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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


敗れた少年


「要るか要らないかを決めるのはノゾミ、お前自身じゃあないんだよ」
 伊武木リョウが、耳元で囁いている。
「俺には、ノゾミが必要だ。お前自身がどう思うのかは関係ない……ノゾミを必要としているのは、俺なんだからな」
「リョウ先生……」
 温もりを感じられずにいたノゾミの心に、じんわりと温かさが灯ってゆく。
 抱擁の中で、顔を上げた。
 優しい笑顔と、目が合った。
「護衛の任務は、これでお終い……帰ろうか、ノゾミ」
 少年の細い身体を右腕で抱き支えたまま、伊武木リョウは左手を上げた。
 タクシーが、近くで止まった。
「今日は、俺んちに泊まってくといい」


 ほとんど研究室に住み着いているようなものだが、伊武木リョウにも『自宅』はある。
 とあるマンションの一室で、家賃は製薬会社が払ってくれている。社員寮のようなものだ。
 必要最低限の家具だけが、整然と配置されている室内。あちこちに、うっすらと埃が積もっている。
「……っと、しばらく帰ってないからなぁ。ごめんノゾミ、ちょっと待っててくれるかな」
 言いつつ伊武木が、ダスターで自室のあちこちを拭い始める。
 ノゾミは慌てた。
「先生、そんな事ボクがやるよ……」
「何を言ってるんだ。今のノゾミはお客さん、そんな家政婦みたいな事させられるわけないだろう」
(ボクは……家政婦でも、いいのに……)
 コーヒーを淹れる、以外の家事も覚えなければならない。そんな事を、ノゾミは思った。
 伊武木に、目の前で部屋の掃除などさせてしまっている。
 それだけで、ノゾミの心は落ち着かなくなった。
「あの、リョウ先生……」
 落ち着かぬまま、ノゾミは言った。
「今日は……すみません。先生の護衛を任されていながら、あんな失態を」
「失態。はて、ノゾミがどんな失態を?」
 先生が意地悪を言っている、とノゾミは思った。
「だから……スタンガンなんかに、やられて……」
 無能力者のスタンガンごときに、不覚を取った。
 そんな自分が許せないのは無論だが、本当に許せない失態は、その後である。
 あのような、ふざけた男に、伊武木リョウを守らせてしまった。
 先生を守ったのは、自分ではなく、あの男なのだ。
 それを思うだけで、ノゾミの声は震えた。
「ボクは……先生の護衛に、失敗して……」
「聞きなさいノゾミ。人間でもホムンクルスでも、1度も失敗した事がない奴を俺は信用しない」
 伊武木が言った。
「俺はね、完璧な生命体を作ったつもりはないんだ。きっとノゾミはこれからも、いろんな失敗をするだろう」
「そんな……そんなの、嫌だよ……」
「失敗した後で、どう変わるか……次に活かして、進歩していくのか。それとも、どんどん駄目な奴になっちゃうのか。そこまでは俺は知らんよ? そんな事まで、遺伝子に組み込めるわけじゃないからね」
 伊武木は、ニヤリと笑った。
「駄目駄目なノゾミっていうのも、見てみたい気はするな。きっと可愛いと思うよ?」
「そんなの……絶対に、嫌だよ……」
 ノゾミは俯いた。
 伊武木リョウにとって自分は、可愛がる対象でしかない。
 可愛さ以外のものは一切、求められていない。期待されていない。
(ボクは、もっと……リョウ先生の役に、立ちたいのに……)
 それを、ノゾミは口に出す事が出来なかった。
 役立たず、と思われて当然の失態を晒したばかりなのだ。
「あの研究所では、どいつもこいつも完璧な生命体を作り出そうと躍起になってる……あ、ノゾミも座りなよ。ちょっと埃っぽいソファーだけど」
 ソファーに身を沈めながら、伊武木は言った。
「馬鹿馬鹿しいよな。そんなに完璧を求めるんなら、生き物じゃなくて機械を作ればいいのに。生き物、特に人間に近いものを作ろうとするなら、完璧さなんて追求しちゃあ駄目なんだよ」
「人間に……近いもの……」
 自分が、人間ではない。
 本当の事だ、当たり前の事だ、とノゾミは己に言い聞かせた。
 自分は伊武木リョウよりも、これまで何体も殺処分してきた、出来損ないの実験体たちに近い存在なのだ。
(そんなボクを……人間のように扱ってくれるのは、リョウ先生だけ……)
「ボクは……進歩なんて、出来ないかも知れない……」
 言うべき事を頭の中で組み立てる前に、ノゾミは口を開いていた。言葉が、勝手に溢れ出してくる。
「ボクにとっては、リョウ先生が全て……そこからは、1歩も前に進めない。1歩も動けない」
「ノゾミ……?」
 伊武木が、怪訝そうな顔をしている。
 ノゾミは1つ、恐ろしい事に気付いた。
 伊武木リョウが、自分の事をどう思っているのか。飼っている犬程度には大切に思ってくれているのか、あるいは、いくらでも代わりを作れる実験体としか思っていないのか。
 それを自分は、今まで確かめた事がない。伊武木に、訊いてみた事がない。
 確かめる事を、訊く事を、避けてきた。
「ボクは……リョウ先生が、好きだから……」
 言いつつも、ノゾミは俯いた。伊武木の顔を見ていられなくなった。
 今、一体どんな顔をされているのか。
 気持ち悪がられている、かも知れない。
「鬱陶しいよね、リョウ先生……護衛の仕事もろくにやれない、出来損ないのバケモノに……こんな事、言われて……」
 ノゾミは、思いきって顔を上げた。
「鬱陶しいなら、ボクの記憶を書き換えて……」
「馬鹿を言うんじゃない」
 静かな口調で、しかし伊武木は怒っていた。
 光彩に乏しい、暗黒色の瞳が、今は炎にも似た輝きを孕んでいる。
 その眼光が、まっすぐノゾミに向けられていた。
「ノゾミ……お前、いくつになった?」
「……16歳、です……」
「お前の記憶は、例えば洗脳みたいな手段で無理矢理に植え付けたものじゃあない。俺とお前で、16年かけて培ってきたものだ。16年間の、人間の記憶だぞ。機械のデータとは違うんだよ。削除や上書きなんて出来るわけないだろう」
 俺とお前で。
 その言葉が、ノゾミの心に熱く、温かく、染み入って来る。
「お前の16年は、俺の16年でもあるんだ。それを否定する権利は、お前にだってないんだよ」
「リョウ先生……」
「16年……俺にとっても、かけがえのない日々だ。お前との思い出だ。書き換えなんて、誰がするかよ。させるかよ」
 暗黒色の瞳の中で、炎が激しく燃え上がり、いくらか和らいだ。
「16年間、俺はお前を大切に思ってきた……なんて口で言う事じゃないけどな」
「…………」
「だけどノゾミに、そんな心配をさせている。お前を、大切に思う事は出来ても、幸せにはしてやれないみたいだなぁ俺って奴は」
「ボクは……ッ! 充分、幸せです!」
 今度は、ノゾミが怒る番だった。生活感のない室内に、少年の上擦った怒声が響き渡る。
 伊武木が、呆気に取られている。
 ノゾミは、思わず口を押さえた。みっともない大声を出してしまった事に今更、気付いたのだ。
 何とも形容し難い沈黙が、しばし続いた。
 笑い声を発したのは、伊武木の方からだ。
「何の事はない……充分、幸せなんだよな。俺たちは」
「リョウ先生は……」
 ボクと一緒にいて、幸せなの?
 その問いかけを口に出す事が出来ず、ノゾミは俯き加減の微笑でごまかすしかなかった。
「この話はもうやめ。幸せなんて、力説する事じゃあない」
 言いつつ伊武木は、ちらりと腕時計を見た。
「明日……いやもう今日だな。休みをもらってるんだ。短い時間だけど、ノゾミと一緒に過ごしたい。どこか行きたい所、あるかな?」
「え、それって……」
 デート。
 その単語を、上手く口に出せたかどうかは、わからない。唇は動いたが、声は出なかったかも知れない。
 ともかく伊武木は、微笑んでいる。
「ま、それは朝になったら決めればいい……それまで少し眠っておこうか」


