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限界勝負inドリーム
ああ、これは夢だ。
唐突に理解する。
ぼやけた景色にハッキリしない感覚。
それを理解したと同時に、夢だということがわかった。
にも拘らず目は覚めず、更に奇妙なことに景色にかかっていたモヤが晴れ、そして感覚もハッキリしてくる。
景色は見る見る姿を変え、楕円形のアリーナになった。
目の前には人影。
見たことがあるような、初めて会ったような。
その人影は口を開かずに喋る。
『構えろ。さもなくば、殺す』
頭の中に直接響くような声。
何が何だか判らないが、言葉から受ける恐ろしさだけは頭にこびりついた。
そして、人影がゆらりと動く。確かな殺意を持って。
このまま呆けていては死ぬ。
直感的に理解し、あの人影を迎え撃つことを決めた。
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立ちはだかるのは巨大な雄鶏。
尻尾から生えた大蛇がセレシュを威嚇するように牙を向き、睨みつけてくる。
敵の名はコカトリス。伝説上の幻獣だ。
「でかい鶏が、どんだけ凄んでも怖ないで!」
対するセレシュは細身の剣を手に、魔法を行使しながら敵と渡り合っている。
コカトリスは相手を石に変えてしまう魔力を持っている妖鳥。
しかし、セレシュとてそちらの心得がないわけでもない。
コカトリスの吐く怪しい吐息を無効化しつつ、なんとか優位に事を進めていた。
「これで……お終いやッ!」
セレシュはコカトリスの隙を突き、鶏の首を串刺しにする。
口から妙な色の体液を吐き出した鶏は、しばらくのた打ち回って苦痛にもがいていたが、やがて糸が切れたように動かなくなった。
コカトリスが命をなくした瞬間、その身体は夢幻のように輪郭を失い、煙のように消えていった。
「ふぅ……」
汗を拭って、セレシュは剣をしまう。
そよ風が彼女の顔を撫で、今までの激闘を労ってくれているようだった。
見渡すと、視界の限り草原。
青々とした草が、セレシュの膝下ぐらいまで生い茂り、地面を多い尽くしている。
他に見えるのは遠くにそびえる山々、青空、地平線……。
「ホントに、何もないところやな……」
今回のように無理矢理戦わされる夢は何度か見た事があったが、これほど広く何もない景色は初めてだったかのように思う。
いつもの夢ならば、しばらくすると現実に帰る事が出来る。
それまではこの景色を眺めていてもいいか、と、セレシュは空を見上げてため息をついた。
その時である。
「ん……?」
ふと足元に違和感を覚える。
異常なまでに安定感があったのだ。
まるで、足が地面に根を下ろしたかのように、動かなくなったのである。
気になって視線を下ろすと、なんと足が石化を始めていた。
「んなっ!?」
たじろぐ暇もなく、石化は瞬く間に進行する。
一瞬にしてセレシュは頭のてっぺんまで石と化してしまったのだった。
(な、なんやねんこれ! あの鶏は倒したはずやろ!?)
とは思っても声は出ない。
既に全身が内側からも石化しているのだ。当然、喉も震えない。
だが、意識は残っているらしい。
視覚も生きているようで、動かない眼球から景色の情報が得られる。
他には聴覚も機能しているようだ。風の抜ける音が聞こえる。
しかし、それだけだ。
硬くなった舌では味覚を感じる事はできないだろうし、風の感触がない現状、触覚はない事がわかる。
今まで香っていた草の香りも感じられない。
(こりゃ、厄介な事になったで……)
困った事になったが、しかしどうすることも出来なかったので、セレシュはこの夢が早く終わる事を祈る事にした。
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それからどれだけの時間が経っただろう?
何度か日の昇降を見届けたので、確か数日が経過したはずだ。
こんなに時間が経っても覚めなかった夢など、経験したことはなかった。
これはとてつもなく厄介な事に、覚めない夢である。
何をどう間違ってしまったのか、打開する術も思い当たらない。
お得意の術を行使しようにも、石化した状態ではそれも叶わないらしく、魔力は湧いてこない。
考察の結果は……全て謎だった。
そもそも、自分がどうして石になってしまったのかもわからない。
コカトリスの攻撃は全てかわしたし、能力も無効化したはずだ。
ヤツの能力でないならば、セレシュは勝負に勝ったはず。
勝ったのならば夢から覚めるはずで……だがそれが覚めていないのだから……結局どういうことだ? となる。
わからない事をいくら考えてもわかるはずもない。
しかし、現状をどうにかしなければ、セレシュは一生このままである。
かなり長い時間を生きてきたが、これほど苦しい時間は久々であった。
(これ、身体がかゆなったら、どないすんねん……)
などと、ふざけた思考が沸く程度に、今はそこはかとない余裕があった。
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それからどれだけの時間が経っただろう?
