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媚薬を纏う霞色の過去
1.
壊された石像を抱え、入り組んだ道を駆け抜ける。
追っ手はこないはずだが、念には念を入れて何重もの策を張り巡らす。
茂枝萌(しげえだ・もえ)は、石像になったイアル・ミラールを隠れ家へと運び込んだ。
イアルは魔女の手により石化され、その身を砕かれていた。秘密結社の魔女たちに分け与えられ、飾り立てられていた。萌はそのイアルを元に戻すために石像を回収した。
奪還に成功はしたものの、萌にはそこから先の手立てがなかった。バラバラになった石像は何も語らない。動きもせず、また生きているとは到底思えない。
運び込んだ隠れ家のベッドに倒れ込むと、萌は目を閉じる。
IO2の過去の案件を調べれば、同じような事例があるかもしれない。解決策は得られるかも‥‥。
けれど、今は泥のように眠かった。
疲労が体の奥の奥までしみこんでしまったかのように、目を開けることさえもうできない。
少しだけ‥‥少しだけ眠ったら、すぐに‥‥イアル‥‥を‥‥。
石像を抱きかかえたまま、萌は眠りに落ちた。
その眠りで、まるでイアルに呼び込まれたかのように異国の夢を萌は見る‥‥。
2.
萌の視界は突然赤く染まった。途端に、モンスターが絶命の声をあげた。
金色の長い髪がふんわりと揺れて、桃色のビキニアーマーに覆われた大きな胸へと落ちる。
露出の高いアーマーだがその身にひとつの傷もなく、モンスターは倒れた。
森の中だ。遠くに西洋風の城が見えた。どこを見ても見覚えのある景色ではない。
「今日の傭兵の仕事はこれで終わりね」
萌はその声に振り向いた。
そこにいたのはイアルだった。長い髪をかきあげて、優雅な物腰で剣をしまう女戦士。剣を振りかざすその姿は萌の知っているイアルとはどこか雰囲気が違う。
ここはどこだろう? 私は石化したイアルを助けて‥‥? 異界にでも迷い込んだのだろうか?
女戦士は萌の前を通り過ぎる。声を掛けるべきだろうか、と迷った萌だったがすぐに眩暈に襲われた。
眩暈が治まると、萌は暗い部屋の中にいた。
暗い部屋の中の光源はいたるところに置かれた蝋燭。
目が慣れてくるまでに時間がかかった。揺れる炎の中で浮かび上がるのは豪奢な棺と身柄を拘束された女戦士。
『イアル!』
大声を出して、萌はイアルに手を差し出したがその手はイアルには届かなかった。
いや、その手はイアルをすり抜けた。
まじまじと萌は自分の手を見つめた。これは‥‥夢?
どこかから聞こえてくる歌声。それは呪文の詠唱のようにも聞こえるが、萌が理解できる国の言葉ではない。
「何故このようなところで拘束されなければならないのです?」
女戦士が口を開いた。それはいつものイアルの声。イアルの言葉はしっかりと萌に理解できた。
女戦士の視線は闇を見つめる。萌もそちらに目を凝らすが蝋燭の明かりでは輪郭を浮かび上がらせるのすら難しい。
「‥‥‥‥‥‥」
何か言葉を発したようだが、萌には理解できない。
「そ、そんな!? ‥‥それじゃ、イアル様は!?」
『イアル様』? 女戦士の口からそんな言葉が出た。
女戦士は呆然と棺を見つめる。その表情は絶望と驚愕、そしておぞましさすら滲んでいる。
「いや‥‥いや! わたしは、イアル様じゃない! わたしは、わたしは!!!」
歌声が大きくなる。女戦士の意思など無視され、伸ばされた腕の中で女戦士は崩れ落ちる。
これは、イアルではないの? これは、誰なの?
萌の疑問に答えられるものなどいる訳はなく、女戦士は何かの術を掛けられたのだった。
3.
また眩暈が萌を襲った。
それから立ち直ると、萌は街の中にいた。
西洋の街並み。いたるところに龍と鏡をモチーフにしたレリーフが飾られているのが印象的だ。
「また隣の国が戦の準備をしているって‥‥」
街人がひそひそと話し込む。今度は話し声が理解できた。
「鏡幻龍の巫女・イアル様がまた守ってくださるわ。これまでも、これからも」
「巫女様がいるからこそ、大国に囲まれたこんな小さな国でも豊かな実りに恵まれているんですもの。大丈夫よ」
街人達は口々に鏡幻龍の巫女・イアルを褒め称えている。穏やかな平和と優しい暮らしがいつまでも続くものだと信じて疑わない人々。
「王女様よ! 王女イアル、バンザイ!」
そんな街の人々の間をイアルは気さくに歩き回り、声を掛けては労う。
イアルを囲む人々がイアルを慕い、敬っていることが萌にも感じられた。
けれど、萌は思う。
これは‥‥誰? イアルなの? 本物の?
