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高みにて彼女は微笑む(３)
何かが風を切る音が鼓膜をくすぐった直後、前方から苦悶の声があがる。琴美の放ったくないが、相手の体に突き刺さったのだ。
彼女の周囲に倒れ伏しているのは、無数の物言わぬ男達。精鋭の護衛部隊といえど、琴美の敵ではなかった。彼女一人の手により、護衛部隊は壊滅に追い込まれていた。
残るはただ一人、今彼女が対峙している護衛隊長のみだ。くないにより傷を負った護衛隊長だが、彼は怯まずに琴美へと向き直る。
(さすが。護衛部隊を率いているだけの事はありますわね)
襲い来る相手の攻撃を的確に避けながら、琴美は胸中で感心した。他の者達は精鋭とは名ばかりの物足りない相手ばかりだったが、隊長格となると少しはやるようだ。
ようやく、全力を出せそうな相手と相まみえる事が出来た。琴美の心が歓喜に震える。人を魅了する色っぽい太腿へと手をやり、彼女はそこにベルトで付けられたもう一本のくないを手に取った。
黒真珠のような漆黒の瞳が、相手の姿を捉える。狙いを定め、琴美はくないを放つ。
それを追うように、彼女自身も相手に向かい疾駆。護衛隊長は何とかくないを弾き返したものの、瞬時に間合いを詰めてきた琴美の攻撃を避けきれずにその身に受ける。ただでさえくないに気を取られていた男には、彼女のくない捌きを視認する事すら難しかった。
流れるような動きで、琴美は追撃。舞踏するように鮮やかに、女はその長く伸びた足を相手の鳩尾に向かい振り上げた。ロングブーツ越しに、彼女の麗しい足に相手を蹴り上げる感触が伝わってくる。
反撃しようとしてきた護衛隊長の腕は、宙を空振るだけに終わる。彼女の夜のように神秘的で美しい髪の毛の先にすら、触れる事は叶わない。瞬時に琴美は相手と距離を取り、次の一手に備える。
護衛隊長が、彼女の豊かな胸に銃で狙いを定めた。連続して鳴り渡る発砲音の後に、小気味の良い金属の音がその場へと響く。琴美は、相手が放った弾丸を全てたった一本のくないで弾き返していた。
再び、女は美しくも攻撃的な舞踏を演じる。しなやかに彼女は駆け、隙のない動作で相手の懐へと潜り込む。至近距離まで迫った琴美に、その艶やかな唇に、射るような扇情的な瞳に、男は一瞬ここが戦場だという事も忘れ見惚れる。その美貌に、息を呑む。彼女の美しさは、時に相手を惑わす最強の武器にもなるのだ。
「これで、最後ですわ！」
目眩がする程優美な女の唇が、よく通る澄んだ声でそう宣告した。護衛隊長の体に、彼女のくないが突き刺さる。
「少しはやるようだと思いましたけど……どうやら、私の早とちりだったようですわね。失礼いたしましたわ」
思いの外あっさりと倒れ伏した相手に、琴美は残念そうに呟いた。
確かに、力のある者だった。精鋭部隊を率いていくに相応しい、確かな実力を琴美は相手から感じ取った。けれど、それでもまだ琴美には及ばない。彼女のいる高みには、届かない。
物足りなさに呆れながらも、彼女は研究所へと侵入して行く。琴美の任務はまだ終わっていない。何せ今回の任務は、このノーブル全ての壊滅だ。
明かりすら点いていない、暗く怪しげな廊下を彼女は進んで行く。くの一は、闇の中にその美しき身を隠しながら順調に任務を遂行して行った。
音もなく標的に近付き、彼女は研究者達をその手で屠っていく。やがて、琴美が辿り着いたのは最深部。そこには、この研究所で行われていた非道な人体実験のデータが全て記録されていた。
凄惨なその実験データの数々に、琴美は不快げに眉根を寄せる。
「……隠れてないで出てきたらいかがでして？」
不意に、彼女は室内の奥の暗闇に向かいそう呼びかけた。数秒して、一人の男がそこから姿を現す。白衣を纏った、くたびれた顔をした男。その顔に、琴美は覚えがあった。任務の前に目を通した資料にも載っていた、この研究所の所長だ。
「逃げる機会を伺っていたのでしたら、残念でしたわね。逃がす気はありませんわ」
「何故ここに侵入者が……護衛部隊はどうした？」
所長の問いに、琴美は笑う。
「護衛部隊……？ 先程手厚い歓迎をしてくださった彼らの事でして？ あの方達なら、表でお眠りになっておりますわ」
「まさか、あの数を倒したというのか？ たった一人で？ お前のような女が？」
「あら、失礼な事を宣うお方ですわね」
気分を害したように琴美は息を吐き、その美しい髪を片手でかきあげる。そして、所長の事を睨みつけるように見やった。
「見ただけで、私の何が分かりまして？ 生憎、私はそんな浅い女ではありませんわよ」
挑発的に笑う琴美に、所長も「……そのようだな」と頷いた。そして彼は懐から、何かを取り出す。
彼が取り出したのは、一本の注射器だった。そして所長は、迷いなくそれを突き刺す。
――自分自身の首元へと。
琴美の瞳に、驚きはない。先程垣間見た研究データから、今相手が自ら自身に投薬したものが何なのか、彼女には分かっていた。
ノーブルが秘密裏に人体実験を繰り返し、作り出そうとしていた新薬の正体。それは、人体の能力を限界まで引き出す薬だ。
琴美は不快げに眉根を寄せ、吐き捨てる。
「狂ってますわね……」
「どう……とでも、言うがよい！ くくく、力が……力が沸き上がってくる……！ 喜びたまえ、貴様は我が長年の研究の成果をその身で味わう事が出来るのだ！」
すでに正気を失っている所長と、琴美は対峙する。くないを構え、彼女は声高らかに相手に向かい叫んだ。
「悪趣味なパーティはもう終わりですわ！ 覚悟なさい、ノーブル！」
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