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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Dazzle of summer


 北大西洋に位置するバミューダ諸島。イギリスの領土であるその土地は、魔の海域を持つことで世界的にも有名である。
 首都をハミルトンとし、世界遺産となっているセント・ジョージなどはリゾート地としても人気が高い。
「任務完了っと……」
 この地に一人きりで任務のために訪れていたフェイトは、頬をくすぐる海風に釣られつつ顔を上げて、ぽそりとそう呟いた。遠くの空がオレンジ色に染まっていて、。
「今日はここに一泊、かな。取り敢えず本部に連絡入れて……」
「おや――フェイトさんじゃないですか?」
「!」
 潮騒の聞こえるビーチへと視線をやったままで携帯を耳に当てたところで、背後に掛けられる声がした。
 聞き覚えの有り過ぎるその声に、フェイトは何となく振り向きたくない気持ちになり、そのままの姿勢で佇んでいた。
「ああ、やっぱり。お一人ですか?」
「……ダグ」
 品の良い高貴なオーラが視界に入り込んできた。『彼』は数人の使用人を連れてにこやかに話しかけてくる。
 イギリスIO2に所属するエージェント、ダグラスだった。
 フェイトとは縁があり、これまでに幾度か任務で一緒になっている。電話番号とメールアドレスなどを交換しあっているので、どちらかと言えば顔見知りの同僚というよりはすでに『友人』の枠であるのだが、何かと癖の強いダグラスには、フェイトは若干の苦手意識を抱いたままだった。
「もしかして、ダグも任務?」
「ああ、いいえ。今日は家の稼業のほうで、少し。先ほど終わったところだったんですよ」
「ふーん……」
 実家が豪商であり、『次期社長』という立ち位置を約束されている彼はいつも忙しそうであった。
 フェイトと向き合って話をしている間にも使用人が何かしらのサインを求めてくる。
 フェイトがそれらを黙って眺めていると、彼の視線を受け止めたダグラスが制止のサイン出して使用人を下がらせた。
「これは失礼をいたしました」
「いや、いいんだけど。なんか、大変そうだなって思って見てただけだし」
「そうではないといえば嘘になりますが……せっかくこうして再会出来たというのに、申し訳ありません」
 電話でなら割りと頻繁に声を聞いているのにと思いながら、確かにこうして顔を合わせるのは久しぶりかもしれないと感じつつ、数秒。「そう言えば」と話題を切り替えてきたのはダグラスのほうでだった。
「今日はこちらにお泊りに?」
「ああ、うん。この時間だし、飛行場まで行くのも手間かなって思ってさ」
「それでしたら、私の別荘へご招待しますよ」
「は……?」
 フェイトがそんな返事をしつつ目を丸くすると、その様子を見ていたダグラスは嬉しそうに口の端だけで笑みを作り、使用人の一人を傍近くまで呼び寄せた。
 二言三言の言葉で会話は終了し、あれよという間にフェイトはタッカー家の別荘に招かれる事となる。
「いや、あの、別に頼んでないし!?」
「私も今日はこちらで過ごす予定でしたから、どうぞ遠慮なさらずに。さぁ、ご案内しますよ」
「お車へどうぞ、フェイト様」
 わらわら、と背の高い使用人が進み出てくる。体躯の良い彼らに圧倒されたフェイトは何も反論することが出来ずに、黒塗りの豪華な車に乗せられて、その場を離れるのだった。



「なんと……坊っちゃんのご友人!? それは素晴らしい……!!」
 別荘らしき建物についた途端、出迎えてくれた老人が目尻の皺を深くしてそう言った。彼はとても感動しているようで、今にも泣き出しそうな勢いだ。
「そういう事ですから、失礼のないようにお願いしますね」
「もちろんですとも。――フェイト様、ようこそおいでくださいました。使用人一同、精一杯のおもてなしをさせて頂きます」
「い、いや……なんというか……ちょっと、ダグ……」
