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奮闘編.26 ■ 借金娘
――――もう、死んでしまおう。
そう思いながらネオン輝く繁華街を見つめていたあの夜から、すでに4ヶ月以上もの月日が流れたのかと、美香はめくったカレンダーを見て今更ながらに実感する。
この4ヶ月は、実に色々な事があった。
お水の業界から、泡姫という――ある意味ではその最高とも最低とも言えるような業界へと足を踏み入れてしまった。
最近では身体を使う時間よりも固定のお客と談笑したり、至って健全なマッサージだけを頼まれたりと自分の仕事が何だったのかを忘れてしまいそうになるが、それでも当初はこの業界を『底辺』であると感じ、脱したいと思っていた程である。
そんな日々を過ごしながらも、やはり稼ぎの良さと心の軽さを考えれば、この業界は美香にとって、幸か不幸か向いていると言えた。
月に20万ずつを返すというつもりであったが、それが今は30万という返金具合だ。
一般的な仕事であれば、30万などという大金は一ヶ月働いてももらえるかどうか――いや、ほぼ確実にもらえないだろう。
当初は100万という借金も膨れ上がって940万に。その返済も利子分を含めて支払っていく内に、この4ヶ月で860万の元金が残っている状態だ。明らかに法外な利率であり、この調子で返せば2年近くで返せるが――美香は最近、その疑問を抱かざるを得ない。
当初、美香は自分が借金をして返せなくなったのだから、と、言わば泣き寝入りする覚悟で文句を言うつもりはなかったのだ。しかしそれは社会的に言う、ヤミ金などが利用する心理的な口止めと同義だ。
自分が借りたのだからと違法な利率に異を唱えずに黙り続けるというのは、果たして正解かと言われれば――間違いなく不正解だ。
「うーーん」
事務所でカレンダーと睨めっこしながら唸るという、自分が拾ってきた従業員を見て飛鳥が苦笑する。
「美紀ちゃん、どうしたの?」
飛鳥に声をかけられて美香がそちらへと振り返る。そこに立っていたのは、この美香が働いている高級風俗店『RabbiTail』の経営者にして、美香を絶望の淵から拾い上げてみせた敏腕女社長だ。
足元から「みゃあ」と声が聴こえて視線を落とせば、めけんこ――という残念な名前がついた猫――が美香を見上げ、抱っこをせがむように身体をすり寄せていた。
美香がめけんこを抱き上げ、飛鳥に再び振り返る。
「飛鳥さん、借金問題って言えばやっぱり弁護士さんですかね?」
「……えぇ、司法書士か弁護士でしょうね」
美香から声をかけられた内容について得心がいったのか、飛鳥はふっと笑って答えた。
飛鳥は知っているのだ。
美香が『ベリアスコーポレーション』という、いわゆる悪徳業者に借金をしてしまった為に借金地獄に嵌りつつあるという事を、武彦を通して調べさせた。
だが、飛鳥はそこに助言も横槍も入れようともしなかった。
それは美香が何を選び、進むのかを学ばせる為だ。
――何かしら、思うところがあったのかしら。
飛鳥は美香のその質問から、そうした美香の心情の変化に気付いたのだ。
「ただ、気をつけてね」
「え?」
「美紀ちゃんが借りたっていう会社が真っ当なところなら、一般的に司法書士や弁護士で事足りると思うわ。だけど、もし相手が厄介なところだったら、それを引き受けてくれる弁護士も法外な金額を請求してくる可能性もあるのよ」
「弁護士なのに……?」
「弁護士だから、かしらね。ま、いずれにしても相手の会社の名前とか、被害状況を正確に知れる物が必要になるのは間違いないわ。ちゃんと準備はしておくようにね」
飛鳥はそれでも、ベリアスコーポレーションの実態を口にする事はなかった。
◆
「草間さん、ベリアスコーポレーションって知ってます?」
「あー……、聞いた事はあるな」
草間興信所。
アルバイトと言うべきかお手伝いと言うべきか、そうしてやってきていた美香から告げられたのは、かつて武彦が飛鳥から依頼されて調べた、美香の借金先である。
「飛鳥さんが言うには、司法書士や弁護士に頼むべきだって言ってたんですけど、やっぱり色々知っておいた方が良いって言うんですよね」
「……調べてやっても良いぞ。タダで」
「……えっ」
「何だ、その目は」
「だ、だって、草間さんがタダって言うなんて、一体どういう心境なんだろうって……。それに、あんまり経営状態だって良くないのに……」
「おいお前、俺の良心を返せ」
とは言ってみるものの、武彦はすでにベリアスコーポレーションを洗いあげてあるのだ。だがそれは飛鳥からの依頼であった為、それを公言するつもりはない。あわよくば美香の心象を良くしておこうと考えただけである。
主に、無料に近い金額で手伝いをしてもらっているという負い目を払拭する為にであったりもするのだが。
