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美術館の罠
「お仕事よ、ティレ」
シリューナはそう言いながら自分の妹同然の弟子であるティレイラを連れて、とある美術館を訪れていた。
「ふああ、大きいですねぇ……」
眼前にそびえる厳かな造りのその館に、ティレイラは素直な感想を告げる。
シリューナはこの美術館を運営する女性――すなわち今回の仕事の依頼主と軽い会話を交わして、「終わったら、また来るわ」と告げてティレイラを振り返る。
「ティレ、心の準備は大丈夫?」
「は、はい。えっと、この館内に現れる魔族の泥棒を捕まえればいいんですよね?」
「そうよ。広いから二手に別れるわ。私は東、ティレは西からお願いね」
裏口から見を滑らせた二人は、そんな言葉を交わした後、それぞれに散る。
今日は美術館の休館日。静まり返った館内での、美術品を盗み荒らす泥棒の捜索が始まった。
西の大きなフロアでは、【西洋の造形美】と題した展示が行われているようであった。
美しく大きな彫刻が点々と立ち並ぶ。
「お姉さまが好きそうな作品ばかり……」
辺りを見回しながら、ティレイラがそんな独り言を漏らした。
大理石で出来た綺麗な曲線。女神であったり、女戦士であったりとその姿は様々である。
「おお〜。あの飾壺、凄いなぁ……あれ?」
自分の立場を忘れて思わず美術品に目が行ってしまったティレイラは、その直後に違和感に気づいて眉根を寄せた。
目にした大きな壺のその姿がおかしいのだ。
「あ、蓋がない!」
写真付きの展示説明と実際の壺を見比べてから、ティレイラはそんな言葉を発した。
大きな壺は、蓋の先にさらに高級な宝石が嵌めこんであった。それを含んだ蓋の部分が無く、ティレイラは息を潜めて辺りを見回す。
「…………」
数メートル離れた展示台の向こうに、倉庫に繋がるアーチ状の出入口があった。その先に、僅かに気配を感じる。
ティレイラは表情を引き締めて、そろりと体を動かしそこへと歩みを寄せた。すると向こうの気配もゆらりと揺れて、床に影が生まれる。
まだ小さな影だった。
「――見つけた!」
「!」
カシャーン、と床に何かが落ちた音が響いた。
ティレイラの声に驚いて手にしていたものを落としてしまったらしい。
「待ちなさい!」
クワンクワン、と回転しながら床に沈むもの。それはティレイラが先ほど指摘した飾壺の蓋であった。しかし、取手にあるはずの宝石が無い。
それを確認してから顔を上げれば、盗人である小さな影は距離を取っていた。
ティレイラは追うためにその姿をわずかに変化させる。背中の翼とバランスをとるために尻尾を生やして、宙に浮いて多少強引に飛行を開始する。
ヒュン、と風を切る音が館内に響いた。
相手は体が小さい分、逃げるのにも素早かった。ティレイラは背中の翼がある分、展示物に気を使いつつの飛行であったので、上手く進めずにいる。それでも何とか距離を詰めて、数分後。
「捕まえた!」
「きゃっ」
ティレイラは盗人を視界に捉えて、腕を伸ばす。そして目標を手に感じ取った後、抱き込むようにして飛び込み床に転がった。
相手のか細い悲鳴が聞こえたので手元を見れば、盗人は少女の姿をしていた。
「お、女の子……?」
ティレイラは驚いて自分の体を起こす。
「子供が盗みを働いててビックリした?」
明らかに子供の声である相手は、倒れ込んでいるにもかかわらずに余裕の笑みを見せた。少女の姿をしているが、人間の子供ではない何よりの証拠だった。
「痛いなぁ、ちょっと力緩めてよ」
「あ、ご、ごめんね」
少女は不満そうにティレイラを見上げる。
すると彼女は慌てて体勢を直して、掴んだままの手の力を緩めた。それを感じ取った少女は、ニヤリと笑う。
「……アンタ、甘いね」
「えっ……」
少女はそう言って、ティレイラの足元に潜り込んだ。その素早さにティレイラは着いて行けずに、その場であたふたしている。
「!?」
ビクリ、と体が震えた。
自分の尻尾に違和感を感じて、恐る恐る振り返る。