 ずらりと並ぶフットマンとメイド。彼らが一斉に頭を下げてフェイトを熱烈に歓迎してくれているのだが、その勢いについていけない当の本人は困り顔である。
「固くなることはありませんよ、フェイトさん。我が家のように思ってくださればいいんです」
「思えるかっ!」
 ダグラスはいつもと同じような笑みを湛えつつ、そう言う。
 その笑顔を見ながら、フェイトは敢えて語気を強めての返事をした。
「さて、夕食の準備まで少し時間がありますし……あ、そうだ。この間珍しい蝶の標本が手に入ったんですよ、ご覧になります?」
「え、あ……うん」
 吹き抜けのエントランスホールから、ゆっくりとカーブして登る階段をゆっくりと歩み進めて二階へと登る。
 豪華なホテルを思わせる空間の中、広い廊下を数メートル進んだ先に、一つの部屋があった。
「ダグの部屋?」
「そうですね、私のコレクション部屋の一つですよ。さぁ、どうぞ」
 ギィと扉が音を立てた。ダグラスの導きの元、フェイトが歩みを進めたその先は、沢山の分厚い本と昆虫の標本が展示してあった。
「うわ……」
 虹色を思わせる箱が視界に飛び込んでくる。
 フェイトは思わずそれに歩み寄り、まじまじと見つめる。
 青い蝶の標本箱であった。
「ヘレナモルフォですよ。世界三大美蝶の一角のものです。美しいでしょう?」
「うん、すごいキレイだ……。俺、黄色と黒いアゲハしか見た事ない」
「ナミアゲハとクロアゲハでしょうかね。あの子達も可愛らしいですよね」
 虫の事となるとさすがに詳しいなと思いつつ、フェイトは彼を見やる。標本に目を向けつつ言葉を繋ぐ彼は、とても優しい表情をしていた。
「どうかしましたか?」
「……あ、いや、なんでもない。ところで、これが珍しいって言ってたやつ?」
「ああ、それはこちらです。ロスチャイルドトリバネアゲハとメガネトリバネアゲハの種間雑種のメス個体なんですけどね……」
「…………」
 ロス……なんだって?
 と、心で思いつつ敢えて口で問い直すことはせずに、フェイトはダグラスの指す手のひらの向こうを見た。
 今度は黄緑色の蝶だった。見たことのない不思議な色合いをしている。
「生きて見られる個体は今のところはいないそうです。雑種なので独立した種とも認められてませんしね」
「ふーん……」
 さら、と、ダグラスの指が標本箱のガラスを愛おしそうに撫でる仕草が印象的だった。
 それを見ながら生返事をしていると、またもやダグラスがフェイトの顔を覗きこんでくる。
「な、なんだよ?」
 あまりな近距離に驚き、一歩を引く。
 慌てるフェイトと、落ち着き払ったままのダグラスはとても対照的であった。
「……いいえ。フェイトさんはとても素直だなと」
「???」
 そんなフェイトの姿を目を細めつつ見たダグラスは、満足そうに笑みを作ってそう言った。
 フェイトには言葉の意味が解らずに首を傾げるのみだ。
「そうだ、こちらの蜂はご覧になったことありますか?」
「え? 青い蜂……?」
 意図的なものかは定かではなかったが、ダグラスはそこで話題を変えた。
 そして一つの箱をフェイトの前に差し出す。その中には光沢の有る青い蜂が入っていた。
「日本に生息してるんですが、あまり見かける機会は多くないそうですね。『大きな青い蜂』で『オオセイボウ』と言うんですよ」
「……へぇ。でも、なんかこれ、小さかったらハエっぽいな」
「玉虫色のような青ですからね。そう思われても仕方ないと思います。この子は生態も変わっていて、同じ蜂を食べて成長するんですよ」
「共食いするのか?」
「――寄生するんですよ」
 ガラスの上で青い蜂に指をさしていたフェイトの手を、ダグラスは自然に取った。背後からだったのでフェイトはそれに反応することが出来ずに、瞠目する。
「ダグ?」
 彼の名前を呼んだ。
 すぐ傍で気配がする。
「こうして貴方にも寄生させたら、どうなるでしょうね?」
「…………」
