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Episode.37 ■ 武彦の過去
「……ボロボロだな、ディテクター」
憂の研究室の一角。
もはや肉塊にでも成り果ててしまいかねない武彦の姿を見て、鬼鮫はふうっと呆れたようなため息を吐いてそう呟いた。
「……お、お前らが諸悪の根源だろうが……」
「あ、生きてた」
倒れている武彦が怨嗟の声をあげて呟くが、その身体を何処からか持ってきた銀の棒でツンツンと突いていた憂の反応は、もはや開き直りと言っても過言ではないものである。
「……アイツが――美玲が今も生きてたら、お前の看病ぐらいはしてくれただろうがな」
「……ッ」
鬼鮫の一言に憂の動きが止まり、武彦の顔が真剣味を帯びる。
重苦しいまでの沈黙が流れ、倒れていた武彦が痛みを堪えながらも身体を起こして座り込むと、武彦は近くに落ちていた眼鏡を拾い、いつも通りにその顔にかけた。
その表情は、かつてサングラスをかけていた頃の怜悧な印象とも、普段武彦が冥月に見せている貧乏探偵のそれとも違ったものであった。
寂しさか、或いは名状し難いやりきれない想いばかりが込み上がり、それでも武彦は寂しげに、小さく笑った。
「アイツがいたら、笑うだろうよ。何やってんだ、ってな。でもまぁ、何だかんだ言いながら看病ぐらいはしてくれそうなモンだ」
不意に口を突いて出た言葉に押し黙っていた鬼鮫は、その言葉を聞いて何やら複雑な表情を浮かべると舌打ちした。座り込んだ憂は、かつてこの3人と共にいた一人の女性、美玲という彼女の笑顔を思い出し、表情を曇らせながらも口を開いた。
「あれから、もう何年も経ったんだね。その間に武ちゃんはIO2を抜けちゃうし、バラバラになっちゃったね。美玲ちゃんがいた頃は、何かとこうして集まって馬鹿な話をしたりもしたのに、もうずっと昔の事みたいだよ」
――――武彦が冥月に告げた、清算すべき虚無の境界との因縁。
それは一言で言うのであれば――復讐だ。
かつてIO2の栄光時代とも呼べるような、伝説とすら称されたエージェントチームがあった。
ジーンキャリアの鬼鮫とディテクターである武彦。
メカニックから多岐に渡ってありとあらゆる知識を持った天才、憂。
そして、プロファイリングや犯罪知識に精通していた、美玲。
それぞれがそれぞれの分野に於いて、真価を発揮し、助け合い、異能者と呼ばれる者達と対峙してきたのだ。そうして、たまにはこうして憂の研究室に集まり、馬鹿話をしてみたり。鬼鮫と武彦が常人ではシャレにならない程の手合わせをして、美玲に看病されたり。
それは彼らにとっての日常であり、無表情を貫いていた仏頂面の武彦でさえ、このメンバーと会う時だけはサングラスと「ディテクター」という仮面を外し、接していた。
「――虚無の境界との戦いが激化した頃だったか」
鬼鮫が記憶を掘り返すように呟いた。
虚無の境界とIO2東京本部との戦いは、一時期激化の一途を辿っていた。
エージェントと虚無の境界の構成員が幾度となく戦い、何人ものエージェントが死に、虚無の境界壊滅まであと一歩といったところまで追い詰めてみせたのだ。
そんな折、最前線で最も戦果をあげていたのが、武彦達4人であった。
当然、それによって虚無の境界には厳しいマークを受け、多勢に無勢といった戦いを強いられた事もあったが、どうにかそれを免れ、生き延びてきたのだ。
最前線に出る武彦と鬼鮫は、いつだって死と隣合わせの世界を生きてきた。
美玲のプロファイリングによって虚無の境界が潜んでいるであろう拠点を次々と当て、それを二人が先導した部隊によって急襲し、勢力を削ぐ。
硝煙と血の匂いが身体中に沁み込んでしまったかのような日々。
そんな中、美玲は――命を落とした。
最前線にいるべきではない彼女が、プロファイリングの裏をかかれ、たった一人孤立する形となって、だ。
暗殺されたのだ。
IO2内部に潜り込んだ、一人の構成員の手によって。
「……もうすぐだ、鬼鮫、憂。もうすぐ、虚無の境界とケリがつく」
武彦はじっと自分の手のひらを見つめ、そして拳を握り締める。
再び東京に現れた彼ら。
彼らを今度こそ、逃がすまいと。
「俺は――――」
◆ ◆ ◆
一方その頃、冥月によって百合曰くの「お姉様抱っこ」によって医務室に運ばれた葉月と、そんな葉月に堂々と殺害宣言を言い放っていた百合であるが、その進展は一切見せていなかった。
「あの、有難うございます、冥月さん」
「気にするな。身体にはそれなりに打ち込んだのだ。私の責任だ。責任ぐらいは取ってやる」
「責任を取るって、まさかお姉様! その女の事を!」
「お前はさっきから何を騒いでいるんだ、百合……」
もはや百合が冥月に対して尋常ならざる想いを持ち、さらにそれをぶつけているなど、葉月にとってみれば一目瞭然である。だが、こんなにも分かり易い執着ぶりとも愛情とも呼べる何かをぶつける百合の姿に、冥月はただ呆れたかのように答えるばかりだ。
