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<東京怪談ノベル(シングル)>


必要なもの -5-


 みなもの世界は日々広がる。
 世界との繋がりは一つではなく、それは夢の中にもある。その中でみなもはまだ気付いていなかったが新たな感覚を手に入れた。みなもが様々な感覚を見いだす可能性は、彼女を取り囲む世界よりも広大で果てしない。どこまでも広がり、そしてそれは巡り巡ってみなもの元へと戻ってくる。
 夢の世界での出来事は精神世界での出来事だったが、確実にみなもに変化をもたらしていた。
 ふとした時に感じる既視感はもちろんのこと、現実で扱う力にも微妙な変化が出始めていた。しかしそれは周りに居る者には気付かれない些細な変化で、本人もほんの少しの違和感を感じる程度だ。
 夢はあくまでも夢だが、そこで得たものはその世界だけのものではない。みなもは自分の意志でどちらにも存在しているのだから。

 揺蕩う夢の世界で、みなもはいつもと違う感覚に首を傾げた。夢の中で自分を取り囲む水はもちろん今までも苦しいということはなかったが、今は一体感というものがあるような気がしていた。水を纏うような感覚ではなく、自分が水そのものになったような状態だ。
 自分が透けているように思え、みなもは自分の手を眺めてみるが透けることなくそれはそこに存在していた。
 しかし見た目はそうだが感覚は違う。視覚と触覚が同じものを違うものと認識しているような違和感があった。
「あたしはなにか変わったのでしょうか……」
「はぁい、お悩み?」
 みなもの呟きに導かれるように、いつもと同じピンクのツインテールを揺らしながらリリィが現れた。みなもはリリィの登場にさほど驚いた様子を見せなかったが、挨拶をしつつ戸惑うような表情を浮かべ言う。
「最近、水の使い方の根本が変わってきたような気がします。なんというのか水という”もの”を扱っているような感じ……?」
「今までと違うの?」
 こくり、とみなもが頷けば長く青い髪が空間に広がる。みなもを取り囲むように水流が生まれ、戯れるように髪を揺らし肌をくすぐる。人魚の姿のみなもはその場に留まるためにか、ヒレと化した足をゆったりと動かしバランスをとった。 
「あたしの意識が変わったのかは分かりません。ただ、あたしを取り囲むものが変化しているというか」
 悩む仕草を見せたみなもだったが、先を続ける。
「夢の中ででも海では力の扱いが変わりましたし、その海も厳密な意味での水というものではなくて……」
「まぁ、夢だし現実と同じであるはずがないんだけど」
 此処っていわゆる空想世界と同列だし、とリリィは笑うがみなもは真剣な表情だ。
「空想かもしれません。だけど、それならあたしが見ている夢は”みなも”という水の中に入っていると考えればどうでしょう」
 あたしという器が夢そのものっていう考え方です、とみなもは告げた。
 その言葉にリリィは衝撃を受けたようで、驚きという珍しい表情を浮かべ停止する。すぐに復活するが動揺は隠し切れていない。
「あのね、その考えでいくと今この瞬間、リリィはみなもっていう檻に囚われてるってことになるよ。でも確かに考えたことはなかったけど、そういうのもあるかなぁ。だって、夢ってその人そのものって言ってもおかしくないもんね」
 リリィ囚われちゃった、と茶目っ気たっぷりに言うと、みなももそれに乗って、捕らえちゃいました、と笑う。
 その瞬間、空間が歪みみなもの笑顔がぶれた。
「あれ?」
 目を擦り、リリィはみなもの姿を見つめる。
 確かにそこにみなもは存在していたが、すり抜けてどこかに消えてしまいそうな危うさがあった。
「リリィさん。あたし、ちょっとおかしな気分です」
 みなもは自分の手と辺りを見渡し、リリィに縋るような目を向けた。何度か手を握り、開いたりを繰り返すが感覚がおかしいのか首を傾げる。
「ふぅん、どんな気分なの?」
 面白いおもちゃを見つけたような嬉々とした表情でリリィはみなもの手を握った。握った瞬間、みなもは身を震わせる。
