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sinfonia.39 ■ 決戦―A
東京駅上空を、規則的な空気を叩きつける音が響き渡った。
眠らない街東京も、今では電力の供給も途絶えて真っ暗な闇が広がってすらいる。そんな闇の中にくっきりと姿を晒しているのが東京駅だ。
外観はさながら洋館を彷彿とさせる造りの東京駅は、外部からのライトアップによってくっきりとその輪郭を闇の中へと浮かび上がらせ、まるで闇の広がる海にぽっかりと浮かび上がっているかのような光景であった。
上空を飛んでいるヘリコプターの中で勇太と百合の二人が、手を絡ませて顔を見合わせる。
頷き合った二人は闇の広がる海へと身体を投げ出した。
轟々と風を切る音。
くっきりと浮かび上がったその目的地へと向かってまっすぐ落ちていく二人が次の瞬間、真っ暗な暗闇に呑み込まれて行く。
二人の姿を未だ空を漂っていたヘリコプターから見下ろしていた武彦が、ヘッドセットのマイクを口元に近づけて二三言だけ告げると、それに応えるかのようにヘリコプターは夜の闇へと吸い込まれていくように東京駅を離れて行った。
――パシュン、と独特な音を立てて開かれた空間。同時にそこから勇太と百合が姿を現した。
東京駅ホームの上空に現れ、二度、三度と現れては消えてを繰り返して着地した。
重力に晒されて落ちていたその態勢から着地を綺麗に決めるのは困難であったが、勇太が何度かのテレポートを利用して働いていた速度を相殺してみせたのだ。
着地と同時に二人は背中を合わせ、周囲を警戒する。
周りは瓦礫すらなく綺麗なものであったが、非常灯や僅かな灯りだけが暗闇を切り裂いたその空間は、今まで何度か訪れた事のある二人にとっても不気味さを拭い切れない光景だと言えた。
静寂と暗闇が同居した不思議な空間の中で身構えた二人は、しばしの硬直から視線を左右へと向けると、ゆっくりと立ち上がった。
「てっきり中に誰かしらいるかと思ったけど、拍子抜けね」
肩口まで伸びた髪は手櫛で一度だけ通した百合が嘆息しながら呟いた。
「どう思う?」
何を指しての問い掛けなのかは分かりにくい、たった一言の質問を勇太が口にする。
しかし百合はその短い単語から、勇太が何を聞こうとしているのかを悟ったようだ。
「……恐らく、他の連中がいても足手まといになると踏んだ、といった所かしら。エヴァの言う通り、ヒミコの能力で入り口を覆っているなら、ここに来られる人間は限られるはずだし。もしくは、ここを知られているとは思っていないから油断したか、だけど……」
「間違いなく前者だね」
可能性ある二択を口にしながらも、百合もまた勇太の答えに同意する。
虚無の境界を牛耳る幹部クラスであるエヴァやファングといった戦力がこれまでに姿を現している以上、もはや霧絵が信頼している幹部はいないと思っても良いだろう。そう百合は判断している。
「多分地下だって言ってたはずだから、線路に出てみよう」
「えぇ」
勇太に返事を返した百合は、走り出す勇太の後をついて駈け出しながらもちらりと勇太の横顔を見つめた。
焦燥と怒りが混在するような、勇太の表情。
そんな表情をしている勇太を初めて見たのかもしれないと思うと、百合としても多少の不満が生まれる。
もしも自分が凛の立場だったなら、勇太はこんな顔をしてくれたのだろうか。
そんな疑問が浮かぶが、百合はそんな自分に自嘲気味に溜息を吐いた。
まるで普通の少女のような自分の感覚。
自分をそういう場所へと連れて来てくれたのは、他ならぬ勇太だ。
それ以上を望むというのは些か罰当たりなのではないかとすら思えてしまう。
「ねぇ、勇太」
「ん?」
「……この戦いが終わったら、どうするの?」
「へ? な、何さ、急に」
あまりにも脈絡のない百合の質問に勇太の顔から一瞬ではあるが怒りや焦燥が消え、百合が知っているいつもの表情が戻る。
――あぁ、そうだ。この顔だ。
いつも自分に向けられる、ちょっとだけ情けないような、頼りないようなこの表情が百合の惹かれた相手なのだ、と実感する。
「……そうだなぁ。学校行かなくちゃ」
「……アンタねぇ。こんな状況で学校なんて言ってる場合なの?」
東京中を壊滅近くにまで追いやった今回の一件を前に、学校に行くなどという答えが返ってくるなどとは思わずに百合が呟いた。「あぁ、そっか」と今更ながらに気付くようなこの少年に惹かれている自分に、何度めかの自嘲が込み上がる気がした。
「百合はどうするのさ?」
「私は……」
――自分はこれが終わったらどうなるのだろうか。
