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魔法の杖と素敵なお仕置き
ブローチ型の装飾品がキラリと虹色に輝いた。魔力を帯びているためにこのように煌めくのだ。
その完璧な美しさと出来栄えを手元で鑑賞し堪能していると、背後でガタンと音がした。
「……お姉さま、や、やっと終わりましたぁ〜」
少し力のない声が室内に広がる。その声に視線を向けたお姉さまと呼ばれた女性――シリューナは、ゆったりと微笑んで、同族の弟子であり妹のような存在のティレイラに「お疲れさま」とねぎらいの言葉を投げた。
魔法薬屋を営むシリューナの商品在庫などが置いてある倉庫の整理を請け負っていたティレイラは、半ば疲れた様子で倉庫部屋に繋がる通路から出てきて、はぁ、と溜息を吐いた。よく整理をしているのだが、今日は特別大変だったのだろうか。
「あら、ティレ。それは?」
「あ、えっと、倉庫で見つけました。大きな木箱の裏に転がってたから、一度お姉さまに確認してもらおうと思って。ひと月前までは無かったですよね?」
ティレイラが右手に収めているものにシリューナは視線をやった。変わった形状の魔法の杖だった。そしてその杖に思い当たる節がある彼女は、不敵な笑みを浮かべる。
「あらあら、そう……そんなところにあったのね。じゃあせっかくティレが見つけてくれたんだし、これを使って魔法特訓しましょうか」
「え? あ、はい!」
「今日のお題はコレよ。その杖から魔力を放って倒してみなさい」
シリューナはそう言いながらパチンと指を鳴らした。すると彼女の背後にゆらりと影が浮かび、姿を見せたのは大きな異形だ。ガーゴイルである。
「わ、大きい……」
シリューナよりも体躯の大きなガーゴイルは背にあるコウモリ型の翼を大きく広げて「シャアアア」とティレイラを威嚇した。
ガーゴイルの本来の役割は堅き門番。本質が石で出来ているゆえにどんな物理攻撃でもほとんど弾いてしまうという厄介な存在である。だからこそこの魔法の杖が発揮出来るのかもしれない。
「ティレ、この子は生半可な魔法じゃ全然効かないわよ? その辺を頭において、戦ってみなさい」
「は、はい……!」
ティレイラは両手に杖を持ち、それをぎゅっと握りしめつつ返事をした。
いつもとは違う形での修行。ワクワクする気持ちと不安が交じり合う。だが今は、やるしかない。
「い、行きますよ! えいっ!」
杖を頭上に掲げて、一振り。
小さな渦を描いて魔力が杖の先に集中しての、一発目。
紫色のそれは、いとも簡単にガーゴイルの手に遮られた。ボヒュ、と情けない音までする。
「うう、もう一回!」
杖で魔力を導くようにして、また目標に放つ。
慣れない杖での戦闘は、思っていた以上に難しいと彼女は感じた。自分の魔力を杖に伝え、形とするだけでも随分と精神力が削られる気がする。
連続していくつかの魔法を放ってはみるが、どれもあまり効果を発揮せずにガーゴイルは余裕で弾き返してくる。宝石のような赤く鋭い瞳は彼女を睨むというよりは、主人の命令で付き合ってやってるんだと言わんばかりであった。
「ティレ、もっと集中しなさい。焦らずに魔力を杖に集合させるのよ」
「は、はいぃ……」
アンティーク調のダイニングチェアに腰掛けゆったりと足を組み直しながら、シリューナは妹分にそうアドバイスをする。
必死の表情で敵に向かう姿。安定しない魔力ながらも一生懸命なティレイラの姿を見て、彼女はうっとりとしていた。そしてこの先もティレイラはこの魔物に打ち勝つことが出来ないと見越して、『素敵なお仕置き』を脳内で描く。
それの発動は、もう少し時間が経ってから。
シリューナはその後もティレイラに指示を出しつつ、しばらく様子を窺っていた。
ボーン、と柱時計が時刻を告げる。
窓の向こうがオレンジ色に染まりつつ在るのを確認して、シリューナは「そこまで」とティレイラに告げた。
「はぁ、はぁ……」
ティレイラはすでに床にへたり込んでいる。自分の魔力をほぼ使い果たしている様子で、肩で息をしていた。
「もう、ダメな子ねぇ……」
はぁぁ、とあからさまな深い溜息を吐き零して、シリューナが立ち上がった。
彼女の靴音が軽やかに響いた後、ティレイラの傍に歩み寄ったシリューナはゆっくりと膝を折った。
申し訳無さそうに肩をすくめていたティレイラが、その気配に嫌な予感がめぐり、バッと顔を上げる。
「お、お姉さま」
「……ダメな子にはお仕置きが必要でしょ?」
いつもの不敵な笑みが目の前にあった。
ティレイラは青ざめつつ後ろ手に後ずさり、ふるふると首を振る。
「あの、お姉さま、私もっと頑張りますから……!」
「そうね、次の機会にその頑張りを見せて頂戴」
パチン、と再び鳴るのはシリューナの指。
それを合図に動くのは、ガーゴイルだ。
ヒィ、と思わずの悲鳴が上がる。ティレイラはこの後の展開を読めているのだが、体が疲れきっていて思うように立ち上がることすら出来ない。
「いや、来ないでぇ……!」
ヒュン、と頭上で空気の切れる音がした。咄嗟に頭を引っ込めていた彼女は辛うじてその攻撃を防げたわけだが、次はもう無い。それでも彼女は四つ這いになってあわあわと逃げた。杖は既に床に放り投げている状態だ。
「観念なさい、ティレ」
「お、お姉さま、ひどいです……っああっ」
ビシィ、とガーゴイルの尾がティレイラの体に当たった。良い音だった。
そしてその触れた部分からじわじわと石化が始まる。シリューナが予め施しておいた魔法がついに発動したのだ。
「あ、あう……また、お姉さまのオモチャに……」
うるうると瞳を潤ませながら、ティレイラはそう言った。
どうせこのまま石化してしまうなら、せめて恥ずかしくない格好で、と、逃げ腰の体勢から僅かながらのポーズを取る為にもがく。そうこうしているうちにも彼女の体は石化を辿り、最後に楽しそうに笑うシリューナの表情を視界に入れたまま、言葉が無くなった。
シリューナから与えられた役目をきちんと果たした形となるガーゴイルは、どことなく自慢気にふん、と鼻を鳴らしつつその姿を消す。今日の試練はここで終わりを告げるようだ。
コチ、と時計の長針が動く音が響いた。
「ああ……素敵よ、ティレ」
ほぅ、と感嘆のため息が漏れる。
シリューナの目の前にあるのは、石のオブジェ。右腕を天に掲げ切ない表情を浮かべるそれに、ゆっくりと指を這わせる。
魔法薬屋の店主が真に求める造形美は、『彼女』しかいないようだ。
「やっぱり、どのオブジェもティレが醸し出す造形美には劣るわね」
くるり、と石像を中心に一周を回りつつ、そう言葉を続ける。そっと手を添えて硬質でありながらも滑らかである石像の肌の感触を確かめて、また甘い溜息が零れた。
いつでもこれを眺められないのが難点だと心で嘆きつつも、シリューナは自分の中で最高だと感じる至高の時間を、ゆったりと楽しむのであった。
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