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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


アムドゥキアス


 何かを作り出して顕示したい、という欲求は、人間誰もが多かれ少なかれ秘めているものだ。
 八瀬葵は、そう思っている。
 それが人によって、文章であったり絵画であったり、小説であったり漫画であったりする。
 葵の場合は、音楽であった。歌であった。
 音大での成績は、可もなく不可もなくといったところだった。葵の音楽を、講師や教授たちはあまり高く評価してはくれなかった。
 評価してくれたのは、ある同級生の女の子である。
 君の歌は凄いよ、何て言うか魂が震える。彼女は、そう言ってくれた。
 誉めてくれたから、というわけでもないが、彼女とは親しくなれた。
 葵自身は、そう思っていたのだが。
「……舞い上がってた、だけだよな……俺」
 アッシュグレイの髪。女性的な白い肌に、ほっそりとした身体。
 そんな青年が、こうして陸橋の上に佇み、手すりに両肘を乗せている様は、これから自殺をしようとしている人間に見えなくもない。
 オレンジ色に近い茶色の瞳を、葵は眼下の車道に向けた。自動車の行き交う様を、じっと見下ろした。
 あの中に飛び込めば、ほぼ間違いなく死ねるだろう。
 彼女は葵の、音楽は高く評価してくれた。だが男としては、あまり良い点数をくれなかったようである。
 彼女の心を射止めたのは、葵の唯一と言っていい親友である男子学生だった。
 学内公認のカップルとなって幸せそうに、本当に幸せそうにしている2人を見ているうちに、葵は曲を書かずにはいられなくなった。歌詞を書かずにはいられなくなった。
 込み上げるものを吐き出すように完成させた、その歌を、歌わずにはいられなかった。
 ここが表現者という人種の、救い難いところである。
 人に聞かせるようなものではない、と頭ではわかっていた。自分1人の思いなど、自分1人の心の内に封じ留めておくべきなのだとも。
 わかっていながら葵は、自慰行為にも等しいその歌を、動画共有サイトに投稿してしまったのである。
 再生回数が思いのほか伸びた、とは言え十把一絡げな自己満足的創作物の1つとして埋もれてゆくしかないであろう……
 と思われたその歌を、今日も彼女は口ずさんでいた。
 病院の庭で車椅子に乗り、ぼんやりと遠くを見つめながら。
 あの歌を、口ずさむ。それ以外、彼女は言葉を発する事が出来なくなってしまったのだ。
 曲を投稿したなどと葵は当然、誰にも話してはいない。
 どうにか知り得て、面白半分に視聴してみたのか。あるいは偶然、耳にしたのか。
 それは定かではないが、とにかく彼女は、あの歌を聴いた。恋人である男子学生と一緒に。
 そして2人は、ビルの屋上から飛び降りた。
 葵の親友でもあった男子学生は、即死。
 彼女の方は、奇跡的に一命を取り留めたものの半ば植物人間で、目は開いていても意識は無いに等しく、ただ車椅子に乗ったまま、あの歌を口ずさむだけの日々を過ごす事となった。
 自分の歌が、2人の心を壊した。何もかもを、壊してしまったのだ。
 葵は、ちらりと周囲を見回した。
 いつの間にか、取り囲まれている。
 黒い服を来た男が5人。陸橋の上で、葵を手すりに追い詰める形に立っていた。
 1人が、スマートフォンを掲げている。
 葵がとうの昔に削除したはずの楽曲が、再生されていた。
「ネットの海から完全に消し去る事など、出来はしませんよ……まして、人の心に響いてしまった曲です。人の心から消し去る事も、出来ません」
 男が言った。
「音大は、中退なさったのですね。おかげで貴方を捜すのは一苦労でしたよ、八瀬葵さん」
「……そう、一苦労したんだ。俺なんかを捜すのに」
 自分の歌声を聴かされながら、葵は言った。
「……じゃあ、話くらいは聞くべきなのかな」
「我々は、貴方をプロデュースしたい」
 プロデュース。その言葉に、かつては大いに憧れていたものだ。
