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Mission.20 ■ チーム
――眠らない街、東京の中心地新宿にある歌舞伎町。
かつて虚無の境界事件によってかなりの被害が出たこの場所は、それでも綺羅びやかな世界を取り戻し、艶やかな大人の街として復興を果たしていた。所狭しと建ち並んでいる建物の中から、今宵の自分達の夢は何処で見るべきかと迷いつつも多くの男女が闊歩していた。
「――ターゲット発見。尾行開始するわ」
《オーケー。能力使用制限は解除されているわ。殺さない程度にやっちゃってちょうだい》
耳につけた小型の通信機から聴こえてきた声に、百合は苦笑する。
能力使用制限を解除するというのは即ち、能力を自由に使って良いからターゲットを確実に確保しろという、遠回しなプレッシャーとも言えるような注文だ。オーダーに対して文句を言うつもりはないが、ずいぶんと簡単に言ってくれるものだ。
加えて、殺さない程度にやっちゃって、という気軽な言い回しを前に苦笑するしかなかった。
現在百合は、人の波を縫うように移動しながら一人の男を追跡していた。
そんな百合に気軽な様子で話し掛けるサポートの人間など、百合は今までに一人しか知らない。つい先日、フェイトの相棒として日本にやってきたエルアナだ。
事実、彼女はどういう訳か、この日も百合のサポートとしてついていた。
《ユリ、気をつけて。アイツは銃の扱いも体術も素人のそれとは比べ物にならないわ》
「……詳しいのね」
《アナタが追っているのは確かに日本人に見えるかもしれないけれど、彼は日系アメリカンよ。まさかこの国でまで会う事になるとは思わなかったけどね》
因縁があるのか。エルアナの言葉に百合は短く「そう」とだけ相槌を打った。
この日、突然百合はエルアナによって呼び出され、前方を歩く男の追跡を始める形となったのだ。
どんな能力者か聞いてはいないが、エルアナ程のサポートをする人間がわざわざ忠告してくるという警戒ぶりから察するに、余程辛酸を嘗めさせられたのだろう。百合は当たりをつけながらもそれを口にはせず、男の後方を歩いていた。
その時、男が人通りが外れる路地へと入って行く姿を見て、百合は駆け出した。
《――ッ、ダメよ! それはフェイクだわ!》
「――ッ!」
すでに遅かった。
路地へと入った男を追いかけて駆け出した百合であったが、その先ではすでに男が百合の方向へと振り返り、ポケットに手を突っ込んだまま尖った先端を向けていた。
「……さっきから尾けられてるなと思ったら、まさか嬢ちゃんか?」
「嬢ちゃん、なんて言われる歳じゃないわよ」
「おっと、そうかい。日本人ってのはアイツに限らず若く見えるもんだな……」
――何なの、この男は。
百合が抱いた印象はまさにそれだった。
悠長に会話をしているようで、その実は一切隙なく構えてみせている。ポケットに入っていると思われる銃のような形は、恐らくは護身用のミニガンだろう。
これまで何人もの犯罪者を前にして、銃を向けられた事も決して珍しくはなかった。にも関わらず、目の前の男に関しては悠々とした雰囲気とは裏腹に、下手を打てば一瞬でやられるだろうと本能が警鐘を鳴らす程だ。
これ程まで戦い慣れた人間を相手にするのは、久しぶりだった。
昨今のIO2の仕事は能力に目覚めたばかりの犯罪者が相手で、どれも能力一辺倒な者が多く、言ってしまえば百合にとっては相手にならない。
だが目の前の男に関しては、久しく相手していなかった気配が感じ取られた。
戦いに慣れ、極度の緊張状態にもならずに冷静に相手を見るだけの実力を、一瞬にして百合は見抜いていた。
気付かずに頬を伝った汗が、百合の緊張具合を物語る。
「まぁ嬢ちゃんで良いだろ。それで、俺に何の用だ? あまり嬉しい理由で声をかけてくれたって訳じゃなさそうだが」
「IO2よ。通称〈ブザー〉、アナタを捕まえる」
「な……ッ! お、おいおい、まさかお前――ッ!」
初めて見せた男の動揺に、今しかないと百合は能力を使用する。
空間接続。目の前からこつ然と姿を消してみせた百合が、男の背後に姿を現した。
――――そして同時に、百合は目を瞠った。
男はすでに銃を引き抜いたまま百合が立っていたその場所へと転がって振り返り、自分に向けていたのだ。まるで自分が何処に出て来るのかを分かっていたかのような速度で反応してみせた。
「――ッ!」
「悪いが、そういう能力は見た事があるんでね」
「……ッ、やるわね……!」
再び百合が姿を消し、ブザーと呼ばれた男は立ち上がり、周囲を警戒する。
上空に姿を見せた百合が鉄釘を自分の手に握ったまま攻撃を仕掛けようと腕を振るい――同時にブザーは再び飛んでみせると、百合の攻撃に絞った座標から避けてみせた。空中に転移して姿を現した鉄釘が、本来捕らえるはずだったブザーの身体があった場所で虚しく浮かび上がり、力なく落ちていく。
――どうして……!
