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Reunion
「さて……と」
そんな独り言が漏れた。
夜の街をふらりと出歩くこと自体、彼にとっては久方ぶりであった。
「……、あいつ、怒ってるかな。なんも言わねぇで、忽然と行方不明……だもんな」
長く生きる中で、彼はたくさんの命と関わってきた。そして、自分だけが置いて行かれた。
一時は置いて行かれることが嫌になり、ヒトと関わることをやめたこともあった。
だがそれでも、彼はヒトが好きであった。
新しい出会い。そして別れ。
幾度繰り返しても、愛しい。
だから彼――『ナギ』は此処に戻ってきたのだ。
「そろそろ、温かいモンが恋しくなる時期だなぁ……」
じゃり、と靴底がアスファルトにぶつかり合う音がする。
こんな当たり前の事ですら、今は懐かしいと思った。
夜風に銀髪が揺れる。肌を通り過ぎるそれが冷たいと感じて、ふるりと身体を震わせた。
道の途中に見えたコンビニで、ホットの缶コーヒーを買う。
体感も感情も味覚も何もかも、ヒトとは変わらない。
それでもナギは、永きを生きる異形の者。
その身体に僅かな『毒』を住まわせつつ、彼は今日も魔都の中に紛れ込んで流れ行く時間を過ごしていた。
「……何だろ、今日はとってもワクワクするの。どうしてかな」
千影はそんな独り言を唇から零しながら、いつものように夜の空を飛んだ。
街の明かりは変わりない。同じ空気、ヒトの流れ。
そんな中で、彼女はひとつの小さな変化に気がついた。
――誰かに呼ばれているかのような、そんな感覚がしたのだ。
そこで千影は、人知れずの場所で地上に降りた。きょろりと辺りを見回した際、目の端にかすめた影に思わずの声が漏れる。
「……ちゃん?」
喧騒に紛れて掻き消されたが、それは一人の名前であった。
見えた方向に慌てて身体の向きを変えて前方を見やるが、それらしい影はない。
それでも千影は、その方向へと足を向けた。
数メートル進んだところで、小走りになる。
『彼』を見間違えるはずがない。だってそれは、彼の魂そのものだったから。
千影はそう思いながら、夜の街を巡った。
ワクワクして、懐かしい。
だからこそ、嬉しくて胸が締め付けられる。
「!」
前方に銀髪が見えた。千影はそれを追おうとするが、目の前に数人の人が行き交い数秒で見失ってしまう。
それに僅かな焦りを感じた彼女は、そこで道を逸れた。
このまま諦めたくはなかったからだ。
路地に身を滑らせて脇の道を進む。その先で猫を見つけて、千影は「こんばんは」と声を掛けてから、その猫に『彼』を尋ねた。
猫はニャアとひと鳴きして、千影の前を走りだした。彼女はそれに付いていくようにして歩き出す。
珍しく、少しだけ息が上がった。
千影はそこで改めて考える。
――本当に彼だったのだろうか、と。
だが、前を走る猫は千影の質問に『知ってるよ』と答えてくれた。
今もチラリとこちらを見た後、さらにその先へを案内してくれている。
だから、間違いではないのだ。
「おっと、お嬢ちゃん。こんな時間に一人かよ?」
細く長い路地を抜け切るというところで、横道からそんな声が飛んできた。
千影はその声に振り向いて、足を止める。
ガラの悪い男が一人。その後ろに数人の気配がする。
「ごめんなさい、チカ急いでるの」
「へぇ〜チカちゃんっていうのか。かっわいい〜」
千影が男をするりと交わしてその先へと進もうとした先で、別の影が立ち塞がった。
背の高い若い男だった。
「迷子? 俺が送ってやろうか?」
「いいの、大丈夫」
「そんなこと言わずにさ〜ちょっと俺らと楽しいコトしない?」
「――――」
千影は眉根を寄せた。
いつの間にか囲まれている状態であったが、彼女にとっては他愛もない存在だ。一瞬で彼らを眠らせることだって出来る。
だが今は、それすらも惜しいと感じた。
「なぁなぁ、もしかして家出少女? 俺の家来る?」
「――悪ぃな、そいつは俺の連れだ」
「!!」
一人の男の手のひらが千影の肩に降りようとした直後、その手首をきつく握りしめる存在がいた。真っ黒なフードを被った一人の少年であった。
千影はその声に瞳を見開く。
「何だぁ、お前!?」
「頭の悪ぃお前らなんかに名乗る名前なんざねぇよ」
「痛ぇっ!!」
ギリ、と彼は男の手首を捻り上げた。自分より背丈は大きかったが、造作も無い行動であった。
男は情けない声を上げて足をバタつかせ、冷や汗を見せる。
周囲に居た男たちもそれを見て怯んだのか、じり、と一歩を下がった。
「……オイお前ら、喰われてぇのか。さっさとどっか行け」
「ひ、ひぃぃっ!」
少年はフードを降ろしてゆらりと男たちを睨みつけた。長めの前髪から覗かせた赤い瞳が怪しく光り、直後に背後に影が浮かぶ。
大きな犬のようなそれに、男たちは悲鳴を上げてその場から逃げていった。
「……今時、ああいうのは流行らねぇだろ」
彼は深いため息を吐きながらそう言う。
そして宙に浮かせた『影』を身体に収めた後、千影を振り返り、浅く笑った。
