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脱出者たち(3)
気が付いたら、わけのわからない場所にいた。
そういう目に遭うのは初めてではない。
その度に、辛うじて脱出し続けてきた。
「今回は……脱出だけで済ませる、わけにはいかないな」
呟きながらフェイトは、周囲を見回した。
壁や柱に彫り込まれた、天使や聖人たちの像。荘厳な、大聖堂の屋内風景である。
あの時と同じだった。迷い込んだ、と言うより引き込まれた。この大聖堂の奥に潜む、何者かによって。
その何者かと、今回は決着をつけなければならない。
フェイトは立ち止まった。
目の前に、祭壇がある。何かを置いて下さい、と言わんばかりの祭壇だ。
黒いスーツの懐からフェイトは、ここへ来る途中で拾ったものを取り出した。
掌大の、聖母像。こういう思わせぶりなものが、あちこちに落ちている大聖堂なのだ。
祭壇に、聖母像を置いてみる。
案の定だった。
祭壇の一部が開き、微かな光が現れたのである。フェイトの瞳と同じ、エメラルドグリーンの光。
緑色に輝く球体が、そこにはあった。テニスボールよりも若干、小さめの玉。
「ゲームの、つもりかよ……!」
怒りの呻きを漏らしながら、フェイトはその玉を祭壇内部から拾い上げた。
あの時と、同じである。
自分たちをゲームのキャラクターのようなものに仕立て上げ、楽しんでいる何者かの存在を、フェイトは今、確かに感じていた。
「いいさ、せいぜい楽しんでるといい」
黒いスーツの懐に、フェイトは緑色の玉をしまい込んだ。
左右のポケットに、同じような球体が、もう1つずつ入っている。エメラルドグリーンではなく、鮮やかなオレンジ色に輝く玉と、輝きのない暗黒色の玉。この祭壇と同じような仕掛けを解いて、入手したものである。
他にもいくつかの玉があって、全てを集める事で先へ進めるようになっているのだろう。
フェイトは、左右2丁の拳銃を抜いた。
天使像が、聖人の像が、視界内あちこちで動き始めている。そして剣を抜き、カギ爪をかざし、杖を振り立て、様々な方向から襲い来る。
両手で引き金を引きながら、フェイトは叫んだ。
「とりあえずクリアはしてやる! その後で、中古屋に売る代わりにぶっ壊す! こんなクソゲーはっ!」
綺麗な五指が、くるりと煙管を回転させる。
天達・枢。18歳。未成年なので、煙管に入っているのは無害な香草である。火を点けると良い匂いがする、ただそれだけの品だ。
当然、20歳になったら刻みタバコを入れてみるつもりでいる。
「嫌煙運動なんてのは、ただの差別さ。そうは思わないかい?」
話しかけてみても、怪物たちは応えてくれない。
怪物たち、と呼ぶべきであろう。何体もの天使像・聖人像が、いきなり動き出して剣や杖を構え、枢を取り囲んでいる。斬殺・撲殺の構えである。穏やかに話し合おう、という雰囲気ではなかった。
「あらら……まいったね、こりゃ」
のんびりと呟きながら、枢は煙管をくわえ、ゆらりと細身を翻した。
天使たちの剣が、カギ爪が、聖人たちの杖が、様々な方向から襲いかかって来てビュッ、ブゥンッ! と空を切る。凶暴な風が巻き起こり、それに煽られる感じに、枢の細い肢体がのらりくらりと揺れながら歩く。
「荒事は苦手なんだけどねぇ」
怪物たちの襲撃を、まるで通行人でも避けるかのように回避しながら、枢は周囲を観察した。
どこかの教会、であろうか。大聖堂とも言える荘厳さである。
気が付いたら、こんな所にいた。
夢ではない事は、壁や柱の質感を見れば明らかである。
「わけのわかんないパーティーに、お呼ばれしちゃったと。そうゆう解釈でいいのかな?」
返答の代わりに、銃声が起こった。
天使が、聖人が、穴だらけになりながら吹っ飛んで行く。暴風のような銃撃が、怪物たちを薙ぎ払っていた。
「おおい、そこの人! 無事か!?」
声をかけられた。聞いただけで凛々しく整った面構えが想像出来る、若い男の声。
