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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Jewel box

 夜の帳が完全に落ち、街の灯がキラキラと輝き始める頃。
 とある通りの一画で二つの影が移動を続けていた。前方は逃げる者、後方はそれを追う者だ。
 IO2エージェントが一人の異能力犯罪者を追い詰めているところであった。
「……っ、このままじゃ逃げられる……」
 追う側のエージェントが足を止めた。そして懐に手を入れて彼の武器を取り出し、素早く前方へとそれを向ける。
「――――」
 その狙いは、一点の揺らぎも迷いもなく。予め装着されたサイレンサーに音は殆ど吸収された形になったが、放たれた弾は前方の足元に落ちて、逃走を食い止めた。足を撃ちぬいたのではなく、特殊な加工を施された弾が地面で弾けて進む足を止めたのだ。
「――こちらフェイト。目標を確保した」
〈了解、すぐにそっちに向かう。フェイト、そいつは厄介な能力の持ち主だ。気をつけろよ〉
「分かってる。早めに合流してよ」
 ハンズフリーの無線で離れた地点にいる同僚に連絡を入れつつ、彼――フェイトは地面に転がっている影の主の腕を掴み後ろ手に両手首を拘束するために手錠のようなものを取り出した。
 装着自体は簡単なものであった。
 だが。
「……畜生っ!」
「おい、大人しくしろ!」
 捕まえられた男が悪あがきとばかりに能力を発動させた。電磁波のような衝撃が手元に走り、バチン、と音と立てて弾ける。
 フェイトもそれを予想していなかった為に若干反応が遅れてしまう。
 ビリ、と指先が痺れる感覚が広がった。それに気を取られていると、男がフェイトの首元に回し蹴りを打ち込んできた。
「!!」
 見事にそれがヒットしてしまったフェイトは、そのままふらりと後ろによろめいた後、側にあった草むらに倒れこんでしまう。
〈どうした、フェイト?〉
「…………」
 無線の向こうで同僚の声がした。
 フェイトはそれに応えることが出来ずに、そこでふつりと意識を手放した。捕えた男はすでにそこには居らず、地面の上には使われるはずであった拘束具が僅かな電磁波を発しながら転がっていた。

