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砕け散る躰は媚薬の如く
1.
彼女は石像。けれど、石像ではない。
幾度もその身を石化され、その度に美術品として飾られてきた美しい体の持ち主。
体の内に鏡幻龍を宿す彼女は魔力を増大させる力を持つ。
そして寵愛され続けた石像は知らず知らずに人を惹きつけるフェロモンにも似た甘い香りを立ち上らせる。
目に見えぬ、極上の香り。惹きつけられぬ者などこの世にはいない唯一の芳香。
匂いの元は砕かれた石像。魔女の手先によって砕かれた哀れな石像。
芳しい香りに惹かれ、石像のありかはすぐに結社の魔女たちに知れた。
結社を纏める魔女は考えた。
『結社の結束と繁栄を強固にするために、より忠誠を誓うものに石像を分け与えよう』
それを欲し、魔女たちは石像に群がった。
頭部、胸部、腹部、下腹部、右腕、左腕、右足、左足。
それぞれ8部位。石像を手に入れて魔女たちは狂喜し、結社に更なる忠誠を誓う。
図らずも魔女の力を高め、裏社会での魔女たちの勢力はさらに強くなっていく。
石像の力。
彼女の‥‥イアル・ミラールの秘めた力ゆえの悲劇。
2.
魔女たちの動きに変化があった。数人の魔女が部屋に籠って幾日も出てこない。
都心の山の手にある一流ホテルの地下に存在する秘密結社。そこに潜入調査する茂枝萌(しげえだ・もえ )は嫌な予感がした。
魔女の手により氷の彫像になったイアルを助けた萌だったが、そのイアルが意識を取り戻した途端に萌の前から姿を消した。
萌も手を尽くしたが、時すでに遅くイアルの身柄は拘束された後だったようだ。
『後だったようだ』というのは、あくまでも推測にすぎない。
イアルの姿は確認できないでいたが、萌はある匂いを気にしていた。
イアルと一緒にいた時に感じた『甘い香り』がこの結社の中に漂っている。
その匂いだけが萌にイアルの存在を感じさせた。
魔女の手に落ちたのだと、そう確信させた。
イアルの気配はどこにもないのに、その匂いだけはイアルのものだった。
イアルはどこへ?
萌が独自の調査でイアルの身に起きた悲劇を知るには数週間を要した。
各部分を持ち帰った魔女たちは結社を行ったり来たりしていた。
1つずつを取り返すことは難しくはない。だが、1つを取り返せば警戒が強くなり、2つめ以降の奪還は難しくなる。ならば、一気に取り返す方がベストだと思った。
萌は魔女たちが一斉に結社に集まる日を調べ上げ、その日のためにできうる限りの罠と知恵を張り巡らせた。
匂いはずっと結社の中に充満していた。その香りを嗅ぐ度に思う。
イアルを手にしたい。
魔女ですら抗うことのできない香りの呪縛を、萌も感じている。その香りを、その体の全てを手に入れられたならどれだけ満足だろうかと。
けれど、その反面で萌は思うのだ。
イアルはまっすぐで人として、女性として魅力的な女性だった。そのイアルにもう少し近づきたいのだ。
彼女と、平和な時間の中で小さな何気ない会話を交わしたいのだ。
それは香りのせいではない、萌の純粋な人としての願い。
その為にも、イアルを救わなければならなかった。何としても。
萌以外に、この秘密結社からイアルを救いだせる人間はいないのだから。
3.
「素敵‥‥本当に、素敵」
腰部のなだらかな曲線を撫でながら、うっとりしたように視線を漂わせるベッドの上の魔女。
イアルの香りに魅了された魔女は、さながら陶酔したような気だるさと満足感に満たされている。
この一部だけを手に入れただけで体の内まで熱せられるような快感の波が襲ってくる。
すべての石像を手に入れられたらよかったのに‥‥。
蜜を垂らし、口づけて、全てを口に含んでしまいたいような衝動さえある。
「あぁ‥‥あなたの全てが欲しい」
石像にそう囁いても、石像は何も答えない。
「これはよい媒体だわ」
魔法陣の真ん中に据えられたイアルの一部。それは大きく光りを放つと急激に小さな発光体になる。
反応がよい。こんなに素晴らしい魔力の増幅を感じられるとは‥‥。
魔女は魔法陣に歩み寄り、石像と化したイアルの腕をつかみ取る。
これを手に入れられたことは幸運だった。
魔女の秘密結社などお飾りかと思っていたが、まだまだ使えそうだと。
この石像をもっと手に入れたい。すべて私のものにしたい!
胸部を風呂に浸し、薔薇の花びらを浮かべる。
真っ赤な花びらが、まるでフリルのように胸部を飾り彩る。
「これが柔らかな肉のままなら良かったのに」
つんと張りつめ柔らかであっただろう形の良い胸に指を滑らせる。
いくら遊んでも飽き足らなかったのに、こんな石像ごときに心奪われることが信じられなかった。
今までに遊んだどんな肉体よりも魅力的で、何故これまでこの肉体と出会えなかったのかと後悔すら感じる。
「あなたの声が聞けたらいいのにね‥‥うふふ」
全てを手に入れられたら、どんなにか幸せなのに‥‥。
それぞれの部屋、それぞれの魔女たちはみんな形は違えどイアルの虜だった。
イアルは確かにそこにいて、それぞれに愛されていた。
けれど、それは違うのだ。イアルのいるべきところはそこではない。
萌はイアルの石像を持つ魔女たちが全て秘密結社に集まったのを確認した。
そして、萌は行動に移した。
4.
魔女の秘密結社のあるホテルの地下は複雑な迷路のような場所だった。
けれど、把握してしまえば何のことはない。むしろどこからでも出入り自由の迷路だった。
萌は魔女たちが集会場に集まる時間にそれぞれの魔女の部屋から迷いなくイアルを助け出した。
胸部・腹部・下腹部・右腕・左腕・右足・左足‥‥。
頭部のある部屋に入ると、ビキニタイプのアーマーをつけた美女が行く手を阻む。
「魔女様のご不在中の侵入者発見しました。直ちに排除します」
おそらくは魔女に洗脳された人間。魔女のしもべにされてしまったのだろう。
肌のハリや艶を見て、萌はそう思った。
人間ならば助けるのが筋かもしれないが、今はそんなことよりも大事な事がある。
萌が無視しようとすると、魔女のしもべは剣を抜いた。
「魔女様のために!!」
人間ならば殺すことはたやすい。
けれど、殺すのはためらわれる。ましてや、今は優先すべきことがある。
「あなたよりも助けたい人がいるんだよ」
萌の言葉は魔女のしもべに届くことはなく、萌の手刀により魔女のしもべは一撃のもとに昏倒した。
すべてはイアルのために。
倒れた魔女のしもべをそのままに、萌は頭部を持って出る。
これですべてのパーツが揃った。
魔女のしもべが倒れたことで、魔女たちが萌の侵入に気が付いたようだ。廊下が騒がしくなってきた。
慌てずそのまま萌は魔女の秘密結社の隣にひっそりと構えた隠れ家を目指す。
これでイアルの全ては私の物‥‥違う、イアルが甦る。
彼女は笑ってくれるだろうか?
彼女は喜んでくれるだろうか?
でも、あなたはどうやったら元に戻るのだろうか?
このまま、イアルといられるのもいいかもしれない‥‥いや、そうじゃない。
私は、イアルを知りたい。
私は、人間としてイアルに惹かれている。
‥‥この痺れるような甘い香りのせいじゃない。
けして、やましい気持ちなんかじゃない‥‥。
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