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仰せのままに
……ミーン、ミン、ミンミン……。
真夏の日中。気温は三十度を越え、セレシュの首筋を汗が滴り落ちていった。
林を通り、軽い結界を越えた先にあるのは古びた洋館だった。
「こんな辺鄙な場所にあるのなら、気付かれにくい筈やわ……」
手をウチワの代わりにしながら、洋館を見上げるセレシュ。
IO2から受けた依頼は少女達の失踪事件。一人一人の足取りを調べると先程の林に辿り着くのだった。それにあの結界では。
「ま、ここで合っとる筈やけど、一応挨拶せな。失礼するで〜」
入ると冷房完備の家である。ギイギイと煩い傷んだ床に反して、人がいるのは間違いない。
大広間に探していた少女達がいた。有名な絵に出てくるような大きいダイニングテーブル。ティーカップに紅茶を注ごうとしている少女、お菓子を口に入れようとしている少女、エプロンを着けて布巾でテーブルを拭こうとしている少女……。
皆十代半ばの美少女だが、全員喋らず、全く動かない。
時間を切り取られたように、指先一つ震わせていない。
肌の色も青白く、血の気がない。手にしているお菓子のマカロンだけ、鮮やかな色をしている。レッド、ブルー、イエロー、グリーン。毒を持った植物のように。
セレシュは近付いて、少女の肌に触れた。瑞々しい弾力とは程遠く、硬くひきつった肌。よく見れば、肘がおかしい。丸いのである。
――少女達は全員、球体関節人形なのだ。
「私のお城へようこそ♪」
犯人とおぼしき少女がセレシュの目の前に立っていた。
綺麗に巻かれた金髪、内側から滲み出たような赤い唇、シャープな顎。折れそうなくらい細い身体に、低い背丈――まだ十二歳程だろうか。バンビのように大きな青い目をしていた。
「良い時間にいらしたわ。もう少しでパイが焼き上がりますの」
呑気な言葉に、セレシュは苦笑いした。
「今そんな気分やないなあ。結界を突破して来たさかい、うちが来た理由は分かっとるんやろ?」
「勿論ですわ」
鈴の音のように笑う少女。
「貴女には奥の部屋を差し上げますわ。家具は備え付けの物を。カーテンは選べますけど……花柄は好きですの?」
「――望んでない流れやねえ」
セレシュは笑みを崩さないまま、腰を落とし身構えた。
この少女は被害者達を返すどころか、セレシュまで人形にするつもりのようだ。
ならば戦うしかない。
攻撃は意外な所から来た。目の前にいる少女からではなく、右後ろ。人形にされている少女がテーブルを飛び越えてセレシュに掴みかかって来たのだ。
「…………っ」
前に倒れ込みそうになるのを堪えて振り払った。ほんの一秒。人形師である敵には十分の時間だった。
ピーィィィィィィィン。
「うぁ?!」
手足をそれぞれに引っ張られて、セレシュは動きを止めた。
右手を動かそうとしたが、ダメだった。
張りつめた糸に吊られているように、全身にヒリヒリとした痛みとつっぱりを感じる。
「あっけないものですわ」
人形師が、嬉しそうに言った。
セレシュは唯一動かせる視線で、ぐるりと周囲を眺めた。
セレシュに襲いかかった少女は、横で床に倒れている。セレシュに振り払われた後、そのままの体勢で床に落ちた。目は開いている。捲り上がったスカートから長い足が覗いているが、彼女は気にする様子もない。このまま動くことはないかのように見えた。
しかし。
「お邪魔虫さん。元の場所へ戻りなさい」
人形師の少女の一言で、彼女はすっくと立ち上がる。テーブルに着くと、ブルーのマカロンを持ち、小指を上げて、唇を開いて。止まる。
くすくす笑う人形師の少女。
「私って美しいものが大好きですの。愛しいものはいつも手元に置いて、眺めて、触りたい……知能の高い人間の本能でなくて?」
「ああん。私の人形ちゃん。今どんな風になっていますの。確認させて下さる?」
『もち……勿論です。ご主人さま……』
そんなつもりなどなかったのに。
セレシュの口は金魚のようにパクパク開く。
そして勝手に喋るのだ。嫌でも言葉が出てしまう。普段の声より少し低く響いて、胸の内側が震える思いがした。
(なんやこれ……)
(変な感じや……)
(うちの身体が……勝手に、うご、いて……)
「あらぁ。おててが邪魔ですの」
人形師の言葉に、セレシュの手が動いた。胸元にあった手を下ろし、直立不動の無防備な姿勢になった。