想像よりもずっと若い男が、左右それぞれの手で拳銃をぶっ放していた。
SPのような黒いスーツをまとう若者。枢と同じエメラルドグリーンの瞳が、油断なく残敵を探している。
天使像・聖人像であった怪物たちは、見える範囲では1体残らず銃撃に砕かれ、生物の屍か、石像の残骸か、判然としない様を晒していた。
「やあ、助かったよイケメン君」
枢は微笑み、手を振った。
「ところで、ちょっと訊きたいんだけど。ここって日本だよね?」
「……だと思いたいけどな」
「日本国内で、ばんばか拳銃を撃ちまくってるキミ。少なくとも、堅気の人じゃあないと見た」
「まあ……ちょっとヤクザな所で働いてるのは確かだけど」
若者が苦笑する。
童顔で、少年にも見えてしまうが、恐らくは自分よりも少し年上であろう青年の容貌を、枢はちらりと観察した。
特に印象的なのは、自分と同じ、エメラルドグリーンの瞳である。
(こりゃあ相当……身体、いじられちゃってるねぇ)
枢は思ったが、口に出せる事ではなかった。
さらりとした金髪に、フェイトと同じ緑色の瞳。
その不思議な少女は、天達枢と名乗った。
(あの時も女の子と一緒だったな、そう言えば)
思いつつフェイトは、拳銃を振り回した。
銃身を握り、グリップ部分を敵に叩き付ける戦法である。
2丁の拳銃が、フェイトの左右それぞれの手で鈍器の形に振るわれ、天使たちを殴り倒す。聖人たちを、叩きのめす。
元々石像であった怪物たちが、ひび割れながら揺らぎ、倒れてゆく。
残弾数が、そろそろ心もとない。こうして拳銃本来の使用法と異なる戦い方を、しなければならない状況だ。
「やあ強いねえフェイト君。イケメンなお兄さんが戦ってるのって、眼福だねえ」
のんびりと煙管を吹かしながら、枢がそんな事を言っている。
彼女がいかなる能力の持ち主であるのか明らかではないが、同行者に荒事を押し付けて自身の安全を確保する事に関しては、どうやら天才であると言わざるを得ない。怪物たちはほとんど、フェイト1人に向かって来ている。
剣をかわし、カギ爪をかわし、杖をかわしながら、フェイトはひたすら左右2丁の拳銃を振り回した。
鈍器代わりのグリップが重々しく唸り、聖人の顔面を叩き割る。天使の脳天を、粉砕する。
粉砕された天使が、こちらに向かって、よろりと倒れて来る。
しがみつくようなその動きを、フェイトは完全にかわす事は出来なかった。
死に際のカギ爪が、黒いスーツを引き裂いていた。
ちぎれたスーツから、4つの球体が転げ落ちる。緑色、オレンジ色、黒、そしてあれから新たに入手した青、合計4色の玉。
「おや」
枢が、興味深げな声を発した。
「何だ、キミが持ってたのか。思った通りネツァク、ホド、ビナー、それにケセド……これで10個のセフィラが揃ったねえ」
謎めいた事を言いながら枢が、右手を掲げている。
優美な五指が、3つの球体を転がしていた。紫、黄色、灰色、3色の玉。見事なコンタクト・ジャグリングである。
フェイトは息を呑んだ。
「それは……」
「この大聖堂のあっちこっちで、あたしが拾い集めたものさ」
言いつつ枢が、左手でもコンタクト・ジャグリングを披露している。こちらは白と赤、それに複数の色が混ざり合った、虹のような色彩の玉である。
「3つ目の玉をゲットしたあたりで、ピンと来たよ。これは絶対、セフィロトの樹だってね……ほら思った通り。そこに、思わせぶりなものがあるじゃないか」
枢の眼差しが、大聖堂の壁の一角に向けられる。
奇妙な壁画が、そこに描かれていた。
10個の果実を生らせた樹木、のようなもの。それら果実の部分は全て、球形に凹んでいる。
枢が、ゆらりと身を翻し、左右の細腕を振るった。舞うような、投擲の動き。
6つの玉が、6色の光となって飛んだ。
そして壁画の凹んだ部分に命中、そのまま収まってしまう。
6つの光の果実を生らせた樹木が、輝きを強めた。