百合の想いばかりではなく、もはや冥月にとっては手のかかる妹のようにしか見られていないのもまた目に見えて理解出来るのだが、葉月にとってはそれを説明するなど出来るはずもない。
なにせ百合は、聞く耳を持つどころか親の仇を見るかのように自分を見つめていた。
「……分かりましたわ、お姉様」
「そうか。やれやれ、とりあえずはこれでお前も落ち着いて――」
「――葉月さんですわよね? お姉様を賭けて、私と勝負しましょう――あいたっ」
「勝手に人を賭けの対象にするな」
堂々と宣戦布告してみせた百合の後頭部に、冥月の軽いチョップが落ちる。さすがに人を殺せるだけの実力はあるが、冥月とてこの流れで「うるさいから意識を落として黙らせる」などという突飛な考えには及ばなかったようだと葉月は安堵していた。
しかし本音を言えば、今の一撃で百合を黙らせるつもりではいたのだ。
ただ百合が後方の殺気に気付き、うまく衝撃を逃したからこそこの程度で済んでいるのだが、葉月とてそれを見破れるはずもなかった。
その後ろで冥月が「ほう」と感心した様子で憂を見つめて目を丸くすると、憂も心なしかドヤ顔気味に葉月を見つめる。
「勝負なんて、私には……」
「ふむ、悪くはないな」
「えっ!?」
先程まで止めに入っていたはずの冥月が突然理解を示した姿を見て、思わず葉月が声をあげた。
慌てて詰め寄ろうと、ベッドの上で身体を起こした葉月を手で制し、「まぁ聴け」とだけ告げると冥月がにやりと笑ってみせた。
「百合はかつての私の妹弟子。当然、異能がなくともその体術は大したものだ」
「の、能力は……」
「なしで……?」
葉月の言葉を引き継ぐ形で百合が続く。
現在もまだ百合の身体は万全ではない。その上、冥月と同じく体術を学んでいたとは言え能力開発を経てすっかり百合も身体がなまっていると言っても過言ではない。
「葉月、だったか。体力が戻ったら百合とやってみると良い。百合も体調の悪さと能力を使えないというハンデがある。条件は五分だろう」
「でも、お姉様……」
「百合」
「――ッ」
未だ納得がいかないといった様子でなんとか撤回しようとして詰め寄るが、その頬へと冥月がそっと手を添えた。
途端、百合が動きを止めて顔を赤くして固まった。
「昔私が教えてやった訓練は、間違いなくお前の中に残っているはずだ。まさかそれすらも忘れてしまったのか?」
「……はひ、しょ、しょれはにゃいです、けど……!」
「ならば問題はないだろう。お前なら出来るはずだ、百合。――私を満足させてみせろ」
「は、はははひ!」
頭から茹であがるような熱を発して固まる百合の頬から手を放し、ちらりと冥月が葉月を見ると、葉月もまた顔を真っ赤にして口元に手を当て、冥月と百合の姿を見たまま固まっていた。
「……どうした、葉月」
「い、いえ。お、「お姉様」って呼ばせてるのはそういう意味合いを持っていたんですね……。そ、そういう世界があるのは知ってましたけど、まさか、実在してるなんて思ってなくて、その……」
「あぁ、そういう事か」
――――冥月は、一体葉月が何を言っているのか理解はしていなかった。
簡単に言うなれば勘違いしたのである。
「私と百合はそういう――師弟――関係だ。確かに――今時師弟など――珍しい関係だろうが、いないという訳ではあるまい」
「えっ! そ、そうなんですね……。やっぱりそういう――禁断な意味での――関係だったんですね……。確かに、海外なんかじゃ――結婚した――例もあるって聞きますし……」
「あぁ、そうだな。元々私と百合は中国から来たのでな」
葉月と百合はどうやら同じ感想を抱いているらしく、百合に至ってはすでに機能を停止した機械かのように佇み、倒れかけて葉月に抱きかかえられてしまった。
そんな二人の様子を見て、冥月は「二人なら仲良くやれそうだな」とだけ勝手に感想を抱くと、ふっと小さく笑った。
「それじゃあ、少し用があるのでな。百合、葉月の看病を頼む」
「は、はひ……」
部屋を後にした冥月は、百合の研究室に戻っていく。
――――扉を開きかけたその時。
武彦の言葉が届いた。
「――――俺は、美玲の為だけに奴らを殺すと決めた」
冥月の足は、そこでピタリと止まった。
to be continued...
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いつもご依頼有難うございます、白神です。
今回で武彦の背負ってきた過去が明らかになったというところです。
百合と葉月は意外と気が合ってしまうのかもしれません。笑
お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは、今後共宜しくお願いします。
白神 怜司
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