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sinfonia.38 ■ 決戦―@
「東京駅の内部を捜査してみましたが、それらしい場所は特に見当たりませんでした。引き続き捜索を続けますが、今のままでは時間ばかりが浪費されてしまう可能性があります」
萌の報告を聞いていた鬼鮫とその横に立っていた武彦は、目の前に浮かび上がった映像を見つめながら嘆息した。
東京駅。
確かに龍脈の流れを押し曲げ、東京駅の内部に何かしらの仕掛けがある可能性は高いが、萌らエージェント達が捜査を開始して以来、今のところ手掛かりらしい手掛かりは見つかってはいなかった。
襲撃を予定していた夜が迫る。
一切の手掛かりがないのでは、それすらも無意味となってしまいかねない、そんな状況に鬼鮫は忌々しげに舌打ちした。
「ハズレ、か……? それとも、情報が偽物だったってのか」
「いや、それはないだろうな」
鬼鮫の言葉に横合いから武彦が口を挟んだ。
「恐らく、能力者の索敵能力やらを伏せる為の結界でも張ってあるんだろう。いずれにせよ、あまり時間は残されていない。可能性としてここしかない以上、前情報がないからって二の足を踏んでる時間はねぇよ」
どうにか勇太を一日休ませる事は出来たが、その表情は決して明るくはなかった。
百合に付き添わせ、暴走して勝手に行かないように監視させているが、それだっていつまで保つかは分かったものじゃない。
時間は刻一刻と迫っている。
タイムリミットまで、一分一秒でも無駄にして良いはずがない。
「勇太の能力なら、思念に介入出来るはずだ。こうなっちまった以上、俺達が直接乗り込むしかない」
「危険です。もしもこれが罠だったら……」
「『虚無の境界』に、罠を張って悠長に待つ時間なんてねぇだろう。あれだけ大々的に動いて、幹部と思しき連中も散った。捨て身でかかってきたのは向こうも同じだ。罠の可能性は低い」
萌の言葉を遮り、武彦が推論を述べる。
情報が偽物であるという可能性は確かに否めないが、極めてその可能性は低い。
推測された東京駅も、不気味な程の沈黙を保っていた。
(――東京駅は、そう。まるで、ゴーストタウンにでもなってしまったような……あ……)
萌は思い出す。
先行して調査に出た萌達は、確かに東京駅の内部を隈なく捜査した。
その結果、人っ子一人いない空間が出来上がっていたのだ。
人がいない空間。
そしてそこには、あの街中を跋扈していた魑魅魍魎の姿もなかった。
(……おかしい、ですね。どうしてあの場所だけ、あんなにも静寂が包んでいたのか。東京内部のおおまかな処理は済んだはずです。でも、未だ建物の内部には潜んでいるというのが常です。なのに、東京駅はそれすらもいなかった……)
「おい、萌。何かあったのか?」
「あ……、いえ。ただ……――――」
鬼鮫に声をかけられた萌が、早速東京駅内部の様子を改めて説明した。
「……どう思う、ディテクター」
「どう、も何も。明らかに何かが影響しているんだろうさ」
「ですが、空間干渉の機器は一切の反応も見せてませんでしたし、それらしい場所も――」
「――空間干渉じゃなくて、アナタ達が入ったその東京駅そのものが偽物だった、という可能性もあるわ」
萌の言葉を遮るように告げられたのは、部屋へと入ってきた楓の言葉だった。
その後ろには、相変わらずエヴァを引き連れ、勇太と百合の姿もある。
「どういう、事ですか?」
「詳しくは彼女から聞いてみると良いわ。エヴァ・ペルマネントさん、お願い出来る?」
楓に言われ、後方にいたエヴァが赤い瞳を伏せる。
「……境界の能力者に、一人。『誰もいない街』という能力を持つ能力者がいるわ」
エヴァは静かに口を開く。
その能力は、正しくその名が示す通りであった。
世界を拒絶した一人の少女が、擬似的な世界を作り上げ、まるで現実の風景と折り重なったような鏡面世界を作り上げる。
その能力を理解していない限り、気がつけば鏡面世界に連れて行かれてしまう。
その景色や建物は、能力者の調整一つによって瓦礫の街にも綺麗な街にも変貌する。
「……って事は、時間稼ぎの為に踊らされたって考えるのが妥当か」
鬼鮫の言葉に萌が歯噛みする。
実力で妨害するのではなく、世界をずらす事で時間を稼がれた可能性がある。
それはある意味では最も最適なやり方であり、エージェントの萌としても聞き捨てならない屈辱だ。
「どうすれば突破出来る?」
「あの子の――ヒミコの能力は『入り口』を介さなければ突破出来るわ。つまり――」
