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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


夏の終わりに(後編)


「お札……足りないかも」
 深夜の校舎内を、とぼとぼと歩きながら、アリア・ジェラーティは呟いた。
 セレシュ・ウィーラーから受け取った退魔の札を、神聖都学園校内あちこちに貼りながら歩いているところである。
 札を貼らなければならない場所が、この学校には多過ぎるのだ。
 死者の念が渦巻いている階段の踊り場、魔界との通路が開きかけている美術室。
 科学室では、小動物のホルマリン漬けや人体模型に悪霊が宿りかけていた。それら1つ1つに、札を貼らなければならなかった。
 現在アリアの手元に残っている退魔の札は、2枚。
 その貴重な1枚を、どうやらここで使わなければならない。
 音楽室の前で、アリアは立ち止まっていた。
 この中から『第九』が聞こえてきたのだ。普通の人間の耳には聞こえない『第九』である。
 扉を開け、アリアは音楽室へと足を踏み入れた。
 楽聖ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの石膏像と、目が合った。
 とっさに、アリアは目を逸らせた。
 ただの石膏像ではない。アリアでなかったら今頃、何かしら異変が起こっていたところである。
「こんなの、どこで拾って来たの……」
 この場にいない音楽教師に、アリアは溜め息混じりに問いかけた。
 彼女とは以前、とある雪山で行動を共にした事がある。この世に在らざる様々なものを、引き寄せてしまいがちな女性だった。
 とりあえず、この石膏像をどうするか。残り2枚しかない退魔の札を、貼っておくべきか。それとも凍らせてしまうべきか。
 一瞬、迷ったアリアに、声をかける者がいた。
「そこに誰かいるの? ……何やってるの、貴女」
 懐中電灯の光が、向けられてくる。
 女性の警備員が1人、廊下から音楽室を覗き込んだところだった。
「駄目じゃないの、こんな時間まで残っていたら。貴女どこのクラス? ……って言うか、この学校の生徒じゃ」
 ないわね、と言いかけた彼女に向かって、楽聖の石膏像がギラリと両眼を輝かせる。
 女警備員が、硬直した。
 懐中電灯を手にしたまま、彼女は石膏像に変わっていた。
 魔の眼光を放つ、石膏のベートーヴェン。その背後に、アリアは回り込んでいた。
 そして、退魔の札を貼る。
 楽聖の両眼から、光が失せた。単なる石膏像に、戻っていた。
 これに宿っていた者の、正体はまだわからない。が、とりあえず魔力は封じた。この女警備員も、時間が経てば元に戻るだろう。
 凍らせずに札を使ってしまったのは、石膏像を氷で包んでも面白くないからだ。
「凍らせるんなら……やっぱり、綺麗な女の子じゃないと」
 呟きながら、アリアはその場を立ち去った。


 いつ頃からか音楽室に飾ってある、ベートーヴェンの石膏像が、夜中のある時間帯になると目を光らせる。
 それを見た者は行方不明となり、翌日、その行方不明者そっくりの石膏像が発見されるという。
 この神聖都学園に山ほど存在する、怪談の1つである。
「な……なぁんだ、目なんて光ってないじゃん」
 少女の1人が、馬鹿にしたような、がっかりしたような、いくらか安心したような、そんな声を発している。
 クラスメイト4人で、肝試しをしている最中である。
「ねえ、これ……何だと思う?」
 目が光ってなどいないベートーヴェンの近くに、もう1体、石膏像が佇んでいた。
 等身大の、女性像。警備員の制服、らしきものを身に着けている。
「手の込んだもの作る奴がいるねえ、ほんと」
「でもこれ、すっごい良く出来てる……プロの手口だね」
 少女4人のうち3人が、石膏の女性像を眺めたり触り回したりしている。
 残る1人は、音楽室全体を見回していた。
 自分たち以外には、誰もいない。何の気配も、感じない。
 だが何となく、仄かに、感じられるものがある。
 セレシュ・ウィーラーの魔力。
(お姉様……じゃ、ありませんわよね?)
 心の中で呟いてみても当然、答えなど返っては来ない。
 楽聖の石膏像の後頭部に貼ってある、退魔の札。それに気付かぬまま、少女4人は音楽室を出て行った。


