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<東京怪談ノベル(シングル)>


石の乙女たち


 毒をもって毒を制す、という事なのであろうか。
 魔除けには、聖よりも魔に近いものが古来、用の東西を問わず多く用いられる。ガーゴイル、それに鬼瓦。
 悪魔の力は、より強い悪魔の力を借りて追い払う。神や天使よりも頼りになる、という考え方であろうか。
「たちの悪いチンピラに絡まれたら、警察よりもヤーさんに頼った方がええっちゅう事やな」
 小刻みに鑿と玄翁を使いながら、セレシュ・ウィーラーは呟いた。
 ウィーラー鍼灸院の地下工房である。
 作業用テーブルの上には、カボチャほどの大きさの、琥珀色の物体。
 石材でも木材でもない。先日とある戦いで呪符に封じ込めた悪魔の生気を、呪符より抽出して物質化し、練り固めたものである。
 それが今、セレシュの持つ鑿によってザクザクと削られ、彫られてゆく。
 少し離れたところで作業をしている少女が、訊いてきた。
「お姉様は、何を作っていらっしゃいますの?」
「魔除けの置物や。ヤー公よりは頼りになるでえ」
 琥珀色の物体は今、セレシュの手によって、卓上に置けるサイズの彫像と化しつつあった。
 人の体型をしていながら四つん這いの姿勢で牙を剥き、翼を広げた、凶暴な悪魔の像。
「割と手強い悪魔やったさかいな。大抵の悪霊は、追っ払ってくれるはずや」
「臭い立つような禍々しさですわね。呪いのアイテムかと思いましたわ……私が作っているものに、悪影響など出ないでしょうね?」
 助手の少女が、バーナーの火力を調節しながら言った。
 元々、石像であった少女である。そこに自我と疑似生命が宿り、今は付喪神とも呼ぶべき状態にある。
 そして、セレシュの助手として使われている。
 こき使っているわけではない、とセレシュ自身は思っている。自分で作り出した存在であるからして衣食住の面倒を見るのは当然として、小遣い程度の賃金も出している。それに見合った仕事はまあ、してくれている。
 今、彼女が作っているのは指輪である。細長く引き伸ばした魔法の金属を、環状に曲げてバーナーで溶接しているところだ。
 そこに仕上げの彫刻を施すのは、セレシュの仕事である。
「魅了の指輪なのでしょう? おかしな呪いの臭いでも付いたら、台無しですわよ」
「きっちり聖水で冷やしとるんやろ? なら大丈夫やて」
 魅了の魔法がかかった指輪、と言っても大したものではない。道で擦れ違った異性を、一瞬だけ振り向かせる。その程度である。
「本当にモテモテになれるかどうかは、本人の努力次第や」
 作業用テーブルの傍らに安置してある石像を、セレシュはちらりと見やった。
 石化した、悪魔の美少女。
 元々は、醜悪な怪物であった。
 その醜悪さを生気もろとも吸い取られ、このような美しい抜け殻と成り果てたのだ。
 彼女を醜くしていたものは今、セレシュの手元で、魔除けの置物となりつつある。
「モテモテになりたかったんやろなあ、自分……」
 一言だけ語りかけてからセレシュは、頭を軽く横に振った。
 感傷は抱くべきではない。この石像は、今や商品なのだ。明日になれば、業者が受け取りに来る。
「売れて良かったですわね、お姉様」
 付喪神の少女が言った。
「いっその事、倉庫に置いてある物も全部まとめて売り払ってしまってはいかが? 作りっぱなしの魔具とか、石像とか……そもそもお姉様って商売っ気が漲っておられる割に、お作りになった魔具の類、あまり積極的にお売りになりませんわよね」
「まだまだ実験が必要なもんばっかやからな。安全性100%の物やないと、売りには出せへん。売った先で何かあったら、うちの信用問題になる……だけやのうて、手ぇ後ろに回ってまうやろ」
「あら、お姉様が警察なんか恐れていらっしゃるとは意外」
「そりゃお巡りさんに逆ろうたらあかんよ。人間社会っちゅう場所で、上手い事やってこう思うたらな」
 それに、とセレシュは言葉を続けた。
「この世にはな、警察よりもヤッちゃんよりも恐い、IO2っちゅう人たちがおるんや」