 手を取られたままで、そんなことを言われた。するりと手のひらにダグラスのそれが滑り込み、何故か指が絡められる。
 ざわ、と心が揺れて、フェイトはその手を振りほどいた。
「冗談です」
「……っ……」
 振り向いて口を開いたところで、ダグラスはいつもの笑顔とともにさらりとそう告げてきた。
 フェイトはそれ以上を言えずに、ふるふると身体を震わせている。
 そんなタイミングを見計らったかのようにして、扉を叩く音が響いてきた。
「――坊っちゃん、ご夕食の準備が整いました」
「わかりました、すぐに行きます」
 ダグラスは標本箱の位置を軽く直して、またフェイトを案内するように手のひらを扉へと向ける。
「では行きましょうか」
「……あ、うん」
 そして二人はそのコレクション部屋を後にして、夕食を取るために再び階下へと降りていくのだった。



 無駄に縦に長いテーブルの上、真っ白で上質クロスの上に料理が並ぶ。海産物が豊富である為に本日のメニューも魚介中心のものであった。大きなロブスターが縦半分に分けられ目の前に置かれただけでも驚いたが、地元で取れる魚のフライだったり、大きな巻き貝のカレーやシチューがあったりと様々なものが次から次へと運ばれてきて、フェイトは目を回すしか無かった。正直、味がどうだったかまでは認識出来なかったようである。
「うわ、ジャクジー風呂なんだ。っていうか、個人の家の客室にジャクジー? ……これだから金持ちは……」
 用意された部屋に辿り着いたフェイトは、そこでも目を回すこととなる。
 ベッドは天蓋付きな上にキングサイズ、革張りのソファにジャグジー付きの風呂、ベランダには一人用の丸テーブルと椅子まで備え付けられていて、どこの高級ホテルだと勘違いを起こしてしまいそうであった。
 取り敢えずは、と綺麗にベッドメイキングされている大きなベッドの上に倒れこむ。
「うわ〜ふかふかだよ……ほんっとに、これだから金持ちってのは……」
 体に感じる幸福感を慌ててかき消すようにして、文句が漏れる。ダグラスが本気の富裕層なのだと思い知るたびに、フェイトは何故か卑屈になってしまうのだ。
「……う、ヤバイ。このまま寝ちゃいそうだ。風呂入っちゃおう」
 頬をふくらませつつも、上掛けのふわふわ感を味わっていたフェイトだったがゆるりと訪れた睡魔に焦りを感じて慌てて身を起こす。
 そして彼はソファに上着を投げてそそくさと服を脱ぎ、入浴を済ませてしまうために浴室に姿を消した。
 数分後、ソファの一部がブルブルと震えた。彼の置いた上着の内ポケットに入れたままになっていた、携帯が震える音であった。

「ふい〜……なんだかんだいって堪能しちゃったな……良い風呂だった……」
 どんな場所であっても、風呂を心ゆくまで楽しんでしまうのは日本人の特性ゆえなのか。
 あれだけぶつくさと文句を言っていたフェイトであったが、結局ジャグジーが楽しかったのか小一時間ほどを浴室で過ごしてしまったようだ。
 用意されていたバスローブを着て、頭にタオルを乗せたままで浴室から出てきた彼が最初に気づいたのはソファの上でチカチカと光る小さな明かりだった。
「うわ、まずい。本部に連絡入れ忘れてた……っ」
 バタバタと掛け寄り、上着を避けて携帯を握りしめる。
「……――」
 手にした携帯のディスプレイを見て、フェイトは表情を変えた。
 連絡を入れなくてはならなかったのは本部。だが――。
「あ……、終わったら連絡入れるって約束してたんだった……」
 フェイトにはもう一件、連絡を入れなくてはならない相手がいた。
 そして、着信履歴を残したのもその『彼』である。任務を終えてからもう数時間。向こうも心配しているのかもしれない。
「……お電話ですか?」
「!」
 背後でそんな声が響き、フェイトは肩を震わせた。
 ダグラスの声だった。
「すみません、ノックしたのですが。――ナイト・キャップを用意させたので、ご一緒にどうかと思いまして」
「ああ、うん……」
 彼の誘いに、フェイトは手にしていたままの携帯電話をテーブルの上に置いた。
