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<東京怪談ノベル(シングル)>


真夏の雪女


「あの……」
「はい、お静かに。動かないで下さいねえ、危ないですよぉ」
 何か言おうとする松本太一を黙らせながら、OLの1人が手際良く、眉用ハサミを使っている。
「眉毛ザックリいっちゃいますよぉ、バカの顔になっちゃいますよお。だから動かないで下さぁい」
「はあ……」
 まるで麻酔なしの手術を受けているかのようだ、と太一は思った。
 何人ものOLが、眉用ハサミだけでなく、アイライナーやチークブラシで、太一の顔を弄り回している。
「松本さんって、イケメン……って言うか綺麗な顔してたんですねえ」
「何か、あたしたちより化粧ノリいいし。これ50歳近い男の人の肌じゃないですよお!」
「こんな人、職場の隅っこにいたのねえ。今まで単なる背景その1な万年平社員だと思ってたけどぉ」
 48歳という年齢の割に若く見える「綺麗なオッサン」として、以前から一部の女子社員らの間で噂になっていた松本太一が、最近いきなり注目を集める事になった。
 そのきっかけとなったのは数日前、太一が後輩を庇って、嫌われ者の課長に逆らってみせた、あの時である。
 いつの間にか、何やら「叛逆の英雄」のような扱いを受けている自分に気付いて、太一自身はいくらか戸惑っているところだ。
 あの課長は、実は創業者一族の出身で、入社も昇進もほとんどコネによるものであったらしい。
 本人も、それを気にしていたのだろう。クレーム処理でも何でも、とにかく自分の力による実績が欲しかったに違いない。
 それに失敗し、責任を部下に押し付けているようでは、いくらか気の毒なところはあるにせよ同情の余地がないのは、まあ確かであった。
 創業者一族に刃向かった「叛逆の英雄」は今、OLたちによって、着せ替え人形のような扱いを受けている。
「ちょっと、何よこのスベスベ足! 剃る必要もないじゃないのよ!」
「許せない! あたしらが脱毛にどれだけ手間とお金かけてるか知ってるんですか松本さんは!」
 そんな事を言われても、などと言おうとした口に、容赦なく口紅が塗られてゆく。
 女装する事になった。48歳の、中年男がだ。
 地域の、夏祭りである。
 この会社からは、人材を貸し出して協賛する事になった。
 女装の出来る人材である。
 民主主義の原点・多数決で、松本太一が駆り出される事となった。
『嫌なら、断れば良かったじゃないの』
 太一にしか聞こえない声で、語りかけてくる者がいる。
 自分の中に住んでいる、女の悪魔。比喩でもなんでもなく、そう呼ぶしかない存在である。
『まあ見たところ、あんまり嫌そうでもないわね。貴方』
(そんな事はありませんよ。だけど断ったら空気が悪くなります)
 心の中で、太一は会話に応じた。
(人間社会では、空気の良し悪しというものが、とても重要なんですよ。貴女がたには、わからないかも知れませんけど)
『わかるわよ。空気を読める奴がいい思いをするのは、私たちの世界でも同じ』
 この女悪魔は比較的、空気を読まない方なのではないか、などと太一は思わない事もなかった。
 ともかく。心の中でそんな会話をしている間に、1人の雪女がそこに出現していた。
 細い身体は、こうしてパッドを着けて晒を巻き、その上から白い着物をまとうだけで、たやすく女の体型になってしまう。
 男らしさに欠ける頼りない顔は、こうして濃いめのメイクを施すだけで、女の顔になってしまう。
 頭には、ヘアピースが被せられていた。作り物のロングヘアーである。
 鏡を見せられて、太一は呆然とした。
 頭の中から、女悪魔が楽しげに言葉をかけてくる。
『綺麗……なぁんて思ったでしょう? 今ちょっとだけ』
(お、思っていませんよ)
『まあね、私もここまで様になるとは思わなかったわ……貴方、女装の才能があるわよ。男って生き物には、多かれ少なかれ女装願望があるものだけど』
 誉められた、のかどうかは、わからない。
 周りの女子社員たちは、誉めてくれている。
「うっわぁ〜……嫉妬しちゃう」
「すごい、完璧に雪女じゃないですか! これなら魔女とか魔法少女とかセーラー服やメイド服もいけますねえ!」
「松本さん、次の社内ミスコン出てみません? 優勝間違いないですから!」
「あ、あの、それより」
 太一は、弱々しく言葉を発した。
「……どうして、雪女なんですか?」
「夏だからに決まってるじゃないですか! 地域の皆様に、少しでも涼しい思いをしていただかないと」
 OLの1人が、明るく答える。
 頭の中で、女悪魔がぽつりと言った。
『……吹雪でも起こしてみる? 本物の雪女らしく』
 やめて下さい、と太一は思わず声に出してしまうところだった。


 地域の人々が、少しでも涼しくなれるように、という事であろうか。
 ホラーパーティーの要素が、いくらか入っているようであった。
 雪女だけではなく、幽霊やゾンビもいた。一つ目入道に吸血鬼、フランケンシュタインの怪物……和洋様々な妖怪が、夏祭りの会場を巡回したり、露店を手伝ったりしている。
 夏祭りと言うより、ハロウィンのようでもあった。
「おお、イイ感じの雪女ちゃんがいる」
「君、どこの会社の子? 着物もメイクもばっちり決まってんじゃん」
 落ち武者の亡霊とミイラ男が、馴れ馴れしく声をかけてきた。
「っかしーなぁ、この辺の会社の受付嬢は全員チェックしてるはずなんだけど……こんな綺麗な娘、見落としてたとは一生の不覚だぜい」
「っつーわけで雪女さん、これ終わったら一緒に打ち上げ行かない? いーぃ店知ってんだこれが」
「……仕事をしなさい、仕事を」
 太一は冷ややかに、睨み据えて言った。
「貴方たちも、それぞれ会社を代表して来てるんでしょう? そんな仕事の最中に、打ち上げの事を考えてるようじゃ……全然駄目、お話にならないわね」
「ああん、クールビューティー!」
 落ち武者とミイラ男が、ゾクゾクと寒そうに嬉しそうにしている。
「たったまんねえ、本物の雪女みてえ」
「踏んで、お姉様! 踏んづけながら、も1回言ってくれよう」
 そんな両名を無視して、太一はゆらりと歩み去った。
『貴方は……女装した方が、堂々と会話出来るみたいねえ』
 頭の中で、女悪魔が面白がっている。
『何だかんだで乗り乗りなんでしょう? その格好』
「……勘弁して下さいよ。私は、仕事の一環としてやっているだけです」
 太一は応えた。端から見れば、独り言である。
「まあ女装には慣れてますからね……普段のあれも、女装みたいなものでしょう?」
『夜宵の魔女は……言ってみれば、貴方の深層心理の具現化よ。女装どころか、本当の貴方、とも言えるわね』
「……本当の私は、みすぼらしい万年平社員ですよ」
 何故、自分なのか。
 取り憑く人間など、いくらでもいるであろうに、その中で最もみすぼらしい部類に属する自分を何故、選んだのか。
 訊いてみたところで、この女悪魔が、まともに答えてくれるはずがなかった。