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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


夜の鼓動

 残暑も後半を過ぎた辺り。
 朝夕は冷え込むようになってきたが、昼間の日差しはまだまだ厳しいと感じる青空の下、外回りの営業をあらかた終えた弦也が一息つくために公園内のベンチに腰を下ろした。
「ふぅ……」
 思わずのため息を漏らす。
 遠くの木々で鳴く蝉の鳴き声を聞きながら、額に滲んだ汗を拭うためにとカバンに入っているハンカチを手にしたところで、彼の頬にヒヤリとした感触が生まれた。
「……やぁ、穂積君。君はいつも神出鬼没だね」
 弦也の頬に当てられたものは缶コーヒーであった。そしてそれを手にしているのは、穂積忍である。
 冷たさと突然の彼の存在に僅かに瞠目はしたが、大きなリアクションを返さなかった弦也をちらりと見やりつつ、忍は缶コーヒーをぐい、と彼にさらに押し付けた。
「ありがとう」
「……どうだ、最近は」
 苦笑しながら缶コーヒーを受け取る弦也に、忍がそう言う。
 彼の手には『しるこ』と書かれた小さな缶があったが、それを飲むのかと思いつつ、缶コーヒーのリングプルを軽く引いて弦也は再び口を開く。
「相変わらずだよ。外営業だから、走りっぱなしだ。……穂積君こそ、今、任務中なんじゃないの?」
「お前の甥っ子も、ここ最近は楽しそうに学校へ通ってるぞ」
 弦也の問いに忍は敢えて答えなかった。
 その代わりにと帰ってきた言葉に、弦也はまた苦笑する。頼んでもいない報告だったが、少しホッとしたような面持ちにもなり、彼はそのままコーヒーを口に含んだ。
「――お前、帰りもここを通るな」
「ああ、うん。近道にもなるしね」
「近々この公園で大規模な『清掃』がある。夜は近づくな」
 ざぁ、と木々がざわめいた。
 少し離れた場で数羽の雀がちょんちょんと地面を跳ねていたが、風の音に驚いたのか同時に地上へと飛び去り、その姿を隠してしまう。
 弦也はその光景を見た後に自分の隣へと視線を移す。
 そこにはもう、忍の姿は無かった。それに驚くこともせずに、彼はまた小さく苦笑して「穂積君らしいなぁ」と呟き、残りのコーヒーをぐいっと飲み干して立ち上がる。
 ゴミ箱があるところへと足を運んで、自分が手にしていた空になった缶を放る。
 カン、と金属がぶつかり合う音が響いてそれに目をやれば、忍が先ほど手にしていたしるこ缶がそこにはあり、弦也はまた小さく微笑んだ。



 森林公園となっているその場所には、一般人が普段から立ち入ることが出来ない区画があった。
 池の向こうに見える小さな森のような景観となだらかな小丘。樹木の剪定や芝の維持の為に設けられている空間であるが、最近になってこの地下に戦時中に使われていたらしい危険な薬物を扱う実験施設が存在していたと判明した。
 それを調査していたのが忍が率いるIO2のNINJA部隊であった。
 現在、この地下には薬物汚染を受けたネズミが大量発生している。汚染から強固な姿を作り出し独自に進化を遂げたそれらが地上に出てこようという兆しが見られたので、この場での掃討作戦が下されたのだ。
 日が落ち、辺りが完全に暗くなった頃に音もなく動く影。複数の影が公園周囲を封鎖し、一般人を完全に入り込めない状態にしたところで、忍が苦無を四方に飛ばす。その先には『封』と書かれた紙があり、先端で突き刺した状態のまま、木々に縫い止められる。公園内を取り囲むようにして五ヶ所にそれを確認した後、彼は素早く印を組んだ後、パン、と手のひらを叩いた。
 木々に打ち込まれた苦無を線として、音もなく広がるのは膜のようなもの。わかりやすく言えば『結界』だ。一般人とは別の、ある程度の能力を持つ『部外者』を入れないための二重の施しであった。
