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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


生体兵器の休日


 5年間、アメリカで暮らした。
 だからと言って食生活が完全にアメリカナイズされてしまったわけではなく、焼き魚と味噌汁と白米ご飯がメニューにあれば、普通にそれを選んでしまう自分がここにいる。
「甘味と油の量が……冗談抜きで一桁違うからなあ、あっちは」
 IO2日本支部の、第2食堂である。昼食時で混雑はしているが、座る場所がないほどではない。
 それでも、のんびり選んでいる余裕があるほどでもなかった。相席は、覚悟しなければならない。
「あの……ここ、いいですか?」
「どうぞ……」
 答えながら、その女性職員が、ちらりと顔を上げる。
 隻眼の少女だった。繊細な美貌の左半分に、無骨な黒いアイパッチが貼り付いている。
「……あんたか」
 焼き魚定食のトレーを卓上に置きながら、フェイトは少女と向かい合って着席した。
「薬と注射で栄養補給してるって話だけど……普通にご飯、食べられるんだな」
「栄養摂取の手段としては、極めて非効率的だ。錠剤やカプセルの方が良い」
 そんな事を言いながら少女は、微量の穀物を箸で口に運び、もそもそと美味そうでもなく咀嚼している。
 白米ではなく、玄米だ。その他には、漬け物の小皿と水が1杯。他には何もない。
「だが……消化器官を正常に活動させろと命令が出ている」
「そうだな。まあ、これも食べなよ」
 フェイトは、まだ口をつけていない箸で焼き魚を2つに分割し、その片方を玄米ご飯の上に乗せた。
「他人の施しは、受けたくない……」
「いいから食べなさい。先輩として命令する」
 この少女に対して自分は、全くの無責任ではいられない。何となく、フェイトはそんな気分になっていた。
 イオナ。それが、この少女のエージェントネームなのか本名なのかは、フェイトには判断がつかない。そう名付けられる以前の彼女は、そもそも名前を持っていなかったのだ。
「体力仕事なんだし、もっと食べないと駄目だよ。お金、ないわけじゃないんだろう? 俺と同じくらいの給料は貰っているはずだし、何か食費を切り詰める理由があるんなら話は別だけど」
「そんなものはない……お兄様も知っているはずだ。私には、何もない」
「そう思ってるだけさ。本当に何にもない奴なんて、そんなにはいないよ」
 偉そうな事を言っている、とフェイトは自覚はしていた。
「俺だって、昔は何にもなかった。いや、そう思ってた」
「……何かが、実はあったのか? お兄様には」
「あった。それが何かは、口で説明出来る事じゃあない」
 昔の自分でも見ている気分になっているのか、とフェイトは思った。
 自分には何もない。そう思い込んで馬鹿な事を大いにやらかしていた、あの頃の工藤勇太を。
 焼き魚と白米を、フェイトは味噌汁で流し込んだ。
 あの頃の事を思い出すと、何を食べても味がしなくなる。
(……あの頃の俺に比べれば、全然ましだよな。イオナは)
「……私に何かあるとしたら、復讐だ。今は、それだけでいい」
 言いながらイオナは、小刻みに箸を動かし、もそもそと唇を動かし、食事を続けた。
 小食、に見えて凄まじい速度である事に、フェイトは気付いた。
 玄米も焼き魚も漬け物も全て平らげたイオナが、隻眼を閉じて軽く両手を合わせる。
「ごちそう様……」
「早いな、おい」
 まだ飯が半分ほど残っている茶碗を片手に、フェイトはいささか呆気に取られていた。
「まだお腹減ってるんじゃないのか。食後のスイーツとか、何ならおごるよ? 女の子だからスイーツってのは偏見かも知れないけど」
「すいー……つ……?」
「甘い物、だけど……もしかして食べた事ない?」
 この世に生を受けてから数ヶ月目。年頃の少女の姿をした赤ん坊、とも言える存在である。それを、フェイトはようやく思い出した。
「糖分錠剤なら、常に適量を摂取しているが」
「そういうのじゃなくて」
 自分はこの少女の、親のようなものだ。フェイトはそう思った。お兄様と思われているなら、兄でも良い。
 兄らしい事を、しなければならない。
「……今度の休暇、一緒に街ヘ行こう」
「市街地へ……? 何か任務があるのか? 何も聞いてはいないが」
「休暇の日だって言ったろ。普通の人間の生活ってものを、少しは覚えなさい。先輩として、いや兄として命令する」
「……了解した」
 この少女が相手なら、間違ってもデートにはならないだろう、とフェイトは思った。


