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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


翡翠の瞳の魔人形


「えーと、ここって……休憩所、なんですか?」
 オレゴンへ向かう途中、ケンタッキー州某所である。
 奇怪な建物の前で、フェイトは車を止めた。同乗者のアリーが、そう命じたからだ。
 奇怪なものは見慣れているはずのフェイトですら、思わず息を呑んでしまうような光景である。
 人形たちが、建物の外にまで並べられていた。
 下唇が動くように作られた、腹話術人形の群れ。今にも一斉に、喋り出してしまいそうだ。
 フェイトは看板を見た。
 腹話術人形博物館。そう表示されている。
「休憩お断り、とは確かに書かれてませんけど……もうちょっと落ち着いて休める場所、ありそうじゃないですか」
「あたしは、ここで休むって決めたんだよ。人形博物館だろうが死体博物館だろうが、水くらい飲ませてくれるさ」
 アリーはさっさと車を下り、博物館の受付へと向かった。
「とにかく、喉が渇いた」
「飲み過ぎですよ、まったく……お酒は大量に買い込んであるくせに、水は全然用意してないんだから」
 ぼやくフェイトを無視して、アリーは受付の係員に馴れ馴れしく話しかけていた。
「大人2人……いや、こいつは見ての通り童顔だから子供料金でいいよな?」
「申し訳ございません。ご予約のお客様以外の方には、入館をお断りさせていただいております」
 人形博物館だからか、係員までもが、まるで精巧な人形のようである。フェイトは、そう感じた。
「固い事言うなって。ほら、チップやるから水持って来い水」
 絡むアリーを、係員が拒む。まるでレコーダー仕掛けの人形のように。
「申し訳ございません。ご予約のお客様以外の方には、入館をお断りさせていただいております」
「てめ、チップやるからっつってんだろーがあああ!?」
「先輩、アリー先輩」
 フェイトは後ろから、アリーの腕を引いた。
「もうやめましょう。どこからどう見ても、単なる悪質クレーマーです」
「フェイトてめえ、初志貫徹って言葉ぁ知らねえのか? 日本語にもあるだろうが」
 牙を剥きながら、アリーは言った。
「あたしはな、ここで御休憩するって決めたんだよ。御休憩……んっふふふ、何だかラブホテルみたいだにゃー」
「……まだ酔っ払ってますね、先輩」
 絡み付くアリーを、フェイトはやんわりと振りほどいた。
 この先輩が、本気の怪力で絡み付いて来たら、少なくともフェイトの腕力では抵抗出来ない。
「ちょっと、失礼いたしますよ」
 アメリカ人の家族連れが、傍らを通り過ぎて受付へと向かった。
 白人の夫婦と、幼い娘。どうやら予約済みの客であるらしく、係員が丁重に館内へと導き入れている。
 アリーが激昂した。
「おい差別すんのか、こっちが日本人連れだからって! だからアメリカは人種差別大国とか言われんだよ、わかってんのかコラ!」
「やめて下さい先輩! しょうがないじゃないですか、予約してないんだから」
 フェイトは、ひたすら宥めるしかなかった。
「とにかく水なら、その辺のコンビニで買いましょう。オレゴンまで、急がなきゃいけないんでしょうが」
「さあな。急ぐほどの仕事なんだかどうか」
「え……っと、アリー先輩もしかして詳しい事は全然」
「知らねえよ。だって、あのオバちゃんが教えてくんねーんだもん」
 この先輩とあの女上司は、旧知の間柄であるらしい。
「とにかく、おめえをオレゴンまで連れて行く。あたしが命令されたのは、それだけさ」
「……じゃあ行きましょうよ。何にしても仕事なんだから、急がなきゃ」
「タイム・イズ・マネーの考え方が、遺伝子レベルで染み付いてやがるんだよな。日本人って連中は」