ヴェールを纏い、しずしずと歩むイアル。先ほどまで見ていたイアルとは全く違う。
ふわっと、萌をまた眩暈が襲った。
今度は炎の海の中に立っていた。街の中すべてが燃えている。逃げ惑う人々、重なる悲鳴。
攻め込まれたのだと萌は理解した。
「なぜ!? イアル様! わたしたちをお守りくださると‥‥!!」
「加護を! 鏡幻龍のご加護を‥‥!」
飛び散る血と絶望の断末魔。信じていた平和は脆くも崩れ去った。街中に火を放たれ逃げ場はない。行き場を失った街人はなす術もなく切り捨てられ、焼かれた。
「お逃げください、イアル様! 王女である貴女さえご無事であれば、国は滅びはしませぬ!」
城の中では王女イアルを逃がそうと、近衛兵や大臣たちが画策している。敵はすぐ傍まで来ていた。
イアルは‥‥その玉座に沈痛な面持ちで腰かけていた。
「イアル様、この城はもう持ちませぬ。ご決断を!」
大臣に促され、イアルは立ち上がる。
「ごめんなさい、わたしの‥‥力が及ばぬばかりに‥‥」
涙を浮かべるイアルに、大臣たちはただ黙って首を振る。そして、イアルを城の抜け穴から逃がす。
「どうか、御無事で‥‥」
そう言った大臣たちが抜け穴を塞ぎ終ると同時に、城は炎に包まれる。
幸せだったはずの小さな国の終わりの時だ。
『やはり、所詮は紛い物。記憶を上書きしてみても、本物にはなれる訳がない』
それは、誰の声だったのか。
萌の聞き間違いだったのか。それとも‥‥?
4.
イアルが城の細い抜け道を抜けると、敵が待ち伏せていた。
既に城が陥落し、イアルの行方を追うべく四方に敵が散らばっていた。
「そ、そんな‥‥」
靴を手に持ち這いつくばって出てきたイアルは、絶望を見た。しかし、命を懸けて自分を逃がした人々を思えば、今ここで死ぬわけにはいかなかった。
「加護を‥‥鏡幻龍よ、どうかわたしに加護を!」
希望は捨てない。いや、捨ててはならないのだ。
手にした靴と土を敵に投げつけて、イアルは裸足のまま走り出す。
しかし‥‥それは叶わなかった。
敵の魔術がイアルの体を石に変えた。
抗うすべはなく、その身は侵略した隣国の謁見の間へと運ばれた。
『裸足の王女』
そう名付けられた石像は、大国が近隣諸国に対し『大国に故郷を支配された象徴』として飾られた。
力の象徴、威圧の象徴、無抵抗の象徴。
抗う者への見せしめとして、苔むしても、蔦が絡んでも、どれだけ汚く悪臭を放とうともその姿を皆に晒し続けた。
その永い時を、萌はただ見ていた。見つめ続けた。
イアルはこんなにも永い時の中で、何を思うのだろう。
私の知るイアルは血の通った温かな肌をして、とても美しい髪をした女性だ。
大切な人を取り返そうと、一生懸命になる人だ。
‥‥こんな石像にされて、人に嘲笑されるために立ち尽くす人ではない。
私に何ができる?
萌は、苔むした石像に手を触れる。
ひんやりとした感触。先ほどまでは触る事すらできなかったのに‥‥。
萌は目を覚ました。
うっすらと見える影はいつもの隠れ家の風景だった。
しかし、その手にはひんやりとした石の手触りと、鼻をつく異臭。
萌が我に返ると、腕の中にはイアルの石像があった。どこも壊れていない、欠けてもいないイアルの完全な石像が。
どうして? そう考えるよりも、萌はイアルを抱きしめた。どんな形でも、イアルがここにいてくれたことが嬉しかった。
少しだけ躊躇って、萌はイアルの頬に手を差し伸べる。
そして、口づけをする。
萌の唇がイアルの唇から離れると、イアルの頬に赤く染まる。石化していた肌が、柔らかさを取り戻す。
萌の髪をイアルの吐息が揺らす。すやすやと眠るイアルは、眠り姫のようだった。
安堵の微笑みで萌は、イアルの耳に囁いた。
「おかえりなさい」
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