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Episode.38 ■ 類似する境遇
葉月と百合の二人を置いて、冥月はそのまま憂の研究室を訪ねる事にした。
百合を葉月に、葉月を百合にぶつけるというのは冥月にとっても良い出会いだと思えるものだった。
能力に頼りきりになってしまって体術が疎かになってしまった百合には、ちょうど良いリハビリの相手になる。一方で、能力という切り札を恐れて使えない葉月にとっても、恐れを抱く程の能力を制御しきれるだけの自信と実力が必要だ。
真逆と言える二人ではあるが、それでもお互いの境遇や環境を鑑みれば、似通った悩みを持つ者同士、通じるものがあるかもしれない。
――それにしても、日本では師弟関係というものに強い憧れを抱くのか?
冥月の脳裏に、先程の葉月の反応が蘇る。
中国と日本はある意味文化が似ている。こと武術に於いて、師弟の関係が生じるというのは日本も同じだったはずだ。昨今の世情や近代的ではないと言えば確かにその通りだが、それにしたって赤面する程に強い憧れを抱くものなのだろうか。
冥月と葉月の間に生じた決定的な勘違いであったが、どうやら冥月はそれにはまったく気付いていないようである。あまつさえ、葉月が望むなら冥月の弟子としても鍛えあげてやろうかと考え、新たな弟子の姿に思わず昔を思い出し、満足気に一人で頷いてみせた。
そうして、扉に手をかけようとした、その時だった――――
「俺は、美玲の為だけに奴らを殺すと決めた」
――――不意に扉の向こうから聴こえてきた、聞き覚えのある声を耳にして、冥月はぴたりと動きを止めた。
幾千という修羅場を経験してきたからか、思わず反射的に気配を殺し、情報を収集しようと試みてしまう。それは彼女がその名を聞いて全てを理解したからではない。ただの癖、とでも言うべきものだった。
その一方、扉の向こう側で気配を消すという冥月の実力は、武彦と鬼鮫を以ってしても看破出来ない程に洗練された技術であり、三人はそんな来訪者の存在に気付いてはいなかった。
「……復讐か?」
「復讐、と言えば復讐だな。弔い合戦とでも言うべきかもしれねぇけどな」
鬼鮫の問いかけに、武彦は静かに答えた。
「アイツを殺されたのは、俺達――いや、俺の甘さが原因だ。IO2内部に虚無の連中が入り込んでる可能性を知りながら、アイツの警護を疎かにしちまった。それさえしなければ、アイツだって今頃、ここでこうして話していただろうさ……」
静かに、優しく。それでいて後悔の念を吐き出すように武彦が告げた。
僅かな沈黙がその場を支配する中、憂が口を開いた。
「美玲ちゃんと武ちゃんは、付き合ってたんだよね……?」
――え?
扉の向こう側で、冥月の心臓がトクンと一際大きな音を奏でた。
「いや、そういう関係にはなってねぇよ。あの時は虚無との戦いで切羽詰まった状況で、毎日誰かが死んだり、怪我を負っていたからな。そんな時にそういう関係に進むなんて出来る訳ないだろ」
当時を思い返しながら、武彦は百合の問いかけにそう答えた。
虚無の境界とIO2は、これまで何度もぶつかっている。
その度に多くの味方を失い、そして虚無の境界に打撃を与えてきたが、どうしてもその決着はつかずにあと一歩のところで逃げられてしまう。
現在の虚無の境界の主要メンバーは、その幾度もの戦いに於いても生き残った歴戦の強者達だ。盟主――巫浄霧絵。そしてファング、エヴァ・ペルマネント、阿部ヒミコといった主要人物達と言えば、IO2も見つけ次第全力を以って対処するべきと考えられている存在だ。
「必要以上に近付こうとはしなかったもんね、心も、身体も」
憂は当時の武彦達を、そう評した。
――――激しい戦いだった。
血で血を洗うとはこの事かと思う程に。
隣に立って気さくに話していた仲間が、僅か数時間後には物言わぬ屍と化す事など日常茶飯事だ。そうした厳しい環境にいるからこそ、武彦と鬼鮫といった前線で戦う者達はやがて孤立し、孤独を愛する。
目の前で仲間を失うという辛さを何度も目の当たりにして、そうしていく内に距離を詰めてまで親しくなろうとはしなくなるのだ。
日に日に摩耗していく心は、やがて無に近くなる。
そんな中、前線を支える憂や、後方から作戦を練ったりと動いていた美玲だけは、武彦と鬼鮫という二人に何も気兼ねなく歩み寄っていた。
そうしてIO2の中に、武彦も鬼鮫も帰る場所を得たのだ。
激化する争いの中でも、こうしてここで、4人で顔を合わせた時だけは。
殺伐とした日々から解放されるかのようであった。
「……当時は俺も狙われていたからな。何処に目があるかも分からない状態で人と接する訳にはいかなかった。それでも、アイツは「そんなの関係ないわ」と堂々と言ってみせて、世話を焼いてきたからな」
「美玲ちゃんは強かったよ。護身術とかは常人の域を脱する訳じゃなかったけど、何よりも心が強かった。だって、私達3人の間を繋ぐなんて、普通じゃ出来ないもんね」