 シャツにズボン、としか表現しようのない格好で、イオナは待ち合わせ場所に現れた。
 女の子ならもう少し、などとフェイトは言いかけて黙った。自分の服装も、安物のジーンズに英字新聞柄のシャツである。地味さでは負けていない。
 そして今、服装の良し悪しなど問題にならないほどの事態が生じていた。
「あの、イオナさん……そ、それは……?」
「それ、とはこれの事か?」
 細長い手荷物を、イオナは軽く掲げて見せた。袋に包まれた、棒状の物体。
 中学・高校の剣道部員が竹刀を持ち歩いている、ように見えなくもない。が、袋の中身が竹刀などではない事を、フェイトは即座に確信した。
「刀、持って来ちゃったのかよ!」
「当然だ。これから任務なのだろう? 内容は聞かされていないが」
 言いつつイオナは、じろりと隻眼を鋭くした。
「お兄様は……まさか拳銃を持って来ていないのか? 敵の襲撃があったらどうする」
「いや、まあ……あるわけないとは、確かに断言出来ないんだけどさ」
 ここは日本。任務外の銃器携行は当然、禁止されている。刀剣類も同様のはずなのだが。
「敵は……あそこか」
 イオナが、ある1軒の建物を睨み据えた。
 古めかしい造りの、喫茶店である。経営者も従業員も、フェイトの知り合いだ。
 明日が開店と聞いている。今日、開いていれば、店内を待ち合わせ場所に指定しても良かった。経営者と従業員に、一応は妹という扱いの少女を紹介する事も出来た。
 それは次の機会に、とフェイトは思うのだが、
「あの店……尋常ならざる能力者の気配を感じる。それも複数だ」
 イオナは、店に入る気満々である。
「虚無の境界の前線基地か? 強行偵察、場合によっては殲滅……それが今回の任務か。了解した」
「了解しなくていいから」
 フェイトは、イオナの細腕を掴み、店とは逆方向に歩き出した。
 この少女の視界に、あの店を入れておいてはならない。
「何でもかんでも殲滅で問題解決しようとする癖、直した方がいいと思うぞ。俺も人の事は言えないけど」
「能力者をことごとく叩き斬れば、あらゆる問題が解決する。私の戦闘師範は、そう言っていたが」
「……あの人の言う事は、半分くらいしか聞いちゃ駄目だ」
 IO2日本支部きっての危険人物と言われる男と、いずれ徹底的に話をつけておく必要があるかも知れない、とフェイトは思った。