 シャワーを借りた。さすがに、一緒に風呂に入るような事はしない。
 1つしかないベッドは、ノゾミが使わせてもらう事となった。伊武木が、ソファーで寝ると言い張って聞かないのだ。
 さすがに、同じベッドで一緒に寝るような事はしない。
(いつか、リョウ先生と一緒に……お風呂入ったり、一緒に寝たり……)
 妄想が、ノゾミの頭の中で、ぐるぐる回りながら熱を帯びている。
 眠れるわけがなかった。
「何だ、眠れないのか? ノゾミ」
 ソファーに寝転がったまま、伊武木が声をかけてくる。ノゾミは一瞬、妄想を見抜かれたような気分になった。
「あっ、いやその……先生も?」
「まあな。中途半端に酒、飲んじゃったからかな」
 伊武木の言葉に、含み笑いが混ざった。
「……思い出すなあ。ノゾミの、赤ん坊の頃」
「お……おねしょでもしてたって言うの?」
「それもそうだけど、ノゾミは本当、寝付けない赤ん坊でなあ」
 母の胎内ではなく、培養機器の内部で、青霧ノゾミは16年前、胎児として形を得た。
 ホムンクルスを、最初から完成された怪物として作り出すのではなく、赤ん坊の状態から育て上げてゆく。
 非効率的で趣味的な、道楽にも近い研究だと、当時の伊武木リョウは大いに非難され嘲笑されたらしい。
(そいつら……いつか全員、突き止めてやる……凍らせて、砕いてやる……)
「俺が膝の上に抱っこして、あやしてやったもんだよ」
 ノゾミは密かに怒り狂い、伊武木は笑っている。
「おねしょは、そんなになかったなノゾミは。俺の膝の上では、しょっちゅう漏らしてたけど」
「思い出さなくていいよ! そんな事っ!」
 ベッドの上で、ノゾミは思いきり布団を被った。それでも、伊武木の笑い声は聞こえる。
 赤ん坊の頃は、一緒に寝ていた。一緒に、お風呂にも入っていた。そんな思いが胸の内で渦巻いている。
 やはり、眠れるわけがなかった。