 そして彼は黙ったままで右手を静かに上げる。
 すると周囲で待機していた忍の部下たちがそれぞれに散り、地下への潜入を開始した。
 忍のNINJA部隊には独自の伝達方法が存在しているので、電子機器などは一切使われることはなく、言葉も殆ど発せられない。まさに『隠密行動』である。
 チチッ、と暗闇から鳴き声が聞こえた。小さなもの――ネズミのそれであったが、数が無数だと感じ取る。
 直後、冷たいコンクリート情を走る音が響いてきた。そして、赤く光る二つの灯りがセットになってこちらに向かってくる。
 部下それぞれが、暗器を飛ばして灯りの元を食い止める。それはネズミの瞳であった。
 忍の苦無でも数匹仕留めるが、その上を覆うようにネズミたちは走り回る。
 限られた空間内での行動には限界がある。だが、このネズミたちを地上に出すわけにも行かない。彼はそこで部下に新たな命を下した。
 一人が片手に紙――符を持った。
 『火』と書かれたそれを素早く壁一面に張り巡らせ、ネズミのスピードを上回る。
 それを追うようにしてもう一人が印を組んだ。
 仕上げは忍で、彼はまた先ほどと同じようにしてパンと手のひらを叩く。
 同時に起こったのは小さな爆発であった。なるべく地上には響かない程度のものを、奥から徐々に移動させて行く。紙を踏んで走る形となっていたネズミは、その罠に嵌まり次から次へと地面に沈んだ。それで数は、半分ほど減らせただろうか。
「――穂積さん」
 部下の一人が忍の名を呼んだ。
 彼はその響きと同時に、煙の向こうを見る。
 数匹、もしくは残り半分の数をその場から逃した。そう感じた。
 独自の進化を遂げているネズミは、彼らが思っていたより動きが俊敏であったのだ。爆発を受けても平気な個体もいるようであった。貼り付けた符を食べている個体すらいる。
「…………」
 厄介だ、と忍は正直に心で毒づいた。
 追え、と忍は示し、自分も駆け出す。
 水路にもなっている空間であるが、誰一人足音や水音など生じさせずにネズミを追った。
 数メートル走った先は、地上に繋がる道のみだった。
 さすがの忍も眉根を寄せて、次の行動を思案する。
 その、直後だ。
 金属が風を切る音と、小さな断末魔の叫びがあった。
 足元にバシャリと落ちてくるのはネズミの死骸だ。背中に小型のナイフが刺さっている。
「――、工藤か」
 手練れで相手の気配を読んだ忍が、名前を呼んだ。
 入り口から現れたのは弦也である。
「やぁ、また会ったね」
 彼はスーツ姿のままであった。持ち前の柔らかな笑顔とそんな言葉に、忍の寄ったままの眉根が緩やかなものになった。
「近寄るなと言ったはずだがな」
「営業マンは夜も遅いんだよ」
 ネズミの身体から引き抜いたナイフの血を払い、弦也へと投げつけつつ、そう言う。
 すると弦也それを軽く受け止めてながらの返事をした。
 ちなみに忍の部下はすでにその場から散っている後であった。
「残り、何匹かな。随分と早く動くネズミだね。おまけにちょっと固い」
「その目で全部確認しているクセに、何言ってる」
 弦也はそんなことを言いつつ忍の隣へと移動した。忍は僅かに口角を上げつつ言葉を返す。
 肩と肩が触れ合って、数秒。
 二人の視線が逃げたネズミへと向いた。
 忍は元よりだが、優しい口調からは想像もできない弦也の鋭いそれは、『現役時代』を彷彿とさせる。
「お前さん、やっぱりこっちに戻らないか?」
「――穂積君は僕を過大評価し過ぎだよ」
 忍の言う『こっち』とは、IO2のことであった。
 元エージェントという肩書きを持つ弦也は、未だにその体には高い戦闘能力を秘めたままだ。
 それを惜しいと思っている忍だが、弦也には戻る意思は無いらしい。
「じゃあ、何のためだ?」
「うん……そうだね。今は、君のため、とでも言っておこうかな」