月の巡りを数えるだに、数ヶ月の時が過ぎただろうか。
遠くに見える山の様子が変わっている事がわかる。
緑が茂っていた山に、秋の彩りが加わっているのだ。
足元を見る事が出来れば、青々としていた草にも変化があるのだろう。
残念ながら首や頭は愚か、眼球すら動かせないので確認する術はないが。
しかし、秋になったのだな、と実感するには充分であった。
夏の内は色々な虫や動物がセレシュのいたるところに止まったり、身体をこすりに来たりしたが、秋にはその動きも減った。
冬に向けて、冬眠の準備やらなにやらで忙しいのだろう。
石像風情に構っている余裕はないと言う事か。
そうなってくると、本当に石像生活は変化が稀であった。
いつぞや、遺跡にやってくる侵入者を追い返していた時期の方が、まだ変化があっただろう。
暇を持て余す時間が、既に苦痛から日常に変わろうとしているぐらいだった。
これだけ石像の生活が長いと、逆に内面が変化するのだな、と実感した。
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それからどれだけの時間が経っただろう?
星の動きを眺めていたら、何度か同じ配置を見た気がする。
数年が経っているのだろうか。既に時間の感覚がおかしくなりそうだった。
何度か四季を石像のままで過ごすと、ここら辺りを通り過ぎる人を見かけるようになった。
どこまでも続く草原であったが、この世界でも人の営みはあるようだった。
たまに人がセレシュの近くを通りかかり、何度か頷いては通り過ぎていく。
そんな日が、数年に一度訪れるようであった。
見かける人間は様々である。
一人として同じ人物を見た事はなかったが、その日は違った。
「うんうん、やっぱり見事な石像だ」
現れたのは男。ちょっと前にここを通りかかった男と同一人物だ。
視界を動かす事が出来ないので彼の胸辺りから上しか見えないが、鼻が高く、あごひげを立派に生やしていた。
出で立ちを見る限り、商人であろうか?
「少し細部が崩れてるが……なぁ、立派だと思わないか?」
どうやら連れがいるらしく、彼はその連れに声をかける。
……細部に崩れ?
「服の意匠や髪の毛がかなりボロだな。どれだけ放置されてたんだ、この石像は」
「確かにボロだが、微に入り細に入り、かなり丁寧な仕事で作られているよ。相当な値打ちモノだと見たね」
「そんなもんが、こんなだだっ広い草原のど真ん中に放置されてるものかよ」
二人はそんな会話をしながら、なんとセレシュを抱き上げた。
「う、やっぱりサイズがサイズだけあって重いな」
「ぼやくな。下ろす時は慎重に、だぞ」
そして、二人はセレシュを台車に乗せたのだった。
「さて、これがいくらで売れるか、楽しみだ」
「分け前はちゃんとよこせよ」
そんな事を言いつつ、二人はセレシュを乗せて、草原を後にしたのである。
セレシュはただ、そんな二人の様子を観察するでもなく、見届けるだけであった。
声も出ない、動く事も出来ないのだからしょうがない。
だが服がボロになっていたり、髪の毛が崩れている、と言う言葉には少し引っかかるところがあった。
動く事をやめようとしている心を少し引っかいた程度であるが。
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それからどれだけの時間が経っただろう?
彼女の買い手はついた。
周りの人間が沸いていたからには、相当な高値がついたのだろう。
彼女はまた台車に乗せられ、大層立派なお屋敷へと連れて来られた。
庭に飾られた石像に周りには、その屋敷の子供がよく遊びにやって来ていた。
どうやら彼女が気に入ったらしい。
そんな子供が、既に彼女の身の丈を越すほどに成長しているのだから、多分かなりの時間が経ったのだろう。
子供は母親を連れて石像の前へとやって来ていた。
「母さん、僕はね。この石像になんとも言えない魅力を感じていたんだ」
「お前はこの石像の周りで、よく遊んでいたものね」
「きっと、僕にとっては幸運の女神なんだと思う。だって、こんな素晴らしい出来の石像なんて見た事がないし、これがあったからこそ、苦難も乗り越えられたんだと思う」
「そうね。……きっと、お父様の遺したこの石像があったからこそ、我が家も落ちぶれずに済んだのよね」
よく見ると、子供の恰好は軍服である。
彼の隣に立つ母親は、どこか悲しそうな表情を浮かべてもいる。
恐らく、子供が軍に駆りだされるのだろう。
「だからね、母さん。きっと僕はまたここに帰ってくるよ。そして、この石像のような女性に会うんだ。結婚して子供を作って、母さんを喜ばせて見せるよ」
「そうね……あなたは本当に孝行息子だよ」
ギュッと抱擁を交わす母子。
しばらくした後、子供は敬礼をして踵を返した。
「僕が帰って来た時には、その石像も綺麗に直そう。そんななりじゃ可哀想だ」
「ええ、きっと」
悲壮な別れのシーン。
きっと、無茶な戦場に行くのだろう。
母親は息子を引き止めたい気持ちを喉元に押し留めている様ですらあった。
だが、石像にはそんなこと、関係があるわけもない。
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それからどれだけの時間が経っただろう?
