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<東京怪談ノベル(シングル)>


然れど穢れを知らぬ笑み
 白い指先がゆったりとした仕草で頁を捲った。宝石の様に輝く青色の瞳が、書物に綴られている文字をなぞる。
 足を組み椅子に座りながら、カフェのテラスで本を読む女性。ただそれだけならば、人々の目をここまでさらう事などなかったであろう。けれど、道行く人々は彼女の近くを通りかかる時、まるで決まり事かのようにその場で足を止め彼女に見惚れる。
 なにせ、その女といえば絶世の美女なのだ。
 綺麗に手入れされた茶色のロングヘヤーに、人形のように整った顔立ち。豊満な体を包み込んでいるのは、清涼感溢れる白のシンプルシャツに濃紺色のミニのプリーツスカート。普段は女性達から憧れの瞳で見られる有名ブランドのロングブーツとバッグですら、今は彼女の魅力を引き立たせる添え物と化してしまっている。映画か何かの撮影をしているのではないか、と思ってしまう者までいる程に、完成された美々しさがそこには在った。
 しかし、不思議と彼女に声をかけようとする者はいない。芸術的とも言えるその美しさを壊す事を、無意識の内に恐れてしまっているのだろうか。あるいは、彼女の凛とした雰囲気……迷いなく前を見つめるその瞳に、気負けしているのかもしれない。何であれ、彼女にとっては好都合であった。
「白鳥先輩!」
 自分を呼ぶ声に、彼女、白鳥・瑞科は顔を上げる。見知った後輩の姿がそこにはあり、瑞科はシックな色合いのお洒落なブックカバーに包まれた本をバッグの中へとしまえば、笑みを深めた。
「ご機嫌よう」
「ご機嫌よう、先輩。すみません、お待たせしてしまいましたか?」
「いいえ、大丈夫ですわ」
 今日は、瑞科にとって久しぶりの休暇だ。普段は「教会」の武装審問官として戦場に身を置いてるとはいえ、それでも彼女もやはり年頃の女性。仲の良い後輩と二人でショッピングに赴く今日という日を、彼女はとても楽しみにしていた。

 ◆

 色取り取りの服が、店内には並べられている。瑞科のお気に入りのブティック。女性にとっては、楽園のような場所だ。
「相変わらず、ここは良いものを入荷してますわね」
 デザインだけでなく肌触りも確かめながら、瑞科はめぼしいものを手に取っていく。
「先輩、こちらのスカート、先輩に凄く似合いそうですよ」
「あら、本当ですわ。貴女、なかなかいいセンスをしてますわね」
「あ、でもこっちもいいですね。先輩が着たらどんな服でも素敵に見えるから……目移りしてしまいますね」
「ふふ、ありがとうございますわ」
 楽しげに笑い合いながら、女達は服を選び取っていく。戦場での姿とはまた違う愛らしさを持つ、素の彼女達の姿がそこにはあった。
 次に向かうのは、試着室だ。小気味の良い音をたてて、カーテンがしまる。瑞科のスレンダーながらも女性らしい膨らみを持つ体を、鏡が映し出す。彼女の艶やかな肌をなぞるように服が脱げ、床へと舞い落ちる。壁にかけておいた服の内の一着、ロングスカートのワンピースを手に取り、瑞科はゆっくりと身につけていった。淡い色合いのそれを身に纏った彼女は、さながら貴族の令嬢のようだ。
 後輩にその姿を見せると、彼女は感嘆の溜息混じりに瑞科の事を褒め称える。どのような衣装でも着こなす瑞科の姿はモデルも顔負けしそうな程華麗であり、気付けば店員や他の客達も彼女の姿に見惚れていた。

「そろそろ小腹がすいてきましたわね」
 楽しい事をしていると、どうしてこんなにも時間が過ぎるのが早いのか。ショッピングに夢中になっていた二人は、いつの間にか橙色に染まってきていた外の景色に驚く。
「わたくしのおすすめのお店があるんですけれど、よかたらそこで食事にいたしません?」
 後輩に、断る理由などあるわけない。嬉しそうに頷いた彼女に、瑞科も「期待していてくださいませ」と飛び切りの笑みを返した。

 ◆

 赤ワインで煮こまれた牛ホホ肉が、口元へと運ばれて行く。瑞科の可憐な唇が開かれ、淑やかな動作で肉はその隙間へと身を委ねる。舌の上でとろけていく絶品の味を、彼女は賞味した。
 瑞科の動作の一つ一つが優雅で、思わず後輩はほぉっと息を吐く。それに気付いた瑞科は、「どうかいたしまして?」と微笑みながら首を傾げた。慌てて首を横に振った後輩は、自分の分の食事にナイフを入れるが、それでもついつい瑞科の事が気になってしまう。気付けば、後輩はぽつぽつと喋り始めていた。
「先輩って、やっぱり凄いですね。私の憧れです。おこがましいけれど、いつか私は先輩みたいになりたいんです」
「憧れ……でして?」
 特注のシスター服を身に纏い、戦場を舞う白鳥(はくちょう)。血に塗れた場に咲く、場違いな程に瑞々しい花。彼女は美しく、それでいて、強い。先日は、とある吸血鬼の拠点をたった一人で壊滅させたと聞く。後輩が彼女に憧れの情を抱いてしまうのも、当然だ。否、彼女だけではない。瑞科に憧憬を抱いている者は、他にも大勢いる。
 しかれども、瑞科はどうしてかゆっくりと首を左右へと振った。
「お気持ちは嬉しいですわ。けれど、わたくしは思うんですの。わたくしになれるのは、きっとわたくしだけですわ」
 瑞科の言葉に、後輩は彼女のほうをじっと見つめる。青色の瞳が、優しい色を携えて彼女の事を見つめ返す。
「わたくしを目指すよりも、貴女はもっと自分に自信を持つべきですわ。貴女には、貴女にしかない魅力があるのではなくて?」
 後輩は、ハッと何かに気付き目を見開いた。
 瑞科はいつも堂々と前だけを見つめている。自信に満ち溢れている。だからこそ、彼女は一層強く、美しいのだ。
「それに、人の背中を見ているだけの人生なんて、きっと退屈ですわよ?」
 悪戯っぽく笑ってそう言った瑞科に、後輩も笑みを浮かべた。どこかすっきりした顔になった彼女は、瑞科に向かい頭を下げる。
「ありがとうございます、先輩。私、頑張ります」
「あら? お礼を言う必要なんてございませんわよ。それよりも、ほら、冷めない内にいただきましょう? 期待以上の絶品ですわよ?」
 それでもやはり、美しく微笑む瑞科の顔に後輩は見惚れた。
 人類に仇なす魑魅魍魎の類と、日々戦い続ける女性。白鳥・瑞科。然れど、その笑みは穢れを知らない。如何なる者であろうとも、彼女を汚す事は叶わない。どこまでも清らかで美しい笑みは、決して曇る事がないのである。