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<東京怪談ノベル(シングル)>


石像、ねだる



(なんや、ちゃーんと家におるやん)
 最初にセレシュが思ったことだった。
 ある美術部の少女が夜になっても戻らない、朝方ケロリと戻ってくる。そんな日が一週間も続いている。妖魔の仕業かもしれないと依頼を受けて、セレシュはやってきた。
 件の少女の家である。
「お客さんだあ! どうぞどうぞ、上がって下さいね」
 やけに弾んだ声だった。少女ははち切れんばかりの笑顔を持って、セレシュを迎えたのだった。
 少女の部屋は、噂通り個性的だった。
 ピンク色のベッドカバーに、グリーンの枕。壁には彼女の親が学生時代に買ったのではないかと思うくらい年季の入ったペナントが所狭しと飾られていた。勉強机の上にはタケミツが鎮座している。中学一年生、まだまだ勉強する気はないようだ。
「えっとお。紅茶と紅芋があるんですけど、どっちが良いですか〜?」
「紅茶やね!」
 にこやかに返すセレシュ。選択肢おかしいやろ、などとは言えない。嬉しそうにはしゃぐ少女には。
「文化祭が近いでしょ? 今追い込みで、色塗ってるんで……気付いたら夜中なんですよ〜」
 話をしてみたが、少女は変わった子ではあるけれども、特別問題がないようだった。妖魔の臭いがしないのである。事件ではないだろう。
「そろそろ帰りますわ。それにしても凄いコレクションやねえ」
 昭和の香り漂う土産物に目をやるセレシュ。
 途端、少女は興奮気味に話しだす。
「でしょお?! 特にそこの栃木のペナントが一番好きなんです。私初めてペナント見たんですよ! すっごいお洒落ですよね! 人間ってこんなに素敵なセンスを……」
 ピキピキッ。
 奇妙な音を立てて、少女が静止した。
 時が止まったかのように、動かない。
 肌も白くなっていた。
「ど、どないしたん……」
 セレシュは、少女の腕を掴んだ。
 腕は、硬かった。そして冷たかった。髪の毛をつついてみたが、コンコンと音がする。
 少女は石像になっていた。

 …………………………

「はっ!」
「お、気付いたみたいやね」
 頬に赤みが戻った少女に、セレシュは声を掛けた。
 少女はセレシュをぼんやりと眺めていたが、やがて俯いた。
「……ばれちゃったかあ」
「自分、この家の娘やないね? 話聞いてもええ?」
 セレシュはにこやかに訊いた。
 相手に悪意のないことを感じ取っていたからである。
 少女はポツリポツリと話しだした。
 身体はこの家の少女のもので、自分は少女の通う中学校の美術室にいる石像だと。
 古びた石像が心を持ったのだ。
 少しなら、動けるようにもなった。
 次には自由に動く身体が欲しい。こんな白くて硬い肌ではなくて、滑らかで柔らかく温かい人間の身体になりたい。
 文化祭に飾る作品のために残っていた少女に、打ち明けた。
 変わり者で学年でも有名だった少女である、喜んで協力してくれた。
 だが、感情が昂ると、少女の身体を完全に乗っ取ってしまうのである。
 そのため度々石化し、元に戻る頃には夜中、あるいは明け方になっている。そんな日が続いていた。
「相手はまだ中学生の娘さんやから、夜中連れまわしたらあかん。親御さん心配しとるで」
 そう言って諭したものの、人間になってみたいなんて、無邪気な願いである。無理やりに人間の身体に入り込んだ訳でもない……。
「まあ。うちの身体なら、一晩貸したってもええけど……」
 ふともらしたセレシュの言葉。
 少女にとってはこの上ない提案である。
「貸して下さい、下さい! やりたいことがあるんです!」
 まるで目の中に星が散らばっているようだった。
「やりたいやりたい! 私やりたいですお願い!」
「ええよー。ただし、明日の朝までには返却するんやで。明日は仕事や。稼がにゃあかん」
 コクコクと頷く少女。
 やり方は簡単、少女と掌を合わせるだけだ。
 貸すというよりは、融合と言った方が正しい。セレシュの肉体を石像とセレシュの心で分け合うのだ。
 セレシュと石像が融合すれば、少女は元の娘に戻り、一晩ぐっすり眠れるだろう。
 ――掌を合わせた。