 チリン、と小さな鈴の音が夜空に溶ける。
 眼下に広がるいつもと変わらない『世界』。輝く宝石箱を眺めつつ飛行を続ける千影の視界に、不自然に走る男の影が写り込んだ。必死に走っているが、よたよたとしていて落ち着きが無い。
「ん〜、酔っぱらいさんかな?」
 上空にいる千影には当然気づくこと無く、その男は通りを抜けて走り去っていく。
 千影は妙にその行動が気になり、男が辿った道を遡ってみた。そして、数メートル進んだ場所で、草むらで倒れこんでいる人物を目に留める。フェイトであった。
「…………」
 千影は迷わずその場に降りた。地面に寝転んでいる人物はさほど珍しい光景では無かったが、彼の身なりからそういう類の人となりではないと判断したためだった。
「……ねぇ、だいじょうぶ?」
 膝を折りそう問いかけてみても、フェイトは応えない。すでに気を失っている為だ。
「え?」
 千影がそろりと手を伸ばして彼に触れようとした所で、フェイトの体が震えた。そして次の瞬間には変容が現れ、千影も目を丸くする。
 目の前のフェイトが、大人の体から小さな子どもの姿になってしまったからだ。しかも、猫耳と尻尾まで生えている。
「うにゃん? チカと同じ眷属の人?」
 千影はその変化に、瞠目した直後はさして驚いた様子も見せなかった。
 この世界は『不思議』に満ちている。彼女は毎夜、その不思議に出会うために散歩を続けている。だから、この出会いも恐らくは偶然ではないのだろう。
 取り敢えずは、と彼女はフェイトを膝の上に乗せてやった。見た限りでは大きな怪我などはしていない。それを確認して、数回頭を撫でてやると、意識が浮上したらしいフェイトがもぞりと身じろいだ。
「……ん、にゃ?」
 頬が暖かい、と感じながらフェイトがゆっくりと瞼を持ち上げる。
 するとそこには見慣れぬ少女の姿があり、自分の体はその彼女の膝の上であった。
「気がついた?」
 少女はそう問いかけてくる。可憐な声音であった。
 緑色の瞳と黒い髪。自分と似た色を持つ少女を見上げて、フェイトはふにゃ、と笑った。
「あたしはチカ。あなたは?」
「えっと……あれ……?」
 千影に問われたとおりに答えを音にしようとした所で、フェイトの表情が歪んだ。自分の名前が喉の奥から出てこないのだ。そこから考えてみても、何も出てこない。
「わかんにゃいにゃ……自分のなまえ……」
 へた、とフェイトの猫耳が下へと向いた。感情が表に現れたのだ。
 追っていた男に蹴られた時の衝撃なのか、それとも猫化の影響なのかは分かりかねるが、フェイトの記憶は閉ざされていた。
 今の彼には自分が何者であるかすら分からないようだ。『フェイト』であることも、『勇太』であることすらも。
「うーん、記憶喪失っていうやつかな? チカはそっちのことは詳しくないし……誰かと一緒だったりしなかった?」
「覚えてないにゃ……でもなにか、大事なことをしてた気がするのにゃ……」
 うう、とフェイトは頭を抱えた。倒れる以前の記憶は全く無いようで、困り顔にもなる。
 千影はそれを見てフェイトの頭を優しく撫でた。そして膝の上からゆっくりと彼を下ろし、手を引いて立ち上がる。
「じゃあ、この辺を少し歩いてみよう? 何か思い出すかもしれないよ」
「う、うん……」
 チリン、と音がした。
 それに釣られてフェイトが顔を上げると、千影の身につけている衣服の裾に小さな鈴が飾られているのに気がつく。
 耳にすんなりと滑りこんでくる鈴音に、不安でいっぱいの心がゆっくりと溶かされていくような気がして、フェイトは千影の手をやんわりと握り返した。
「名前が無いと困るね。えーっと……クロちゃんでいいかな?」
「うん、チカおねえちゃん!」
 フェイトが身につけている衣服からイメージした便宜上の名前だが、彼自身は嬉しそうに頷いて見せた。
 最初に見た時には確かに大人の気配、そしてその姿であったヒト。
 だが今は、小さくて可愛らしい幼子だ。千影は足元でそわそわとしているフェイトを見ながら、まるで自分に『弟』ができたような感覚がして、心の奥がくすぐったい気持ちになっていた。
「あれ、これなんだろ?」
「にゃ?」
 草むらからアスファルトの部分へと足を向けた所で、千影が何かに気がついた。
 フェイトもそれに続くようにして彼女の視線の先へと顔を動かし、そこでビクリと肩を震わせる。
 そこにあったものは先ほど落としたあの拘束具だった。一般的に見かける手錠とは形状が異るので、パッと見はそれが何であるか分からないだろう。
「クロちゃん、何か知ってるの?」
「……ううん、わかんにゃい。でも、大事なものな気がするにゃ」
 視界が呼びかける記憶の欠片。
 だがそれだけでは今のフェイトには届かない。
 俯くフェイトを見やりつつ、千影はそっとその拘束具を拾い上げて、草むらのほうへと置いた。その際、僅かに触れた指先に伝わる電気のほうな痺れに首を傾げたが、それ以上の思考は巡らなかった。
「じゃあ、ぐるっと歩こう」
「うん」
 二人は手を繋いだまま歩き出した。
