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安易に手を出すと……?!
大都市の外れの森の中に、一軒の魔法薬屋があった。
ファルス・ティレイラはこの日、魔法の師匠が経営しているこの薬屋の留守番を頼まれていた。
外はうだるような暑さ。湿度も高く、ただその場にいるだけで体力も気力も全部が溶けてしまいそうなほど暑い一日になっている。
「あっつ〜い。今日は一段とムシムシするし、日差しは強いし、脱水症状とか熱中症とかになっちゃうわ」
あまりの暑さに、ティレイラはカウンターテーブルに突っ伏した。
どうした事か、部屋の窓という窓を全て開けていると言うのに風が全く吹き込まない。
風さえあれば何とか凌げそうだと言うのに、無風と言うのはいかがなものか。
ここで文句を言っても自然に関する事ではどうしようもないことは分かっているのだが、どうでも良い事まで愚痴ってしまいそうになる。
「留守番って言ったって、お客さんなんてほとんど来ないじゃない。師匠ぉ〜、いっそのこと締めちゃいましょうよぅ〜」
この場にいるはずもない師匠に向かってぐったりと半目状態になりながら愚痴てみるが、当然返事があるわけがない。
静まり返った店内には、外から夏の虫の声が響き渡っている。
「……」
テーブルに突っ伏したまま、ぼんやりと店内を見つめながら、意味もなく片足を貧乏揺すりをしてみる。
沈黙。夏の虫の声。誰も来ない店。暇を持て余した自分……。
ティレイラは深い嘆息を漏らし、緩慢な動きで上体を起こすとテーブルから離れた。
「とりあえず……何か仕事探そうっと。このままだとその内動くのも嫌になっちゃうもんね」
カウンターから店の奥へと続く扉をくぐり、気を紛らわせるのによさそうな仕事を探してみた。が、部屋の中は綺麗に整頓され、掃除が行き届いているため手を加えようがない。
「何も無いわね……。どうしよう」
ぐるりと部屋の中を見回すと、ふいに倉庫へ続く扉に目が留まる。
「そうだ。せっかくだから倉庫の整頓しておこう。師匠もきっと喜ぶわ」
嬉々として倉庫の扉を開き、地下へと続く螺旋階段を下りていく。
頑丈な石で敷き詰められた壁と、地下にあって日が当たらない分空気はひんやりして過ごしやすい。
足取り軽く階段を下り終えると乱雑に置かれた本や書類、箱などがあり、ティレイラはそれらを片付け始める。
「あら……?」
ふと、手近にあった箱を何気なく空けた時、目を引くものがあった。
綺麗な水が入った小瓶がぎっしりと詰まっており、水の色は何種類もある。
ティレイラは何気なく箱の上蓋に貼ってあったメモ書きを手に取ると、実に興味深い内容があった。
「えーっと、何々……。様々な実験を繰り返しながら、望むものを作ろうといくつか薬を作ってみたが上手くいかなかった。魔法水が安定しない為、ここにある物は全て破棄するように」
そこまで読み終えたティレイラは、しばらくメモを見つめていたがチラリと魔法水へと視線だけを移す。
どうせ棄ててしまうくらいなら……。
「私が使っちゃっても問題ないよね」
ティレイラは小瓶の入った箱ごと手に持って、上機嫌で倉庫を後にした。
そして真っ先に浴室へと向かうと、濡れても良いように衣服を脱ぎタオルを巻いて中に入る。
「どれも凄く綺麗だわ。まずどれを試してみようかな……」
指先で小瓶の上を撫でるようにしながらその中の一本を選び出して取り出すと、中に入っていたのは水色の液体だった。
ティレイラは小瓶の蓋を開けてみると、中に入っていた水が塊のまま球体で出てくる。そしてそれはティレイラの体をすっぽりと包み込んでいく。
「わ……。水の中なのに息がちゃんとできる……。凄い! 何か気持ちいい〜」
ふわふわとした心地よさにうっとりと目を閉じると、その次の瞬間パチンという小さな破裂音と共に自分の体を包み込んでいた水球体は蒸発して消えてしまった。
「え? もう終わりなの? つまんないなぁ……」
そう言いながらも、次の小瓶を手に取る。ピンク色の液体だ。
蓋を開けると先ほどと同様に、中の水が塊となって表に出てくる。そしてやはりティレイラの体を包み込んで行く。
「あ、これ、何かお花の香りがする……」
だが、やはり数十秒でその効果は終わり、心地よいと感じた一瞬の内に蒸発して消えて行ってしまう。
その後残っている小瓶全てを試してみたがやはり同様の結果ばかりだった。
もう少し浸っていたいと思うところで消えてしまう為、残念な気持ちではあるのだが試す事が楽しくて仕方が無いのも嘘じゃない。
最後の小瓶を手に取ると、中には透明な水が入れられている。
「これも同じかしら」
躊躇うことなどなく、蓋を開けるとポコンと水が浮き出てティレイラの体を包み込んだ。
「特に香りがあるとか、そう言うのはないけど……。でも、心地よいのは同じね」
最後のこの感触を楽しむようにそっと目を閉じようとした瞬間だった。それまで体を包んでいた球体が、これまでとは違う反応を示したのだ。
「え……」
うろたえるティレイラの目の前で球体はぐにゃりと歪み、それまで透き通っていた水が泥水のように濁った色になる。
サラサラとしていた水は粘質性を帯び始め、不快感だけが襲ってきた。
「や、やだ! こんな話、聞いてないっ!」
ティレイラは慌てて抜け出そうと体を動かしたが、体中にまとわり付いた粘着性の高い液体が離れずその場から身動きすらとる事が出来なくなってしまった。
「も、もうちょっとで、出られそうなのに〜っ!」
悲鳴を上げるも、自分ではもはやどうすることもできない。
ティレイラは日が暮れて師匠が帰ってくるまでの間、そのままの状態でいることになってしまったのだった。
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