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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


復讐者の剣舞


 黒が似合う少女である。
 しなやかな細身にピッタリと貼り付いた、黒く短い衣服。ポニーテールの形に束ねられた、長い黒髪。
 それら黒色と鮮烈な対比を成す、白い肌。
 エメラルドを内包しているかの如く、緑色に輝く右目。アイパッチに覆い隠された左目。
 隻眼の美貌には、表情というものがない。
 そんな少女を、男たちが呼び止めた。
「道をお間違えではありませんか」
 某県の山間地帯。
 とある製薬会社の研究施設、その正門前である。
 まるでプロレスラーに守衛の制服を着せたような、筋骨隆々たる男たちが、少女の行く手を阻んでいた。
「道を、お間違えではありませんか」
「間違えてはいない。ここに、私の兄がいるはずだ」
 言いつつ少女は、1通の書簡を懐から取り出した。
 IO2の、緊急捜査令状。
「これを見せれば、入れてくれると聞いた……お兄様に、会わせて欲しい」
「道を、お間違え、ではありませんか」
 令状を一瞥もせず、男たちは言葉を繰り返している。
「道を、お間違え、では、ありませんか」
「道を、おま、おまち、おまち」
「がががががえ、ではありありありあり」
 守衛の制服の下で、隆々たる筋肉がメキメキと蠢いている。
 少女は、小さく溜め息をついた。
「お前たちも、私と同じか……」
 人工的に造り出された生命体。
 こういうものを、この研究施設では大量生産しているらしい。
 自分と、あの姉妹たちのように。
 守衛の制服が、ちぎれて飛んだ。
 その下から、筋肉と獣毛が盛り上がって来る。
 もはや人間の形を保てなくなった男たちが、少女を取り囲みながら牙を剥いた。
「道を、道を、みみみみみみ道を」
「お、おまち、おまち」
「間違え、間違え、間違えでは」
 牙が、あるいはカギ爪を備えた毛むくじゃらの剛腕が、あらゆる方向から少女を襲う。
 緑色の隻眼が一瞬、燃え上がるように輝いた。
 少女の細い腰に吊られたものから、光が走り出す。
 一振りの、日本刀。
 閃光の弧が、男たちを薙ぎ払った。
「生まれた時から、道を間違えているのは……お前たちの方だ」
 もはや届かぬ言葉をかけながら少女は、一閃させた刃を、ゆっくりと鞘に戻した。
 獣と化した男たちの巨体が、幾重にも食い違いながら滑り落ち、ぶちまけられる。
 鮮やかな、輪切りであった。
「いや……私も、かな」
 表情のなかった隻眼の美貌に、微笑、らしきものが少しだけ浮かんだ。
 滑らかに切り刻まれた男たちの屍と一緒に、黒い物体が2つ、地面に転がっている。
 2丁の、拳銃だった。
「お兄様……」
 呟いてみる。思い出してみる。
 この2丁拳銃を手にして自分たちと戦った、あの青年の姿を。
 彼を、救出する。
 それが、初めての任務となった。


 小さな氷山、とも言うべき氷の塊。その中に、青年は閉じ込められていた。
 辛うじて、生きてはいる。
 命を奪う一歩手前で、ノゾミは自制してくれたようだ。
 だからと言って、誉めてやる事でもない。笑って許してやる、わけにもいかない。
 だが伊武木リョウは、とりあえず微笑んだ。
「ノゾミ……何か、言う事はあるかい?」
「ありません」
 俯き加減に、青霧ノゾミは言った。
「ボクは勝手な事をしました。失敗作として……リョウ先生の手で、処分して下さい」
「ノゾミ1人が覚悟を決めれば良いという問題ではないんだよ」
 伊武木は、笑みを消した。
「こんな事をされたら、我が社は大々的にIO2を敵に回してしまう……大勢に迷惑をかけるというのが、どういう事なのか。もう少し、学んで欲しいな」
「はい……」
 どのようなペナルティを受けても、このIO2エージェントは始末しておかなければならない。ノゾミは本気で、そう考えたのだろう。
 確かに、危険な力を持った青年ではあるのだ。それは伊武木にもわかる。
「危険だからと言って、片っ端から排除してしまったのでは……この世には、安全で面白みに欠けて発展の見込めないものしか無くなってしまう。研究者としては、憂えるべき事態だ。そこまでノゾミにわかって欲しいとは言わないけれど」
 氷の中で眠る若者を見つめたまま、伊武木は腕組みをした。
 この若者を、どのようにしたいのか。こんな所に呼び寄せて、自分は何をしたかったのか。
 実のところ伊武木自身にも、明確にわかってはいないのだ。
 ノゾミの友達に、会ってみたかった。興味があった。無理矢理にでも言葉にすると、そのようにしかならない。
 とりあえず解凍し、意識が戻るまで保護する。今、出来る事はそれだけだ。
 耳障りな警報が鳴り響いている事に、伊武木は気付いた。
「ああ、伊武木先生! こんな所に!」