思わず百合は自分に振られた質問の答えに迷ってしまった。
成り行きじみた勢いで勇太達と協力し、虚無の境界と戦ってはいるものの、自分も元々はそっち側の人間だ。
そんな自分に、この少年と共に歩くべき明るい未来はあるのだろうか。
そんな疑問が浮かび上がる。
「……くだらない事言ってないで、探しなさいよ」
「自分から振っておいてそれ!?」
少なくとも、今はこうして肩を並べて走っていられる。それだけで十分なのかもしれない。
そう思えてしまった百合は、釈然としない表情を浮かべながら並走する少年の背中を叩いた。
駅のホームを一通り見回した二人は、建物の支柱となっていたその場所にあった一つの扉を蹴り開ける。
『STAFF ONLY』というそのプレートに今更躊躇するつもりなど毛頭ない。
扉を蹴り開けた二人は、その向こう側に続いていた一つの階段を見つけて顔を見合わせた。
「……多分この中だね」
「えぇ。行きましょう」
奥から漂ってくる何者かの気配に二人は確信した様子で頷き合い、奥へと足を進めた。
薄暗い通路を抜けた先にある重厚な造りの扉は、不思議な紋様が赤いペンキによって描かれていた。
その紋様を見た勇太が眉をぴくりと動かした。
「……このマーク、どっかで見た事あるな……」
記憶を掘り下げて勇太が唸る。
確か勇太が以前見たのは、ここと同じような薄暗い場所だった。
だが、どれだけ記憶を掘り返してみてもまったく同じ紋様を見た記憶には行き着かない。
夢の中で見たような、そんな気さえしてくるような気がして勇太はかぶりを振った。
「どうしたの?」
「思い出せないんだよなぁ……。でも、何か嫌な予感がする」
遠い遠い夢の中で見たと思えてならないその紋様を、勇太はもう一度だけ改めて眺める。それでも浮かんで来るものはなかったのか、気持ちを切り替えてドアノブへと手を伸ばした。
鈍い音を立てて扉が開かれる。
「――ッ! 百合!」
途端、百合の手を握った勇太がテレポートをして姿を消すとほぼ同時に、二人の立っていたその場所に真っ黒な槍状の刃が突き刺さった。
コンクリートをあっさりと穿ってみせたその硬度と形状に、すぐ近くに飛んだ勇太はそれが何なのかを思い出し、出処と思しき闇を睨み付けた。
連続する炎が広がる音と共に通路の壁で松明が火を灯していく。
真っ暗だったその部屋は、建物を支える白い支柱が幾つもあるだけの長方形の広い部屋だった。
そしてその柱の一角――黒い槍の出処から、カツリと硬く乾いた足音が鳴らされた。
「……まさか直接中に入って来るなんて、ね」
涼やかな物言いの艷やかな声が残響となって響き渡る。
独特な緑色の髪をした女性。黒いドレスを身に纏った異形の主がゆっくりとその姿を現した。
「……巫浄霧絵……ッ!」
目の前に現れたその女の名を、勇太は口にする。
対して、その名を呼ばれた霧絵は相変わらずの不気味な余裕を孕んだ笑みを浮かべていた。
同時に、炎に揺らされて四方に広がっていた霧絵の影から、おどろおどろしい真っ黒な闇が浮かび上がり、霧絵の身体を包み、守るように浮遊していく。
「せっかく来てくれたけど、残念ね。退場してもらう事になるなんて」
腕を組むように胸元で折り曲げ、右腕だけを勇太に向かって伸ばした霧絵の言葉と同時に、霧絵の周囲を漂っていた黒い怨霊の塊が勇太に向かって襲いかかる。
怨念を具現化させて攻撃するという霧絵の攻撃は、エヴァの霊鬼兵としての能力に酷似しているが、その威力は比にならない。
肉薄する怨霊の塊を前に百合が反撃を試みようと動き出すと同時に、勇太がそれを手で制した。
――そして、勇太が片腕を振るう。
眩い光が帯状に広がり、肉薄していた怨霊達と衝突する。
そして次の瞬間、霧絵によって放たれたその怨霊達は、まるで霧散するかのように中空で消滅していった。
その光景に表情を変えた霧絵に向かって、勇太は口を開く。
「……あんたは。あんただけは、俺も許せそうにない」
たくさんの人々を恐怖のどん底に叩き落とし、苦しませ、この東京を――勇太の住む街を破壊した罪。
「巫浄霧絵。俺はあんたを許さない……ッ!」
百合とエヴァ、そして止めに入ってくれたファング。
さらには凛までもを巻き込み、今もなお苦しめているという数々の罪。
「……神気を操れるようになった程度で、ずいぶんと強気ね」
それらを償いもせず、悪びれもせずに佇むその姿が、勇太には許せなかった。
――今まさに、長年に渡った宿命の対決の火蓋が切って落とされようとしていた。
to be continued...
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