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<東京怪談・PCゲームノベル>


幸福な終わりを


 オークション会場は常がそうであるように互いの顔も見えない薄闇と、奇妙に煙った空気に支配されていた。煙草の紫煙とは異なる微かな匂いは、恐らく参加者の認識を緩やかに阻害する程度の魔術が籠められているためだろう――この手の会場ではよくある仕掛けだ、と、さりげなくハンカチで口元を覆いながら少女は思う。
 黒髪の少女だ。見目は幼く、顔を隠した大人達の中にあって、堂々と素顔を晒している姿は、彼女自身が人形のように整った顔立ちをしていることもあって酷く目立つ。
 だが、明らかに場違いなその少女を揶揄する者も、ましてや近付く者さえなかった。
 囁く声が微かに聞こえる。
 ――あれは…
 ――石神のか!
 ――こんな小規模なオークションで姿を見るとは…
 さざめくような恐怖と興味の入り混じった声を背後に、彼女は一度小さく嘆息した。噂されるのは慣れ切っている。が、こうも多いと食傷気味にもなろう。石神アリスは、こうした視線と噂にこの年にして慣れ切ってしまう程度には、「こちら側」の業界では名の知られた人物であった。
 しみじみと再度、嘆息するアリスである。
(わたくしが顔を見せたのは失敗でしたかしら)
 とはいえ――と彼女は眉根を僅かに寄せた。思い起こすのは今日の「獲物」である出品物のこと。
 晴れた冬の夜空を想わせる深い藍色の天鵞絨張りの、品よく控えめな真珠で飾られた小さなアンティーク風の小箱。それが本日のアリスの標的である。アンティーク風とは言ったが実際に作られたのはせいぜいが10年ほど前のことらしい。これは製作者本人の証言があるから間違いない。
<…ホントに任せて大丈夫なんだろうな>
「心配ですか」
 耳元で聞こえたのは、青年の低い声であった。アリスが密かに耳元につけたイヤホンから、会場の外で待機している青年――今回、アリスがこのオークションに参加する契機となった、いわば依頼主とでも呼ぶべき相手だ。アリスは口元をハンカチで隠したまま、表情は毛ほども変えず、周りの誰にも聞こえないような囁き声で返す。
「ご心配なく。どのみち、オークションの主催には少しばかり貸しがありましたので。わたくしの名前を出したら、必ず例の品を落札できるよう、手を回してくださいましたよ」
<…見目に似合わずおっかない嬢ちゃんだな。その年で何やらかしたんだよ>
「失礼な。…少々手を貸したり、良い『商品』を融通している程度の『貸し』ですよ」
<商品ねぇ>
 皮肉げな青年の声は取り合わぬことにして、アリスは会場の中央、商品が並べられる舞台の上へと視線を戻す。
「それで例の商品ですけれど」
<なんだ。今更確認することがあるのか? …あれについちゃ、お前さん達『裏』の人間の方が詳しいだろうに>
「…いえ。引っ掛かっていることがありまして」
 その時、会場の照明が落ちた。舞台上にすぐに別の、ごく僅かな照明が当たる。大仰な前口上は無く、ただ淡々と商品が並べられ、静かに、しかし確かな熱気を帯びて競りが開始されたのだ。

 舞台の上で光を受けたその宝石箱は、夜空を切り取ったかのような色合いだった。確か製作者に聞いた話では、箱の中も夜空のごとき群青で、小粒の宝石を置けば夜空の星に見える、そういう見立てで作ったのだという話である。
 アリスは考えつつも指をたて、口元に当てた。――金額を声に出さずとも、彼女のような常連で、かつ目立つことを厭う者は、事前にオークションの担当者に伝えた決まった仕草をもって、金額を伝えることを常としている。
「――100」
 アリスの仕草を受けた司会が厳かに、アリスがつけた値段を告げる。一気に桁が上がったことになる。
<おいおい、依頼料を超えるぞ。お前さん赤が出るけど大丈夫かよ>