 アリーは、苦笑したようである。
「仕事……か。あたしが、この世で2番目に嫌いな言葉だよ」
「……1番目が何なのか、訊いてみてもいいですか?」
「虚無の境界」
 アリーは即答した。
「なあフェイト、おめえも薄々は気付いてんだろ? あのクソったれどもと、うちの組織が……上の方でベタベタずぶずぶ、くっついちゃってやがる事」
 フェイトは、即答出来なかった。
「今のIO2で仕事をする。そいつぁつまり、虚無の境界どものために仕事をする……って事に、なっちまってんじゃねえのか?」
 巨大な人型兵器に搭乗し、フェイトは戦った。
 それは結局、虚無の境界の思惑通りだったのではないか。あの組織のためになるような事を、自分はしてしまったのではないのか。
 フェイトがずっと、抱き続けている思いである。
 カタカタと、奇妙な足音が聞こえた。
 先程の、白人の家族連れが、館内から出て来たところである。夫婦と、幼い娘。
 その娘が、奇妙な足音を鳴らしながら、固く甲高い声を発している。
「パパ、ママ、タノシカッタネー」
 下唇が、カクカクと開閉している。
 父親と母親が、にこにこ笑いながら、そんな娘の手を左右から握っている。
 いや娘ではない。あの娘と同じような服を着た、それは明らかに人形であった。
 この夫婦は、展示品の人形を持ち出し、代わりに自分たちの娘を館内に残して来たのか。
 フェイトは思わず、声をかけていた。
「あの……! すみません、その人形は」
「は……私どもの娘が、何か?」
 父親が、怪訝そうな声を発する。
 母親が娘を、いや人形を、庇うように抱き寄せながらフェイトを見据える。
 変質者か犯罪者を見る目であった。
 警戒を露わにしながら人形の手を引き、そそくさと去って行く夫婦を、フェイトは呆然と見送るしかなかった。
「先輩……俺、ちょっと気が変わりました」
 見送りつつ、言う。
「何か突然、腹話術に興味が出て来ました。ご予約してませんけど、ここ寄って行きましょう」
「のんびり御休憩ってワケにゃあ、いきそうにねえけどな」
 ポキポキと拳を鳴らしながら、アリーが受付へと向かう。
 受付から館内へと通じる入口の扉が、露骨にアリーを拒む形に閉じて施錠された。
 無論そんなもので、この先輩を妨害出来るわけがないのだが。
「ち、ちょっと待って下さい」
 扉を叩き破ろうとするアリーを、フェイトは止めた。
「同じ不法侵入でも、少し穏便に行きましょう」
「何だよ、面倒臭えな」
 そんな事を言いながらアリーが、ちらりと見上げる。
 博物館の、2階の窓が開いていた。
「よっし、あそこから行くぞ」
「え……でも、あれって露骨に罠」
 言いかけたフェイトの首根っこを、アリーは問答無用で掴んだ。
 バサッ! と何枚もの羽が舞い散った。
 一対の翼が、アリーの背中から広がっていた。
「何で罠を仕掛けてあるかって言やあ、あたしらみてぇなのを近付けねえためだろうが!」
 フェイトを掴んだままアリーが、2階の窓に向かって、空中を突進して行く。軽やかさの欠片もない、獰猛極まる飛翔であった。
「敵を一番、近付けたくねえ大事な場所って事だ!」
「お、俺を罠避けにする気満々ですか先輩もしかして」
 悲鳴じみた声を発するフェイトを、アリーは航空便の如く運んだ。


 罠というほどの罠は、仕掛けられていないようである。
 人形たちが、ただ展示されているだけだ。
 これらを制作した人々には無論、不気味なものを作るつもりなどなかったのであろう。
 だが腹話術、つまり喋らせるための人形たちである。人間の真似事をさせるために、作られたものたちである。
 人間に成りかけのまま成りきれなかった存在。
 そんなものの群れが今、自分を取り囲んでいる。
 どうしても思い出してしまうものが、フェイトにはあった。
「忘れられるものでもないし……な」
 フェイトはつい、呟いてしまった。
