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緑の瞳の破壊神
己の身体の大半を機械化し、もはや怪物としか呼べぬものと成り果てた男。
その右手で、金属のカギ爪が、ドリルが、丸ノコギリが、凶暴な音を発して蠢いている。
左目では人工眼球がギラギラと輝き、全身の白衣の下では、金属骨格で補強された筋肉が獰猛に盛り上がり痙攣している。
元々は、IO2日本支部の科学技術長官であった男。今は、虚無の境界に飼われている怪物だ。
その怪物と、穂積忍は対峙していた。
背後では、肥り気味の青年が呆然と固まっている。
松葉杖がなければ立つ事も出来ない白髪の男が、弱々しく上体だけを起こしている。
非戦闘員2名を、守って戦うような格好になってしまった。
格好だけだ、と穂積は思った。
「1つ言っておく……自力で逃げろよ」
右手に握ったクナイを、微かに揺らめかせながら、穂積は言った。
「見ての通り、化け物相手の命懸けの戦いになる。お前さん方を守ってやれる余裕はないぞ」
「戦いだと……愚か者め。貴様ごときドブネズミを相手に、戦いになどなるか!」
元長官の右腕が、巨大化した。機械関節がジャキジャキッ! と伸長し、まるで金属の大蛇のようになった。
カギ爪が、ドリルが、丸ノコギリが、穂積を襲う。
「貴様はただ、一方的に潰れるだけよ! ゴミのようになあアアア!」
もはや会話の相手をしてやる気になれず、かわしもせず、穂積は右手を一閃させた。
光が飛んだ。
機械の大蛇が、穂積を切り裂き粉砕する、その寸前で停止した。
「ぐっ……ぬ……」
元長官が、よろめいている。
その右腕、伸長した機械関節の隙間に、投擲されたクナイが深々と突き刺さっていた。切断された配線が、血飛沫のように火花を噴く。
「そういう、ちょっとした故障や不具合でな、機械ってのは動かなくなっちまうもんだ」
淡々と説明しながら穂積は、左手で、もう一種の武器を構えた。
独鈷杵である。
「あんたみたいなのは、死んでも成仏はしてくれんだろうなあ……中途半端に仏法をかじった俺が、まあ出来るだけの供養はしてやるよ」
まるで読経のように、穂積は帝釈天の真言を呟いた。
独鈷杵から一筋の電光が走り出し、元長官の右腕に刺さったクナイを直撃する。
雷鳴が轟いた。機械化した怪物の体内に、電撃が流し込まれたのだ。
元長官の全身あちこちで、爆発が起こった。細胞強化された筋肉が裂けちぎれ、折れた金属骨格が飛び出して来る。
表記不可能な悲鳴を発しながら、元長官は牙を剥いた。
頬が裂けた。顔面そのものが、裂けていた。
半ば機械化した頭蓋骨が、まるでミミズのような脊柱を引きずりながら飛び出し、金属製の牙を剥き、食らい付いて来る。
それを、穂積はかわした。
かわされた牙が、頭蓋骨が、ミミズのような脊柱が、穂積の傍らを通過して行く。
「動くな!」
頭蓋骨の形をした頭部を有するミミズ。そんな姿に成り果てた元長官が、悲鳴のような脅し言葉を発した。
松葉杖がなければ立つ事も出来ぬ、白髪の男。片腕片足がまともに動かぬらしいその身体に、機械化した脊柱が蛇の如く巻き付いている。金属の牙が、男の細い首筋に触れている。
「動くなよ、穂積……一歩でも動けば、この男の首を噛みちぎる」
「何度も同じ事を言わせないで欲しいんだがな……」
油断無く独鈷杵を構えたまま、穂積は溜め息をついた。
「俺はそいつらに、自力で逃げろと言ったんだ。逃げられない奴の面倒までは見きれんよ」
「貴様、人質を見捨てるのか……!」
「人質は、出来るだけ助けるようにとは言われてる。出来るだけ、な」
「……構わんよ、見殺しにしてくれて」
白髪の男が、弱々しい声を発する。
「ここで助けてもらって、生き延びたとしても……この先、俺に出来る事なんて何にもないんだ……勇太のために、してやれる事なんて……」
