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<東京怪談ノベル(シングル)>


高みにて彼女は微笑む(4)
 所長が、琴美へと襲いかかる。その艶やかな肢体目掛けて、強靭な腕は振り下ろされる。琴美は優れた反射神経で、その攻撃をくないで受けきった。
 所長の細身な体に似合わず、その一撃はひどく重い。人の限界を超えた力。人外の力だ。
 しかれども、琴美の整った横顔が苦痛に歪む事はない。
「これが、長年の研究の成果でして?」
 彼女は余裕を孕んだ笑みを浮かべ、くないを持つ端麗な右手に力を込める。いとも容易く彼女は、所長の体を弾き飛ばした。
 そのまま、彼女は隠し持っていたくないを相手に向かい投げつける。くないは漆黒の矢の如く風を切り、的確に相手の急所を狙い撃った。所長の胸に、鮮血の花が咲く。
 けれど、彼はもはや痛みすら感じないのか、たじろぐ事すらせず琴美へと一心不乱に向かってくる。再び男の腕が振るわれるが、軽やかに琴美は後退しその攻撃を避けた。女はステップを踏むように、軽快な足取りで体勢を立て直す。そのまま、素早く所長との距離を詰め、グローブに包まれた拳を可憐な動きで叩き込む。
 負けじと所長も反撃をしようとするが、琴美は軽々と彼奴の猛撃を受け止めた。
「馬鹿な……っ! 私の研究に……失敗はないはず……!」
 琴美にただの一撃すら与えられず、所長が狼狽した声を出す。惑いながらも繰り出された彼の追撃も、琴美にあっさりと避けられてしまう。
 確かに、その薬は所長に限界を超えた力を与えていた。彼の研究は、成功だったといえる。彼が琴美に一撃も加える事が出来ない理由は、ただ一つ。それすらも超える程に、彼女の力が強すぎるだけなのだ。
 水嶋・琴美。彼女はあまりにも強く、美しかった。
 薬でなど埋める事が出来ぬ程の実力の差が、所長と琴美の間には存在するのだ。彼女が決して自分では届かない高みにいる事を悟り、男は愕然とする。
 所長は狂ったように笑声をあげながら、琴美に向かい突進。最後の力を込めた、捨て身の体当たりだった。しかし、その瞬間彼の視界から琴美の姿が消える。
「遅いですわ。私はこちらでしてよ」
 その声は、所長の背後から聞こえた。目にも留まらぬ速さで、琴美は彼の背後へと移動したのだ。
「さよなら……ですわ」
 宣告。女の色っぽい唇が、相手への別れの言葉を象る。
 いつの間にか男の首元に突き付けられていたくないが、彼の命をその鋭い切っ先で刈り取った。

 所長が倒れた音を最後に、辺りはしんと静まり返っていた。
 終幕を迎えた製薬企業ノーブルの研究所に、もはや人影はない。返り血すら避けてみせた傷一つない美しい女だけが、ただ一人そこには立っている。
「……哀れですわね」
 琴美は切なげに目を細め、眉根を寄せた。慈愛に満ちた優しき彼女の心が、眼前の凄惨な光景に声なき悲鳴をあげている。
 目の前に横たわるは、くたびれた男の遺体。力を持たないというのに高みを目指し転落した、一人の男の末路であった。

 ◆

「今回の依頼はどうだった?」
「残念ながら、期待はずれでしたわ」
 地下の作戦室にて、琴美は司令に任務成功の報告を終える。
 任務達成の高揚感に浸りながらも、準備運動にもならなかった仕事に琴美は肩をすくめてみせた。艶やかな唇から、彼女の吐息が溜息となって零れ落ちる。実に琴美らしい返答に、司令は苦笑をこぼした。
「早速、君に頼みたい次の任務があるのだが……引き受ける事は可能かね?」
 次いで彼が紡いだ言葉に、ただでさえ宝石のような琴美の瞳は輝きを増す。彼女の浮かべた表情を見て、司令は返事も待たず首を横へと振った。
「愚問だったな。次の任務だ、水嶋。内容は――」
 任務の内容を語る司令の声に耳を澄ませながら、まだ見ぬ戦場へと美貌のくの一は思いを馳せた。 
 誰にも手の届かない高みで、琴美は微笑みを浮かべ続ける。どこまでも気高く、美しい笑み。決して崩れる事のない、自信に満ち溢れた笑みだ。