 研究員が1人、あたふたと駆け寄って来た。
「緊急事態です、安全な場所に隠れて下さい!」
「どうしました? B7研あたりの実験体が、また暴れ出したのかな」
「詳細は不明ですが、どうやら侵入者です。警備用の実験体が、すでに何体も倒されていると……って、これは何ですか? 氷? 中に人が」
「ああ、どうかお気になさらずに。そうですか、殴り込みですか」
「は、はい。セキュリティーシステムも破壊されました」
 能力者による襲撃に備えて、テレパス妨害用の特殊電波を流してあったのだが、それも除去されてしまった事になる。
 何が起こっているのかは、明らかだった。
 IO2が、エージェントを追加派遣してきたのだ。この氷詰めの青年を、救出するために。
 いくらか責任のようなものを感じているのだろう。ノゾミが、思い詰めた顔をしている。
「ボクが行く……!」
「まあまあ」
 伊武木は、ノゾミの細い肩に手を置いた。
「コーヒーとお菓子の準備を頼むよ。今日は、フィナンシェがいいな」
「リョウ先生! IO2の連中が攻めて来たんだよ? ボクのせいで……だからボクが戦わなきゃ」
「戦わずに済ませる、という事も学んで欲しいな。ノゾミには」
 伊武木は言った。
「IO2が、どんなお客さんをよこしてくれたのか……一緒に、見てみようじゃないか。もしかしたら、またノゾミの友達になってくれるかも知れないよ?」


 爪が、牙が、触手が、あらゆる方向から襲いかかって来る。
 襲い来る全てに、隻眼の少女は語りかけた。
「私は運が良かった……お前たちのようには、ならずに済んだ」
 右の細腕が、ユラリと動く。綺麗な五指が、柄に絡み付く。
 抜刀。
 鞘から閃光が走り出し、少女の周囲を駆け抜けた。
 怪物、としか表現しようのない生き物たちが、少女に向かって牙を剥き、カギ爪や触手を振り立てたまま、硬直した。
 彼らに取り囲まれたまま少女は、抜き放った日本刀を、スラリと鞘に差し戻した。
「……お前たちよりも、ずっと救いようのない存在と言えるな」
 まるで、風景そのものが断ち切られたかのようである。
 滑らかな断面を晒しながら、怪物たちは崩れ落ちていった。1体残らず、真っ二つになっていた。
 研究施設内。部屋か通路か判然としない、ホールのような広い一角である。
 今は、滑らかに両断された怪物たちの屍で埋め尽くされている。
 自身で作り出した、殺戮の光景を一瞥しながら、少女は思い出していた。自分に剣術を教えてくれた、あの男の言葉を。
 お前の念動力、剣術向きだな。
 念動力そのものは、お前そんなに大した事ぁねえ。だが剣と併用すりゃあ、とんでもねえ力になるぜ。鉄砲玉の距離まで斬撃が伸びる、念動力の剣だ。とりあえず、そいつを極めてみな。
 そう言いながら、あの男は容赦なく少女を叩きのめした。
 復讐がしてえんなら、強くなるしかねえぞ。そんな事も言っていた。
 綺麗事しか言わないIO2職員たちの中にあって、あの男だけが、復讐を否定しなかった。少女の胸の内で暗く燃え盛るものを、肯定してくれた。
 復讐ほど楽しいものはねえぞ。お前もな、このIO2って組織を復讐のために利用してやれ。それには実績ってものが必要になる。今は、面倒でもコツコツと仕事を重ねていくしかねえぞ。憎しみを育てながら、な。
 そう言いながら、あの男は容赦なく少女を痛めつけてくれた。
 耐えるしかなかった。復讐に必要な力を、身につけるために。
「お父様……」
 呼びかけてみる。当然、返事など返って来ない。
 今ならわかる。自分たちが父と呼んでいたのは、単なる狂人だったのだ。惨たらしく殺されたとは言え、同情するにも値しない。
 それでも、自分という存在をこの世にもたらしてくれた恩人である事に、違いはない。
 拍手が聞こえた。
「いやあ、お見事お見事。こいつらの処分には頭を悩ませていたところでねえ」
 この施設の、研究員であろう。白衣を着た痩せぎすの男が1人、いつの間にかそこに立っていて、楽しそうに手を叩いている。
「綺麗に処分してくれてありがとう。助かりましたよ、お嬢さん」
 血色の良くない顔が、少女に向かって、にこやかに歪む。
 細められた両目の中で、瞳が黒い。光彩に乏しい真っ黒な瞳。
 暗黒そのものだ、と感じながら少女は会話に応じた。
「貴方は、ここの責任者か?」
「平の職員ですよ。伊武木リョウと言います。貴女は……IO2の方、とお見受けしますが」
「私の名は、I・07……今は、イオナと呼ばれている」
「I07でイオナさんですか。それならA01でアオイ君、といった感じでしょうか? 何とも安直……いやいや、わかりやすくて結構結構」
「そのA01に用がある。今は、その名前ではないはずだが」
 思わず剣を抜いてしまいそうになった右手を、イオナは辛うじて止めた。今はまだ、軽々しい動きを見せるべきではない。
