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Sinfonia.42 ■ 運命に翻弄された者
――――激化する争い。
例えば争いを知らぬ者が見れば何が起こっているのかと疑いすら抱き、争いを知る者が見れば言葉を失い、常識が音を立てて崩れ落ちるような光景が、勇太と霧絵によって引き起こされていた。
「疾れッ!」
霧絵が腕を振るえば、彼女の力によって物質化した怨霊が黒い刃となって中空を切り裂き、勇太へと肉薄する。その数は5本。追いかけるように次々と勇太が飛んだその場所からも勇太を追いかけるように伸び、勇太が方向を転換すれば黒い怨霊の槍もまたそれを追う。
中空で振り返り、小さく舌打ちした勇太が手を翳す。
「光よッ!」
円状に広がった白い光が勇太を守るように立ち塞がり、怨念の刃を防いでみせた。甲高い金属同士がぶつかり合うような音を立てて拮抗する。
後方に飛ばされる形になった勇太はちらりと霧絵を見ると、中空を飛ばされながらも運動エネルギーを利用するかの転移する。霧絵の背中を正面に捉える形で後方に飛び、空中で勇太が腕を振るう。
「――見えてるわ」
霧絵が腕を上へと振り上げると、怨念が霧絵を囲むように円状に広がり、勇太が放った神気の篭った念の槍を弾き飛ばした。
「そうなると、思ってた!」
言葉を区切りながら、勇太はさらに転移すると霧絵の真上へと移動した。
「えぇ、私もそうだと思っていたわ」
「っ!? く――ッ!」
空中に姿を現した勇太と、怨霊のそれに包まれた中から霧絵の視線が交錯する。同時に霧絵が放った怨念の槍が勇太へと真っ直ぐ伸びるが、勇太が辛くも転移を成功させて逃げてみせた。
互いに再び睥睨し合うように距離を取り、二人は一時的に攻撃の手を止めて対峙した。
「……なぁ。あんた、どういうつもりだよ」
「どういうつもりって何かしら?」
「とぼけるなよ。あんたの攻撃はさっきからまるで……――」
「――手を抜いているようだ、とでも言いたいのかしら?」
勇太の続きを紡いでみせた霧絵は、ふっと小さく肩をすくめた。
確かに霧絵との戦いは苛烈だ。
ファングと戦った時も、かつてこれまで戦ったどの相手よりも強力な力を有しているのは、勇太も感じ取っていた。だが、それでも何か――どこか手を抜いて攻撃を仕掛けているかのような節が見られる。
――時間稼ぎを目的としているのなら、百合を素直に通しただろうか。
いや、それはあり得ないと勇太は最初の憶測を捨てる。
ならば何故、こんなにも拍子抜けするような戦い方をしているんだという話になるだけだ。何度かの葛藤と疑問はいつまでも勇太の脳裏に焼きつき、ついにはそれを口にした。
そんな勇太に対して返ってきたのは、霧絵が遠くを見つめる表情だった。
「……工藤勇太。思えば私達とアナタとの因縁は長く続いたものね。霊鬼兵として、百合のオリジナルとして、長く戦ってきた相手――宿敵と言っても良いのかもしれないわ」
「……何が、言いたいんだ」
「そう焦らないの、工藤勇太。
――ねぇ、アナタは自分の能力を呪った事はないかしら」
その問いかけは、尋ねるような口調ではなく誰もが当たり前に抱いた感情をなぞるような、誰しもが通ってきた道だと告げるような、そんな口ぶりだった。思わず言葉を失った勇太へ、霧絵は答えなど訊かずとも解っていると言わんばかりに続けた。
「私達『虚無の境界』はね、そういう異能者が集まり、互いの深い傷や悲しみを背負った者達が世界を呪い、絶望した者達。私は――巫浄霧絵は盟主として彼らの為に率先して世界と戦いながら、皆を纏めてきたわ。でも、今回の戦いで多くの同胞が散っていったわ」
静かに告げる霧絵の空気からは、奇襲をかけて戦いを再開しようという気配は感じられなかった。
ただ霧絵は静かに続きを口にする。
「……いつからだったかしらね、世界を憎むようになったのは。私達は私達の生きる世界を欲していたのかもしれない。だからこの世界を――全てを無に帰すと、そう誓っていたのかもしれない」
――――もしも自分だったら、どうなっていただろう。
勇太の脳裏にふとそんな疑問が浮かんだ。
もしも自分が武彦と会わなければ。IO2と敵として出会っていたら。
それよりも先に虚無の境界に接触されていたならば。
自分は、一体どうなっていたのか。
ありありと思い浮かぶ、自分がそちら側にいる姿。
それはまるで、それが当然とでも言うような想像だった。
確かに勇太には、霧絵達の境遇を全く理解出来ないという訳ではなかった。
異能。
一般的に知られていない力だからこそ、爪弾きされ、利用されるのだ。
もしも『虚無の境界』がなかったとしても、なくなったとしても、第二・第三と彼らの跡を継ごうという者は出て来るかもしれない。
――それでも、勇太は止まるつもりなんてなかった。
例え第二、第三と続いても、きっと勇太はまたそれを止めるだろう。
どれだけ自分が傷ついてきたとしても、その根底に異能という力が原因にあったとしても、それでも他者を巻き込んで良い理由にはならない。
「だからって……。だからって、全て許されると思ってるのか……! 日本をメチャクチャにして、凜を巻き込んで……! それでも許されると思って――!」
