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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


sinfonia.41 ■ 2人の少女のIdentity







sinfonia.41 ■ 霧絵の願い







 ――扉の向こう側から、戦いの音が聴こえて来る。
 凛は磔とも呼べるような状態にありながらも、この切迫した状況を心のどこかで楽しんでいた。その理由は一つである。

 勇太が自分を助けるシーン。
 さながら、凛がまだ子供であった頃に夢見ていたお伽話のような、王子様がお姫様を助けるシーンのそれが、今こうして自分の立場に訪れているのだ。――もちろん、この状況を楽しめる程の肝の太さを発揮した姫などいるはずはないが、そんな事は凛にとってはどうでも良い。

 大事なのは、このシチュエーションの主役が自分と勇太であるという事だ。

 凰翼島と呼ばれる小さな島の巫女。そんな生き方を続け、狭い世界の中で終わろうとしていた一生。鳥籠の中でしか生きられず、それを悲嘆するでもなく受け入れてしまっていた凛を、勇太は助けてくれたのだ。

 それは勇太にとっては当たり前な事で、凛にとっては奇跡としか呼べない内容であった。

 以来、凛は勇太の過去を教えてもらい、IO2に所属する決意をしたのだ。
 鬼鮫からの推薦もあり、異例の若さでIO2エージェント見習いとして東京へとやって来た凛は、誰よりも向上心が強かった。どれだけ厳しい状況に追い込まれても、気持ちが揺らぐ事もなかった。

 それは全て、自分が勇太を守る為だ。
 かつての恩を返したい、などという殊勝な心掛けもあるが、恋心を抱いていないと言えば嘘である。下心ありきで東京へとやって来た彼女にとって、今の状況は望んでこそいなかったものの、それでも舞台の上で描かれるような救出劇を望んでしまう。

 ――――そして、今。
 ゆっくりと凛の視線の先にある扉が開かれた。

 心細い気持ちだって確かにあったのだ。
 虚無の境界と呼ばれる、最悪にして最凶のIO2の仇敵。その盟主である巫浄霧絵によって拐かされ、このままでは自分は知りも信奉もしていない〈虚無〉の器とさせられるかもしれないという不安があったのだ。

 だからだろう。
 凛は扉の向こう側からやって来たのが百合だと気付き、一瞬であるが顔に落胆の色を浮かべつつも、ふっと――まるで安堵したかのように柔らかな笑みを浮かべて、百合をまっすぐ見つめて、告げる。

「チェンジで」

「……アンタねぇ……」

 不安は吹っ飛び、消え去り、ただ単純に落胆だけが残ったようだ。
 みるみる凛が頬を膨らませていく。

「何で百合さんが来るんですかっ! 空気読んでくださいよっ! ここは勇太が来て劇的に救出する場面じゃないですかっ!」

「あー、ハイハイ。どうせそんな事だろうと思ったわよ、ったく。でも、今アイツはそんな余裕はないわ。それぐらい、分かってるでしょう?」

 フン、とそっぽを向いて口を尖らせた凛に呆れた様子で百合が尋ねると、凛はにへらと笑ってみせた。
 しかし、その笑みは――――

「……もうっ、もうちょっとぐらい心配そうに駆け寄ってくれても良いんですよ。それに、結構しんどいんです、今も」

「な……ッ!」

 ――――薄暗い室内。
 燭台の上で揺れる炎が映し出した凛の浮かべた笑顔。その顔を歩み寄り、ようやく初めてまともに見る事が出来た百合には――明らかに何かをやせ我慢しているかのようにしか見えなかった。
 見れば、薄っすらと額や頬を汗が伝い、黒い髪が張り付き、肩で息をしているのか僅かに上下しているではないか。

「バカッ! くだらないこと言ってないで、早くそう言いなさいよ!」

「あはは……、すみません」

 悪態をついて凛を叱責しながらも、百合はそれが自分の失態であったと思い知る。凛は弱った自分を極力見せまいとするという、良く言えば自分を律する強さを持ち、その反面で強がり過ぎてしまう節があるのだ。
 勇太が命の危険に晒された時こそ取り乱していたが、こと自分の事になればそうなるようなやわな性格ではないだろうと、百合も心の何処かで理解していたはずだ。

「すぐにそこの魔法陣みたいなのから、アンタを移動させ――!」

「――ダメです。今私が動けば、虚無のエネルギーが周囲に溢れ、間違いなく危険な何かが起こってしまいます」

 慌てて凛を助けようとする百合であったが、それを制したのは凛自身だった。

「どういう、ことよ……」

「……〈虚無〉はすでに、私の身体に多少なりとも干渉を開始しています。要するに、今の私は〈虚無〉の器であると同時に、〈虚無〉がこの場所に現れないように抑えている蓋のような状況です。下手に動けば、間違いなく集まった〈虚無の残滓〉とも呼べるものが溢れ、この付近に悪い影響を及ぼしかねません」