 自分の音楽を、誰かに売り出してもらえる。見果てぬ夢であった。
「貴方の音楽は素晴らしい。人の心を、魂を揺さぶる……人々が貴方の曲にお金を払う。その環境を、我々は整える事が出来る」
「……簡単に言うね。まず見てもらえない、読んでもらえない、聴いてもらえない。創作物を発表するってのは、そういう事」
 葵は言った。
「……俺だって、そのくらいは知ってる。まして、人が金を払うなんて」
「売り出しさえすれば、大いに売れる。貴方の音楽には、手間と費用をかけて売り出すだけの価値がある」
 男の口調が、熱を帯びる。
 少し前の自分であれば、大いに喜び舞い上がっていただろう、と葵は思った。この男たちに、自分の全てを委ねてしまっていたに違いない。彼らに自分を騙す意図があったとしてもだ。
「ち、ちょっと待ったあ!」
 声をかけられた。いくらか上擦った、若い男の声。
「焦っちゃ駄目だ、騙されちゃ駄目だ! あんたなら、こんな奴らに頼らなくたって、もっとちゃんとした芸能プロでデビュー出来る!」
 黒いスーツに身を包んだ、見たところ葵を取り囲む5名に劣らず怪しげな青年である。
 特に怪しいのは、その両眼だ。
 カラーコンタクトの類では有り得ない自然な輝きを放つ、緑色の瞳。
 エメラルドグリーンの眼光が、じっと葵に向けられている。
「さあ、早く逃げるんだ。こんな奴らと関わり合っちゃ駄目だよ」
「……誰?」
 葵は、まず問いかけた。
「……俺を、ええと助けてくれようとしてるのかな? 何で?」
「俺、あんたの……ええと、ファンだから」
「ファン、っつうかストーカーだろテメエこら」
 黒服の男の1人が、青年の腹に膝を叩き込んだ。
 緑眼の若者が、苦しげに身を折り、悲鳴を吐く。
 そこへ他の男たちが、容赦なく蹴りや拳を降らせてゆく。
「いきなり出て来て、勝手な事ぬかしてんじゃねえぞ!」
「ちゃんとした芸能プロなんてのが、この世にあるワケねーだろぉがああ!? どこも枕営業しかしてねえんだからよォー」
「俺たちゃ奴らとは違う! 本物のアーティストを売り出そうとしてんだよ! クソったれな人類を霊的進化に導く、終末のアーティストをなあ!」
「邪魔すんとテメーから滅ぼすぞ? 大いなる滅びの前祝いによぉお」
(……頭おかしい奴ってのは、俺だけだと思ってたけど)
 大いなる滅びだの終末のアーティストだの霊的進化だのといった単語を平然と口にしながら、暴力を振るう男たち。
 葵は、笑うしかなかった。
(……俺の音楽を認めてくれるのは、こんな連中だけ……か)
「な、何してる! 早く逃げろったら!」
 緑眼の若者が、叫ぶ。
 叫ぶ口元に、男の1人が蹴りを入れる。
 鼻血か、それとも唇を切ったのか、とにかく赤い飛沫が痛々しく飛び散った。
「……やめろよ」
 自分が何をしようとしているのか、よくわからぬまま葵は言った。
「……あんた方と、一緒に行く。だから俺のファンに暴力振るうのは、やめてもらおうか」
 自分はもしや、人助けをしようとしているのか。自分のファンを名乗る、この珍妙な若者を、助けてやろうとしているのか。
 葵は、俯き加減に苦笑した。
(……俺のファン、なわけないだろ? まったく……)
「何……言ってんだよ……早く、逃げろったら……」
 男たちに蹴り転がされ、顔面を踏み付けられながら、緑眼の若者は呻いた。
「こいつらは、あんたの歌を……あんたの、力を……利用しようとしてる、だけなんだぞ……」
「……力ね。俺の歌ってのは、なるほど力なわけだ」
 聴いた者の、心を壊す歌。確かに、禍々しい力としか思えない。
「……それはともかく、あんたもやめろよ……自分を犠牲にして他人に逃げろとか、好きじゃないんだよ俺そういうの」
「別に……好かれたい、わけじゃないんだけどなっ」
 緑眼の青年が、立ち上がった。
 暴力を振るっていた男たちが1人、2人と倒れてゆく。まるで青年の周囲に見えない壁があって、そこに激突しているかのように。
 壁、ではなかった。
 緑眼の若者の、拳、手刀、蹴り。
 それら攻撃が、葵の動体視力では追えない速度で、男たちを叩きのめしているのだ。