「――えぇ、思ってないわ。だから、アナタがここにいる」
憤りのままに声をあげようとした勇太へ、霧絵は相変わらずの口調で続けた。
「私は、もう止まれない。ここに来るまで、あまりにも多くを犠牲にしてしまった。彼らが望んだ未来を作り上げる為に――私は止まる訳にはいかない」
――語り合いは、もう終わりだ。
そう言わんばかりに霧絵の周囲を怨霊が蠢き、霧絵からは今まで以上の圧倒的なまでの禍々しい力が溢れ出す。
互いの実力は、ある意味では均衡を保っていると言えた。
これまで互いに決め手に欠けた応酬を繰り広げてきたが、それほどまでに互いの力は近い位置にまで上り詰めていたと言えるだろう。
僅か齢17にして『虚無の境界』の盟主たる霧絵とぶつかり合える程の高みへと辿り着いた勇太の実力を褒めるべきか。或いは、そうまでして上り詰めてもなお、未だ抜く事が出来ない霧絵の深淵たる実力の見て驚愕すべきかは、誰にも答えを出せないだろう。
霧絵の胸の内に、ただただ世界を恨む憎悪があるばかりではないと推し量ることは出来た。それは確かに自分が歩みかねなかった道であり、気持ちが理解出来ない程に狂っているという訳ではない事も、勇太には判る。
「……確かに、あんたの言う通りだ。能力者――異物とも呼べるような俺達には、今の世界は酷く生き難くて、息が詰まるかもしれない」
――――だけど、と勇太は続けた。
「それでも、俺には守りたい人達がいる。守りたい生活がある。普通の高校生生活とか、貧乏な探偵の助手をする生活だとか……。守りたいモノが、多いんだ」
神気を宿した勇太の力の余波が、室内の暗闇を押し返すように弾ける。
闇と光、黒と白の世界。
対極的な二人ではあるが、根底にある部分はどこか似ているような、そんな二人の意見は――この瞬間に決裂した。
「なら、止めて見せなさい」
「絶対に、止めてみせる!」
二人の戦いが今、渾身の力を込めた一撃によって決着をみようとしていた。
◆ ◆ ◆
「――クソッタレ……ッ!」
悪態をついた武彦が瓦礫の物陰に身を寄せながら弾丸の薬莢を全て落とし、リボルバーに弾丸を装填させた。
――「誰もいない街」。
筋肉や臓器を彷彿とさせる赤々としたモノが瓦礫に飛び散り、張り付いては鳴動しているそれらにはもう目が慣れていると言って良いだろう。
しかしそれはあくまでも、状況に対する整理がついたというだけに過ぎず、ことヒミコへの攻撃方法は未だに見つかっていなかった。
撃ったはずの銃弾が虚空を貫き、にたりと笑ってみせる。
ヒミコの狂気とも取れる世界で、ヒミコのテリトリーでの戦いというのは明らかに分が悪く、武彦自身も焦燥感に駆られつつあった。
「隠れんぼは楽しくないね」
「っ!?」
目の前に姿を現したヒミコに瞠目しながらも、武彦は急いで横へと飛んだ。瞬間、武彦の立っていたその場所に向けられていた黒い銃口が火を噴き、瓦礫に穴を空けた。
能力を跳ね返すという対異能者特化型かと思ってみれば、能力のない自分には銃を使って攻撃を仕掛けてくるのだ。これ程厄介な敵などいない。
そんな事を考えつつも、武彦が再びヒミコの額を撃ち抜くが――ヒミコはニタリと笑ってそれを素通りさせてみせる。
「……チッ、どうなってやがる……」
勢いのままに、もはや廃墟となっているマンションの中へと駆け込んで武彦が独りごちる。
何度攻撃を仕掛けても、ヒミコの身体に攻撃が当たるはずがない。
だと言うのに、ヒミコは実弾を撃って来るのだ。
実体が見えない相手との戦いとも違う。実体があるにも関わらず攻撃が届かないという不可解さが、武彦の判断を狂わせる。
「アハハハ! 隠れてないで出て来てよ、ねぇ!」
外からは狂気に満ちたヒミコの声が聴こえて来る。
「……チッ、何か糸口でも見つかればまだ反撃も出来るんだが……」
外で叫ぶヒミコの声に苛立ちながら、武彦は再び独りごちた。
先程までの戦いで分かった事と言えば、ヒミコはわざわざ建物の中にまで追いかけて来るような真似はしない、という事ぐらいだ。
不意に姿を現しておきながら、建物の中にまでは深追いしないという慎重さがある。そのちぐはぐ具合もまたヒミコの奇妙な点とも言えるだろう。
――考えろ、考えろ……! いくらテリトリー内だからって自分に実体がないのなら、攻撃なんて出来るはずがない……ッ!
必死に冷静になって頭を働かせようと試みる武彦だが、それでもすぐに答えが出るはずもなかった。
幸いにも遮蔽物に姿を隠せる場所ではヒミコの攻撃は止む。
だが、ここで時間を喰っていては霧絵達と対峙している勇太達と合流出来ないのだ。
――もしも勇太が相手だったなら、こういう攻撃方法も可能だろうが……――ッ!
ふと、武彦の脳裏に一つの推測が浮かび上がる。
ブツブツと自分の仮説を証明するように呟くと、武彦はポケットから潰れていた煙草を取り出し、咥えて火を点けた。
「……なるほど、そういう事か」
武彦はにやりと口角をつり上げた。
「あんまり、ナメんなよ? 大人ってヤツを――ディテクターって肩書きを、よ」
反撃の狼煙は、紫色の煙となって静かに虚空へと漂っていた。
to be continued....
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