「気になさらなくて結構、わたくしの財布も痛みません。言ったでしょう? ここの主催には貸しを作ったことがあると」
<…おっかねぇなァ>
 敵に回したくない女だ。そんなぼやきが聞こえたもので、アリスは口元を緩めた。
「お褒めに預かり光栄の至り」
<褒めてねぇ。…おっと、そろそろかな>
 通信の向う側で、男の声が僅かに緊張を帯びる。それと同時、オークションの司会が口を開き、無事にアリスが品物を落札したことを告げた。事務的に次の商品が簡単に紹介され、オークションが始まる――アリスは僅かに緊張を解いて背もたれに身を預け、そして直ぐに眉根を寄せた。厳重な警備に守られているはずの舞台の上に、女の姿が現れたのだ。
「…藤代さん?」
<何だよ。今忙しいんだ。クソ、やっぱりここの連中、『宝石箱』使ってやがった…おいメイ、気にすんな。どうせ外道のやることだ、その辺の魔道具とまとめてぶっ壊しとけ>
 通信機の向うからは破壊の音が響いていた。乱暴ですねぇ、と、直接的な暴力に訴える手段をあまりとらないアリスは顔を顰めて頬杖をつく。
「ねぇ藤代さん。あの『宝石箱』、どういう効果がある魔道具でした?」
 その女の姿は幽鬼のように見えた。否、霊感の類のないであろう観客たちや司会も見えているようで戸惑っているし、これといって身体が透き通っていたりもしない。ただ、その顔色は死人めいて蒼褪めて見え、警備をすり抜けたのか、あるいは何か術の類でも使ったのか、そこに忽然と現れた様はまさにそうとしか呼びようが無かったのだ。感情のうかがい知れぬ表情の中、瞳だけがいやに目立った。度を越して強い感情が、瞳の中に黒く凝って、火を入れた黒炭を想わせる異様な輝きを放っている。
<人の魂を捉えて宝石の形に変える。その為の箱であり、魂を閉じ込める檻だ>
「今、あの宝石箱の中に宝石は入っているのかしら」
 それは独白であったが、律儀に通信機の向うからは答えが返ってくる。
<入ってるんじゃねぇか。それが『売り』だからなアレは>
 ふぅん、とアリスはその言葉にも然して動じた風もなく、足を組み替えた。
「魂を戻すことは出来るので?」
<出来ねぇよ。あれは人を殺してから魂を奪う代物だから>
 もう一度ふぅん、と気のない返事をしてから、忌々しそうな男の声の調子に思うところもあり、アリスはつい問いかけた。
「……そもそも何でそんなものを作ったんですか」
<作りたくて作ったモンじゃねぇ。元々別の用途で作ったハズだったんだ。失敗作もいいとこだぜ>
 ――彼は呪いを得ているのだと、アリスは知っている。「こちら側」の業界では「彼」の名前はそこそこに知られているのだ。その呪い故に効果は絶大だが、その呪い故に、共に悲劇をまき散らす道具の作り手。それでも、通常の錬金術では叶えることの到底不可能な効果、例えば不老、若返り、万病の治療、運命操作、死者の蘇生まで叶えられると伝えられる彼の道具には、どんな悲劇が伴っても手に入れようと手を伸ばす欲深な人間が絶えない。
「…効果が歪みましたか」
 結果、あの『宝石箱』にはこんな効果が生じた。
 ――人の魂を捉え、宝石に転じさせる。
 人の魂を素材とした宝石は、一般に流通する宝石とは別種の輝きを放つ。あまりのその美しさに魅入られ、幾つかの宝石は法外な値段で売り捌かれ、幾つかの宝石を巡っては血が流れたとアリスは聞き及んでいた。事件は隠蔽され、その事件で犠牲になった者達もまた、宝石に変えられたのだろう。この魔道具の所有者なら絶対にそうするだろうという確信があった――「素材が『人』である作品」の美しさには一種異様のものがあるのだということを、アリスは知っていたからだ。
(だとすればあの女性は)
 そしてアリスは知っている――あの瞳に熾火のように見えるあれは、執着のそれだ。
 舞台の上の女の唇が動く。
 ――かえして。
