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<東京怪談ノベル(シングル)>


あなたに代わりはいない

 慌しい雑踏と、耳を劈くような断末魔の悲鳴が響き渡る。
 蒼白の顔で獣のような唸り声を上げ、白目を剥いて涎を垂れ流しながら周辺住民達を無差別に襲撃する男がいた。
 とても人の力とは思えないほどの怪力で周りの物を破壊し、人々すら平然となぎ倒す。
 尋常ではない男の存在を聞きつけたフェイトは、大急ぎで現場に駆けつけた。
「……っち。悪霊に取り憑かれてやがる……」
 小さく舌打ちをしたフェイトは、素早く腰から銃を抜き去り対霊弾を込める。
「グオオォオォォォォッ!!」
「!」
 男はゾッとするような咆哮を上げ、腕を振りかぶって目の前にいる幼い少女に襲い掛かろうとしている。
 その姿を捉えると、フェイトは弾かれたように走り出した。
 自分のいる場所から少女の居る場所までの距離は遠くて、間に合う見込みは少ない。
 振り上げられた男の手は、恐怖に涙を浮かべた少女の上に襲い来る。少女は咄嗟に目を瞑り、小さな手で頭を抱えて身を固くした。
「危ないっ!!」
 寸でのところでフェイトは少女を胸に抱き寄せて庇い、振り下ろされた男の鋭い爪はフェイトの背中を大きく抉る。
「くぅ……っ!」
 小さく呻き声を上げて眉間に深い皺を刻むフェイトだが、胸に庇った子供を抱く手に力が篭る。
「お兄ちゃん……っ!」
 まるでスローモーションのように、少女の目の前をフェイトの鮮やかな血が舞い散る。
 青ざめた少女は恐怖から、フェイトの服をきつく握り締め悲壮な叫び声をあげた。
 少女を抱えたまま地面を転がったフェイトは、少女を腕から解放しながら遠くへ押しやる。
「早くっ……逃げろ……っ!」
 少女は促されるままにその場から走り出し、それを見届けたフェイトは脂汗を滲ませながら再び自分に襲い掛かろうとする男を振り返る。
「うぉおおぉぉおおぉっ!!」
 フェイトは両手で構えた銃を飛び掛ってきた男の胸元に突き付けて、思い切り引き金を引いた。
 強い衝撃が双方に伝わると男は後方へ弾き飛ばされ、フェイトは激痛に顔をゆがめたまま霞む意識の向こうで男を見ていた。
 ひとまず、これで事件は解決。
 フェイトはIO2の後方支援が到着するまでの間、建物の影に隠れ座り込んでいた。
「……はぁ……はぁ……」
 背中には意識が遠のきそうなほどの激痛。
 何とか意識を繋ぎとめるも、額から滴り落ちる脂汗は尋常じゃない。
 呼吸も荒く、危機迫る思いだった。
 銃を手にしたまま地べたに足を放り出して座り込み、顔を俯けて荒い呼吸を繰り返していると、ふいに人の気配を感じる。
 重い頭を持ち上げ、虚ろな眼差しでそちらを振り返ると、そこには先ほど助けた少女が心配そうに立っていた。
「お兄ちゃん、さっきはありがとう……」
「……っ。怪我……してない……?」
 かろうじて微笑みながらそう訊ねると、少女は泣きそうな顔をしながら大きく頷いた。
「大丈夫だよ。お兄ちゃんは?」
「……心配、いらないよ……。早く、お母さんのところへ……行きな……」
 フェイトは息も絶え絶えになりながら頭を垂れてそう伝えると、少女は心配そうに何度も振り返りながらその場から走り去った。
 優しい少女……。でも、彼女はきっと記憶処理班によって自分とこの事件の記憶は消されるだろう。
 フェイトは小さく苦笑すると遠のく意識の中、駆けつけた救護班によって救出された。