 一匹、また一匹とネズミが地面に落ちる。
 会話を続けている間にも彼らは確実に仕留めていった。
 忍の移動スピードにも遅れることなく付いてくる弦也に、彼はやはり惜しいと言う感情を抱きつつまた移動した。
「あれで最後だね」
「そうだな」
 普通のネズミより一回り大きな個体が逃げ回っている。
 忍と弦也がそれぞれに武器を構えたところで、目標が淡く光った。
 地上の空気が作用したのか分からないが、ネズミが猫ほどの大きさになる。
「穂積君」
「……ああ、マズいな。放っておいたらもっとデカくなるぞ」
 大きくなっていく分移動スピードが落ちるかと思ったネズミは、その速度を保ちつつ逃げていた。そして、忍たちとの距離を少しずつ広げているようにも感じる。
「スピードが上がってる」
 本当に厄介だ、と忍はまた内心で毒づいた。
 弦也はその間にネズミとの距離を詰めるために飛び込んでいき、「無茶するな」と思わずの言葉が忍の口から漏れた。
 キン、と何かが弾かれる音がする。
 低木で出来た茂みの向こうに消えた弦也。それを追う形で忍が宙を舞う。枝を押しのけて進んだ先で、弦也の使用していたナイフが地面に落ちているのを目撃する。
「う、わ……っ」
 ネズミはクマほどの大きさになっていた。そして逃げるのをやめて、弦也に前足を振り下ろしている。
 彼は身軽なので難なく交わして後ろに飛んだが、さすがに驚いているようでそんな声が漏れていた。
「無茶するなと言っただろう。『営業マンが夜の公園で変死』で明日の新聞を飾るとか、笑えないぞ」
「いやぁ、進化って怖いね……。と言っても、僕は死ぬつもりもないけど」
 忍の言葉に、弦也はハハと軽く笑いながらそう返事をした。
 取り敢えず、猶予があまりない。
 二人はそれ以上の言葉をやめて、巨大化したネズミと対峙した。
 合図は視線だった。
 忍が弦也を見て、それを受けた弦也が瞬きを一つ。
 お互いを信頼しているからこその行動だ。
 パン、と馴染みの音が響いた。
 するとネズミの動きを止める為の焔が浮かび上がる。それは一瞬でネズミの周りを取り囲み、個体自身も驚いているようであった。
「――君も災難だったね」
 そう言ったのは弦也。彼は一瞬で間合いを詰めてネズミの喉元へとナイフを突き刺した。
「相手が悪かったんだよ。おやすみ」
 柔らかな口調のままで、紡がれる言葉。
 直後、ネズミは叫び声を上げる時間すら与えられずに、地面へと沈んだ。
「つくづく、敵に回したくない存在だよ、工藤」
「それは褒め言葉かい、穂積君」 
 肉を引き裂いた感覚を右手に残しつつ、弦也は苦笑した。
 近接していたので頬に返り血が付いていたが、それを黙って拭ったのは忍であった。
 そんな行動に驚いたのか、弦也は忍を不思議そうに見上げた。
 僅かな面影が重なる。
 それは弦也の甥の存在だ。
 ぼんやりとそんな事を思いつつ、忍は口を開いた。
「……今のお前には似合わない」
「ありがとう。だけど、君にもあんまり似合わないと思うよ」
「素直に礼だけにしておけよ、こういう時は」
 そんな言葉を交わして、二人は、ふ、と笑った。
 少ししてから散っていた忍の部下が戻って来て、現状を告げる。
 どうやら全てのネズミを片付けたようであった。
「さて、じゃあ僕は今度こそ帰るよ」
「工藤」
 パンパン土埃を払いながらそう言う弦也に、忍は再び声をかける。
 既に背を向けていた弦也は、肩越しに振り返って忍を見た。
「――今日は助かった」
「穂積君からそんな言葉が聞けるとはね。おやすみ」
 弦也はくすぐったそうに笑いながら、忍の言葉を受け入れた。
 そして彼はヒラヒラ、と手を振りながらその場から離れていく。
 その背を見送った忍は、完全に彼の気配がなくなってから「どっちが毒されてるのか、分からんなぁ」と独り言を漏らして、任務の後片付けに移るのだった。