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一夜の夢
「……何でこないな事になってんねん」
セレシュは食料の買出しから帰ってくるなり、そう呟いた。
両手に大量の荷物を抱えたまま、玄関先で石化してしまったかのように硬直しているセレシュの前に、悪魔は苦笑いを浮かべている。
「いや〜、それがね……」
悪魔は困ったようにぽりぽりと頭を掻きながら、固まってしまったまま動かないセレシュを見上げた。
買い物に行く前は、いつも通り綺麗に片付いた部屋だった。それが、帰ってくるなり目も当てられないほどのぐちゃぐちゃになっている。
しかもその原因が悪魔にあるわけではなく、本来ならうちにはいないはずの「ソレ」が部屋の中を縦横無尽に歩き回っているのだ。
事の発端は、つい数時間前のことだ。
買い物に出かけてくると言って家を出たセレシュは、いつも通り、行きつけの店まで出かけていった。
そんな彼女を窓から見送った悪魔は、本屋へ出かけようと思い身支度を済ませて家を出たのだと言う。そして、本屋で本を買い、そのまま真っ直ぐに家に戻ろうとした時だった。
道端に、うずくまる一人の幼い少女を見つけた。
少女の衣服はボロボロで、頭もボサボサ。
親がいるのではないかと辺りを見回したものの、親らしい人物はどこにも見当たらない。
「……あの、どうしたの?」
躊躇いがちにそう訊ねると、少女はパッと顔を上げるなりがっしりと悪魔の足にしがみつき、顔を隠し無言を決め込む。
「おうちの人はいないの?」
そう訊ねてみても、少女は何も言わなかった。
どうやっても離れてくれそうにない少女に、悪魔は仕方がなく家に連れて帰ってきたのだ。
家に帰ってくると最初は大人しく子猫の背を撫でていた少女だったが、次第に慣れたのか家の中を駆けずり回り手が付けられない状態になったのだと言う。
そこへ帰ってきたのがセレシュだった。
「で。どこの誰とも分からん子をうちに引き入れたっちゅうわけか」
「だって、離れないんだもん」
困り果てたように見上げてくる悪魔に、セレシュは呆れたように盛大なため息を漏らした。
「……あんなぁ、いくら離れへんから言うて、勝手に連れてきたら誘拐と思われるんやで!?」
「で、でも……」
「そう言うときは警察に任せるんが一番や。それがルールや」
ドサリと荷物を置いたセレシュは、まるで動物のようにあちこち動き回っている少女の傍に歩み寄る。
「なぁ、お譲ちゃん? お父さんとお母さんは、おらへんの?」
「……」
話しかけてくるセレシュに対し、少女は見向きもせずに風に揺れるカーテンとじゃれあっている。
「あんなぁここにおったらお父さんとお母さん、心配するやろ。な。うちと一緒におまわりさんとこ行こ?」
少女はちらりとセレシュに視線を投げかけるが、まるで話を聞いてないのか必死にカーテンで遊んでいる。
セレシュはムッと眉根を寄せて、腰に手を当てた。
「お譲ちゃん。人の話はちゃんと聞こうな? さ、暗くなる前におまわりさんとこ行くで」
強引だと分かっていながらも、セレシュは少女の腕を掴むと、少女は体全体で驚いた。そして毛を逆立てながらセレシュの手を引っ掻いて部屋の隅へと逃げ込む。
「……なんやあの子。人間やのうて、まるで猫みたいやな」
引っ掻き傷の出来た手の甲を握りながら眉根を寄せて訝しげに少女を見ると、悪魔も少女へと視線を向ける。
少女は部屋の隅で体を小さくし、フーフーと小さく唸りながらこちらを怯えたようにも、睨むようにも見つめ返していた。
「うちはどうも嫌われてるみたいやから、連れてきた責任であんたが警察に連れてったってや」
「え! ちょっ……セレシュ!」
お手上げとばかりにヒラヒラと手を振ったセレシュは、悪魔にそう申し付けてキッチンへと向かった。
残された悪魔は困り果てて、もう一度少女の方へ振り返る。すると、そこに少女の姿はなく、悪魔はうろたえながら辺りを見回した。
「あ、あれ? え? どこ行ったの……」
キョロキョロと見回していると、背中にドンと何かがぶつかる感覚があった。
そっと背後を覗き込むと、少女ががっしりと悪魔の背中にしがみついている。
「びっくりした、どこ行ったのかと……。ね、おまわりさんとこ、一緒に行こうか」
悪魔がそう声をかけると、少女は擦り付けるように顔を押し付けて首を横に振る。
その後どうやって説得しようとも、少女はまったく微動だにしないどころか離れたがる様子がなかった。
困り果てた悪魔は、キッチンで夕飯の支度をしているセレシュを見やり、小さくため息をこぼすと少女の手を取り玄関へ向かう。
「連れて行って来る」
「はいよ〜」
そう言い置いて、悪魔は少女の手を引き家を出る。そして警察へ足を運ばず、そのまま地下にある研究所へと降りていった。
「とりあえず今日はここにいて? 毛布とか後で持ってくるから。その代わり、明日はおまわりさんの所へ行くんだよ?」
すると少女はこくりと小さく頷き返し、悪魔も小さくため息を吐いて研究所を後にした。
翌日、悪魔は再びセレシュの目を盗み地下へ降りていくと、食事にもたいして手を付けないまま、毛布の中で小さな黒猫が一匹死に絶えている姿があった。
その姿を見た悪魔は愕然とし、その場に固まってしまう。
「……嘘……」
そう呟いた瞬間、セレシュがひょっこりと顔を出した。
「死場を求めとったんかもしれへんな」
「セレシュ!?」
驚いて振り返ると、セレシュは小さく笑みを浮かべ子猫の傍に座り込んでそっと毛布をかけてやる。
「最後の最後であんたに優しくされて、つい、それに縋ってみたくなったんかもしれへん」
「……気付いてたの?」
「気付くと言うより、勘、やろか」
毛布に包んだ子猫を抱き上げて、悪魔を振り返った。
「この子、ちゃんと埋葬したげよう」
「……うん」
悪魔は表情を曇らせて、毛布に包まれたまま瞳を閉じて眠る子猫を見つめ、小さく頷き返した。
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