 次の怪奇スポットは、体育館である。
 失恋で自殺した女子生徒の霊が、出るという。
 怪談に登場する幽霊や怨霊は、どういうわけか女が多い。と言うか、男よりも女の幽霊の方が様になっている。雰囲気が出る。そんなふうに思えてしまうのは気のせいであろうか。
 などと思いながら少女は、クラスメイト3人と共に、体育館へと通じる廊下を歩いていた。
「何かさぁ……あたしらの先回りして、いろんなもの置いてってる奴がいるよね」
 深夜の校内に、少女たちの華やいだ声が響き渡る。
「何なの? もしかして、肝試しに協力してくれてる?」
「ストーカーじゃないのォ? あたしらを、って言うか……こちらのお嬢様を、恐がらせてみたい男」
 1人が、ニヤニヤ笑いながら振り向いてきた。
「どうなのよ、モテモテお嬢。付きまとったり、先回りして嫌がらせしたりする男に、誰かお心当たりは?」
「知りませんわ。心に留めるほどの殿方が、おられるわけでもなし」
 少女は、優雅にせせら笑った。
「私が目で見て心に留めるのは、優しくてイケメンで年収3000万円以上の殿方だけ。それ以外の男なんて単なる背景、視界に入っても記憶には残りませんわ」
「あ〜あ。授業中こっそりラブレター書いてたアイツとかアイツに、聞かせてやりたいお言葉」
「でもねえ、勉強もスポーツも外見もパーフェクトなお嬢様を、思いっきり恐がらせてみたいってのは、あたしらも同じよん」
(ふふ……私に恐い思いをさせて下さる方が、おられるとすれば)
 セレシュ・ウィーラーただ1人であろう、と少女は思う。
 思いつつ立ち止まった。左手に、おかしなものを感じたのだ。
 歩きながら、無意識に廊下の壁を触っていた。
 手を離すと、壁に手形が残った。まるで粘土の壁だ。
 否、粘土ではない。異界と繋がり、何だかよくわからぬ材質と成り果てている。
 そんな壁から、無数の手が生えて来た。
「ちょっと……!」
 叫ぼうとした口を、塞がれた。
 手を掴まれた。足を掴まれた。
 何本もの青白い手が、少女の全身あちこちを無遠慮に掴み寄せる。
 親友3人は、気付いていない。お喋りに興じながら、体育館へと向かっている。
(駄目……私が、いないのに……!)
 何かが現れても、戦える者がいない。
 それを叫ぼうとしながら少女は、無数の手によって、柔らかな壁の中へと引きずり込まれてゆく。
 元々、石像であった少女である。
 そこに自我と生命が宿り、今では付喪神と呼ぶべき状態にある。
 その身に秘めたる石の力、ストーンゴーレムの怪力を、少女は振り絞った。
「……私の!」
 剛力の細腕が、青白い手を振りほどく。引きちぎる。
 壁から引き抜かれ、ちぎれ落ちた手が、廊下にぶつかって崩れ、こぼれた壁土のようになった。
「身体を! 触って良いのは!」
 力強い美脚が荒々しく跳ね上がり、青白い手の群れを壁もろとも蹴り砕く。踏み潰す。
「包容力に富んでイケメンで私だけに貢いで下さる、年収5000万円以上の殿方だけ! ですわよッ!」
 壁が広範囲に渡って崩れ砕けている、破壊の痕跡だけが、そこに残った。
「これ、お姉様に怒られてしまいますわね……まあ、それはともかく」
 親友3人の姿は、すでにない。付喪神の少女を残して、体育館に行ってしまった。
「全く……私を恐がらせる前に、貴女たちが死ぬほど恐い目に遭いますわよっ!」
 とてつもなく禍々しい気が、前方から漂って来ている。
 間違いない、と少女は思った。
 学校の怪談など、基本的に胡散臭いものばかりだが……この先の体育館には、間違いなく「本物」がいる。


