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禍いは太古より来たる
オレゴン・ボーテックス。
その名の通り、オレゴン州ゴールドヒル一帯に、磁気と霊気の一緒くたになったものが激しく渦巻いている。
風景の歪みが、そのまま巨大な渦となっていた。
渦状に歪むゴールドヒルを、アリーは上空から見下ろしていた。
「ちぃっ……こいつは……!」
牙を剥きながら、アリーは息を呑んだ。
渦の中に、いる。
のんびりと空を飛んでいただけの罪なき者たちが、渦の中に捕われ、禍々しいものへと無理矢理に造り変えられて行く。
一刻も早く渦の中に飛び込み、彼らを救い出さなければならないアリーを、阻む者たちがいた。
「どうして……」
土偶のような鎧をまとう少女たち。十数名。空中で、アリーを取り囲んでいる。
「どうして……警告を、聞いて下さらないんですか……?」
「あなた方のためを思って、私たちはあれほど警告を……なのに何故……」
背中の翼をはためかせて滞空するアリーを、翼を持たぬ少女たちが包囲している。目に見えぬ足場があるかの如く、空中に立っている。
アリーは睨み回し、言い放った。
「お前のためを思って……か。その台詞、あたしに向かって吐いていいのは1人だけだ」
上司である1人の女性の顔を、アリーは一瞬だけ思い浮かべた。
「それ以外の奴が言ったら、殺す……鳥葬だ」
鉈のような大型のナイフを2本、アリーは左右それぞれの手で握り構えた。
「食べやすい大きさに、切り刻んでやっからよォオ!」
アリーの雄叫びに呼応したかの如く少女たちが、不可視の足場を蹴って空中を駆け、踏み込んで行く。
形良い繊手が、鋭利な手刀や拳となる。優美な脚線が斬撃のように宙を裂き、回し蹴りや飛び蹴りとなる。
全ての攻撃を、アリーは左右のナイフで防ぎ、受け流した。
激しく羽を散らせながら、彼女は一方的に防戦を強いられている。
見上げながらフェイトは、銃撃で援護する事も出来ずにいた。
土偶の鎧を着た少女が1人、地上にもいるのだ。
「行かせはしない……貴方たちを、あの御方の所へは」
1人。アリー相手の空中戦には加わらず単身で、フェイトとディテクターの前方に佇んでいる。土器の甲冑をまとう細身で、男2人の行く手を阻んでいるのだ。
「私には、あの御方をお守りするしか道はないの」
「何を言ってるんだ……!」
拳銃2丁を、とりあえず左右それぞれの手に握ったまま、フェイトは会話を試みた。
「チュトサイン、とか言ったっけか。あんな化け物に一体、何の義理がある!?」
「私たちは、あの御方には逆らえない。それだけよ」」
「魔力の類で、束縛されてるのか。なら俺たちが、あの化け物をやっつけて、あんたたちを自由にしてやるから! そこを、どいてくれないか」
「何度も同じ事を言わせないで……私たちは、チュトサイン様には逆らえないの。何故なら、生贄だから」
生贄。おぞましい言葉だ、とフェイトは思った。
「私たちは、あの神殿で生を受けた。生まれながらの生贄として」
「生き方を選ぶ事は、出来るはずだ!」
叫ぶフェイトの肩に、ディテクターが片手を置いた。
「お前は行け、フェイト」
「行く、って……」
轟音が、聞こえた。
ゴールドヒル全体を歪める渦の中から、巨大なものが、まるで立ちのぼる炎のように現れていた。
巨木にも似た、腕。いや前足か。カギ爪で宙を掻きむしりながら、それはすぐに消えた。
「チュトサイン……」
フェイトは呻き、ディテクターは言った。
「一刻の猶予もない。あの化け物は、お前が止めて来い」
右手に、リボルバー拳銃。左手にナイフ。
ディテクターは、すでに戦う体勢を整えていた。
「……この人形どもは、俺が処分しておく」
「人形……処分、って……!」
「こいつが、恐らくは人形どもの中核だ。この1体を処分すれば、他の奴は消えて失せる」
立ち塞がる少女に銃口を向けながら、ディテクターは言った。
「お前も頭ではわかっているはずだフェイト。こいつらを生きたままチュトサインから解放してやる事など、出来はしない」