指先に、生温かな感触。
ぬるい、とセレシュは思った。だがそれは布を通して触れられたような、鈍い感覚になっていた。本当は「ぬるい」ではなく、「ぬくい」のかもしれない。
セレシュは、今、考える力はあった。
けれど、そこから強い意志を持つことが出来なかった。
目の前にいる、少女の思うがままにされていても。
そしてそれを認識することが出来ていても、抵抗することは考えられなくなっていた。
首筋を舐められた。
「無味……。人形化すると汗の味がしなくなる。不思議ですわね」
両腕を幾度も撫でられた。指で弾かれもした。
痛くはない。コツコツという音を耳にした。
(モノ、の音やな……)
ぼんやりと思った。
「腕は大丈夫そうですわ♪」
弾んだ少女の声を聞いた。
楽しそうやなあ、とセレシュは思うだけである。
Tシャツを捲り上げられた。
セレシュは少女の指を感じ取った。長い中指に一番強く肌を押されることを知った。
「透き通るような肌ですわ……。でも、日焼け跡は残ってないかしら? あれがあると急に人形らしくなくなってしまうから、塗装しなければなりませんの。術では消しきれませんから……」
その声と共に、セレシュはあらゆるポーズを取らされた。両腕を上げて脇を見せ、前屈をして腰を少女の前に出した。座り込んで靴を脱ぎ、足の裏を少女に確認させもした。
時には、ふわりと回転し、白のフレアスカートを水面に浮かんだ花のように見せもした。
人形師の少女は玩具で遊ぶ子供のように無遠慮だった。Tシャツと同じように邪魔な衣類はグイグイ押し上げ、セレシュの肌を探った。
セレシュは刺激を感じ取っていた。
その、人形師の指先が、だんだんと、硬くなっていく。
「あ、あ、ら、ら、ら」
「ど、どど、ど、う、し、て」
(やっと効いてきたんやな。呪詛返しの術)
霧がかった頭で、セレシュは思う。
目の前にいる人形師の少女は、大きな瞳を一際大きくしていた。動かなくなった手足を連れて、視線だけキョロキョロ動かしている。
『簡単なことや。最初の自分との会話中に、うち自身に呪詛返しを仕掛けていたんや。カウンター魔法っちゅう訳やな』
「そ、そそそ、そんな、の」
『あの様子を見てたら、自分がどんな呪いを掛けてくるかは予想もついたしな』
「あな、あななな貴女、何、モノ……」
『…………マズは、うちの確認、やな』
「ちょ、こたえ、てぇ」
セレシュは一方的に喋っていた。セレシュが今話しているのは、自分自身に掛けた人形操りの術による。予め自分に掛けていた段取りでしか動けないのだ。
自分の身体状況を確認しようとした。
が、人形師が邪魔だった。
二人はもつれ合い、セレシュを上にして倒れ込んだ。
むくりと起き上るセレシュ。
立ち上がると、自分の身体を撫でて確認した。
硬く熱を持たない肌。膝を触ると、丸く硬いものがある。肘に触れても同じ。手首を握ると、血管ではなく球体に触れる、不思議な感覚に囚われる。
球体関節人形なのだから当然と、セレシュは頷く。
右胸を叩く。コツコツ。
左胸を叩く。コツコツ。
お腹をゆっくりと撫でた。ツルツルと掌が滑っていく。
時間をかけて前屈する。お尻が露わになる。背中からミシミシと音がする。
スルスルと指を動かし、腰から太ももを往復する。丸い物が太ももの付け根にあり――ああ、ここにも球体がと発見する。
足元には人形師の少女がぼんやりと横たわっていた。セレシュの下敷きになったままの、みだらな格好で。上のボタンが弾けていて、胸元の開いた服になってしまったが、少女はまるで気にしていない。ただ大きな目で、こちらを見ていた。
セレシュは人形操りの術を彼女に掛けていた。
『解呪方法は………………ですわ』
素直に喋る少女。美しいものが大好きな彼女にとって、今の自分の姿はどう映るのか。
――何も感じていないだろう。
身なりを正すようにとの指示を、セレシュは勿論、出していない。
少女にも。
自分にもだ。
セレシュのTシャツは捲れ上がったままで、フレアスカートは倒れた拍子に端が破けていた。血の気のない、硬い肌が露わになっていた。
それは分かっていた。
――だが何の問題があるというのか?
セレシュはガラスのような目を開いたまま、術を唱え始めた。
終
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