 魂を抜き取られた少女たちが、死体ではなく石像となって、体育館のあちこちに立っている。
 肝試しに来た少女4名のうち3人が、その中にいた。
「何で、こんな事するのか……訊いてみてもいい?」
 アリア・ジェラーティが問いかけると、答えが返って来た。
「新しいバレー部を作るの……幽霊だけの、新しくて楽しいバレー部よ……」
 石像の群れの中に佇む、青白い、実体のない少女。失恋で心を病んだまま、自ら命を絶ってしまった女子生徒。
「貴女も、入部させてあげる……」
 青白い少女が、アリアに向かってゆらりと手を伸ばしてくる。
 退魔の札の、最後の1枚を、アリアは防御の形に掲げた。
 そこに、幽霊の青白い手が触れる。
 冷たい衝撃が、アリアを襲った。物理的な冷気とは異質の寒さが、札を通して流れ込んで来る。
 アリアは思わず札を手放し、後退りをした。
 セレシュ・ウィーラーの魔力を秘めた、退魔の札。これがなかったら、魂を抜き取られていたかも知れない。
 手強い、とアリアは思った。これほど凶悪な怨霊と出会ったのは、久しぶりである。
「ここまで怨念が強いと、アイスクリームの材料にもならない……死ぬほど不味いアイスにしかならない。ただ凍らせるしか、ないのかなあ」
 呟きつつアリアはとっさに、近くの石像の陰に隠れた。
 4人目の少女が、ずかずかと体育館に踏み込んで来たからだ。
「ちょっと、そこの貴女! 私の友達を……だけでなく、あらあら」
 セレシュ・ウィーラーの娘。
 アリアがそう思い込んでいる、石の匂いの少女である。
「こんなにたくさんの人を、石像に変えてしまわれるなんて……うちのお姉様に、怒られますわよ? 魔獣族の方は、縄張り意識が強いんですから」
「入部希望者ね……いらっしゃぁあああい」
 青白い少女が、セレシュの娘に襲いかかる。
 ひょい、と身を屈めて青白い手をかわしながら、セレシュの娘は床から何かを拾った。
 アリアが手放した、退魔の札。
「これは……落とし物? 退魔士の方でもいらっしゃったのかしら? ともかく、ちょっとお借りしますわね」
 言いつつセレシュの娘は、己の右手にその札を貼り付けた。
 退魔の力と、石属性の怪力が、一緒くたに融合した。
 その右手が握り拳となり、アッパーカット気味に一閃し、青白い少女を直撃する。
 断末魔の絶叫が、一瞬だけ響き渡る。
 少女の形に固まっていた青白い霊体が、跡形もなく砕けて消し飛んでいた。


「これ、お姉様のものではありませんの?」
 退魔の札をぴらぴらと揺らめかせながら、付喪神の少女が言う。
「拳に貼った時、感じた魔力……紛れもなく、お姉様のものでしたわ」
「気のせいや、気のせい。それより魔法陣、描くの手伝ってや」
 深夜、ウィーラー鍼灸院の庭である。
 付喪神の少女が学校から持ち帰って来た、いくつもの石像を、白魔術の大型魔法陣で囲んでいるところだ。
 霊界に連れ去られた魂たちを、今から召喚する。そうすれば、元に戻るはずであった。
 特殊な魔法のチョークをセレシュから受け取った付喪神が、12宮のシンボルを地面に、円形に、書き並べてゆく。そうしながら、疑わしげな声を発する。
「私たちの先回りをするように、誰か……あの学校にいたような気がするのですけれど。本当に、お姉様ではありませんの?」
「さあ、誰やろなあ」
 アリア・ジェラーティの名前を、ここでは出すまい、とセレシュは思った。
 縁がある。いずれ、また会える。この元石像の少女とも、仲良くなってくれるだろう。


 石像にされていた少女たちは無事、元に戻った。
 セレシュの娘を含む、あの仲良し4人組も、一夜明けて何事もなく学校に来た。アリアの屋台にも、顔を出してくれた。
 ゆうべ学校にいませんでした? 何か、見たような気がするんですけど。
 そんな事を言われたが、アリアは適当にごまかしておいた。
 石にされた少女たちは元に戻しても、この少女を元に戻すわけにはいかない。
 大型冷凍庫内に安置された、新しいコレクションを、アリアはじっと眺めていた。
 氷に閉じ込められた、スクール水着姿の少女幽霊。
 ここに置いても今一つだ、とアリアは思った。風情がない。
「やっぱり、月明かりの下に置かないと……」