「お兄さん、確か前にベリアスコーポレーション調べてましたよね?」
――――その目論見は、零によってあっさりと指摘されるハメになった。
「……零、お前……」
「零ちゃん、ホントに!?」
「はい。お兄さん、ベリアスコーポレーションについて調べてましたよ」
にっこり、と微笑んで答えてみせる零を前に美香からはじとっとした目つきで睨まれ、武彦は嘆息して両手をあげた。
「はぁ……、まぁ調べたには調べたんだよ。まぁ、あれだ。俺はお前の為に、こうして依頼人から恩と金をもらうって方法もあるって教えようと思ってだな――」
「――お兄さん、あわよくば美香さんの賃金が安いので恩を売れればラッキーって思ってましたよね」
………………。
「草間さん、そんな事考えていたんですか……?」
「おい零、お前俺に恨みでもあるのか!?」
「いいえ、ただ人を騙したり嘘をついたりするなとお兄さんに教わっているので」
「零ちゃん、ありがとう! 騙されるところだった!」
女子同士の結束とでも言うべきか、そんなものを目の当たりにした気分の武彦であった。
かくして、ジト目で睨まれた武彦はベリアスコーポレーションの資料を鍵のついた棚から引っ張りだすと、それに目を通して内容を読み上げた。
「金融業と不動産業を営む会社だな。まぁ、この二つはある意味で似通ってるって訳だ」
「どういう事ですか?」
「簡単な話だ。不動産業ってのは、昔は地上げ屋だなんだってのもあった。まぁバブル崩壊と共にそういった連中は手を引いたりもしたが、このベリアスコーポレーションってのはなかなかしぶとく生き残った連中みたいでな。違法な請求や過剰な地上げを起こしたりと、それなりに問題が多いみたいだな」
「それってつまり、違法活動が多いって事、ですか?」
そもそも地上げ屋と言うのは、要するに土地を買い占める為にその土地に居住している人間に嫌がらせを繰り返して追い出し、高値で土地を転売するといった手法を取っていた悪質な不動産業者を指した言葉であった。日本の経済がバブル状態となり、地価が数十倍にまで膨れ上がった場所なども珍しくはなかった時代に、そうした手法を取っていたという。
バブル崩壊と共に彼らは利益を見い出せなくなり、おのずと手を引いていく企業が多かったのだろう。その上、昨今でそんな真似をすれば、すぐにでも警察や弁護士といった者が動いてしまう為、そうした手法からは手を引いたようだが、その地上げ屋崩れが金融に回っているのだと考えれば、おのずと黒い手法を取っているのは理解出来るというものである。
「一概には言えないな。しぶとく生き残ったって事は、それが露見していないか合法ギリギリのところで踏ん張ってるヤツらだ。こいつらの場合は前者から後者へとシフトしたタイプみたいだが、まぁ至極真っ当なトコって訳じゃねぇな」
「じゃあ普通の司法書士や弁護士には手を出しにくい業者、かもしれないって事ですか?」
「個人で細々とやってるトコは、相手取りたくはないだろうな」
単純な話だ。
ヤクザな商売をやっている連中と、個人経営では組織力に差があり過ぎて話にならない。食い潰される可能性もある以上、そうそう引き受けてくれはしないだろう、というのが武彦の見解であり、飛鳥の推測でもあった。
「それで、返済が難しい状況なのか?」
「いえ、そうじゃないんですけど、なんだか理不尽に思えてきたというか……。このまま泣き寝入りしてても良いのかなって思えてきたんです」
「……成る程な」
法外な金額を請求されて泣き寝入りする被害者は珍しくはない。が、法的に訴えてさえしまえば、それ以上の請求をすれば痛手を負うのは明らかに相手である。
最近美香が仕事で取った客には、そういった情報に強い者も多い。以前、そんな中から偶然にも耳にした言葉であったのだが、それが真実なのかどうか、美香は判断しかねていたのである。
「それで、どうするんだ?」
「どうするって、何がですか?」
「正面切って違法だと訴えて戦うのか、それともこのまま違法な利率を払っていくのか。そのどちらを選ぶんだって質問だよ」
故に、武彦は問う。
美香がこれから、どちらの道を選び取ろうとするのかを。
to be continued...
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いつもご依頼有難うございます、白神です。
今回から借金返済のストーリーというところでしたので、
現状、違法な利率によって跳ね上がった額を見つめてどう動くのか、
その分岐点を設けさせていただきました。
お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは、今後共宜しくお願い申し上げます。
白神 怜司
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