来た氷の破片の山に注ぎ込まれる。
 うず高く積もっていた氷が、人型に固まった。
 いくつもの氷の人形が、そこに生じていた。
「これだけ採れればええやろ。御苦労さんや、帰るで」
「お姉様、これは?」
「持ち歩くのも大変やさかいな。自分で歩かせるんや」
 セレシュが指を鳴らすと、氷の人形たちが歩き出した。
「溶けないように熱耐性も持っとる。完璧やで」
「あのクレバスは、どうしますの? まさか、お姉様が1体ずつ運んで」
「1体ずつ向こう側に放り投げるのが、あんたの仕事や。気張るんやで」
「……帰ったら、何かおごっていただきますわよ。かき氷食べ放題とかではなく、ね」


 元の世界……東京へ戻った途端、付喪神の少女は真っ白になった。
「なっ! 何ですの、これは!」
「はああん、梅雨の真っ最中やしなあ」
 冷えきった石像とも言うべき状態にある少女の全身に、梅雨の湿気が付着してそのまま霜と化したのだ。
「蒸し暑うはないやろ、少なくとも」
「こ、これなら暑い方がましですわ」
 懸命に霜を払い落としながら、少女がぼやいている。
 本格的に暑くなってきたら、また連れて行って仕事をさせよう、とセレシュは思った。