「……何だ、強いんじゃないか」
 葵は、とりあえず感心した。
「……あんた、いくつも嘘ついてるな。弱いふりしてボコられてたのもそうだし、俺のファンってのも嘘だろ」
「世の中には、どうも2種類の人間がいる」
 倒れ、動かなくなった男5人を見回しながら、緑眼の若者は鼻血を拭った。
「逃げろと言われて逃げる奴と、逃げない奴だ……あんたが前者なら、話は早かったんだけど」


 都内で、一組の男女が飛び降り自殺を決行した。心中である。
 男は死に、女は一命を取り留めたが、肉体も精神も破壊された状態だ。
 精神の方は、飛び降りる前からすでに破壊されていた。それがIO2の見解である。
 心中の直前、2人は、とある動画を視聴していたようだ。
 何者かが動画共有サイトに投稿した、歌。
 思いを寄せていた女の子が、自分以外の男と結ばれた。それを祝福する内容の歌詞だった。
 所々に、未練を捨てきれない自分が登場する。
 初めて聴いた時、これは祝福ではなく未練を歌ったものなのだとフェイトは思った。
 哀切なほどの未練を宿した、歌声。
 そこにフェイトは、得体の知れぬ力を感じた。
 その力に、虚無の境界が目をつけたのだ。
「……ごめん。確かに、あんたのファンってのは嘘だ」
 この歌の歌い手を、虚無の境界から護衛する。
 それが今回、IO2から与えられた、フェイトの任務である。
「ひどい嘘、ついたと思ってる……本当に、ごめん」
「……歌1つ投稿しただけで、ファンが付くわけないもんな」
 八瀬葵が、微笑んだ。
「……何で、弱いふりを?」
「素性を隠して、あんたを護衛するつもりだった」
 彼の歌を初めて聴いた時、フェイトがまず感じたのが、危うさだった。
 虚無の境界と同調しかねない、危うさ。
「事情を明らかにしたら、あんた自分の意思で虚無の境界に行っちゃうかも知れないと思ったから……まあ事情を話さなくても、そうなっちゃうとこだったけど」
「……虚無の境界、って言うのか。こいつら」
 倒れている男たちを、葵が見下ろす。黒服を着た、4人の男。
 いや、5人いたはずだ。
 フェイトがそう思った時には、すでに遅い。
「くっ……!」
 脇腹の辺りに熱い痛みを感じながら、フェイトは跳び退った。
 そして陸橋の手すりに激突し、ずり落ちるように膝を折る。
 黒いスーツが、血でぐっしょりと重くなっていた。
「IO2の犬が……てめえらに邪魔はさせねえ!」
 男の1人が立ち上がり、ナイフを構えている。
 フェイトの血で汚れた刃が、そのまま葵に向けられた。
「心配すんな、ちゃんとデビューさせてやっから……虚無と滅びのアイドルとしてなぁああ」
「黙れ……!」
 立ち上がれぬまま、フェイトは男を睨み据えた。
 エメラルドグリーンの眼光が、迸った。
 目に見えぬ鈍器にでも殴られたかのように、男がその場に倒れ、今度こそ動かなくなった。
 フェイトも、動けなかった。
 出血が激しい。念動力を、無理に絞り出したせいであろうか。
 痛みは、あまり感じない。もしかして自分は死にかけているのか、とフェイトは思った。
 ……いや違う。傷が、抉られた肉の内部から、塞がりつつあった。
 塞がりゆく傷口から、痛みそのものが搾り出されてゆく感じだ。
 歌が、聞こえた。
 葵の形良い唇から紡ぎ出され、微風のように漂う歌声。
 その歌が、フェイトの身体を癒してゆく。
「あんた……!」
 思わず礼を言うのも忘れて、フェイトは立ち上がっていた。
 傷など、最初から負わなかったかのように消え失せている。
「凄い……! 凄いよ、あんたの歌……!」
「……歌じゃないよ、こんなのは」
 葵は背を向け、すでに歩き出していた。
「……人の心を壊したり、傷を治したり……そんなの、歌とは言わないだろ」
 同じだ、とフェイトは思った。
 この八瀬葵という若者は、自分と同じだ。望まぬ力を持ち、それに翻弄されている。
「……俺はただ、歌を歌いたかった……だけなんだけどなぁ……」
 葵の背中を、フェイトは無言で見送った。
 同じとは言え、軽々しくアドバイスしてやれる事など何もなかった。