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おいしい戯れ
プリンにモンブラン、スイートポテトにチーズケーキ。色々あるけれど、全部「かぼちゃの」が頭につく。売店の一角、特設コーナー。大体がオレンジ色をした何種類もの季節限定スイーツを前に、月夢優名はだいぶ長いこと迷っていた。
「こっちは昨日食べたから、今日はこれ……あ、でも肌寒いし冷えてるものは避けたほうが……? それとも、あったかいお茶と一緒なら平気かなあ」
何度同じことを呟いたかわからない。一見すると制服を着た不審者だが、昨日もこんな調子だったので、店員からはほっとかれている。
そしてようやくその時が訪れる。優名は目を閉じて、小さく深呼吸した。店の中だという意識はかろうじて残っていたらしい。そのまま右手の人差し指をぴっと伸ばし、円を描くように回した。
「これ!」
動きを止めると同時に、視力を解放する。広がった世界で指が指し示していたのは、お弁当箱が入っているような巾着だった。
指はスイーツのどれかひとつを示していて、優名はそれをお買い上げするはずだったのに。間違いなく落胆から、優名の体は一瞬で脱力した。
「あたしの楽しみが……」
「何言ってる、今日は持ってきてるから待ってろって、ホームルームの前に伝えただろ。それなのに先に教室を出ていくんだから、困ったもんだよ」
優名が巾着を持つ手の元をたどると、同い年の男の子が呆れ顔で立っていた。クラスメイトだ。
「だって、期間限定なんだもの」
「こっちだって期間限定、その上お前専用だぞ、月夢。ほら、いくぞ」
優名が不満げに唇をとがらせるも、彼はものともせずに優名の腕をつかんだ。レジにいた店員へ通りすがりに頭を下げて、ふたりは自動ドアをくぐった。
「チャイムが鳴り終わるのを見計らって教室を出たのに、意味がなくなっちゃった」
風が冷たかったので、中庭は諦めた。結果、自分たちの教室に逆戻りとなっていた。誰もいないのをいいことに、窓際の席を拝借する。大きなガラス窓からそそぐ日差しが暖かい。
「何度も言わせるな、お前が俺の言ったことを覚えていればよかったんだよ。――ほら、これで機嫌なおせ」
巾着から取り出される、黒いお弁当箱。いや、一段だけの重箱と言ったほうがいいかもしれない。
もったいぶった様子で開かれた蓋の下からは、恐らく大福らしきものが3個ずつ2列の計6個、綺麗に整列していた。恐らく、とつけたのは、優名の記憶にオレンジ色をした大福など刻まれていなかったからだ。
「もしかして、かぼちゃでできてる?」
「ご名答。食べてみろよ」
どきどきしながら、優名は一番手前の大福をつまみ上げた。それはむにゅっと柔らかく、一口でもいけそうだったが、あえて半分だけかじってみる。中が見たかった。
柔らかいかぼちゃの味と共に口の中で広がったのは、洋風の味。半分になった大福の断面を見ると、とろりとした白いものが。
「……まさかのクリーム大福!」
かぼちゃの甘みもあるからか、クリーム自体の甘さは控えてあるようだ。噛んでいるうちによく絡み、絶妙なもっちり加減を醸し出している。
「西洋が起源のイベントだからな、西洋っぽさを出してみた」
してやったりという表情の製作者に対し、優名は悔しさを覚える。
「持った時、少し冷たいなとは思ったのよね。でも寒くなってきたからかなと思ったんだけど」
「部室の冷蔵庫に入れておいたんだ。さすがにこれを出しっ放しにしておく勇気はなくてね」
「え、専用の冷蔵庫があるんだ。すごいね、料理部」
優名の言葉に、だろ、と笑う彼は、和菓子の職人になりたいと公言している。よく和菓子を自作していて、優名はその試食を頼まれる。。
どこそこの和菓子屋さんで修業をしたい、と言っていた。この専門学校はいい先生がついてるとか、あの店の新作がどうだとか、和菓子の大会があって、将来の夢は世界で一番大きな大会で優勝することだとか、止めない限りずっとずっと和菓子に関する話をしているから、他の人は逃げ出すのに優名は時間の許す限り聞くことにしている。
彼の話を聞くことが、彼の和菓子を食べるためのお代なのだ。
(――ううん、それは違う。そうじゃない)
もちろん和菓子は食べたいけれど、食べたいのは彼が作る和菓子だからという理由が一番大きくて、それに目をきらきらさせて話してくれるのが嬉しいから。
目的と口実が逆転したのがいつだったのか。優奈にもわからない。
「そういえば、トリックオアトリートって知ってるか?」
部室で淹れてきたという目の前のお茶についてひとしきり語り終わったところで、彼が切り出してきた。
「おかしをくれなきゃいたずらしちゃうよ、っていう問いかけだよね。ハロウィンの」
優奈は大福の冷たさが伝わった指先を温めようと、彼の和菓子話の最中も今も、カップを包みこむようにして持ったまま。まだ飲んでいない。
うんうんと頷いてから、彼は続ける。
「で、今おかし持ってる?」
「買おうとしてたところを誰かさんに連れてこられたんだけど」
「よし。じゃあ、月夢、トリックオアトリート」
さらりと告げられたそのフレーズに、優奈の思考が止まった。
理解を飛び越えた流れに目をぱちくりさせていると、彼はにやりと悪い顔になった。
「お前は今トリートを持っていない、よってトリックしてもよいという図式が成り立つ」
「ちょっ、ちょっと待って、何その理屈」
「待たない。この問いかけは時に非情なのだ」
立ち上がった彼の姿で、優奈の視界が覆われる。近い、と思った。けれど声に出して伝えようとした時に手が伸びてきて、その拍子に声は喉の奥の奥まで引っ込んでしまった。
手は優奈に触れる前に止まった。止まって、動かない。その様子が何かを待っているかのようで、視線を手から彼の顔に移すと、まっすぐに、優奈を見ていた。
和菓子の話をする時はいつもきらきらしている目。今はただ、まっすぐに。
(あたしを、みてる)
事実に気づいたら、途端に苦しくなってしまった。胸が苦しくて苦しくて、耐えられなくなった優奈は、身を守るようにまぶたをぎゅっと閉じていた。
黒くなった視界の向こうの様子は、もちろんわからない。わからないまま体を強張らせていると、やがて、何かが優奈の唇の端に触れた。
「……っ!?」
弾かれたようにまた目を開く。未来の和菓子職人が自分の指先についたクリームを舐めていた。
「やっぱり俺の作るものはうまいな。あ、今のでトリートをもらったことにしておくから、トリックは勘弁してやる」
言われて、気づく。自分に触れたのは彼で、自分は口の横にクリームをつけていたのだと。しかも彼はそれを舐めた。
優奈はお風呂でのぼせた時のように全身が熱くなった。彼が涼しい顔をしているのがまたいけない。
こらえきれずに、優奈は大声を出した。
「あたしからもっ、トリックオアトリート!」
「はいはい」
何個目かの大福が、即座に、そして無造作に、優名の口へと突っ込まれた。
「いくら和菓子が洋菓子に比べて太りにくいといっても、あんまり大量に食べるとよろしくないから気をつけろよ」
ずるい。そう言ってやりたいと思ったが、できなかった。優名の口は咀嚼に忙しかったし、だいぶ中身の冷めたカップに熱いお茶を注ぎ足してくれている彼の耳が真っ赤だったから。
本当にずるい。せめてもの反抗に、優名は足で彼のすねを軽くこづいた。机の下で、こっそりと。
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