百合の脳裏に浮かんだ疑問はそれだった。
自分の能力で裏をかけず、加えて攻撃を仕掛けてみたというのにあっさりとそれを読んでいたかのように避けてみせる。
まさか思考が読まれているのかと思いつつも、百合はブザーと向き合う位置に姿を現し、睨みつけた。
「悪ふざけが過ぎるんじゃねぇか?」
「悪ふざけ、ですって?」
「……あー、その様子じゃアンタも一杯喰わされてるって考えるべきか」
肩をすくめ、手に持っていた銃をポケットに突っ込むと、ブザーは両手をあげた。
「……投降するの?」
「別に投降って訳じゃねぇよ。おおかた、お前の差し金なんだろう? ――エルアナ」
「正解」
百合の後方から聴こえてきた声に、百合が思わず振り返る。
そこに立っていたのは、ついさっきまで中継車輌にいたはずのエルアナだ。腕を組んだまま笑ってみせると、百合に向かって歩み寄った。
「ごめんなさいね、ユリ。ちょっとアナタの実力を知りたかったっていうのもあるし、それにブザーが腑抜けてないか試したかったのよ」
「フェイトと同系の能力者が日本にいるとはね。アイツと練習してなけりゃ、今頃俺はあの釘に身体を貫かれてたっつの。笑えねぇぞ、エル」
「あら、ブザーなら大丈夫でしょう?」
「……ちょっと。どういう意味よ」
「あぁ、ごめんなさい。彼はIO2ニューヨーク本部の特殊部隊〈GUNS〉のリーダー、ヨーハン。通称ブザーよ」
しれっと、事も無げに告げてみせるエルアナを前に百合は言葉を失った。
「な、何よそれ!」
「だから言ったろ、嬢ちゃん。アンタもまんまと一杯喰わされたのさ。おおかた、俺を犯罪者って扱いにしてそこの雌狐に捕まえるように指示されたんだろ」
「あら、雌狐なんてずいぶんと風流な言い回しを知ってるのね」
くすくすと笑いながら告げるエルアナの姿に、狐の耳と尻尾を幻視したのは気のせいではないだろう。百合とヨーハンの二人は、こうしてエルアナの悪ふざけによって巻き込まれる形で邂逅を果たすのであった。
◆ ◆ ◆
フェイトと凜は一度IO2東京本部へと戻って来ていたが、方針は定まっていないというのが現状だった。
D-Fileの詳細を知るべきではないだろうか。
ルーシェとの明確な敵対意思を剥き出しにしてみせたその帰り道、フェイトはふとそんな考えに至った。――しかしそれは、茨の道だと言わざるを得なかった。
そもそも、研究内容を細かく調べている武彦が、何故IO2に形式上とは言え追われる立場になったのかを考えれば、IO2の内部に協力を要請するのは難しいのは間違いないのだ。
凜と百合、そしてエルアナ。
彼女らならば自分が申し出れば助力してくれるだろうとは思うが、それは同時にIO2を敵に回す可能性もある。昔ならば素直に打ち明ける事が出来た苦心も、大人となって立場を得てしまった今となっては、それはどうしても憚られる。
手詰まりな状況の中で、それでもせめてフランスのエージェント――ルーシェの危険性を鬼鮫には話しておくべきかもしれない。
それでも、D-Fileを黙秘し、封殺しようとしているIO2が果たしてその為に動くのかどうか、それが問題だった。下手をすれば、フェイトも凜も追われる立場になりかねないのだ。
――こうなったら一人でも……。
そんな事を考えながら、IO2の東京本部にある地下駐車場を凜と共に歩いて行くと、突然視界の横から缶ジュースが投げ込まれ、フェイトはそれを受け取った。
「よう、ハイスクール」
横合いから聴こえてきた声にフェイトは振り返り、目を見開いた。