「――……ッ、そんな……。じゃあ、間に合わなかったって言うの……?」

 百合の言葉に、凛は首を左右に振ると、告げた。

「違います。――〈虚無〉と私、どちらが勝てるか。これは私の戦いなんです」

「……え?」

 凛の言葉に、百合が言葉を失い尋ね返した。

「〈虚無〉とは恐らく、人の負の念――つまりは怨恨の念が人の形を成し、偽神の一柱となった存在でしょう。これを祓わない限り、例えそれが虚無の境界でなかったとしても、この惨劇が再び起きないとも限りません。
 しかし、今回の虚無の境界の行いによって、それがこの世界に流れ込んできたのです。これは――考え様によってはチャンスだと言えませんか?」

「な、何言ってるのよ……! たった一人でそれを打ち祓うなんて真似が出来る程、人の恨み辛みは浅くも弱くもないはずよ! 仮にも神の一柱になれる程の大きな力なのだとしたら、そんなものを相手にしたら、アンタの精神が保てるはずないじゃない!」

「……鋭いですね、百合さん。恐らく、私はこの〈虚無〉と戦っても、良くて相打ち。悪ければ――消滅するでしょう」

「――ッ!」

 凛の言葉に、百合の言葉が詰まる。

 百合の言葉はひどく真っ当な推測であり、正しかった。
 巫女として神気を操れるとは言え、ただの巫女にそこまでの事が出来るのかと言われれば、答えは――目に見えている。それは十二分に凛にも理解出来ているのだ。
 恐らく、この戦いで自分が出来る最善は、相打ちだ。悪ければ無駄死でもあるが、それでも〈虚無〉が具現化された際に弱体化出来るのは紛れもない事実である。

「……どうして、アンタがそこまでするのよ……!」

「守る為ですよ」

 絞り出すかのような百合の言葉に、はたして凛はあっさりと答えてみせた。

「この腐った世界を、守ろうっていうの? 命を投げ出してまで守ろうなんて、そんなの――」

「――いいえ、それは違います。私利私欲の為に、私は戦うんですよ」

 あっさりと、凛は告げる。

「私は守りたいんです。ただ一人の人を、そんな彼が愛した人々を、世界を、環境を。もしもそれを私の力で助力出来るのなら、それ以上の事はありません」

「……な、によ、それ……。だって、そうまでしたって、そこにアンタはいないかもしれないじゃない……!」

「えぇ、そうかもしれません。でも、それでも良いんです。彼を――勇太を守れるなら、私は自分の命を代償にしてでも構いません。それが、私が私で在る理由です。
 それに、アナタも同じ考えなんじゃないですか、百合さん?」

「――な……ッ、こ、こんな時に何言ってんのよ、アンタは!」

「私、百合さんなら勇太を守ってくれると思うんです。だから、もしも私がいなくなって勇太が悲しんでいたら、支えてあげてくださいね? 百合さんなら、百歩どころか億歩ぐらい譲れば、任せても良いと思ってるんです」

 ――今でも、辛い状況が続いているのだろうか。
 百合は凛の笑顔が引き攣っている事に気付きながらも、そんな凛の強がりを聞いていた。

「だからどうか。――――彼の事を、お願いしますね」

 その時の凛の顔を、きっと自分は一生忘れる事はないだろう。
 泣きそうな、それでいて満足気で、なのに不安があって、酷く引き攣った笑みだった。こんな時ぐらい、自分に任せろと格好良く笑ってみせるならいざ知らず、それにしてはあまりにも不格好な凛の言葉に、百合はぐっと歯を食いしばり、俯いた。

「―――――言って――――わよ……ッ!」

 俯いた百合が、その拳をきゅっと握り締めた。

 そして顔を上げ、キッと凛を睨みつけるように涙の溜まった双眸を向け、手を横に振った。

「バカ言ってんじゃないわよ、凛ッ!」

 ――――空間を、繋ぐ。

 強制的に、ほんの一瞬で凛を陣の上から移動させた百合は、凛を自分の真後ろに移動させると、その身体を絞っていた錠を彼方へと消し去り、陣を睨みつけた。

「な、何で……! こんな事したら――!」

「――勇太が好きって、言ったわよね。なら憶えておきなさい――」

 背中を向けたまま、百合は続けた。

「――アイツも私も、自己犠牲の上に成り立つ平和なんて、認めないッ! どんな結果になろうと、誰かがいなくなってしまう結論なんて、絶対に認めたりはしないわッ!」

「……百合、さん……?」

「神の残滓だか何だか知らないけどね、私は昔からこれだけは譲る気はないわ。――私の願う道を、歩むと決めた未来を邪魔するのは、例え相手が神であっても許さない。それが私の〈私たる所以〉――《アイデンティティ》よ。
 アンタは私に勇太を譲るって言ったけど、おこぼれで譲ってもらうなんて――冗談じゃないわ。この神の残滓とやらも時空の彼方に消し飛ばして、その上で正真正銘ケリをつける。私は自分の道を、自分で決めて自分で歩く。それだけはどんな状況であっても誰にも譲ったりはしないわ。
 色々話す必要もありそうだし、アンタの決断は立派だとは思うけど、こんな状況で悠長に喋っていられる余裕なんてないでしょうし。
 だから――」

 早口で捲し立てるように告げて、百合が振り返り――凛へと手を差し伸べた。

「――まずは、神殺しから始めるわよ」










to be continued,,,