 そう呟いたように、アリスには見えた。だが確認のしようもないことだ。次の瞬間、女の細腕が司会の男の首に伸ばされ、伸ばされたと見えた時には、鈍い音をたてて妙な角度に曲がる。
「あら。死にましたねあれ」
<…そっちで大惨事起きてねーか>
「それはもう大惨事ですよ。悲鳴、聞こえるでしょう? 大方、あの『宝石箱』に縁者の魂を呑まれた人間なんでしょうねぇ、彼女」
<呑気だなァ>
「これくらいの事態で慌てるのは三流ですよ?」
<おぉ、怖。…手伝い寄越すか?>
「まぁわたくしでもどうにかなるかと。そちらは『回収』に専念してください」
 悲鳴が上がり逃げ惑う客と、舞台に駆け寄る警護にあたっていた人間達――まぁ警備員と呼ぶには些かならず品が無いのは致し方あるまい――を余所に、平然とそこまで会話を続けてからアリスはようやく立ち上がる。彼女の金色の視線の先で、舞台の上では更なる惨状が起きていた。殺された司会者の男を、女が細腕で『宝石箱』に押し付ける。――宝石箱は掌に収まるほどの大きさしかないのだが、どういう仕掛けなのか、そこへ死体が「飲まれて」行くのが見えた。
(さて、あの男はどんな宝石になるのやら)
 気にならないと言えば嘘にはなるが、あまり質の良い宝石にはなりそうもないと結論付け、アリスはゆったりとした歩調で舞台へ近寄って行った。途中、彼女を制止しようとした黒いスーツの男たちをその金色の視線で一瞥する。幼い甘ったるさの残った彼女の瞳に何を見たのか、男たちは踵を返してあらぬ方へと走り去って行った。さして興味もなさそうにすぐに視線を舞台の上へと戻す。
 舞台と言ってもアリスの体格で難なく飛び乗れる程度の、段差程度のものだ。ひらりとスカートを翻して、彼女は壇上で、「宝石箱」を抱えた女に歩み寄った。彼女はぼろぼろと涙を落としながら、誰かの名前を頻りに呼んでいるようだった。
 まさかそれに応えた訳でもあるまいが、「宝石箱」からころりと宝石がひとつ転がり出てくる。
 ――想像通り、それは大層美しいものだった。スポットライトを浴びて輝く姿は水晶に似ているが、色味はむしろオパールのようにも見える。透明度の極端に高い、水滴のような水晶の中で、光の加減によって様々な色に輝く炎のようなものが渦巻いていた。アリスは思わずその様に見惚れ、しかしすぐに、その宝石は視界から消えた。女が拾い上げたのだ。
「ねえさん」
 彼女はその宝石を迷わずそう、呼んだ。その宝石が誰の魂なのか等、最早疾うに分からないから、彼女のその呼びかけが正しいのかどうかは誰にも判断は出来ないだろう。だが彼女はその異様に黒い、黒炭のような瞳をひたと水晶に寄せ、頬ずりして涙を落としていた。
「姉さん、姉さん、こんな姿になって――取り返しに来たよ」
 彼女が放り投げた「宝石箱」を拾い上げ、アリスはその姿をしばし見守ることにする。「宝石箱」を開くことは避けた――拾った時の感触で中にまだ宝石が残っていることは分かったが、これ以上は目に毒だと思えたのだ。それよりも、と彼女は視線を移し、嘆息する。
「事情は存じませんが、姉妹の再会を邪魔する無粋な輩が多いことで」
 舞台を囲むのは、人間ばかりではない。裏社会で雇われている人外の類、あるいはどこぞから持ち出された魔物の類。スポットライトの外側から有象無象の気配を感じて、彼女は眉根を僅かに寄せる。――荒事は彼女の得意とするものではない。が、
(良いものを見せて貰いましたし)
 そうした周りの騒動は恐らく既に視界に入らないのだろう。座り込み、半ば陶然と、宝石に頬ずりをしながら涙を落とす女性は、顔色こそ蒼褪めていたものの、造作は整っている。美女と呼んで差し支えは無いだろう。黒い喪服のようなワンピースの女性が、この世のものとは思えない――それが死者の魂の成れの果てなのであれば、まさに「あの世の」代物ではある――宝石を胸に推し抱いている姿は物語の挿絵を思わせるような美しさがあった。