 女の子だから、とりあえずスイーツ。
 確かに偏見ではあるかも知れない。何か甘い物を食べさせてやったところで、このイオナという少女が、年頃の女の子らしく喜びはしゃいでくれるとは思えない。
 だがフェイトとしては、とりあえずスイーツだった。
 女の子が喜ぶものと言えば、甘物かショッピング。フェイトの知識など、そんなものだ。
 地味な服装で街を歩く、若い男と美少女。デート、に見えているのかも知れない。
 周囲では、もっと華やかな服装の若い男女が何組も、仲睦まじく楽しそうに歩いている。
 そんな華やいだ街の様子を、イオナは隻眼でちらりと見回した。任務遂行時と全く変わらない、冷静で無感情な眼差しである。
「お兄様の言う、普通の人間の生活……とは、この事か?」
「これが全て、ってわけじゃないけどな」
 フェイトは頭を掻いた。
 自分は一体何をしているのだ、という気分だった。
 女の子を連れ回して、楽しい思いをさせる。自分に、そんな技能はない。
 これまで女性と親しくなった経験が、全くないわけではないのだが。
(人間の女の子は、1人もいない……ような気がするなあ)
 数百年を生きる美少女や、成長の止まった三十路の女性ジーンキャリア。
 彼女たちとの親交は、しかしこういう場合、何の参考にもならない。
 黄色い声を、かけられた。
「お安くなってまぁす。よろしくどうぞ〜」
 チラシを、手渡された。
 いわゆるメイド服を着た娘たちが、道行く人々に配っているものである。
「わあ……そっくりですねえ、双子さんですかぁ?」
 メイド姿のチラシ配布員が、地味な格好の若い男女をまじまじと見つめてくる。
「ま、まあ、そんなようなものかな」
 曖昧な答え方をしながら、フェイトはチラシに見入った。
 メイド喫茶の宣伝物である。それ以上でも、それ以下でもない。このチラシを持って行くと、いくつかのメニューが割引になるようである。
「……行ってみよう、お兄様」
 イオナが言った。
「私たちは今、勧誘を受けたのだろう? 誘われたのなら、言ってみるべきだ。何かの罠という気配もない」
「いや、でもメイド喫茶だぞ? 男女の2人連れが入るのは、何か違うんじゃないか」
「あら。女性の御主人様、じゃなくてお嬢様も結構いらっしゃいますよお?」
 チラシ配布員たちが、そんな事を言いながらいつの間にか、フェイトとイオナを取り囲んでいる。
「というわけでぇ、御主人様&お嬢様、ご案なぁ〜い」
 何か言う暇もなくフェイトもイオナも、連行されていた。


「なるほど、ここがお兄様の自宅か」
 イオナが、物珍しげに店内を見回している。
「変わった所に、住んでいるのだな」
「そんなわけないだろ……」
「お帰りなさいませ、と言っていたぞ?」
「真に受けなくていいから」
 疲れたので、フェイトはコーヒーを啜った。いくらか、ほっとした。
 イオナもコーヒーを飲み、ケーキを食べている。フォークの使い方も、カップを口に運ぶ仕種も、上品なものだ。まさにお嬢様だ、とフェイトは思った。
 思っている間にイオナは、ケーキセット1人前を完食していた。
「食べるの早いな! 本当に」
「そうか? まあ、お兄様はゆっくり食べるといい」
 この少女、実はとてつもない大食いなのではないか、とフェイトは思わない事もなかった。
「……黙々と食べてたけど、美味かったか?」
「私の味覚が正常であれば、まあ美味ではあったと思う」
 イオナが言った。
「店員たちの、あの謎の儀式が功を奏したのかも知れないな。美味しくなるための呪文? だったか」
「やめてくれ。思い出したくない」
 フェイトは頭を抱えた。思い出すと、恥ずかしさで頭が熱くなる。ケーキの味もコーヒーの味も、わからなくなる。
「私は理解したぞ。お兄様の言う、普通の人間の生活を」
 イオナの綺麗な唇が、少しだけ歪んだ。笑った、のかも知れない。
「無駄なもの、だ。こういう無駄なものに満ち溢れている。それが、普通の人間の生活なのだな」
「…………まあ間違っちゃいない、って事にしとくか」
 曖昧な答え方をしつつフェイトは、ちらりと背後に視線を投げた。
 何やら、不穏な呟き声が聞こえたからだ。
「どいつも、こいつも……私を何だと思っている……」
 日本語である。が、喋っているのはどうやら外人だ。
 純白のスーツを着た、若い白人の男。
 少し離れた席で、大盛りの餡蜜パフェをがつがつと食らいながら、流暢な日本語で文句を言っている。
「世の愚物ども、今に見ておれ……我ら『ドゥームズ・カルト』の力を……そして選ばれた聖戦士たる私の力を……貴様らは、嫌でも思い知る事になる……」
 あまり差別はしたくないが、こういう店に来る客というのは、こういうものか。
 そんな事をフェイトは、つい思ってしまった。