サングラスの下で、ディテクターがどんな目をしているのか、フェイトにはわからなかった。
「生き方を選ぶ事は出来る、と言ったな。それは少しばかり傲慢な台詞だ、と俺は思うぞ……誰もが、お前のように生きられるわけではない」
「俺のように……」
フェイトは思い返した。
自分の周りには、様々な人間がいた。人間ではない者たちもいた。
彼ら彼女らのおかげで自分は、今の生き方に辿り着く事が出来たのだ。
この少女たちには、誰もいない。
再び、轟音が響き渡った。
巨大な前肢が再び出現し、渦を突き破ろうとしながら、またしても消えた。
すぐに、また現れるだろう。そして消えなくなる。
「……あれこれ考えてる暇は、なさそうだな」
フェイトは呻き、唇を噛み、そして駆け出した。
「行かせはしないと……」
少女が、フェイトの行く手を阻もうとする。
ディテクターが、引き金を引いた。
少女は跳び退った。その足元で、銃弾が地面を穿つ。
ディテクターの射撃に援護される形で、フェイトはその場を駆け抜けた。
(汚れ役を……他人に押し付けちゃうんだな、俺って奴は……)
今は、そんな事で思い悩んでいる場合でもなかった。
磁気・霊気の大渦へと向かって駆けて行くフェイトの後ろ姿を、ディテクターは一瞬だけ見送った。
その一瞬の間に、少女が距離を詰めて来る。
「お兄様……貴方は私を、助けて下さいました」
衝撃が、腹の辺りに叩き込まれて来た。ディテクターは身を折り、無言で息を詰まらせた。
悲鳴を、呼吸もろとも叩き潰すほどの一撃。パワードプロテクターでも緩和しきれない衝撃。
少女の、蹴りだった。すらりと伸びた脚を凛々しく飾る、土器の脛当て。それが鈍器の如く、ディテクターの腹部に叩き付けられたのだ。
「人質にされた私を、お兄様は……見殺しになさらず……」
倒れたディテクターを見下ろしながら、少女は微笑んでいる。微笑みながら、涙を流している。
「それだけで、充分です……身に余る幸せを私は、お兄様からいただきました……」
どうにか呼吸を回復させながら身を起こそうとするディテクターに、少女がゆらりと歩み迫る。とどめの一撃。今の蹴りを首から上に食らえば、命はない。
少女の片足が高速で離陸しようとする、その寸前。ディテクターは拳銃を構え、引き金を引いた。
銃声と共に、少女の細身が揺らぐ。可憐な美貌が、硬直する。
その眉間に1つだけ、銃痕が穿たれていた。
揺らいだ少女が、倒れ込んで来る。
ディテクターは抱き止めた。
体重も、温もりも、感じられなかった。
少女の身体はすでに崩壊し、塵か灰か判然としないものに変わって、ディテクターの両腕からサラサラとこぼれ落ちて行く。
そうなる寸前、少女が一瞬だけ、微笑んだような気がした。
錯覚だ、とディテクターは思う事にした。
右のナイフが折れ、左のナイフが蹴り飛ばされた。
予備の武器を、ロングコートの内側から取り出している暇はない。
土器の脛当てをまとった蹴りが、アリーの眼前に迫って来ている。
一瞬後には、直撃。アリーの首から上が、綺麗に砕け散って跡形もなくなる……と思われた瞬間、蹴りが消えた。
少女の足が、身体が、サラサラと崩れて塵あるいは灰に変わり、風に舞う。
「何……なんだよ……」
アリーは呆然と、周囲を見回した。
少女たちが1人残らず、土偶の鎧もろとも崩壊し、さらさらと風に乗って散り消えてゆく。
フェイトが何かをしたのか、あるいはディテクターか。アリーにはわからない。
わかる事は、ただ1つ。
厄介な敵たちがいなくなった、とは言え状況が好転したわけではないという事実だ。
「おう……っと」
アリーは羽ばたき、その場を離脱した。
ゴールドヒル全体を歪める大渦から、またも巨大なものが現れたのだ。
今度は腕でも前足でもない。激しくうねる、大蛇のような尻尾。
それが、アリーの近くの空間をブゥンッ! と薙ぎ払って消える。
『……よく……やった……』
声が、大気を震撼させた。