 人間社会、特にこの日本という国で商売をしようと思うなら、商品の安全性は極めておかなければならない。
 魔具の実験は、いくら行っても、やり過ぎという事はないのだ。
 実験は当然、セレシュが身体を張って行う事となる。
「ポニーテールが意外とお似合いですのね、お姉様」
 付喪神の少女が、感心してくれている。
 以前、1度だけ使った事のある、魔法の髪留め。この少女の能力・特性を研究解析し、得られたデータを基に作り上げた品である。装着者の身体及び衣服に、石の属性を付与する効果を持つ。
 それによって束ねられた金髪が、セレシュの後頭部で、ざわざわと不満げに揺らめいた。
「ほら我慢せえ。ちょう実験するだけや」
 石の属性を与えられていながら、柔軟に揺らめき蠢く金髪の束。
 髪だけではない。顔も、手足も胴体も、眼鏡と服も。セレシュの全てが、石化していた。
 石化した足で、軽くステップを踏んでみる。石化した両手で拳を握り、シャドーボクシングの真似事をしてみる。
 セレシュは今、滑らかに動く石像と化していた。
 頬に触れてみる。硬い、まぎれもない石の感触。だが表情を作る事は出来る。唇も動く。頬の内側で、舌も動く。支障なく、声を発する事が出来る。
「っちゅうわけで組手や。風呂入って寝る前に、一汗かくのも悪うないやろ」
「嫌ですわ、お姉様。剣や魔法ならともかく、徒手空拳の格闘戦を私に挑もうなどと」
 付喪神の少女が、ころころと優雅に笑った。
「少々……考え無しが過ぎるのではなくて? お姉様らしくもありませんわ」
「ええから勝負や。あんたが勝ったら、何か好きなもん買うたるさかい」
「……禁酒、解いて下さる?」
 少女の両眼が、ぎらりと血走った。
「タン塩と生ビール、ハラミと生ビール、上カルビで生ビール」
「……お嬢様の皮ぁ被った中年男やなあ、自分」
 などとセレシュが苦笑している間に、少女は欲の獣と化し、襲いかかって来た。
 ストーンゴーレム並みの怪力を秘めた細腕を、セレシュは正面からガッシリと受け止めた。
「なっ……お、お姉様が、私と互角の力を!?」
「力が互角なら、あとは技の勝負やな」
 組み合ったままセレシュは、付喪神の少女もろとも、ころりと床に倒れ込んだ。
 倒れ込んだ少女の身体を、セレシュは折り畳み、捻り上げていた。
「不景気やからなあ。カイロプラクティックも始めてみよかと思うんやけど」
「おっお姉様、これはカイロでも整体でもなく関節技あいたたたたたた」
 付喪神の少女が、悲鳴を上げている。
「わ、わかりました参りましたわお姉様! もうお酒飲みたいなんて申し上げませんからあああああ!」
「ま、あと3年我慢せいや。一応、17歳っちゅう事にしとるさかいな」
 セレシュは少女を解放し、立ち上がった。
 その身体から、ぽろぽろと石の破片が剥離する。
 石化した衣服が、砕け落ちていた。
 付喪神の剛力を、正面から受け止めた。その際の衝撃に、セレシュの身体はともかく衣服の方が耐えられなかったようである。
「あちゃあ……やっぱ石やな」
 あられもない半裸身となってしまった自分の姿を、セレシュは見下ろし、見回した。触れてもみた。やはり、石の感触でしかない。
 自分は石になっているのだ、とセレシュは今更ながら実感した。
 この場にいるのが付喪神の少女だけなので、こんな格好も気にならない。この程度の露出は、些細な事だ。
 今しかし、この場に男性がいたとしても、自分はあまり気にしないのではないか、とセレシュは思った。
「心にも影響しとる、っちゅう事かいな……」
 石化の髪留めに軽く手を触れつつセレシュは、悪魔の美少女の石像を見つめた。
「それでは私……明日、学校ですので……」
「ああ、ご苦労さんやったな」
 身体を引きずるようにして工房を出て行く付喪神に、セレシュはそう声をかけた。
 この少女と同じ体質を付与する、魔法の髪留め。まだ、いくらかは改良の余地がありそうだ。
 それに関する相談相手にもなれぬ美少女の悪魔像に、セレシュは語りかけていた。
「あんたらに対して散々やってきた事やけど……石像になるっちゅうんは、恐い事なんやなあ」