 並木道となっているその通りをゆっくりと歩み、周囲を見回す。遠目に見えるショーウィンドウからは陳列された商品を照らすためのライトが煌々と光を放ち、キラキラと輝いて見える。
「キレイだにゃー」
「キラキラしてるね」
 いつも目にしているはずの光景だったが、見る角度が違えば新鮮さも違う。
 眠ることを知らぬかのような夜の街の灯りに少しのワクワクを抱きながら、千影もフェイトも歩みを進める。
 途中、チラシ配りのアルバイトに広告入りのティッシュを手渡された。その人物に「似てるね、姉弟? かわいいね」と声をかけられて、お互いを改めて見やる。
 髪も目の色も服の色も同じであった二人は、他人からはそう見えるのかと感じて小さく笑った。
「あ、そうだ。上からも見てみようか」
「にゃ?」
「えーっと、ここじゃ目立っちゃうから……あ、あそこからにしよう」
 千影はそう言いつつ、目についた細い路地へとフェイトを招いた。
 頭に「?」を浮かべたままでとてとてと歩くフェイトが路地に完全に見を滑らせるの待ってから、千影は彼を後ろから抱きかかえてふわりと宙に浮いた。
「にゃ、……にゃ!?」
 突然の行動に、フェイトがそんな声を上げる。
 見る間に地面から離れていく自分の体。それがどういうことか理解するのに少しの時間がかかる。
「チカおねえちゃん、お空飛べるのにゃ?」
「うん、そうだよ」
「凄いにゃ……凄いにゃー!!」
 フェイトが目を輝かせながらそう言った。そうしているうちにも、千影はどんどん上昇して高いビル群をするりと抜けていく。
「わぁ……キレイにゃ……!」
 眼下に広がる色とりどりの灯り。
 建物から吹き上げてくる風に頬をくすぐられながら、フェイトはとても楽しそうであった。
 腕の中ではしゃぐそんなフェイトを見やりつつ、千影は得意げな笑みを浮かべる。
 その、直後。
「!」
 ビクッ、と大きくフェイトの体が震えた。
「どうしたの?」
「おねえちゃん、ちょっとだけ下に行って欲しいにゃ」
「うん、わかったよ」
 フェイトは一点を見つめたまま、少し厳しい顔をしていた。
 そして千影に僅かな降下をお願いした後も、『それ』をずっと見ている。
「あれ? あの人……」
 そう言ったのは、千影だった。
 足元を歩く一人の男。それに見覚えがある。
「あ、さっきフラフラしながら走ってた人だ」
「にゃ……! あいつ、あいつを捕まえなくちゃいけない気がするにゃ……!!」
 フェイトはそう言いながら手足をバタつかせた。
 千影はそんな彼を落とさないようにしっかりと抱き込みつつ、眼下を歩く男をゆっくりと上空から追っていく。
「クロちゃん、どうする? あの人、悪い人なの?」
「わかんにゃいけど、けど……おれはあいつを捕まえなくちゃダメなのにゃ! チカおねえちゃん、おれをあいつの上で降ろして欲しいにゃ!」
「わかった。だけど、大丈夫?」
 男はよく見るとガラの悪そうな外見であった。
 チラ、チラ、と周囲を見やりつつ歩くその姿は、何か怪しい。そんな男にこの小さな子が適うのだろうかと、千影は素直に心配になったのだ。
「顔に飛び掛かってやるのにゃ! そしたらあいつもきっと降参するのにゃ!」
 フェイトは意気込みつつそう言った。
 千影はそんな様子の彼を見つつ、「無理しちゃダメだよ?」と繋げてから彼の体を宙に放ってやった。彼の言うとおりに、男の顔に飛びかかれるようにしてやったのだ。
「にゃー!!」
「……うわっ!?」
 フェイトは両腕を大きく広げながらそう叫んで男の頭に飛び込んでいく。
 頭上から現れたその影に男は大きく驚きながらも、次の瞬間には追手だと判断したのか手のひらに電気を走らせた。
「!」
 宙で様子をうかがっていた千影が、顔色を変える。
 先ほど感じた指先の痺れ。あれはあの男の能力によるものだったのかと判断して、彼女も降下する。
「クロちゃん!」
「にゃ、にゃーー!!」
 バチバチッと電磁波が弾ける音がした。
 あっさりと頭から引き剥がされたフェイトは、男の能力をまともに食らい、地面へと転がる。
 千影が小走りで腕を差し出しフェイトを抱きとめて、キッと男を睨みつけた。
「あなた、悪い子ね?」
「なんだぁ、あそこはガキも扱うのかよ!?」
 男は乱れた髪を片手で直しつつそう言った。千影の問いには答える気もないらしい。
「悪い子はおしおき、だよ?」
「なんだお嬢ちゃん、俺様と遊んで欲しいのかよ? バチバチって痺れるぜ?」
 ニヤニヤと汚い笑みを浮かべる男に、千影はわずか程も怯まなかった。それどころか睨みつける視線を強くさせる。
「チカ、主様とお友達を傷つける子は許さない」
 彼女はそう言って、右手に何かを持った。黒い杖だ。どこから出したのかは不明だが、彼女のアイテムであり、その杖は生命すら宿す存在である。
「な、なんだよコイツ……?」
 千影の様子に逆に怯んだのは男のほうであった。怪しく光る杖を見ながら、逃げ腰になる。
 その杖からどんな恐ろしい力が発せられるのだろうか。
 ――と、思考が及んだ先に。