『……よくやったぞ、生贄ども……よくぞ、時を稼いでくれた……』
渦の中央に、光が生じた。眼光だ、とアリーは思った。
『我は今……物質の肉体を得て、顕現する……侵略者たるキリスト教徒どもに、真の神の罰を下す……』
何者かが、大渦の中で眼光を輝かせ、声を発している。
そこへ、挑みかかって行く者がいた。
フェイトだった。
ブラックホールのような大渦へと、まっすぐ走り寄って行く。渦の中で実体化しつつある巨大なものに、拳銃2丁で挑もうとしている。
「……馬鹿! 無茶すんな!」
アリーは怒鳴り、羽ばたき、猛禽の如く降下して行った。
フェイトの周囲で、大量の土煙が舞い上がる。
プロレスラーのような巨体が複数、大渦の中から飛び出して来て着地したところだ。
レスラーでも力士でもない、人間ですらない者たちが雄叫びを張り上げ、大斧を振りかざしている。
筋肉の盛り上がった、人型の身体。だが首から上は、角を振り立てる猛牛の頭部である。
「ミノタウロス……?」
フェイトは立ち止まり、左右の拳銃を構えた。
大渦は異世界と繋がっており、そこから怪物が現れる事もある。そう聞いてはいたが、しかし異世界との通路は現在、塞がっているはずであった。
ミノタウロスだけではない。
大型爬虫類のような生き物が何匹か、皮膜の翼をはためかせて大渦からオレゴン上空へと飛び出し、奇怪な咆哮を轟かせている。竜、いやワイバーンだ。
ジーンキャリアの材料ともなりうる怪物たちが、異世界からアメリカへと流れ込んで来た。
それが意味する事実は、1つ。
異世界への通路を塞いでいた何者かが、大渦の外へと出てしまったのだ。
ミノタウロスの群れが、襲いかかって来た。あらゆる方向から、フェイトに大斧を叩き付けようとしている。
「どけよ……!」
両眼でエメラルドグリーンの光を燃え上がらせながら、フェイトは引き金を引いた。
轟音を伴う銃撃が、左右の銃口からフルオートで迸る。
念動力を宿した、弾丸の嵐。
ミノタウロスの群れは、射殺されたと言うより粉砕されていた。
牛頭の巨体が複数、挽肉と化して飛び散り、血煙を漂わせる。
その向こう側に、フェイトは見た。
ミノタウロスなど問題にならないほどの巨体が1つ、観光地オレゴン・ボーテックスを踏み潰しながら佇んでいる。
それは、巨大な土偶であった。
以前、資料で見た事がある、アカンバロの恐竜土偶。あれに似ている。
チュトサイン。
かつてキリスト教によって駆逐・封印された北米土着の大悪霊が、恐竜土偶の大口で吼えた。
『畏れるが良い、愚かなるキリスト教徒! 侵略者の末裔ども! この地を統べる真の神が今、お前たちに滅びの罰を下す!』
「黙れよ……何が神だ! 何が生贄だ!」
フェイトは怒り叫び、ひたすらに左右の拳銃をぶっ放した。
ミノタウロスたちを粉砕した念動の銃撃が、チュトサインの巨大な足に、ぺちぺちと命中している。
その足が1歩、動いた。
踏み潰された建物の残骸が、薙ぎ倒された木々が、フェイトに向かって蹴散らされる。
「この馬鹿、何やってる!」
怒声と共に、凄まじい力が、フェイトを掴んで空中へとさらった。
「アリー先輩……」
「頭ぁ冷やして現実見ろ! あたしらはなぁ、間に合わなかったんだよ!」
強靭な細腕でフェイトを荷物の如く抱え運び、羽ばたきながら、アリーが叫ぶ。
目覚めさせてはならなかったものが、目覚めてしまったのだ。
巨大な恐竜土偶が、観光地の残骸を蹴散らしながら地響きを立て、どこかへ向かう。何匹ものワイバーンを、衛星の如く引き連れてだ。
目的地など、ない。
キリスト教に支配された、この国の人間たちを。ひたすら踏み潰す。チュトサインの目的は、それだけだ。
まずは、この地域の住民を避難させなければならない。
スマートフォンを取り出しながらフェイトは、心の中で、かつての敵たちに語りかけていた。
(錬金生命体……あんたたちの力、借りるしかないのか……!)
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