くすりと笑って、憂は自分達が繋がるに至った存在を語る。
潤滑油であり、3人を繋げた存在だった。日々心をすり減らしながら戦い、相手と殺し殺されるという異様な環境にいながらも、そんな彼らに安寧を与えるような存在だった、と。
「……あの子がいなくなって、バラバラになっちゃったもんね、私達」
それは憂が呟いた何気ない言葉だった。
美玲が死に、武彦はIO2という環境を出る決意を固めた。
同僚が死ぬという耐え難い苦しみから逃げたかった訳じゃない。ただ、自分の手で、自分の足で虚無の境界を追うのに、組織は足枷でしかないと考えたのだ。
鬼鮫はIO2を束ね、虚無の境界と戦う覚悟を固めた。ただただ戦いにばかり身を置いていた日々から、後進や同僚を束ねるという誓いを胸に前へと向いたのだ。
憂は再び研究漬けの日々に没頭し、これ以上の犠牲を出すまいと心に決め、自らの戦場で戦い続けてきた。
それぞれが、美玲の死をきっかけに動いていた。
「アイツの弔いが終わるまで、俺は――前を向けない。だからこそ、奴らを殺すと決めたんだ」
武彦がそこまで言って――同時に鬼鮫が立ち上がり、扉へと早足で歩み寄り、扉を開けた。
「鬼鮫ちゃん?」
「……誰かがいたような気がしたんだが、どうやら逃げられたらしい」
それが誰であったのか、本当に誰かがいたのか。
そう考える武彦と鬼鮫であったが、どうやら憂だけは何かにピンと来たらしく、ふふふと小さく笑った。
「――でも武ちゃんは、もう前を向いて良いと思うよ」
「は?」
「だって、好きなんでしょ? 冥月ちゃんのこと」
「な……――!」
「――多分今そこにいたのは、あの子だと思うよ。ほらほら、追いかけてあげなきゃ。私がまた面白そう――じゃなくて、便利なアイテムを用意してあげるからさ」
きらりと憂の目が光った気がして、武彦と鬼鮫は背中に汗を掻く事になったのであった。
◆ ◆ ◆
「あの、百合さん?」
「何よ」
「……えっと……」
一方で、冥月の粋な計らい――本人談――によって医務室で放置された葉月と百合の二人であったが、その二人の間に流れる空気はお世辞にも楽しげといった印象はなく、ただただ気まずい空気が流れていた。
この状況を打開せんと葉月が声をかけてみたのだが、当の百合はまるで猫のようだと嘆息する。
冥月がいなくなった途端に、明らかに人を人として見ていないかのような態度で自分に接するのである。空気が重くなる原因は、百合のこの態度だ。
「えっと、あれですよね。冥月さんって素敵ですよねー……ははは……――ひっ」
取っ掛かりになればと思いながら何とか冥月の事を引き合いに出した途端、百合から射殺すかのような鋭い視線を向けられ、葉月の表情が強張った。
――何をお姉様について知ったような口を聞いているの、このど新参風情が。
そんな言葉なき想いをぶつけられたような気がしてならない葉月である。
「え、えっと! 別に私が良いなって思ってるとかじゃなくて、あれだけ素敵な人をお姉様と呼べるぐらいに親しいなんて、百合さんはよっぽど愛されてるんじゃないかなって!」
我ながら苦し紛れにも程があるだろう、と葉月は心の中で自分の告げた言葉の選択を間違えたと思いつつも苦笑を浮かべる。
――――が、どうやら百合にとってはその一言が、良い意味で琴線に触れたようだ。
「……お、お姉様と私は昔から師弟の間柄だもの。し、しし親しいのは当然よ」
「え、あ、……カッコ良いですね!」
「ふ、フン! まぁ、アナタにお姉様の素敵さを知ってもらおうとは思ってませんけど、世話をしろと言われた以上、少しはお姉様について話してあげるわ!」
――作戦、成功なのかな……。
わー、と小さく拍手をしながらも、段々と得意気になって語り始めた百合を見て葉月は引き攣りかけた表情で苦笑を浮かべていた。
が、そのすぐ後、自分の選択が間違いだったと知る事になる。
「良い!? お姉様に目をかけられたんだから、アナタにはお姉様検定1級が取れる程度までは勉強してもらうわよ! お姉様の強さ、美しさ、凛とした仕草! その全てを憶え、敬い、崇めるのが最初の一歩なんだから!」
意気揚々と語り始めた百合の冥月語りは、能力に対して迷う以上の苦悩となって葉月を襲う事になるのであった。
to be continued...
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いつもご依頼有難うございます、白神です。
武彦と葉月の関係ですが、大切に思っていたけれど恋愛までは発展せず、
というのがネックになります。
冥月さんが感じる、自分と同じという感情により近いものになっています。
アイテムについても、近々贈与予定で考えておきます。
ご期待ください。笑
それでは、今後とも宜しくお願い申し上げます。
白神 怜司
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