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<東京怪談ノベル(シングル)>


人間嫌いの追憶


 典型的なモンスター・ペイシェントであった。
「ここって刑務所かよ! 飯は不味いし看護婦は愛想ねえし!」
 ベッド上で喚いているのは、20代半ばと思われる女性患者だ。
 医師やナースが辟易しながらなだめているが、この手の患者は少し厳しくしなければ調子に乗るだけだ、と工藤弦也は思う。
「わかってんのかよ、こっちは患者だぞ!? 金払ってんだからよォ、てめえら食わしてやってんだからよぉお!」
「……保険料なんて払ってなかったよね、姉貴は」
 医師を押しのけるようにして弦也は、その女患者を見下ろし、睨んだ。
「ゴミ部屋で最低の暮らしをしてたあんたが、ちゃんとした病院で、そんなふうにのんびり寝ていられる。飯の心配もしなくていい、殴られる事もない……なあ姉貴、誰のおかげだと思ってる?」
「あ……あんたたちが、お金払ってくれたんだろ」
 女性患者が、いくらか大人しくなった。
「感謝してるよ……だけど家族なら当たり前の事じゃんか! あたしが今までどんな酷い目に遭ってきたか、弦だって知ってるだろ!?」
「酷い目に遭ってきた、って自覚はあるんだよな」
 本当の事を、弦也はぶちまけてしまいたかった。
 今回、工藤家からは1円も出てはいない。
 この女のために何かしてやろうなどと考える者は、弦也本人も含めて、工藤家にはもはや1人もいないのだ。
 ただ1人……彼女の、幼い息子を除いて。
 その子が、とある組織に身を売って、母親の入院費用を稼ぎ出した。
 喉の辺りまで込み上げてきたその真実を、弦也は無理矢理に飲み込んだ。
「だったら、自分を酷い目に遭わせた男の事なんて忘れちゃえよ。あれが単なる人間のクズだって事、よぉくわかっただろ」
「弦……そんな事、言わないでよ……あんたの、お義兄さんなんだよ……」
 姉が、ぽろぽろと泣き出した。
「あの人は、ちょっと心が弱いだけなんだよぅ……あたしが、ついててあげないと駄目なんだよ……だから」
「そんな調子で、ろくでもない男に引っかかっちゃあ捨てられる。昔っからそうだよな姉貴は」
 姉の胸ぐらを、弦也は思わず掴んでしまいそうになっていた。
「捨てられるだけなら、まだましさ。だけどあの男、これからもしつこく姉貴に付きまとって来るよ。今は怪我してるみたいだけど」
「助けてあげてよ、弦……」
 昔なら、この姉にこんなふうに頼まれたら、何でもしてやろうという気になれたものだ。
「あの人にも、お金……出してあげてよう……」
「1つだけ言っておくよ、姉貴」
 泣きじゃくる姉に、弦也は微笑みかけた。
「あの男、もし怪我が治って、あんたの周りをうろつくようなら……僕が殺す。殺人事件にならない殺し方なんて、いくらでもあるんだからな」
「弦……な、何言ってんの……」
「殺す、と言ってるんだ。あの男を」
 はっきりと、弦也は言った。
「姉貴や……それに、あいつの周りをうろつくようならね」
「やめて……やめて! やめてえええええ!」
 姉が、泣き叫んだ。
「あいつの話なんかしないで! あのクソガキ! あのバケモノ! 弦あんた、何かバケモノ退治の仕事してんだろ!? とっととアイツを殺しちゃってよおおおおおお!」
「その仕事なら辞めてきたよ。ちょっと上司をぶん殴っちゃってさ」
 手足に、まだ感触が残っている。
 あの時と同じ目で弦也は、姉を見据えていた。
 姉が青ざめ、息が詰まったように黙り込む。
 弦也は、微笑みを保つ事が出来なくなった。
「無職になっちゃったけど、貯えはあるからさ。あいつの面倒を見てやる事くらいは出来るよ……あんたに、あいつの母親をする気がないってのは、よぉくわかったからね」
 弦也は姉に背を向け、傍らの医師に話しかけた。
「この患者、甘やかしちゃいけませんよ。うるさいようなら閉鎖病棟にでも放り込んで下さい。大丈夫。この女を心配して騒ぐような人間、工藤家には1人もいませんから」
 青ざめ、怯え固まっている姉に、弦也は一言だけ声を投げた。
「なあ姉貴……あんたを見てると、結婚なんてするもんじゃないってのが本当よくわかるよ」