「よぅ、千影。久しぶり」
「……っ、ナガレちゃん!!」
千影の靴が、地面を蹴った。
彼女は満面の笑顔で彼の腕の飛び込む。
「っと。お前、変わんねぇなぁ……」
千影の勢いに押されつつ、彼は彼女を受け止めて苦笑した。
「会いたかったの!」
「うん、俺も……会いたかったよ。悪かったな、いきなりいなくなって。それから、俺は今は『ナギ』だ」
「ナギ……ちゃん? うん、分かった」
彼は千影の呼んだ名前を否定するかのように、今の名を告げた。
千影はそれをすんなりと受け止めてこくりと頷いてみせる。
あんまりよく分かってねーんだろうな、と心で思いながら、ナギは千影の頭を撫でた。
「ここじゃ話すのにもアレだな。飛ぶか」
ナギはそう言いながら千影の返事を待たずに、彼女を横抱きにして地面を一蹴りした。
するとふわりと体は宙に浮き、一瞬にしてビルの屋上にまでジャンプする。千影は笑いながら彼の首に腕を回して「たか〜い!」と喜んでいた。
「お前みたいに長い時間は飛べないけどな」
そう言って、適当な高さのビルに降りる。
街の明かりを見下ろせる場所に千影を座らせて、自身もその隣に腰を下ろした。
「どうしてチカのいる場所がわかったの?」
「ああ、猫が知らせてくれたんだよ。俺を探してる奴が大変だってな」
「さっきの猫ちゃんね。後でお礼しなくちゃ」
千影は、ふふ、と笑いながらそう言った。
何一つ変わらない彼女に、ナギの目が細くなる。
そんなナギの右手を、千影が取った。
「どうした、千影」
「うん、あのね。ナギちゃんは……もうどこかに行っちゃったり、しない?」
ぎゅっ、と握られる己の手。
こうして握りこまれるなど、そうそう無いかもしれない。ナギは普段からヒトを一定以上の範囲以内に近づけさせないためだ。彼の身体に巣食っている先ほどの影に関係しているようだが、それを除いても彼が自分の懐に誰かを招く事自体、珍しいことでもあった。
「そうだなぁ、取り敢えずは暫くここから離れられねぇし。……まぁ仮にどっかいくことになっちまっても、次からは必ずお前に言うよ」
「ほんと? チカとお約束してくれる?」
「ああ、絶対だ」
千影は握りしめていたナギの手を開いて、小指を絡めてきた。約束の証を体現でも示してきたあたり、彼女にとってはとても大切なことなのだろう。
ナギは小さく苦笑しつつそれに答えてやり、二人はそこで指切りをした。
「しかし、こんな場面をお前の『主様』に見られたら大変だな」
「えっ、そうかな? 主様もナギちゃんに会えたら喜ぶと思うけど」
「……そうだな」
再会の件ではなく、別の意味での言葉であったが、ナギはそれ以上を繋げることはしなかった。
ビュオ、と夜風が二人の間を抜けていこうとする。
冷たい風であったので、ナギは自分の左手をかざしてその風の道を僅かに逸らした。
千影は黙ってそれを見つめている。
ナギの頬には見知らぬ痣があった。前髪で隠しているようであったので、彼女はそれは問わずに別の話題を空気に乗せる。
「……どこに行ってたの?」
「んー、まぁ。どこっていうか……暫く現実世界にはいられなかった。ちょっとした事件に巻き込まれちまってよ。コレもな、その時に食らっちまったモンだ」
ナギは自分の右のこめかみ辺りに人差し指を当ててそう言った。千影が先ほど目に留めた痣がある場所であった。
「…………」
「千影?」
答えがない千影を不思議に思ったのか、ナギは彼女を見た。
千影は黙ったままでナギをじっと見つめている。何かを考えているようでもあった。
「チカ、食べてあげよっか?」
「……ああ、コレのことか。んー、そうしてもらいたいのは山々なんだけどな、もうちょい時間が必要なんだよ。契約があってな」
素直な言葉に、ナギの表情がまた緩む。
千影にはそれが出来る能力がある。おそらくは、彼女に頼れば一瞬でこの痣も消し去ることが出来るのだろう。
だが今は、それが出来ない状態でもあった。
「難しいこと、分かんない……」
「ん、そうだよな。マジでヤバくなったら、お前に助けてくれって言うからさ」
「うん、絶対ね」
ナギが千影の頭を撫でながらそう言う。
すると千影はこくりと頷いて、頭に乗っているナギの手を再び取った。そしてそれを自分の頬へと持って行って、柔らかく微笑む。
「千影」
「嬉しいんだよ。チカの傍にナギちゃんがいてくれること……だからもう少し、このままでいてね」
彼女はナギの体温を確かめるようにして瞳を閉じながらそう言った。
聞きようによっては恋人に囁くような響き。彼女のそれは少し違うものだが、それでもナギは嬉しかった。
自分を待っていてくれた存在。
いつ戻れるか、それ以前にもう戻れることもないだろうと思っていた場所。
そこに今、彼女がいる。
偽りのない気持ちに答えるかのように、ナギは千影の額に自分のそれをそっと当てて、ゆっくりと瞳を閉じるのだった。
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