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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


Episode.36 ■ 異能への恐怖








 一人の女性から突如として申し出された、手合わせの願い。
 特に無意味な手合わせには何ら興味を持たないはずの冥月も、先程から続いていたどこか鬱蒼とした気分を振り払いたいという気持ちもあってか、合意してその女性の後をついて歩いていく。

 これから拳を交えるという現状に、心の何処かでは何か熱に浮かされるような感覚が芽生えている。それは積年の癖とも言えるものであるだろうが、先程までのガールズトークに巻き込まれてあたふたとさせられた冥月の感情を追いやり、すっと前を歩く女性へと視線が向けられていた。

 ――素人、という訳ではなさそうだな。
 手合わせを申し出てきた女性の歩く姿を見て、冥月はそんな印象を受けた。

 足の運び、身体の重心の無駄のない動き。体幹を鍛えていなければどうしたって無駄な動きが生まれ易くなるが、彼女の歩く姿を後ろから見る限りはそれが出来ている。

 IO2の女性エージェントの一人、と考えるべきだろう。
 先程まであわや芸能人も顔負けな勢いで声をかけていた同僚達からは一歩引いた位置に立っていた彼女の存在には気付いていたが、質問攻めされて辟易としていたせいでそんな律動とも呼べる身体の動きには気付いていなかった。

 うまく言えば警戒が解けていたと言えるが、彼女の過去を考える限りではそれは褒められた評価ではない。むしろ失態であると評するべきだ。

 年の頃は百合よりも若干上であり、自分より僅かに年下といったところだろう。
 茶色がかった黒髪は肩にかからない程度の位置で切り揃えられ、良くも悪くも女性らしさを損なっているようにも見受けられる。

 手合わせという言葉を使ってきた上に先程からの身体運びを考えると、やはり体術に通じているのだろう。髪は当然短い方が良い。女の髪は接近戦では引っ張られてしまうだけで、利点など何もないのだ。
 かくいう自分はと言えば、長く艷やかな黒髪を携えている訳だが、それはそれである。自分が捕まるようなヘマをしないという自負と、長い黒髪を褒めてくれる存在がいるのだから、冥月にとっては切る必要など当然ないのだ。

 ともあれ、先程から前を歩いている女性。
 その自信のなさは確かに見受けられたが、果たしてそれで手合わせを願って何を得ようというのか。
 いっそ手が届かないと思うならば稽古を願い出るぐらいの方がもっと素直で冥月としても分かりやすい願いだと言えるだろう。

 そうした考察を続けながら黙々と、冥月はその女性の後ろをついて歩いていた。

「ここです」

 女性に促されてちらりとドア横に書かれたプレートの文字――『訓練室』というその単語を見て冥月は頷いた。罠の可能性があるにしろ、ないにしろ。どちらにせよ、この部屋が疑う要素は今の所は見当たらない。

 中へと入って、冥月の疑念は一瞬にして晴れた。
 広々と広がった正方形の室内は、無愛想なまでに何も置かれていないシンプルな部屋である。
 唯一あるものと言えば、訓練状況を見る為の観察室が中空に浮かび上がるようにある事だが、影を巡らせてみてもそこに人の気配はない。

 罠であるという疑いを払拭した冥月は、早速中へと足を進め、女性とある程度の距離を置いた位置で立ち止まり、対峙した。

「いつでも来ると良い」

「……はい、行きます!」

 始まりは、やはり体術から試みるつもりなのだろう。
 女性はぐんと身体を前傾させて走り出し、すぐに冥月との間合いを詰めてみせた。

 ――なるほど、さすがにIO2職員というだけの事はある、か。
 涼やかな顔をしながら女性を評しつつ、冥月に向かって横合いから抉るように繰り出された女性の右手の拳を左腕を曲げて受け止める。

 瞬時に次の一手を下そうと女性がリズムを変えるが――それは悪手だ。
 冥月はそのタイミングを狙っていたかのように身体を瞬時に折り曲げ、女性の足を回転して払う。
 宙に浮く形となった女性の腹部へ、立ち上がった冥月蹴りが横から襲いかかった。