「――俺と百合の能力なら、行けるんだな?」
沈黙を保っていた勇太が口を開く。
その緑色の双眸には決意と覚悟が湛えられ、一晩の休息によって疲労は取れたと思われるが、凛を連れ去られた焦燥から表情は硬い。
「……そうなるでしょうね。『入り口』を介さずに駅の内部に侵入さえすれば良い訳だしね」
「でも、それでは部隊を送り込むにはリスクが高いのでは――」
「――俺と百合で行く」
「無茶です! まだ残党がどれだけいるかも把握出来ていないのに――!」
「――それなら心配はないわ。あの人の――巫浄霧絵の性格を考えれば、そんな大事な場所に人を連れて行ったりはしないわ」
「……アナタは敵です。信用しろと言うのですか……?」
萌の言葉に反論したエヴァへ、萌が鋭い視線を投げかけて尋ねる。
どんな経緯があったかは伝聞しただけであり、萌は知らない。少なくとも敵であった以上、信用するには足らない。
そう言わんばかりに萌はエヴァを睨みつける。
どれだけ優秀だとしてもまだ萌は若く、敵であったエヴァを利用するという考えにはどうにも至れないらしい。
そうした機微を見抜いた武彦が口を開こうとするが、その前に勇太が口を開いた。
「萌、エヴァは大丈夫だよ」
そんな言葉が予想外であったのは、萌だけではない。
エヴァもまた、そんな言葉を投げかけられて目を瞠り、勇太へと振り返る。
「……フフ、信用するの? 彼女の言う通り、私は敵だった存在、よ」
「敵だった、だろ? 今は違う。それに嘘をついているようには見えないからな。
今はそんな押し問答より、凛の事だ。
草間さん、俺と百合で行かせてくれないか」
「……もう俺が止めたって、どうせ行くんだろうが」
勇太の言葉に武彦が呆れながら嘆息し、勇太の言葉を肯定する。
危険だと訴えようとした萌が口を開きかけるが、武彦が手を挙げてそれを制してみせる。
「そのけったいな能力者は任せて、お前達は行け。後のフォローは俺達がしてやる」
「……行こう、百合」
「えぇ、分かったわ」
武彦の言葉を聞いた二人が、早速とその場を後にした。
その光景を見ていた鬼鮫が、先程から閉じていた口をゆっくりと開いた。
「……まるで昔のお前だな、ディテクター」
「まぁ、な。アイツは少しばかり俺に似てるからな。こういう場面で止めたって、アイツは聞いたりしねぇよ。
さぁ、俺達もいよいよ大詰めって訳だ。動くぞ」
いよいよ東京駅への襲撃作戦が開始される。
タイムリミットまで、残り27時間を切った――――。
◆ ◆ ◆
――――それは永い時でありながら、過ぎてみれば一瞬の出来事のようであった。
知らない人が死ぬ。
仲間が死ぬ。
敵を殺す。
仇敵を殺す。
そして、また怨嗟は続く。
浅い眠りから醒めた男は、サングラスを手に取ってその瞳を覆った。
いつからだろう。
何処からだっただろう。
今となっては、そんな過去へと想いを馳せる事もなくなった。
「どうしたの?」
一人の少年が不安げな言葉を尋ねる。
だがその少年に一切の感情は伴っていないような、そんな気さえする口調だ。
ただ尋ねただけ。
そう称するのが相応しい。
「……別に何でもねぇさ」
「……そう」
短い言葉のやり取りだ。
それは信頼の証でもあり、不干渉の関係性の証明でもあった。
長い長い旅路の、その終わり。
それが今、彼らには見えているのだから。
「ねぇ、全部が終わったら、その時は――――」
「――希望を口にするな。絶望した時に、心が折れるぞ」
「……そう、だね。ごめん」
少年に向かって、男は告げる。
それは何度も、何度も。
自分が経験してきたその全てを物語っていた。
希望は潰えてしまいそうで。
それでも終われない。
いつだったか、自ら諦めた事もあった。
それでも世界は、彼の〈能力〉は。
そんな彼を無理やりにでも立ち上がらせてきた。
「……だが、そうだな。全部が終わったら……――――」
気が緩んでいたのかもしれない。
それは彼が――宗が決して口にしない、未来への展望。
願望だった。
「……うん。ボクはずっと一緒にいるよ」
淡々とした口調。
疲弊し、擦り切れてしまった心の持ち主である少年だったが。
その表情は、ずいぶんと久しぶりに見た柔らかなものだった。
「さぁ、俺の見た事のない未来を見せてもらおうか」
宗は呟く。
決戦の火蓋が切って落とされようとしている。
それら全てが、果てしない岐路へのターニングポイントになるのだ。
to be continued...
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