 それを見ていたダグラスが、首を傾げて口を開く。
「お電話しなくていいのですか?」
「あ、いや……うん」
「親しい方なんでしょう?」
「!」
 ビクリ、と肩が震える。視線だけでダグラスを見やったが、彼は口元のみでの笑みを浮かべるだけでそれ以上は言ってこない。
「……まさか、知ってる?」
「さぁ、それはどうでしょう。ただ、エージェントなどというものをやっていれば不思議といろんな情報を多方面から得るものです。例え所属してるところが違っていても……ね」
 ダグラスの言葉は明らかに遠回しのそれであった。
 それを受けて、フェイトは深い溜息を吐き零しながら再び携帯を取る。どうやら連絡を入れるらしい。
「私がここにいても?」
 その言葉をフェイトは手のひらを差し出すことで受け止めた。すでにコールが始まっているところだったので、返事ができなかったのだろう。
「――ああ、俺。うん、お疲れさま……ごめん、終わった時間ちょっと遅くて、飛行機取れなかったんだ。……うん、ごめん。こっちで一泊してから帰るよ。大丈夫」
「…………」
 普段、自分には難しい顔しか向けないフェイトが、珍しく表情を和らげている。
 そんなことを思いながら、ダグラスは通話を続けているフェイトを黙って見つめていた。
 彼は大切な『友人』。そうであるはずなのだが、心の奥で何かが軋む気がして、言葉なく眼鏡の位置を直して静かにそれをかき消した。
「ちょっと、そういうことを軽々しく言うなって、いつも言ってるだろ……うん、うん。わかってる。じゃあ、おやすみ!」
 最後の方は一方的に会話を終えるかのようにして、フェイトは携帯を切った。頬が赤く染まっていて、彼自身が居た堪れないといった具合である。
「大丈夫ですか?」
「……ま、まぁね……」
「貴方は本当に素直で解りやすいですね。じゃあ、次は私に付き合ってください。こちらへどうぞ」
 かくりと肩を落としているフェイトをよそに、ダグラスはそんな言葉を繋げた。そう言えば彼は飲みの誘いに来たんだと思い返して、フェイトは彼の言うままに部屋を出た。
 フェイトに与えられた部屋の丁度隣にあたる空間は開放的な談話ルームとなっていた。その先に大きな窓があり、どうやら広いバルコニーがあるようだ。
 使用人の一人がその窓をゆっくりと開けて、二人を案内してくれる。
「うわ、すごい……星がこんなに」
「ここから見上げる星空が好きなんですよ。さぁどうぞ、お掛けください」
 木製のデッキチェアに通されたフェイトは、そのままその場に腰を下ろす。眼前に広がるのは満天の星空であった。都会にいては絶対に見られない光景の一つである。
 コトリ、とデーブルにグラスを置かれる音がした。
 ダグラスの言っていたナイト・キャップなのだろう。ラムベースのカクテルにミントの葉が添えられている為に、緑色のそれに見えるが意図的なものなのだろうか。
 もっとも、フェイト自身はそれに気づいていないようで普通にグラスに手を伸ばしている。
 カチン、とグラスが当てられる音が小さく響く。それが乾杯の合図となって、隣に座るダグラスがにこりと微笑みながら一口を含んだ。
 フェイトも同じようにしてグラスに口をつける。
「……こんなに沢山の星、初めて見たかもしれない」
「私の秘密基地のようなものです」
「そんな秘密の場所に俺を招いてよかったのか?」
「フェイトさんは私の大切な友人ですからね」
 星空を見上げながらの会話がゆっくりと進められた。
 チカチカと瞬く星に気を取られているフェイトを横目で見たダグラスは、「もしかしたら友人以上かもしれませんけどね」と独り言のように繋げたが、フェイトがそれを聞き取るのは小さすぎる音のようであった。
「波の音まで聞こえるんだな」
「オーシャンビューも意識して造られてますからね。朝など、清々しい気持ちになれますよ」
「でもこの海ってあんまりいい話聴かないけど。なんだっけ……バミューダ・トライアングル?」
「正確にはトラペジアムですけれどね。トライアングルとしたほうが不幸じみてて聞こえが良いんでしょうね」