                   ****


 IO2の救護室でフェイトは女医の処置を受け、体中に包帯を巻かれていた。
「傷は大したことないけど、出血量が多かったわね。貧血とかない?」
「……大丈夫です」
「今日はここで休んでいきなさい。何かあったら大変だもの」
 包帯を巻き終えて上着をかけながらそう言う女医の言葉を、まるで聞いていなかったかのように彼は立ち上がる。
「帰りますよ。ご迷惑おかけしました……」
 抑揚のない声でそう答えると、女医は眉根を寄せながら自分もその場に立ち上がり、フェイトの前に立ちはだかる。
「何言ってるの。帰ってから傷が開いたらどうするつもり? いいからここで休みなさい」
「……いえ。ほんとに、大丈夫なんで」
 虚ろな眼差しで視線を合わせようとしないフェイトに、女医は困り果て、深いため息を吐く。
 彼は今回庇うのもかなり無茶な行動だったという話を聞いている。なぜ、彼はそんな無茶をしたのだろうか。
「……理由、聞いていい?」
「理由……?」
「そうよ。あなたがなぜこんな無茶をしたのか」
「……」
 腕を組み、怪訝そうに見つめてくる女医の眼差しを一瞬だけ見たフェイトは、すぐに視線を外してしまう。
「別に、理由なんて無いですよ。エージェントなんて所詮消耗品みたいなものだし、これくらいが丁度いいんです」
 自嘲するように小さく笑いながらそう答えたフェイトに、女医の表情が愕然としたものに変わる。
 彼は一体何を言っているのだろう。そんな自虐的な発言をするなど思っても見なかった。
「……それに、万が一の事があっても代わりは沢山いるし、俺一人がいなくなったところで問題ないでしょ」
「……っ!」
 女医はその言葉に思わずカッとなった。
 怒りの篭った眼差しで、眉間に皺を寄せながら思い切りフェイトの横顔をたたき上げる。
「!」
 小気味のよい音が救護室に響き渡り、思いがけず頬を叩かれたフェイトは驚いたように目を見開いた。
「……いい? よく聞きなさい」
 フェイトが女医を振り返ると同時に、女医は彼の腕を掴んで睨むように見据える。
「代わりなんていないのよ。この世にあなたは一人だけ。あなたと言う人間はあなただけなのよ。他の誰が代われるものじゃない」
 フェイトは真剣に訴えかける女医の眼差しを、今度は逸らす事が出来なかった。
「あなたを必要としている人は沢山居るのよ。IO2だけじゃない、それ以外の場所でも必ずいる。あなたがいなければ成り立たない事も沢山あるの」
「……っ」
「何があったか聞くつもりはないけれど、そんな捻くれた考え方じゃ、この先どうなるか分かったものじゃないわ。ただ、私から言えることは、もっと……、もっと自分を大切にしなさい」
 必死に訴えかける女医の目が潤んでいた。
 力なくするりと掴んでいた手を離しながら、女医は僅かに顔を俯かせて呟くように言葉をこぼす。
「あなたは、もっと周りに目を向けるべきだわ……。そうすれば、自ずとあなたの事を必要としている人がいることに気付くはずよ……」
「……」
 フェイトは女医の言葉に小さく唇を噛み締め、俯いた。


 それから幾日か経ち、フェイトは偶然にもあの日助けた少女に出会った。
 友達と遊んで帰る途中なのか、母親の手に引かれて歩く少女の姿を見た瞬間フェイトの足は竦んだように立ち止まる。
 呆然としたように少女の姿を見つめていたフェイトに気付いた彼女は、くるりとこちらを振り返る。そして、花が咲いたようにふわりと微笑みかけてきた。
「……!」
 フェイトは驚きに目を見開く。
 記憶は無いはずなのに……。
 少女は立ち止まったまま動かないフェイトからすぐに視線を逸らすと、手を繋いだ母と楽しそうにおしゃべりをしながら立ち去っていった。
 彼女達の後姿を見送るフェイトの胸には、僅かな痛みと、暖かさがこみ上げていた。