床に転がっていた4つの玉が、その輝きに引き寄せられて浮揚・飛翔し、残る4つの凹みに吸い込まれて行く。
セフィロトの樹が、完成した。
その瞬間、風景が変わった。
礼拝堂、と思われる場所に今、フェイトと枢はいる。
司祭らしき聖職者たちが、尊大な言葉で2人を迎えた。
「よくぞ、ここまで辿り着いた。神の裁きを、報酬として受け取るが良い」
「緑眼の少年よ、そなたには楽しませてもらったぞ……ようやく会えたな」
そんな言葉を、フェイトはしかし聞いてはいない。
見覚えのある、禍々しいものが、礼拝堂の奥からこちらを見下ろしているからだ。
十字架に拘束された、聖者の骸骨。
その周囲を、光か炎か判然としないものたちが飛び回っていた。
何であるのか、フェイトはおぼろげに理解した。
おぞましいほど濃密な、負の思念が感じられたからだ。
憎しみ、怒り、悲しみ、痛み、苦しみ……それらが目に見える光あるいは炎と化し、聖者の骸骨に群がっている。救いを、求めるかのように。
「何だよ、それは……」
フェイトは呻いた。
「あんたら一体……何を、している?」
「あれはな、そなたたちとは違う。この聖堂迷宮において、無様に命を落とした者どもよ」
フェイトが思った通りの答えを、司祭たちは口にした。
「そやつらの魂が、救世主の肉体を成す……見届けよ! 腐りきった世に裁きを下す、聖なる断罪者の現臨を!」
光か炎か判然としないものたちが、聖者の骸骨にまとわりつきながら実体化してゆく。
怪物の、肉体としてだ。
フェイトは、左右の拳銃をぶっ放した。
命中はした。
嵐のような銃弾を全て、構成中の肉体の内部に飲み込みながら、怪物は完成に近付いてゆく。
あの時と同じである。この聖者の骸骨には、フェイトの能力が全く通用しないのだ。
そんな怪物が、あの時は骨格だけであったが、今は肉体を獲得しつつある。
倒せるわけが、なかった。
「落ち着きたまえ、フェイト君」
枢が言った。
「この化け物は、言ってみれば実体化しつつあるセフィロトの樹だ。10個のセフィラを、正しい順番で撃ち砕く。倒す手段は、それしかない」
「正しい、順番……」
「まずはマルクト、続いてイェソド!」
枢の言葉に従い、フェイトは引き金を引いた。
怪物の、人間で言うと金的と臍の辺りに、まずは銃痕が穿たれた。
「ホド、ネツァク、ティフェレト! ゲブラーからケセド、ビナーからコクマーへ! そしてケテル! まだ! まだ終わりではないよ」
銃声が10回、響き渡る。
怪物の身体に、計10個の弾痕が生じていた。
異形の聖者。その構成中の肉体に、銃創によるセフィロトの樹が描かれている。
「ダアト……隠された、11個目のセフィラ。キミになら見抜けるはずだよ、フェイト君」
「ああ……そこだっ!」
引き金を引きながら、フェイトは念じた。
攻撃の念を宿した銃弾が、怪物の、胸板の中央を貫通する。
異形の聖者は、硬直し、ひび割れ、十字架もろとも崩壊した。
「動くな!」
慌てふためき逃げ惑う司祭たちに、フェイトは拳銃を向けた。
「IO2だ! お前たちを、捕縛する……まともな裁判なんか受けられると思うなよ」
「おーこわ。IO2の人だったんだね、フェイト君って」
枢が、おどけている。
「あたしも何かやらかして、キミらにしょっぴかれないようにしないとね」
「……助かったよ、ありがとう」
フェイトは、礼を言った。
周囲では、礼拝堂内部の風景が、幻影の如く揺らぎ始めている。
「ラスボスを倒してゲームクリア、ってとこかな」
「さて……どうだろうね、それは」
怯える司祭たちを見据え、枢は言った。
「この聖堂迷宮は多分、ずっと昔から存在していたものだよ。こいつらは、そこに住み着いて悪さをしていただけ。迷宮そのものは、またどこかでポッカリ口を開けて……あたしやキミみたいなのを、呑み込んじゃうかもね」
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