 興味深い話へと切り替わると、フェイトが視線をダグラスへと戻してきた。
 眼鏡の向こうでそれを確認したダグラスは、フェイトには分からないようにして僅かに笑みを作り、言葉を繋げる。
「まぁ、過去に消えたという船や飛行機の話は殆どが作り話です。日本でいうところの都市伝説と同じですよ。国がそれを明確にそうだと公言しないのは、ミステリーは解き明かされないからこその魅力があるという点が大きいんでしょうね」
「げ、現実的な話だな……」
 さらりとそんなことを言うダグラスに対して、フェイトが呆れ顔になりつつカクテルをまた口にした。
 ミントの葉がグラスの中でくるりと周り、それを間近で見ていたフェイトも心なしか思考がふわふわとし始める。
「……だからといって、行方不明になっているそういう案件が実際はゼロかといえば、そうでもないんですよ」
「そうなのか……」
「色んな意味合いでの『魔の海域』ですからね。別の海流が交じるポイントもありますし……そんな所に飲み込まれたら、探しようもありません。他にも磁気だとか気圧や温度の関係性だという話も出ていますけれどね」
 ダグラスは己の知識を惜しげもなくフェイトに伝えた。彼が話をよく聞いてくれる為に、ついつい話してしまうらしい。そしてそれが、ダグラスにとっては何よりの楽しみであり幸せだと感じる瞬間でもあった。
「人と人の関係性が複雑なように、深く解明できないものはこの世にはまだまだ沢山あるのだと思いますよ。……今みたいにね」
「え?」
 ダグラスの言葉が呪文のようだと思った。
 たった二口含んだだけの酒がよく回っているのか、フェイトの思考がじわりと遅れ始める。
 テーブルの上に見えるのは一つのグラス。ダグラスが置いたものなのだろう。そして、瞬きを数回した後にはそのグラスが二つになっていることに気がつく。自分の右手に収まっていたはずのものが、すでにそこには無かった。
「……これも、バミューダのせいですよ。そう、言ってしまえば……その通りだと思えてきませんか?」
「……、……」
 ダグラスの顔がフェイトに近づく。
 思考が鈍くなっている為なのか、それがどういったものかと理解するまでにまた数秒の遅れが出た。
 だが。
「――ダグ、またいつもの『冗談』か?」
「おや」
 フェイトの開いた右手が思考より先にダグラスの顔をグイ、と押した。それにより眼鏡がズレてしまった彼は残念そうに、だがやはり楽しそうな笑みを作って体勢を戻し、きっちりと眼鏡の位置も直す。
「明日早いし、そろそろ寝るよ。今日は色々と有難うな。……その、楽しかったよ」
 本格的にふわふわとしてきたことを自覚したフェイトは、そこでゆっくりと立ち上がった。
 ダグラスはにこりと微笑んだままでフェイトの言葉を受けて頷いてみせる。
「それは良かったです。またこうした機会が訪れると良いのですが」
「お互いの都合がついたらな。おやすみ」
「おやすみなさい」
 星空を背にして、フェイトはバルコニーを出て行った。そして足早に隣の部屋に姿を消し、扉の向こうで大きなため息を吐く。
「あ、危なかった……ダグのやつ、俺が止めなかったらどうするつもりだったんだ……」
 ダグラスの真意は読めない。だがあの時、僅かに感じ取った危ういものは『熱』が篭っているような気がして、フェイトはぶんぶんと頭を振る。直後、ふらりと目眩がして「さっさと寝よう……」とつぶやき、ふかふかのベッドに潜り込んだのだった。

「――今日は私も楽しかったですよ、色々とね」

 そう、夜風に溶けるかのような呟きを漏らすのはバルコニーに一人残っているダグラスだ。
 彼は満足そうに笑みを浮かべたまま、静かに輝く星空を暫く見つめていた。

 次の日、ダグラスが起きた頃にはフェイトの姿はそこにはなく、使用人に聞けば「朝早くの便でお発ちになりました」と報告を受け、「やれやれ、逃げられましたか」と漏らしたが、その表情は昨夜の楽しげな色を保ったままであった。