 伊武木リョウの傍らに控える少年の、出方が読めないからだ。
「……こちらで、ご厄介になっていると聞いた。連れ戻すように言われている」
 伊武木と会話をしながらイオナは、その少年に隻眼を向けていた。
 救出対象である青年と、どこか似ている黒服の少年。
 その両眼は青く爛々と燃え輝いてイオナを睨んでいる。敵意そのものが、凝り固まって眼球を成したかのようだ。
「失礼ですが、彼との御関係は?」
 伊武木が訊いてきた。
「まさか恋人同士? だとしたら男としては情けない話です。彼氏の方が、彼女に助けられてしまうなんて」
「あれは私の兄だ」
 イオナは即答した。
 お兄様、などと呼んでいる。もっとも本人に直接そう呼びかけた事はない。出会った時は、敵同士だったのだ。
「兄……ね」
 伊武木の口調が、変わった。
「俺の考えが正しければ……お兄さんと言うより、お父さん、みたいなものじゃないのかな? 彼は貴女にとって」
「私のお父様は別にいる!」
 イオナは激昂し、だがすぐ冷静になった。
 伊武木の傍らに立つ少年が、青い瞳をギラリと輝かせたからだ。
 一瞬の肌寒さが、イオナを襲った。微かに霧が発生した、ようにも見えた。
 伊武木が、少年を制するように片手を上げる。
 霧は、消え失せた。
「失礼……傷に触れるような事を、言ってしまったようだな」
「……こちらこそ失礼。貴方がたを相手に、事を荒立てるつもりはない」
「充分、荒立っていると思うなあ」
 死屍累々と言うべき光景を見回し、伊武木は笑った。
「廃棄物処分要員として、この研究所で雇いたいくらいだよ。IO2よりお給料は安いかも知れないけど、3食昼寝付きでどうかな? おやつもあるよ。ケーキやドーナツで極上のブラックコーヒーを」
「甘いものは好きではない。それに私とて、好きで事を荒立てているわけではないぞ」
 イオナは言葉を返した。
「正式な令状を持って来たと言うのに、読んでもくれない。そんな連中を、門番として使っているだけでなく屋内でも放し飼いにしている。穏やかに対話しろと言う方が無理だ」
「放し飼いにしているわけじゃあない。どうも誰かさんがセキュリティーをぶっ壊してくれたみたいでねえ。隔離しておいた失敗作どもが、こうして暴れ出してしまったんだよ」
 セキュリティーシステムは、確かにイオナが破壊した。
 テレパスの類を無効化する特殊電波が流されていたようだが、それも除去された。
 だから救出すべき青年の居場所を、イオナの思念で捜し当てる事も出来た。
「私の兄は、この先の部屋にいるはずだ。返してくれるのか、くれないのか……それだけを今、私は知りたい」
「返答次第では我々も真っ二つ、というわけかな」
 伊武木が笑う。
 青い瞳の少年は、笑いもしない。敵意の表情を、変えようともしない。
 即、斬殺するしかない。そうしなければ自分が死ぬ。
 イオナが直感した、その時。
 真っ二つの屍が、いくつか吹っ飛んでビチャビチャと散った。
 凶暴な雄叫びと共に、床が裂けていた。
 何かが、凄まじい勢いで、階下から姿を現したところである。
 巨大な昆虫だった。甲殻類にも見える。異形の外骨格に覆われた巨体は、しかし人間の原形を辛うじて残してもいる。
「A2研の実験体か……!」
 伊武木が、息を呑んでいる。
 そう呼ばれた怪物が、大顎を鳴らし、イオナに襲いかかった。
 念動の斬撃で、叩き斬る。それしかない。
 だが伊武木は叫んでいた。
「駄目だ、殺してはいけない! この実験体には、まだ研究の余地がある!」
 無視するべきであった。この男の研究など、イオナの知った事ではない。
 だが。抜刀する前に、全ては終わった。
 霧が発生し、漂い、消えたのだ。
 イオナが肌寒さを感じた時には、昆虫のような甲殻類のような怪物は、動かなくなっていた。その巨体が、小さな氷山の中に閉じ込められている。
 青い瞳の少年が、ようやく言葉を発した。
「……捕獲したよ、リョウ先生」
「お見事。よくやってくれた」
 伊武木が微笑み、少年も微笑んだ。
 殺してはいけない、という叫びは、この少年に対する命令だったようである。
「イオナ嬢、貴女のお兄さんも実はこんな状態でね」
 伊武木が言った。
「解凍が済むまで……フィナンシェとコーヒーでも、いかがかな?」
「……もらおう」
 そんな返事をしてしまった理由は、イオナ自身にも、よくわからない。
「兄を返してくれるなら、むやみに貴方がたと敵対する理由もないからな」
「……コーヒーに毒を入れたりはしないよ」
 青い瞳に敵意を孕ませながら、少年が言った。
「あなたがリョウ先生の敵になるなら、そんな回りくどい事はしない……凍らせて、砕く。それだけだよ」
「……お前、私と同じだな」
 イオナは言った。
「私は、お父様を守れなかった……お前は、守り通せるかな」
 守れなければ、あとは復讐しかなくなってしまう。
 そこまでは、イオナは言わなかった。