 ゴンッ。

 そんな鈍い音が大きく響いた。
 言葉すら発する機会すら与えられず、男はその場に崩れ落ちる。
 どうやら千影のその杖が、男の頭部にクリーンヒットしたらしい。
 そもそも杖とは――とも思うが、今はその思考を巡らせる人物もおらず、答えもない。
「う……」
 左腕に抱え込んだままのフェイトが身動ぎをした。その後、体がビクリと震えたので、千影は黙って彼を足元に下ろす。そしてビルの壁を背にして座らせた後、彼は元の体に戻るための変容を始めていた。
「今日はここまで、かな。……またね、クロちゃん」
 千影は小さくそう呟いて、その場でポンと地を蹴った。
「――フェイト!」
 彼を呼ぶ声がする。
 その声に千影が肩越しに振り向いてみれば、フェイトと同じような服装をした一人の男性が駆けてくるのが見えた。
 彼はその場に倒れこんでいる能力者の男を確保した後、側で気を失っているフェイトへと駆け寄り、状態を確かめる。
 フェイトは数回の呼びかけのあと、意識を取り戻した。もうすっかり、元の姿に戻った状態であった。
「……あれ、俺……?」
「大丈夫か、フェイト」
 ふるり、と頭を振る。軽いめまいを感じながらも、フェイトは顔を上げて同僚に「大丈夫」と伝えた。
「え、あれ……あいつ、確保されてる……?」
「なんだよ、お前が捕まえたんだろ? 俺が来た時にはもう伸びてたぜ?」
「そう、なのか……ごめん、ちょっと記憶に無くて。誰かに会ってた気もするんだけど、夢だったのかな」
 自分が座り込むすぐ側に、あの男が拘束されて気を失っていた。頭に大きな腫れがあるようだが、フェイトには一切の記憶が無い。思考を巡らせても、自分の首元に蹴りを入れられた辺りの記憶しか思い出せずにいる。
 だが、微かに瞼の裏に残っている面影があった。それが誰なのかは全く解らなかったが、優しくしてもらった事だけはうっすらと憶えているような気がする。
「また、会える……かな」
 ぽつり、とそんな言葉が漏れた。
「フェイト、撤収するぞ」
「ああ、うん」
 同僚が促しの言葉を投げかけてくる。
 フェイトはそれに遅れること無く立ち上がり、衣服についた土埃を軽く払った。その際、ポケットの中に何かの違和感を得て、彼は黙って中を探った。
 取り出されたものは広告付きのティッシュだ。
「?」
 受け取った記憶のないものだったので、思わず首を傾げる。

 ――チリン。

 頭上で小さな鈴の音がした。
 フェイトは咄嗟に音の方向へと視線をやるが、そこには何もなく、ただネオンと喧騒が交じり合うだけ。
「…………」
 言葉なくそのポケットティッシュを同じ場所に仕舞いこんだフェイトは、仕事に戻るために歩みを再開させる。
 同僚と肩を並べて二言三言の会話を交わしつつ、彼はキラキラの宝石箱の中に姿を消した。

 ビルの屋上からそれを見ていた千影もまた、小さく笑って夜空に姿を消したのだった。