あの息子は無事に戦地から戻り、石像によく似た女性を嫁に貰い、円満な家庭を築いた。
彼の息子が更に妻を取り、子を成し、老人は仲良く息を引き取る。
涙に埋められた家の中で、笑顔で老人は死んでいく。
そんな命のサイクルが何度か繰り返される事になる。
時代は激動と言う言葉が良く似合うぐらいに、めまぐるしくその姿を変え、風雪は時間を重ねて色々なモノを元あった姿に戻そうとする。
土は土に、塵は塵に、石は石くれに。
あの家にあった不思議な石像は、既に長い年月を過ごしていた。
その表面を風が、雨が、雪が、そして時間が緩やかに削り取り、今や細かかった仕事の跡はおぼろげに窺える程度になっていた。
その頃には最早、家の者からも蔑ろに扱われており、いつしか邪魔者、庭に置かれているゴミ程度に扱われるようになる。
そして、その時が来る。
「ようやく邪魔だった像も片付けられるわ」
「先祖伝来の石像とは言うけど、やっぱり時代遅れだよな」
若い夫婦は青いつなぎを着た男性に、『やっちゃってください』と指示を送る。
石像は男性二人に担がれ、トラックの荷台に乗せられる。
「では、こちらの像はお預かりします」
「はい、よろしくお願いします」
簡単な挨拶を終えた後、トラックはゆっくりと走り出した。
しばらくすると、トラックは大きな建物に到着し、石像は機械の音がゴゥンゴゥンと鳴り響く場所へと移動させられる。
「これで最後か?」
「ええ……でもなんか、ちょっとでも人の形を残してると、気味悪いですね」
「たかが石だ。砕く事を仕事にしてるんだから、それぐらいで尻込みしてるんじゃねぇ」
「は、はぁい」
ベテラン風の男が新人風の男に叱咤を飛ばし、石像はベルトコンベアに乗せられる。
ガツンガツンと音を鳴らして動き回っているのは粉砕機。
大きい石はあの機械で砕き、運びやすいようにして再利用なり棄てられるなりするわけだ。
それは石像としての死。
形を失った像は、ただの石に過ぎない。
いや、石像とて生きているわけではない。
もし仮に、それが元々動き回っていた、生きていた人間であったのだとしても、数百年の時を過ごしていたのだとしたら、恐らくは心も死んでいるだろう。
石に生死があるわけもない。
ゆえに、彼らも仕事として粉砕機を動かすのだ。
ただ、砕く。
ただ、砕く。
ただ、砕――
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「……ッ!」
汗だくになって目を覚ます。
悪夢、であったのだろうか。
後半は既に、もう何がなんだかわからなかった。
いや、後半ってどの辺りからだったのだろう?
自分が自分でなくなる、自我や意識と言ったものが輪郭をジワリと失っていく、そんな感覚。
本当に時間によってモノが劣化していくように、誰にも気付かれない程度に少しずつ。
自分というモノがなくなっていく、恐怖とも言えない恐怖。
「なんて夢やねん……」
夢から覚めた後にやってくる、なんとも言えない感情。
今まで彼女が石にしてきた『彼ら』も、こんな感情を味わっていたのだろうか。
いや、味わう事もなく、全てを忘れ、感じる事も出来ず、ただ別の何かに変わっていったのだろうか?
だとしたら――。
彼女は自分の目を抑える。
見たものを石にする邪眼。これが捉えてきたものは、今までどれぐらいあったのだろうか。
「ウチは……セレシュ、セレシュ・ウィーラー」
自分を確認するように、ため息をつきながら名前を呟く。
大丈夫、今は、まだ自分だ。
「これからは、この力を使うのに、今まで以上に深く考えてまうかもなぁ……」
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【8538 / セレシュ・ウィーラー (セレシュ・ウィーラー) / 女性 / 21歳 / 鍼灸マッサージ師】
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■ ライター通信 ■
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セレシュ・ウィーラー様、ご依頼ありがとうございます! 『石化ってなんか色々怖い』ピコかめです。
服やなんかも独立して石になるんだったら、髪の毛一本一本まで個別に石化してそう。
で、細い髪の毛なんかはすぐに劣化しそう……。
今回の話も勝負だとするなら、『惨敗』です。
相手は恐らく、コカトリスなんかではなく、時間と言う概念でしょうね。
んなもん、勝てるわけねーわ。
ではでは、また気が向きましたらどうぞ〜。
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