 病室を出た瞬間、睨まれた。緑色の瞳でだ。
 上目遣いに睨みつける。この子は、そんなふうにしか人を見る事が出来ないのだ。
 弦也は身を屈め、その幼い男の子と目の高さを合わせた。
「……聞こえていたよな? まあ、そういう事だ。お前にはもう、母親なんていない」
「…………」
 男の子は、何も答えない。
 弦也の甥である。叔父と甥らしい会話など、しかし1度も出来ていない。
「会わせてやろうと思ったけど、あれじゃ駄目だな。姉貴の奴、お前の顔を見た瞬間にショック死しかねない」
 甥は、やはり何も言わない。
「親戚としての体面で、お前を引き取りはしたけど……何しろ子供を育てた事なんてないからな。お前をどう扱えばいいのか、わからないんだ。とりあえず衣食住の心配はしなくていい。念のため言っておくけど、感謝なんかしてくれる必要ないからな」
 衣食住だの感謝だのといった言葉を知っているかどうかも怪しい年齢の男の子である。叔父の話も、果たして聞いているのかどうか。
 構わず、弦也は言った。
「お前はこの先、散々問題を起こして僕に迷惑をかけるんだろうな。だけど、それを責める資格が僕にはない。お前に厳しくする資格なんて、僕にはないんだよ……姉貴に、こんな接し方しか出来ない人間なんだからな」


「……僕が? そんな事を言ったのかい」
 夏と言っても、それほど暑い日ではない。
 とある公園である。
 甥と一緒に、公園を歩く。こんな日が来るとは、弦也は思ってもいなかった。
「覚えてないなぁ」
「俺も5歳かそこらだったから、よくは覚えてないけどね。面倒見てやるけど感謝はしなくていい、とは言われたよ」
 この甥も、今は17歳。ろくに口もきいてくれなかった男の子が、こんな事を言うようになった。
「俺は勝手に、感謝してる……ありがとう、叔父さん」
 こんな事を言われると、何と応えて良いかわからなくなる。だから感謝など、されたくないのだ。
「叔父さんの言った通りになったね。俺……いろいろ問題起こして、迷惑ばっかりかけてさ」
「僕の中学・高校の時より全然ましだよ。お前は」
 学校で喧嘩をして、つい能力を使ってしまった。結果いくらか怪我人も出た。
 この甥が引き起こした問題など、その程度である。
 弦也がIO2エージェントとして手掛けた様々な事件と比べれば、問題と呼べるほどのものでもない。
 何しろ、人は1人も死んでいないのだから。
 この少年が初めてその手の騒ぎを起こしたのは、小学校何年生の時であったろうか。
 緑色の目をしている、という理由だけで、同学年の悪童数名が因縁をつけてきた。
 甥は、正当な反撃を行った。結果その悪童たちが、ちょっとした怪我をした。
 自分ならば怪我程度では済まさなかったであろう、と弦也は思う。
 そんな、問題とも言えぬ問題を積み重ねながら、甥はやがて中学生になった。
 中学生。男の子が最も凶暴になる年頃である。
 甥の通う学校にも、それは凶暴な少年たちがいた。
 そんな少年たちが攻撃を仕掛けて来たので、甥は正当な反撃をした。
 結果、怪我人の山が出来た。自分なら1人2人は殺していたかも知れないと弦也は思う。
 そんな学校生活を送りながらも甥はしかし、この頃になると、憎まれ口とは言え、弦也と口をきいてくれるようになった。友達も増えた。人間ではない友達ばかりではあったが。
「今回……少し、大変な目に遭ったみたいじゃないか?」
 墨田区の某電波塔近辺で、局地的な大雨が降った。洪水とも呼べる状況であったらしい。
 甥は、その場に居合わせたようである。
「何とか大丈夫だったよ。こいつらのおかげで、ね」
 仔犬が2匹、とてとてと足元にまとわりついて来る。弦也が手にしている洋菓子の包みに、鼻面を向けながらだ。
「わーい、チョコケーキ! プリンパフェ、シュークリーム!」
「早く早く、我らにお供えすると良いのだぞ」
「ごりやくが、あるのだぞ」
 2匹とも日本語を喋っているようだが、弦也は深く考えない事にした。
 甥には、このような友達が本当に多い。
 高校生になってからは、人間の友達も増えてきたようである。
 自分とは大違いだ、と思いながら弦也は身を屈め、仔犬2匹を抱き上げた。
「お前、僕に感謝してると言ったよな……この子たち、もらってもいいかな?」
「俺のペットってわけじゃないよ」
 甥が、苦笑をしている。
「叔父さん、犬派?」
「派閥は決めていないよ。犬は可愛いし猫も可愛いし、鳥や爬虫類だって可愛いし、虫も可愛い。可愛くないのは人間だけさ」
「叔父さん……もしかして、人間嫌い?」
「何だ。今頃、気付いたのか」
 仔犬たちの感触を堪能しながら、弦也は言った。
「僕は、人間と仲良く出来ない男だったからな……お前は、僕みたいにはなるなよ」