「あたしがこの空間にどんどん広がっていくような感じです。リリィさんの手があたしをここに繋ぎ止めてくれてる、そんな感じで」
「じゃあ、離しちゃお」
 告げられたみなもは不安気な視線をリリィに投げるが、リリィは繋いだ手を容赦なく手放した。そしてそのままワルツを踊るようにくるくると回る。
 みなもは突然の感覚に小さな悲鳴を上げた。
 自分の存在が広がって、夢の中の海そのものになったような感覚がみなもを襲う。リリィが動けばそれを感じることが出来たが、自分の体の中を動き回られるような感触に心と体がざわついた。
「やっ……リリィさん……んっ……」
「ふふっ、目の前にちゃんとキミがいるように見えるのに感覚は違ってるなんて不思議」
 みなもの首に手を巻き付かせ抱きついたリリィは笑う。
「ほら、リリィはここにいるよ。捕らえたいんじゃないの?」
 せっかく夢そのものになれたのにね、とリリィはクスクスと声を上げた。
 そうだ、とみなもは思い出す。
 今までは夢の中に作り出した海を操っていた。しかし今回は違う。自分が夢そのものになっている。
 自分の体の中に流れる血が夢で、みなもはその血を自在に操ることが出来る。
 それは水を操るよりも簡単だ。自分自身の血で海を作ることもできる。
 みなもは動き回るリリィを捕まえる場面を想像した。四方からリリィを捕らえる赤い水流が迫る。それは糸のようにリリィの四肢に絡まり、その空間に張り付けた。ピンと張り詰めた糸がリリィを拘束する。
「あっ……っと、よしっ! リリィさん、おいたはいけませんよ」
「わぉ、捕まっちゃった。でもなんかこの服装でこれはリリィ、とってもえっちだよ」
 食い込みそうなビキニを纏い、四肢を四方から拘束され宙吊りにされたリリィは幼児体型だが夢魔だ。それなりに色気もある。
 それに気付いたみなもは慌てふためくが、吊す糸を緩めることはない。
「ごめんなさい、でもあたしの中を動き回られるのもちょっと……」
「動き回れるのはくすぐったい? ふふっ、でも残念。止めてあげない」
 ごめんね、とリリィはきつく縛られた糸をすり抜けた。先ほどみなもの体がぶれたように、リリィの体も同じ現象を起こす。
「夢魔は根本的に存在そのものが夢だから、誰の夢にも同化できちゃうの。だからこうして擦り抜けられる」
 だけどキミのこれは夢魔以外には効果的、とすり抜けたばかりの血液の糸を指に絡ませながらリリィは告げる。
「キミそのものが夢ということはそれ自体がすごい武器になる。まぁ、このくすぐったーい感覚に耐えて相手を包み込んでしまえばね、そのまま夢の中で窒息させることもできちゃう」
「あたしの海でそんなことが……」
「今までだってできただろうけど、もっと簡単ってこと。それに自由がきくし強力。もっと慣れてくれば相手の感情だって操ることが出来るよ、きっと」
 体液を一滴でも含ませたらそれを媒介として、とリリィが説明するとみなもが素っ頓狂な声を上げた。
「あのそれって必要なものですか?」
「うん、使えるものはなんでも使うべきでしょ。夢の中なんて不安定なところでは特に。外からも内からも思いのまま。絶対的な力がないなら尚更欲しいよ」
 だってほら、とリリィは先ほどまで自分を吊し上げていた糸を指で弾いた。それはぶれて二重に見えているみなもの四肢へ絡まり人魚の姿のみなもを宙へと吊した。
 しかしその吊し方が酷かった。ヒレの部分は真横に引かれ、それはさながら鯉のぼりのようだ。
「リリィさん!」
「さっきのおかえし。リリィ、恥ずかしかったし」
 妖艶に笑いかけたリリィにみなもは今にも泣き出しそうな表情で抵抗する。
「あたし、これは嫌です。でもさっきのリリィさんみたいなのもちょっと困るし」
「じゃあ、さっきの夢と一体化する感覚を思い出してリリィに一滴でも血でも涙でも舐めさせてみたらいいんじゃないかなー?」
 効果あるかもよ?、とリリィはみなもに詰めよった。
「そんな……」
「ほらほら、まだ夜は長いんだし頑張ってね。特訓してあげる」
 みなもの悲痛な声は夢の世界に反響した。