 アリーは何も言わない。つまらない独り言など、聞こえないふりをしてくれたのか。
 アリーではない何者かが、声を発した。
「オニンギョウ……」
 人形たちの下唇が、カクカクと動いている。
「オマエ、オニンギョウ。オニンギョウ」
「オイラタチト、オンナジ、オニンギョウ」
 固く、冷たく、甲高い声が、様々な方向からフェイトに浴びせられた。
「イジラレマクッタ、オニンギョウ……」
「ニンゲンヤメテ、オニンギョウ」
「フクワジュツ、ノカワリニ、ヒトゴロシ。ヒトゴロシ」
 無機的な口調で囃し立てる人形の群れを、フェイトは見回した。
「……その手は、古いな。少し前の俺だったら、とんでもない心のダメージ食らってただろうけど」
 またしても独り言が漏れた。アリーは、やはり何も言わない。
 聞こえないふりをしてくれている、わけではなかった。
「先輩…………!?」
 アリーの姿は、どこにも見えない。
 罠というほどの罠は、仕掛けられていない。そんなふうに思っていた己の迂闊さを、フェイトは呪った。
「くそっ……!」
 禍々しい気配のようなものが、博物館の奥の方から漂って来る。
 囃し立てる人形たちを蹴散らすように、フェイトは駆けた。


 1人の幼い少女が、椅子に座って人形を抱いている。
 その人形が、カタカタと下唇を動かし、言葉を発した。
「困るな君……予約のない客は、お断りだと言うのに」
 小さな女の子が、見事な腹話術を披露している、ように見える。
 あの白人夫婦の、娘だった。
 その愛らしい顔には、表情がない。抱かれた人形の方は、醜悪なほどに表情が豊かである。
 少女の方が、今や人形と化しつつある。フェイトには、それがわかった。
「……こうやって人形を増やしてる、と。そういうわけかい」
「この少女は、特に素晴らしい人形になるだろう。あの夫婦は、私が代わりに与えてやった粗悪品の人形を、これからは娘として大事に大事に育ててゆくことになる……くく、くっくくく育つわけがないのになあああ」
 表情豊かに笑いながら、人形が禍々しい眼光を発する。
 この眼光で、あの夫婦は暗示のようなものをかけられたのだろう。
「この愛らしい娘が、人間として世の汚れにまみれながら醜く老いさらばえてゆく。私は、そんな事には耐えられん。だから人形として、永遠の時を」
「ごめん、その手の話は聞き飽きてるんだ。職業柄、もう嫌になるほど相手にしてるんでね。あんたみたいな連中」
 フェイトは言った。
「……俺の先輩を、どこに隠したのか。それだけ訊いておこうかな」
「隠してなどいない。ほれ、そこにいる」
 部屋の片隅で、アリーは椅子に座っていた。
 表情がない。この小さな女の子と同じく、人形になりかけている。
「なかなか面白い人形になってくれそうなのでね。この娘の、おまけのようなものだ」
「先輩がそれ聞いたら、あんたバラバラにされるよ」
 言いつつフェイトは、人形を睨み据えた。
 エメラルドグリーンの瞳が、一瞬の輝きを発する。力が、眼光と共に放たれる。
 少女の腕の中で、人形が砕け散った。
 人形を失った少女が、がくりと椅子から崩れ落ちる。
 その小さな身体を、フェイトは抱き止めた。
「パパ……ママ……」
 人間としての意識を取り戻しながら、少女が微かな声を漏らす。
 両親のもとに返してやるには、警察の力を借りる事になるだろう。問題は、あの夫婦にかけられた暗示が解けているかどうかだ。
「いっ……てぇ〜……」
 誰かに抱き止めてもらう事もなく床に倒れたアリーが、億劫そうに身を起こしている。
「畜生、何だってんだ……二日酔いみてえに最悪の気分」
「ま、車の中で休んでて下さい。オレゴンまで俺が運転しますから」
 この先輩はもしかしたら最初から、放置出来ない邪気のようなものを、この博物館に感じていたのかも知れない。フェイトは、そう思った。