 ヌルリ、としたモノがセレシュの肌の下に入り込む。
 冷たい、とセレシュは思った。
 パキン、パキン。
 身体の内側から、氷が張っていくような、音がする。
 自分の身体の芯が固まっていくような奇妙な感覚だ。
「あったかい……」
 声が響く。確かに自分の喉から出た音だ。しかし、セレシュの心ではない。
(何やの、この感じ……)
 胸の内側で、自分の心が喋る。
「凄い、凄い! これがセレシュさんの身体なんですね」
 少女は無邪気に笑い、自分の身体をまさぐる。自分の身体、すなわちセレシュの身体でもある。
 二の腕は硬かった。爪を立てても痛みは殆ど感じない。
 胸は表面だけ柔らかく、芯は硬かった。温かく、左の胸に掌を置いてじっとしていると、手を通して胸の鼓動が伝わってくる。
 トクン、トクンと、命は躍っていた。
 静物と命の混じり合った、奇妙な肉体をしていた。
(やりたいことって、何なん?)
 訪ねてみた。
 その言葉に答えるために、セレシュは時計を見た。セレシュの質問に、セレシュの身体が答えるのである。
「まだ21時ですね。あのショッピングモールは22時まで開いてるから……うん! そこに行きましょ!」
 待ちきれないとばかりに、少女は走り出した。


 向かった先は、アイス屋だった。
「チョコミントと紅芋アイスのダブル、コーンで!」
(ちょ、もう寒いで。今日は今年度一番の冷え込みなんやで?!)
「すみませーん、チョコチップも追加で! トリプルなんて夢みたーい」
(あかん! あかんて!)
 よく冷えたアイスを、秋風吹く暗い公園で食べる。
「うー、美味しい! ほっぺが落ちちゃいそう!」
(表現古いなー、自分)
 アイスを噛んだり、舐めたり。そんなセレシュの肉体をぼんやりと心で眺めているセレシュ。
 思っていたより、寒くない。
 身体の芯が冷えているのである。硬く、固まって、冷え切っている。
(だから寒さを感じにくいのかもしれへん)
 ぼんやりとセレシュは思う。
 石像はと言えば、大喜びしていた。
 コーンの最後の一欠けらを口に放り込むと、叫んだ。
「やーん、もう幸せー!!」
 パキパキパキ!
 動いていた顎が止まった。
 手も、足も。
 肌は、雪を濁らせたような、くすんだ白い色をしていた。
(あかん、乗っ取られたわ……)
 胸の奥で、セレシュは呟いた。
 その声は落ち着いていて、小さかった。だから固まった身体の内側で、溶けて消えていってしまった。
 人のいない静かな公園に、石像が一つ、あるだけだった。

 …………………………

(ああ、もうかまわんわー)
 意識を取り戻すと、口の中に生温い感触が広がっていた。
 溶けたアイスだった。石化した口の中で、ゆっくりと時間を掛けて溶けていったようだった。
 もぐもぐ、ごっくん。
 ――時計を見れば、もう朝の5時である。
(殆ど何もでけへんかったなあ。せやけど、うちこれから仕事やから、終いにしよか)
「んー……セレシュさんのお仕事って何ですか?」
(鍼にマッサージ。あとお灸やね。何でもござれや)
「私やってみたいから、延長で!」
(アホ! んなもんないわ! こちとら一晩石像で野ざらしにされてんやで!)
「いいじゃないですか〜! ねえ、やらせてよ〜! 力強く指圧出来ますよお?!」
 ジタバタするセレシュの肉体。
 興奮のあまり、足先が石化している。
 身体の持ち主であるセレシュは心の中でため息をつき、ベタな台詞を胸の内で呟いた。
(ここでお灸、据えたろか?)