少女は逃げずにその場にいた。だが――。
「わ、わ……なにこれ、あなた、何したの!?」
「別にぃ? アタシの盗みの邪魔をするとこうなるよっていうのを示してやっただけ」
「え、えぇ……また、このパターンなの……?」
ティレイラは涙目になりながらそう零した。
視線の先の自分の尻尾は既に動かずに、地面に沈んでいる。ピキピキと音を立てて侵食するそれは、石化の症状であった。
少女がティレイラの尻尾に取り付けたものは、一つの魔法道具の核であった。どんなものでも大理石に変えてしまう魔力を秘めている。
「う、うぇぇん、お姉さまぁ……!」
ティレイラは思わず自分の師匠の存在を呼んだ。彼女にもいつもこうした事をされているはずなのだが、やはり頼れるところは彼女しかいないのだろう。
「うう、……えいっ」
「!」
じたばたともがいた後、ティレイラが選んだ行動は少女には意外であった。
少女の服の裾を握りしめてきたのだ。
「に、逃がしませんよ……!」
「ふーん、しぶといね。まぁ、いいけど。そのまま石になっちゃえば?」
このまま自分は石化してしまう。あがくだけ無駄だと感じたティレイラは、取り敢えず少女の捕獲だけはと思ったようだ。
だが少女は嘲笑うだけで、少しも焦った様子も見受けられない。
「お、お姉さまが……あなたを、こらしめる、ん、だから……!」
「…………」
ティレイラはその格好のまま、姿を大理石に変えた。涙目のままに少女を睨みつけ、途切れがちな言葉を発したのが最後だった。
盗人はそんな彼女を見下したまま、自分の服を掴んだティレイラの指先が石に変わるまでをしっかりと見て、ふんと鼻で笑う。
「呆気無いなぁ……見たところ若い竜族みたいだけど、詰めが甘い」
クク、と笑いながら少女はその場で膝を折った。そして大理石の像となってしまったティレイラを物色する。
綺麗な曲線に「ふーん」と興味を示した。
「これはこれで価値がありそうだな。このまま持ち帰ろっかな」
「――あら、それは困るわ」
「!」
少女の背後からそんな声が聞こえた。
気配を感じなかったために、ギクリとして肩を震わせる。
「ティレったら……どうしようも無い子」
ため息混じりに声の主がそう言った。シリューナである。
彼女はすらりと流れるような所作で腕を伸ばし、指先に取り付けられた魔具で少女の足元を捕えた。一瞬の出来事であった。
「……そうか、アンタがその『お姉さま』か……!」
「ふふ、そういう事。まぁ、諦めてこのまま石になってちょうだい」
「く、くそ……っ」
シリューナは綺麗な表情で笑みを作り上げながら、少女に向かいそう言った。
少女の両足はもう既に、石化が始まっており動かすことも出来ない。ティレイラとは違い少しの隙もない彼女に、少女は為す術も無かった。
悔しそうな表情を浮かべながら、少女はその場で石化されてしまう。
「……うん、あなたの造形も悪くはないわよ」
コツ、と歩みを進める音がした。
シリューナが石化した少女に歩みを寄せたのだ。
数秒、視線をやってから、その側で大理石の姿になっているティレイラへと目をやった。
「やっぱり、ティレの魅力には敵わないわねぇ……」
ぽつり、と零れ落ちる独り言。
いつも理想通りの造形美を醸し出す弟子の全身を隅々まで調べあげ、少女に掛けられた封印の解除は造作も無い事を確認して、またため息。
「最後まで気を抜かないこと。いいわね、ティレ?」
石のまま動かないティレイラの体のラインを撫でて、そう言い聞かせる。当然のごとく答えはないが、おそらくは聞こえているはずだと彼女は思っているようだ。
「お仕事はこれでおしまい。……だけど、もう少しだけ楽しませてもらいましょうか」
シリューナはそう言った後、心ゆくまで大理石ティレイラを愛で続けた。誰も居ないの良いことに、中々出てこない二人を心配して様子を伺いに来た館長が声をかけるまで、その時間は続くのであった。
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