勇太という名前、珍しいものではない。穂積はまず、そう思った。
工藤勇太以外の勇太など、いくらでもいる。
そんな事を穂積が思っている間に、元長官は次の動きに入っていた。
「この男……心の内に、素晴らしい虚無を抱えておる。だが手足がまともに動かぬのでは、即席の戦力には成り得んな」
ミミズのような脊柱が、白髪の男の身体から高速でほどけ、別の標的へと向かった。
「貴様の方が、いくらかは……ましで、あろうな」
肥り気味の青年。美少女キャラクターのシャツをまとった肥満体に、脊柱が巻き付いてゆく。
巻き付かれた青年が、滑稽な悲鳴を上げた。
弛みきった腹部に、脊柱の末端部分が突き刺さっていた。
美少女キャラクターのシャツが、ちぎれ飛んだ。
肥満体が、翼を広げていた。弛んだ肉が、脂ぎった皮膚が、翼の形に広がりながら金属化している。
突き刺さった脊柱から、何か得体の知れぬものを注入されたのは間違いない。
「見たか穂積よ! このような屑も同然の素材を、たちどころに強力な兵器へと造り変える! これが私の力よ!」
肥り気味の青年が、笑い叫んだ。それは元長官の声であった。
「この力をもって、あの少年を! 究極の兵器へと造り変えて……否! 最強の破壊神へと生まれ変わらせて見せよう! 私は神を造るのだぁああああ!」
金属の翼が、激しく羽ばたく。
怪物と化した肥満体が、飛翔し、天井に激突した。
その天井が、裂けて破けた。
新たなる身体を得た元長官が、おぞましい笑い声を引きずりながら部屋を、いや研究施設そのものを飛び出し、上空へと去って行く。
「逃がしちまったか……」
裂けた天井を見上げ、穂積は頭を掻いた。
「やれやれ、こいつは……何を言われるか、わからんなあ」
アメリカ本部から来た、あの女性。かなり容赦のない事を言ってくれるであろう。
「俺なんか……助けようと、するからだぞ……」
白髪の男が呻いた。
「言っただろう……俺は、酒で何もかも駄目にしちまったクズ野郎だ……助ける価値なんて、ないんだよ……」
「助けちゃいないさ。俺がもたついてる間に、お前さんが勝手に助かっちまった。悪運、いや御仏のお導きってわけだ」
穂積は、ニヤリと微笑んで見せた。
「あんたには、虫ケラみたく無様に生きながらでも、この世でやらなきゃいけない事がある……仏様が、そう言ってるのさ」
普通に廊下を歩いていた。
上級生と思われる男子生徒が数名、向こう側から歩いて来た。
勇太は道を空けた、つもりだったが、ぶつかってしまった。
勇太は謝った、つもりだったが、上級生たちは許してくれなかった。謝り方が良くなかったのかも知れない。
とにかく激昂した上級生たちが、工藤勇太をこんな所まで連れ出して暴力を振るった。
結果が、この有り様である。
「あーあ……また、やっちゃったよ俺」
学校の中庭の、あまり目立たない一角。
上級生たちが、まるで死体のように散らばり倒れている。
死体ではない。だが全員、骨の1本くらいは折れているかも知れない。
「ひぃっ……な、何だ……何なんだよ、てめえはよォ……」
そのうち1人が、泣きそうな声を発している。
勇太は、暗く笑った。
(親父みたいだな、まるで……)
自分の父親もあの時、こんなふうに痛がり、泣きじゃくっていたものだ。
それまで高圧的に暴力を振るっていた男が、血まみれになりながら無様にのたうち回り、泣き喚く。
快感だった。
母を助けるため、などという言い訳は出来ない。あの時、自分は確かに、悦楽に近いものを感じていた。
あれから、そろそろ10年が経つ。
その10年間で、勇太は1つだけ理解した。
「俺が……最低の人間だって事さ」
これで、この学校にも居られなくなった。
これまで我慢強く勇太を育ててくれた叔父も、今度こそ許さないだろう。
「追い出される……よな。ま、別にいいけど」