「――ッ!」

 咄嗟に腕を差し込み、その直撃を免れたのは及第点だ。
 宙に浮いた身体では衝撃を逃がす事も出来ずに受け止める事になる。もしも本気で冥月が蹴りを放っていればその華奢な腕を砕く事も可能であったが、冥月は僅かに足の軌道をずらし、関節の弱い部分から腕の上部へと蹴りを見舞う。

 冥月の身体も決して太くはなく、むしろ華奢だ。
 それでも彼女の蹴りは女性の身体を簡単に蹴り飛ばし、体勢を崩した女性は横に飛ばされながらも何とか体勢と整える。

 初動の動き、その対処。
 どちらを取っても大した実力とはお世辞にも言い難い内容だ。
 どこか拍子抜けする感情をおくびにも出さない様子で冥月は女性を見つめ――そして気付く。

 ――……何かに迷っている、のか?
 女性が僅かに逡巡した様子を見せて、冥月はそう判断した。

「……まさかとは思うが、今の一撃で動けない程に身体を痛めたのか?」

「な……、そんなこと、ありません」

「だろうな。じゃなければ心が折れたか? どちらにせよ、今のままの実力じゃ生き残る事も出来ないぞ。辞めるなら今の内だ」

 分かりやすいぐらいにシンプルな挑発を口にすると同時に、冥月は立ち上がった女性へと肉薄する。
 その素早い動きに目を剥いた様子であったが、それでも対処しようと試みて身体を動かしているが、やはり冥月にとってみれば鈍重だ。

 判断が遅く、さらに身体がそれに対処するまでのタイムラグが長すぎる。
 冥月にとっては穴だらけの体術が、拙い動きをもって対処に走らせる。

「動きが鈍い。判断も遅い。このまま私に嬲られるだけで終わってしまうぞ」

「く……ッ」

 苦い表情で対処する――いや、対処出来る程度まで加減されていることなど、女性にも理解出来るような攻撃だ。蹴りや掌底を打ち込むスピードも、その位置も全て甘く、それでも急所を守ろうと差し出した手がギリギリで届く位置にセーブされている。

 まるで、大人が赤子の手を捻るようだ。
 端から見れば冥月の猛攻を防いで見えるかもしれないが、その加減された全ての攻撃は冥月によってギリギリの位置を見定められ、それでも届かないとなれば当てられる程の絶妙な加減である。

 もしもこれが、冥月の言う通りにただの訓練であったなら、女性はこの状況を甘んじて受け入れただろう。
 しかしこれはあくまでも対等な手合わせのはずだ。それがこのザマであり、嘲笑すらせずに路傍の石を見るかのように攻撃を繰り出し続ける冥月に対し、一人の一人前のエージェントとしての彼女の自尊心が――揺らいだ。

 途端、女性の顔付きが変わり、構えが僅かに変化の兆しを見せた。

 ぞわりと悪寒が背筋を走り、冥月は咄嗟に後方へと跳び、十分過ぎる程の女性との間合いを設けてみせた。あまりにもあっさりと引かれた事に動揺したのか、先程の滲み出す悪寒は霧散し、冥月へと視線を向ける女性。

 そして直後に、自分が何をしようとしていたのか気付いたかのように顔を伏せ、女性は構えを解いた。

「今、何をしようとした?」

「――……ッ、すみません。私の負けです」

 苦虫を噛み潰したかのような顔で、女性はその真意を話そうとはしなかった。

 ――何か危険なものは確かに感じた。
 背を伝った嫌な汗が、冥月のそれをただの勘違いではないのだと物語る。

 最初に見せた僅かな動揺。それに今の態度を見る限り、恐らくは切り札なのだろう。それもきっと、彼女自身が使いたくないと思ってしまうような。
 その威力、危険性は今の彼女を見ていれば容易に想像がつく。それに自分の背を伝った悪寒はまず間違いなく本物であったとその推測を確信へと変えていた。