 美しい、ということはそれだけで価値があるのだ。
「仮にも美術品のオークションに関わる人間が、それを知らないなんて、本当に無粋ですね」
 ここの主催との関係も考え直さないと、等と一人ごちてから、アリスは――微笑んだ。それまで退屈そうだった金色の瞳が輝く。
「…個人的にはもう少し可愛らしい方の方が好みではありますが、これはこれで味がありましょう。『これ』は、わたくしが買い取ることに致します」
 アリスの宣言を余所に、突如舞台に乱入し、人を殺し、「宝石」のひとつを抱えた女へ、一斉に周囲の敵意が突き刺さった。だが、それだけであった。
 金色の瞳があたりを一瞥した、それだけで。
 全ての敵意は雲散霧消した。





 ――忌々しい失敗作の「宝石箱」の犠牲者たちの魂、そのなれの果てである宝石の回収を終えた依頼人の青年が、遅れてオークション会場へ顔を出した時、そこは何事も無かったかのような静寂に包まれていた。静かすぎる程だ。
「よう」
「遅かったですね」
 青年の軽い挨拶に、アリスはちらと視線をあげただけだ。その手が愛おしげに、檀上に置かれた美術品を撫ぜる。
「まぁ、退屈はしていませんでしたので良しとします」
「そりゃ何より。…で、『宝石箱』は?」
「この通り、買い取りましたよ」
 壇上でスポットライトを浴びた小さなテーブルに、「宝石箱」は無造作に鎮座している。それを受け取り、青年――藤代鈴生は箱の表面を一度撫でる。その表情にはいかなる感情も浮かんでいなかったが、彼はやがてそれを掴みあげ、踵を返した。
「助かった。依頼料は約束通り支払う」
「…好奇心からお尋ねしますが、その箱はどうされるので?」
 彼の言葉は端的だった。足は止めたものの振り返りもしない。
「壊す」
「勿体ない」
 思わず、という風にアリスの言葉が漏れるが、彼は呆れたように肩越しに彼女を一瞥しただけだった。
「…この箱のせいでどんだけ人が死んだと思ってる――って、死んだ俺の師匠と愛弟子に怒られちまうからなァ。正直言えば、惜しいと思わねぇ訳でもねーけどよ。改造すりゃ使いようもあるし」
「それならわたくしが」
「却下。俺はこれ以上愛弟子に嫌われたくねぇ」
 口元に浮かんだ笑みからその言葉がどれくらい本音かを推し測るのは難しい。人を小馬鹿にするような笑みを口元に張り付けて、彼は立ち去ろうとし――その足が再度止まった。視線の先には、壇上に置かれた美術品がある。
 石像だった。まるで生きているかのような、動き出しそうな、見るものの背筋をぞくりとさせる気配を持った作品だ。その石像の手には、水晶状の宝石が一つ。石像の女はその宝石がこの世に二つとない宝であるかのように抱き締め、表情は笑っているようにも、泣いているようにも見える。
「…その宝石は」
「報酬にひとつ、頂いてもよろしいですか?」
 先手を打ったアリスの言葉に、鈴生は堂々と舌打ちをした。
「どうする気だ」
「折角会えた妹さんと引き離すのも可哀想ですし、姉妹一緒に末永く幸せに過ごすというのはどうでしょう。――まるで絵本のようですね。めでたし、めでたし」
 微笑んだアリスは、幸福な物語の終わりの一節を口にしながらその場に立ち上がった。檀上で黒髪に金の瞳の、人形染みた美貌は、そこに居るだけでその場を現実離れした――それこそ絵本の一部を切り取った様な光景に見せている。鈴生は笑みを浮かべ、好きにしろよ、とだけ告げて今度こそ踵を返す。
「厄介事にだけは繋げンなよ?」
「善処します、と言っておきましょうか」
「勘弁しろよ。…じゃあな。お前さんみたいな強い女に頼る機会が、そうそう起きねぇことを祈るよ」
 ひらりと手を振って去っていく背中を見送ることはせず、アリスは石像へ視線を戻す。その口元に笑みを刷いて。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【7348 /  石神・アリス 】