勇太の独り言に、何者かが応えた。
「それなら、私と共に来い!」
地響きが起こった。
巨大なものが、重々しく着地したところである。
力士のような肥満体。その弛んだ肉と皮膚のあちこちが金属化し、一部が左右に広がって翼を成している。
そんな怪物が、何やら奇天烈な事を言っているのだ。
「破壊神としての素質を、開花させつつあるようだな」
「……何? お前」
怪物なら自分と同じだ、と勇太は思った。
「私は、お前を導く者……」
わけのわからぬ事を言いながら、怪物が近付いて来る。おぞましい姿。だが、ここにいる工藤勇太という怪物は、もっとおぞましく禍々しい。
「私の手によって、お前はこの世で最強・至高の存在となるのだ。さあ……」
この肥満した金属の怪物が何者なのか、勇太は何となく理解した。
あの研究施設にいた連中と、同じような何者かだ。
(俺に、あそこへ戻れと……そういう事か)
それもいい。そんな気分に、勇太は陥っていた。
(俺……どうせ化け物だし、な……)
全身に、何かが巻き付いて来た。
ミミズのような、金属製の脊柱。怪物の肥満体の、あちこちから生えている。
それらが勇太の手足を拘束し、胴体を、首を、締め上げる。頸動脈を、圧迫する。
「しばし眠るが良い……たっぷり時間と手間をかけて、お前を造り変えてやろう……」
怪物が、耳元で囁いている。耳元の声だが、遠い。
脳への血流を止められ、勇太は意識を失いつつあった。
幻聴、であろうか。
薄れゆく意識の中、勇太は足音を聞いたように感じた。声も聞こえた、ような気がする。
(また……あんたかよ……)
勇太は、舌打ちをしたくなった。
穂積忍に違いない。
勇太が何かしでかす度に、あの男は嫌味たっぷりに拍手をしながら現れて皮肉を言う。
今回は、この肥満した金属怪物と何やら言い争っているようだ。その内容までは、もはや聞き取れない。
怪物が、どうやら狼狽しているらしい事は伝わって来る。
穂積が、怪物と戦って勇太を救い出そうとしている。そんな状況だ。
(余計な事……なんだよ……)
悪態を口から出せぬまま、勇太は意識を失った。
急いで来る必要もなかった、と穂積忍は後悔した。
すでに、事は終わっている。
工藤勇太が通っている学校の、中庭である。
何人か、倒れていた。負傷した男子生徒と、肥満した全裸の若者。
「救急車は、呼んでおいたよ」
そう言ったのは、穂積の親友である1人の男だ。
その両腕で抱き上げられたまま意識を失っているのは、勇太である。
穂積は、頭を掻くしかなかった。
「やれやれ。まさか、引退した奴に尻拭いをしてもらう事になるとは……俺もそろそろ引退と、そういう事かな」
「冗談だろう。穂積君は、きっと死ぬまで現場の人間だよ」
甥の細い身体を抱き上げたまま、男は笑った。笑いながら、何かを踏みにじっている。
金属製の頭蓋骨。半ば潰れ、中身が飛び散っていた。
「あの時……半殺しで済まさず、きっちり始末しておくべきだったよ」
「……お前、IO2に戻る気はないか?」
この男を退職させてしまったのは、IO2にとって損失以外の何物でもない。穂積は本気で、そう思う。
「上の連中は、俺が弱みを握って言う事を聞かせる。だから」
「僕はもう、いない人間さ」
言いながら男が、勇太の身体を穂積に押し付けてきた。
「勇太を助けたのは、僕ではなく穂積君だ……勇太も、そう思ってる。そういう事にしておこう」
「余計な事を、としか思ってないだろうけどな。こいつは」
押し付けられたものを仕方なく受け取り、抱き上げながら、穂積はぼやいた。
叔父に助けられた事も知らぬまま、勇太は安らかに意識を失っている。
寝顔は、まあ可愛くない事もない。穂積は、そう思った。
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