「え、えぇー!? ブザー!?」
目の前に現れた友とも兄とも呼べるような存在を前に、フェイトが思わず声をあげる。見れば、その近くにはぶすっと不機嫌そうに顔を顰めた百合と、にやにやと笑っているエルアナの姿もあるではないか。
フェイトは先程までの思考に沈んでいた気分を払拭されたかのようにヨーハンへと駆け寄り、互いに拳を握って上下でぶつけ合う。
「どうしてあんたがここに!?」
「おいおい、仕事に決まってんだろ。休暇で日本に来るぐらいなら酒飲んで寝てるっつの」
「まぁ、そりゃあそうだろうけど」
互いに談笑しながらも、ヨーハンは日本に来て早々にエルアナによって一杯喰わされ、百合と戦うハメになったという事も告げ、フェイトをドン引きさせた。
聞けばヨーハンは、歌舞伎町に行って接触を待ちながらフラフラと歩いていろと無茶な注文をエルアナによって受けていたらしく、もしかしたらそうなるのではないかと危惧していたようだが、百合の不機嫌そうな顔を見る限り、百合自身はまんまと利用されたのだろう。
「百合、怒ってるの?」
「……別に怒ってないわよ」
実際、百合が不機嫌なのはエルアナに一杯喰わされてしまった事ばかりが原因じゃない。
平和ボケしていた、とでも言うべきだろうか。ヨーハンの実力を前に、自分が最近ではただの作業のように能力者を取り押さえていたせいで、無意識に弱くなってしまっているような、そんな現実を突き付けられた気がして不機嫌になっているのである。
ともあれ、触らぬ神に祟りなしとはこの事か、フェイトが苦笑しつつも話題をエルアナに振ろうとしたところで、エルアナが先に口を開いた。
「IO2東京本部、ユリ、リン。IO2ニューヨーク本部、フェイト、ヨーハン、エルアナ」
突然名前を呼ばれ、全員の視線がエルアナに向けられた。
「それと、ここにはいないけれどIO2イギリス本部のネルシャという子もいるのだけど――まぁ良いわ」
「ネルシャ?」
「えぇ。私達6名は各国のIO2指揮下を離れ、これよりチームを結成して動きます。これは各国のIO2本部より承諾を得ている正式な辞令よ」
「どういう事ですか?」
凜の問いかけにエルアナはふっと小さく笑い、その表情を引き締めた。
「フェアリーダンスの件にはIO2各国の上位陣が関係している可能性が高く、同時に危険な非人道的実験も行われている可能性もあるわ。よって、私達のチームはIO2内部監査も含める特殊チームとして動きつつ、独自に動く権限が与えられたのよ」
「独自に動く……?」
「えぇ。ここにいる全員が一級エージェント――もしくはそれに準ずる権限所有者。そしてバックアップチームには、ウイ・カゲミヤも参加する予定よ」
ロリ最強と書かれたシャツを着た少女の姿が、ヨーハン以外の全員の脳裏を過ぎる。
「あの、エルアナさん。そうなると、指揮はやはり勇太――フェイトが?」
特級エージェントという特殊な立場にいるのだ、そう考えるのは無理もない。凜の質問は確かに的を射ているが、エルアナはかぶりを振った。
「いいえ、指揮官は別にいるわ」
その答えと、エルアナの視線に気付いたフェイトは思わず目を見開く。
何を訊かずとも、その答えの続きは何故かフェイトには理解出来た。
紫煙を巻き上げながら、眉間に皺を寄せるあの男の姿がフェイトの脳裏には浮かんでいた――――。
to be continued...
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