「あの」

「ん、何だ?」

「どうすれば、〈異能〉を使わずにそこまで強くなれるのですか?」

 女性の問いかけに、さらに確信を深める冥月であった。
 一つ溜息を吐いて「何か勘違いをしているようだが」とだけ告げると、冥月は女性をまっすぐ見つめた。

「自分が強いと思った事などない。私より強い奴は私が知る限りでも吸う人はいたからな。世界を見て回れば、それこそもっと多くいるだろう。強いて言うなら、環境がそうさせたと言うのが一番正しいだろう」

「環境……?」

「お前も、私の過去は知っているのだろう? それが私の環境だ」

 冥月の言葉に女性は息を呑んだ。どうやら冥月の過去を知り、冥月を冥月と知ってこうして声をかけているようだ。

 血反吐を吐く程の厳しい鍛錬の日々と、様々な死地へと足を赴かせた経験。
 物心つく前から戦いと殺し合いの日々の中で生きてきたのだ。
 それらを環境と言わずに何と言えば良いのか、冥月自身にもそれはわ駆らない。

 兄弟子や師はそんな自分をさらに鍛え、昇華させてくれた。
 才能を開花させ、身体も心も殺し合いに最適化しつつあった自分の腕を更に鍛え、自分の道を切り開くだけのものにしてくれたが、果たしてそれが幸せであったのかどうか。

「……〈異能〉に頼るのが、そんなに怖いか?」

「――ッ! 気付いて、いたんですね……」

「まぁそれぐらいは見て分かる。それに何より――お前のような奴を私も見た事があるからな」 

「そ、その人は一体今どうなって――あ……っ」

 問い詰めるべく歩き出そうとした女性であったが、その身体はまるで糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちた。
 身体に打ち込まれていた痛みが、今更になって身体の限界を訴えてきたのだろう。

 悔しさに歯噛みする女性に歩み寄り、冥月はすっと腰を折り曲げて女性を抱え上げた。
 それはいわゆる、お姫様抱っこという態勢で、だ。

「ふぇっ!? あ、ああああのっ!」

「――そいつは、今はしっかりと〈異能〉を使いこなしている。特に焦る必要もない。自分の中で折り合いがつく日が必ず来る」

「――……っ、は、はい……。わ、分かりましたからその、下ろしてもらっても……」

「歩けないのに無理をするな。医務室までの道を案内しろ。連れて行ってやる」

「え、あ。えっと……」

 顔を真っ赤にしながら動揺する女性に、先程までの剣呑な笑みから柔らかな笑みへと変えた冥月が微笑むと、女性はさらに顔を真っ赤にするのであった。

 ――――その数分後、百合の叫び声がIO2の廊下の一角で響き渡った。

「お、おおお、お姉様が! お姉様抱っこを! 知らない女を!」

「お、おい、落ち着け百合。それを言うならお姫様抱っこじゃないのか、これは」

「お姉様、その女をすぐに下ろしてくださいませ! ……殺りますわ!」

「ひっ……!?」

 平和過ぎるIO2の一幕であった。

 ――女性の名は、葉月 絵流《はづき える》。
 彼女と冥月、それに百合の三人が出会ったのは、何も偶然ではなかった。



 一方その頃、百合によって半ば生ける死体をも彷彿とさせる武彦であったが、その話題は懐かしい過去の話へと変わろうとしていた――――。





 to be continued...



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ご依頼ありがとうございます、白神です。
お久しぶりですー。

細かい描写を入れると、どうしても文字数が膨れてしまうので、
今回武彦側の会話は持ち越しという形にさせて頂きました。
申し訳ありません。

百合のお姉様ぶりが、とある何かの黒○さんに見えてしまった瞬間です。笑

お楽しみいただければ幸いです。

それでは、今後共宜しくお願い申し上げます。


白神 怜司